舞鶴の空

増本アキラ

舞鶴の空

​​​​舞鶴の空


 私は自分の右側を次々に人が通過していくのを見ていた。みな一様に大きな鞄を持ち、バスの腹からも更に荷を取り出しているようだった。そこが唯一、私と違うところであった。私はというと向こうを去る時に、己の荷物は全てこちらに送ってしまったので持てる荷物は我が身一つである。しかしこの我が身というのは、なかなかの大荷物だ。どうともならないものだ。私の横を通り過ぎるものがいなくなってから、ようやく私は座席から腰を上げた。

 バスを降りると、私は思い切り伸びをした。長いこと席に座っていたので身体が石のようになってしまっていた。伸びをした時に、午前七時の空を偶然見上げる形となった。ところどころに白い雲がぽっかりと離れ小島のように浮かんでいた。我が地元、舞鶴を離れた日に見た空と同じような空であった。初夏の爽やかなみずみずしい風を感じながら、私は左手に建つ西舞鶴駅へと歩き出した。


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 私は西舞鶴駅から一駅だけ電車に乗った。一駅だけだが、その間を歩こうとすれば一時間と三十分ほどかかる。乗らざるを得ないのだ。地方のローカル線というやつはいい。その思いは都会の電車にここ数年慣れ親しんでいたからこそ沸き上がった。たった一両だけの電車に、乗客は私を入れて三人だった。私は水色の車両の窓から、景色を眺めていた。今も昔も全く変わらない景色がそこにあった。トンネルを潜り、電車はすぐに次の駅である、四所駅に着いた。降りるのは私だけだった。私は車掌に印の押された切符を渡し、車両前方の出口から降りていった。電車を降りた私は、電車がホームを出て行くのを見送ると線路を跨ぎ、この閑散とした無人駅を出た。改札口などない。駅前に植わった、大きなしだれ桜は変わらずそこにあった。花の季節はとうに終わって、今は緑色の葉がその手を青い空へ広げていた。

 駅前の駐車スペースで煙草を吹かしていると、私のズボンのポケットの中で携帯電話が鳴った。私は二つ折りの携帯電話を開いた。メールが来ていた。差出人は私の古い友人であった。

「まもなく。」

ただそれだけの簡潔な文章が表示された。私は了解した。携帯電話を閉じて元通りにポケットの中へ押し込むと、私はまた煙草を吹かした。あと少しだけ吸える部分は残っているが、私は煙草の先を地面のコンクリートに押し付けて火を消すと、もう片方のポケットから携帯灰皿を取り出して、その中に吸い殻を入れた。それと同時に、白い軽自動車が走ってきて私の前に止まった。私は助手席側に回って、車に乗り込んだ。


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 友は相変わらずであった。もう五年ほど連絡すらしていなかったが、それでも、私と馬鹿をやって過ごしていた頃と何ら変わりなく私に接していた。私と彼はまず、軽い挨拶を交わした。一か月ぶりだろうが五年ぶりだろうが、きっと同じ挨拶をしていたであろうと私は思う。

 友の運転する車は四所駅を出て右折し、坂道を下っていった。坂道のふもとにはコンビニがある。そこで幾ばくかの食料と珈琲でも買おうということだった。いかんせん田舎であるから、こんな早朝から飯を食えるところなどないのだ。我々は広すぎる駐車場に車を止めると、コンビニの中へ入って行った。ちょうど、遠い峰の頂から、朝日が顔を半分ほど覗かせていた。

「あのラーメン屋、潰れちまったのか?」

私は食料を持って車に乗り込むとき、コンビニから少しだけ離れた場所にある、古ぼけた小さな店舗跡を見て言った。友人は移転したのだと答えた。「そっか。」と、私は小さく一言こぼした。それだけ言うと、私は車に乗り込んだ。

 せっかくなのだから、景色の良いところで飯を食おうということになった。我々は通勤の車がちらほらと走る道を、それらとは反対方向に進んでいった。峠を登り切り、そして下った。この峠はほとんど山道と言ってもいい。左右は木々が生い茂っており、車の窓を開ければ山に浄化された清らかな空気が車内に満ちる。峠を下りると、緑豊かな大地を横一文字に貫く深碧色の川が現れる。第一級河川、由良川である。真っ直ぐ進むと、由良川に架けられた大川橋にぶちあたる。その手前に、藤津神社という神社がある。我々は、その神社のふもとで飯を食うことにした。


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 ここまでやってきて、私は少々驚いていた。私が地元を離れている間に大川橋は新設され、慣れ親しんだ古い橋は跡形もなく取り壊されていた。

「ちょっと寂しいよなあ。写真を撮っておけば良かったと、今更ながら思うよ。」

友人も、景色を眺めながらサンドイッチをかじっていた。もう片方の手には、昔と変わらずにレモンティーのペットボトルが握られている。私も、昔と変わらずに缶コーヒーをすすりながら相槌を打った。

「これを見て育った今の子たちも、いずれは俺たちと同じような気分になる日がくるのかねえ。」

私は湿っぽく言った。彼は少々、声を明るくした。

「進んでいくからな。人も景色も変わるだろうさ。君も東京行って、えらい変わったぞ?」

私は少しだけ笑った。

「そう言う君だって、変わったよな。驚いたよ。」

そんな私の言葉を聞き、彼は笑った。

「ほら、そういうもんだよ。でも、変わらない根本はあるから、さ。」

我々は二人並んで、彼はレモンティーを、私は缶コーヒーをぐいっと飲んだ。その時に、我々はいつもと変わらぬ地元の空を見た。突き抜けるような青さが、そこにあった。そこだけは、何者にも変えることはできないだろうと、私は思ったのだった。

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