薫 三十と一夜の短篇

白川津 中々

第1話

 眼に映るもの全てが気に食わなかった。

 青白い病室。我が身を預ける硬いベッド。規則正しい四角い窓と、そこから見える山々。頻繁に顔を変える花とそれが刺された花瓶。薄茶色の洋服入れ。小綺麗な洗面台。歯ブラシ。点滴。カニューレ。血圧計……

 全てが私を否定していた。「君は一生ここにいるのだ」と口々に宣言し、私の不幸を嘲笑っている。


 身体を持ち上げようにも、神経が意思に反逆しいうことを聞かない。喉に刺さったカニューレが煩わしい。息をする度に空気が抜ける音がしている感覚がある。身体に異物が取り付けられているのは、いつまでたっても慣れない。おまけに痰がつまった時はカニューレから気管にチューブを通され吸い上げられるのだ。その時の苦痛といったらない。


 肢体は動かぬくせに痛みと苦しみは与えられる。逃れるすべもなく、ただ唇の右端を歪ませる事しかできない。絶望とはこれこの事。生きる意義も目的も、何から何まで余す事なく不条理という名の悪魔に奪われてしまった。過ぎ去る時間は心身を蝕み内外全てを飲み込まんとしている。私は発狂もできず、自ら死ぬこともできずに文字通りの生きる屍として打ちひしがれていた。あぁ! せめてもっと脆弱であったなら! この苦しみから解放されるというのに!


 横にされた私は洋服入れの上に置かれた歯ブラシを見た。そこには大きな字で[真中 薫]と書かれている。この人物はもう死んだと諦め私はゆっくり目を閉じた。それはいつもの事であり、目を覚ませば、我が身に降りかかった悲劇によって忘れてしまう事でもあった。

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薫 三十と一夜の短篇 白川津 中々 @taka1212384

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