絆アップル

アンハッピーアイスクリーム

 おびただしい数の鳩がいる池のある公園で僕はその群れの中にしゃがみこむ彼女を眺めていた。鳩たちは首を突き出し突き出し彼女の周りを回り、呪いでもかけるかのように何度も円を描いていた。流れから外れる数羽はじっと池の中の鯉を見つめていた。彼女がどのように腕を動かしても鳩たちは逃げないのであり、僕が一歩でも近づけば全羽一斉に飛び立つことを識っている。

 三限を自主休校して大学に程近いこの公園へやってきた僕らはまだ昼食を取っていなかった。天気の良い日であるのに他に学生の姿はなかった。今日の三限がどれほど大事な講義であるかは僕らは知っていたけれど呪いを解く為の呪いの為に、その後に待つアイスクリームと世界の終りの為にここにいるのであった。

 さてそこまで夢想して昨日二十一歳になったばかりの彼女とまだ十九歳の僕はどうしてこんな風に晩年を迎えた老人みたいに池のそばでじっとしているかというと、やっぱり今日が最後の日であることを知っていたからであり、僕はじっと鳩を見つめていた。彼女の背中と鳩ばかりをずっと見ていた。だから彼女がその時どんな表情をしていたかを知らない。彼女の表情を知っているのはその周りをぐるぐると回る鳩と池の水面と蓮の葉だけであり、つけくわえて夏の日差しであり、彼女はどんどん日焼けをしていくけれど気にも留めないようであった。僕は日陰にいるのに息がしづらいほど暑くて急に思い出したみたいにびっしょりと汗をかいて頭痛が始まり筋肉痛がした。熱中症だ、と思う頃には気が付くのが遅く、ずるずるとベンチに横になりそれでもじっと灰色の羽を持つ小動物から目が離せなかった。

 呪いがかかったのはこちらだったのだ。首の血管が脇の下が手首の血管が大動脈が鼠蹊部が冷たいものを求めている。応急処置をしなければこのまま死ぬのだろう。手元には飲み物ひとつなく赤い赤い瞳が回りながら通り過ぎるごとにこちらを見つめる。僕が目を閉じる一瞬前その踊りは止んで数十羽の赤い目の玉は一斉に僕を見つめた。ベンチの木に半身が同化した僕を。「白昼夢よ」低い声で彼女がそう呟いた。何年も喋っていなかったみたいな乾いた掠れた声だった。「水を」そう言うつもりで、声にならずだらりと全身の筋肉が弛緩した。視界が真っ暗になった。やがてどろりと溶けた脳を冷やしてすくうためにその日はあった。彼女が今日まで抱えていた全身の様々な痛みは今しがた綺麗さっぱり消えただろうと思う。そうでなければ僕は今まで一体何を見ていたのだ?夢。そうだ夢であるならばもう一度彼女に会える。

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絆アップル @yajo_gekihan

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