禁じられた祭り

峅井はで

禁じられた祭り

「誰か、そこにいるんだね? 待って、今、僕が助けるから!」


 そんな声が耳に入ってようやく、自分が何十年も眠っていたことに気がついた。


 この入り組んだ街の最奥。

 石畳の路地の突き当たりにある、“存在しないはずの空間”。

 そうか、あの日からずっと、ここに隔離されているのか。


 華やかに歌って騒いだ過去を思い返しても仕方がない。

 今の自分の立場は、言ってみれば囚われの女の子でしかないし、それさえもじきに失われるのだろう。

 仲間の精霊たちは、もうみんな薄れて消滅してしまったから、自分もそうなるのだと疑わなかった。


 なのに、どうしてここに、人間が来るようなことがあるんだ?



  ◇



 駆け寄ってきた人間は、気弱そうな少年だった。


 助けてくれなくてもいい、と言い放つ。

 それとも、君に何かできることがあるのか、と。

 もう消えかけのこの身体を、少年が認識できるだけでも奇跡的なものだ。


「……君は、何の精霊なの?」


 “祭りの精霊”……いや、それは過去の話か。

 今は何者でもない。あの祭りは、もう存在しないのだから。


 こちらからも訊ねた。

 少年はどうやってここまで来れたのか。

 知らなければ、この道には入れないはずなのに。


「この辺りから、歌が聞こえてきたんだ。優しい歌が」


 おかしいな。今の僕に、幻の音を聴かせる力がまだ残っていたのか?

 それに、僕の祭りは賑やかではあるが、優しいというのは変だ。


 だが、少年の反応は意外なものだった。


「女の子なのに、自分のこと“僕”って言うの、面白いね」


 その和らいだ顔を見て、ようやく自分の喋り方が変だと知らされた。

 時を経て、人々の一人称も交代しているだろうと思い、この少年の最初の一言を元に推測したのがまずかった。

 こうして僕はいわゆる僕っ娘という扱いになってしまった。



  ◇



 それから、彼はここをよく訪れるようになった。

 ジュンというその少年は、本気で僕の復活を助けてくれるつもりらしい。


 精霊にとっての力。

 それは簡単に言えば、人々からどれほど大事にされているか、その度合いだ。

 だから、祭りをもう一度開き、参加者たちが楽しんでくれれば、僕は助かる。


 この短い間に、ジュンがそこまでの見識を得てきたことには驚かされた。

 聞けば、将来は医者になりたいらしい。


 それでも。

 方法がからこそ。

 もとより復活は無理な話なのだ。


 僕は、街の人々の手で、意図的に閉じ込められているのだから。



  ◇  



「……どうして?」


 ジュンは、僕を知っていそうな大人たちに相談してみたのだろう。

 しかし、祭りをまた開かないかと提案しても、誰も乗り気ではない。

 思った通りだった。


「どうして、みんな、君のことを避けてるの?

 昔はみんなで楽しんでた、お祭りなんでしょ?」


 ……。


「教えてよ。君がここに閉じ込められた理由」


 あれは、元禄の頃。

 この街の人々は、金貸しの悪巧みを打ち砕いたことの記念に、仮装行列を作って夜通し騒いだ。それが、僕という祭りの始まりだった。


 でも、明治に入って警察が動くようになると、祭りは禁止、僕はこんな目に遭わされた。

 皆が眠れず迷惑してる、っていう理由でね。


「おかしいよ……楽しく騒ぐのって、いけないことなの?」


 いずれ君にも判るようになるだろうが、こういう時の理由は建前だ。

 僕という祭りは、「圧力に楯突く」という理念を起源として生まれた。それは放置すれば革命にも繋がる。新政府が禁止するのも仕方のないことだ。

 君は賢いから「ええじゃないか」は知っているね。同じことだよ。


「でも、みんなの迷惑にならないようにやる方法だって……!」


 ジュンは、悔しそうに走り去っていった。


 しかし、僕は諦めてほしくて今の話をしたはずが、彼の口調は、むしろこれからが勝負とでもいうかのように感じられた。


 そして、それは気のせいではなかったと、しばらくして知ることになる。



  ◇



 ジュンは遂に、僕を助けられるかもしれないと、嬉しそうに駆けつけてきた。

 大人たちが、祭りの復活を目指して、踊りを上演してくれるというのだ。

 ……彼が煽ったのだとしたら、恐ろしく頭の回る少年だ。


 そうか、この間の話を基に、体制に与さない人間から声を掛けていったのか。

 会場を設けるのは新聞記者だし、三味線奏者は元任侠の男だという。むしろこちらがジュンを心配になるが……。


 どうして彼にそんな行動力があったのか。

 それはきっと、彼がこの街を、この街の人々を、よく知り、そして愛していたから、ただそれだけなのだろう。


 そして、北陸タイムス紙の1000号記念式の日。


 人々の集う前で、屋外舞台は幕を開けた。


 繊細な調べと、整った舞踊が、場を包む。

 芸術へと昇華されたそれを、やかましいと形容する術など無い。

 ジュンが幻の中で聴いた優しい歌とは、こういうものだったのだろうか。


 僕の身体はたちまち蘇り、新たな存在としてこの世に解き放たれるのを感じた。

 そして、一陣の風となって、踊り手たちとともに静かに舞った。



  ◇



 それから、100年余りが過ぎた、今。


 僕はこうして、ここ八尾やつおの街で、「おわら風の盆」の祭りを盛り上げている。


 一度は禁じられたはずのおわらは、あの明治31年の日、情緒ある歌と踊りの行事へと生まれ変わった。

 今や、数十万人を動員する、年に一度の大イベントと持て囃されている。


 そう、ジュン――後の川崎順二かわさきじゅんじ医師は、あれから僕のために、生涯をかけて努力してくれた。

 彼の家だった場所はおわら資料館となり、復活の英雄と称えられている。


 ……それでも、僕は未だに思い出す。

「僕」という一人称を使うたびに。

 少年時代のジュンの、あの言葉を。


「楽しく騒ぐのって、いけないことなの?」


 僕は、本当にここまで変わってしまう必要があったのか?

 封印される前の、ただ賑やかな「私」は、どこに行ってしまったのか?


 今も、さまざまな街で、精霊たちは生まれている。

 僕と同じように、各々の故郷を盛り上げたいという、一途な願いを持って。


 願わくは彼女らが、かつての僕と同じ迫害を受けないよう。

「迷惑な人もいる」というだけの建前で、殺されることのないよう――。

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