英雄譚

キキョウ

理想と現実

 青く抜ける空に澄んだ空気。ここ、エトムント国の街、ハーフェンは年間の半分近くが晴天であり、最も栄えている都市部では市場や居住地が、そこから少し離れると農耕が盛んな地域が広がっている。国民は飢えることもなく誰もが幸せで、そんな国を作った王族を敬愛し、誇りに思っていた。


 ―――そう信じていた。あの日までは。






「坊っちゃま!またそんな所にお隠れになって……。使用人達が随分心配していましたよ?」


 細身の老人がひょっこりと天井裏に半身を覗かせ、呆れ顔で青年を窺った。


「セバス、坊っちゃまと呼ぶのはもう止めてくれ、俺も16なんだ。それに隠れていた訳じゃない、探していたんだよ」


 そう言うと青年はおずおずと天井裏から降りてきた。黒髪に色白の顔は、多少の埃を被っていても映える程の美形であった。


「これは失礼、ハルト様。何かものを無くされたので?」


「そうじゃないさ。城での生活は退屈だが、遺された美術品や城の装飾にはそんな退屈を忘れさせる魅力がある。そして時に、見た目以上の意味や価値がある時だってある」


「ハルト様、退屈なお気持ちはお察し致しますが、どうかあまりご心配をお掛けにならぬようお願いしますよ」


 セバスはそう言い残すと、ピシッとした背筋で部屋を後にした。


 青年ハルト・エトムントはこの地の君主、ハワード・エトムントの1人息子であり、次期国王となる予定の王子である。しかし彼はあまり自分の地位には関心がないようだった。


「さて、もう少し……」


 ハルトは再び天井裏に潜り込むと、先程の続きから探索を始めた。大小様々な箱が乱雑に置かれているが、どれも埃を被っていて、潔癖である人ならば触るのすら躊躇うであろう状態だ。いや、そもそもそんな人は用もなく天井裏になど入らないのだろうが……。


「ん、これは…」


 彼の視線の先には、少し無理をすれば人の入れそうな大きめの箱があった。ただ、彼の関心を引いたのは箱の大きさではなく、状態だった。様々に置かれた箱はそれぞれ埃を被っているが、その具合が異なり、どれが昔に仕舞われたものかは何となく推測できる。中でもその箱は最も古いものであるらしかった。恐る恐る、しかし期待に胸を膨らませつつ箱を開ける。フワッ、という音と共に小さなホコリが舞い上がった。


「ゲホッ、ゲホッ、本当に随分開けてなかったみたいだな……から?」


 舞い上がった埃がまだ着地地点を見いだせずにいる中、彼は落胆の表情を浮かべた。が、それもほんの一時の事だった。底に鈍い色をした取っ手を見つけると、彼の顔は輝きを取り戻した。底の汚れをそっと払うと、木製の扉が姿を見せた。ゆっくりと取っ手に手をかける。ギギギギ……という年季の入った音と共に、下へと続く階段がポッカリと口を開けた。


 ハルトは身を起こして天井裏を見渡してみる。この箱の扉は、丁度部屋と部屋の間に位置しており、下は壁があるべき部分だ。確かに、廊下からの景色を思い起こせば、部屋と部屋の間には不自然な距離があった。そんな事を考えつつ、彼は心許ないランプの明かりを頼りに、階段の先へと降りていった。


 しばらく降りると、手で伝っている壁が屋内のものから洞窟のような雰囲気に変わり、コツコツという足音が反響する真っ直ぐな通路になった。暗がりの先に見える微かな光を辿ると、そこには出口と思しき扉があった。


「ようやくどこかへ出られるらしいな……。恐らく、かつてここに住んでいた一族が抜け道として作ったものなのだろう……」


 誰に聞かせるとも無く独りごちて、内側から錠を外し、古びた扉を押し開けた。そこには、知っている景色がまるで別世界のように広がっていた。


ハルトは引き寄せられるように別世界への1歩を踏み出した――――



 古びた扉を抜けた先。そこは、城からやや東、城下町として栄えている地域からは少し外れた場所で、石畳になっている城下町とは違い、背の低い草花が自生し、視界の端には小川が流れている。


 ハルトは、ささやかながら大きな自由を噛み締めた。城の外に出る際にはいつも堅苦しくお付きの者が周りを囲み、目にする風景も何か出来すぎたような、さながらひとつの絵画のようにしか見えていなかった。しかし、今は違う。溢れんばかりの光か降り注ぎ、風の音はいつもより近く、洗練されて聞こえてくる。


 カラーンカラーン――


 風に乗って鐘の音が響いてきた。どうやら建物があるらしい。芝生の柔らかな感触を背中に感じるのもそこそこに、彼は音の元へと進んでみることにした。


 木々を抜けると、そこには古びた教会が建っていた。建物は所々にヒビが入り、下の方にはツタが這っているあたり、廃教会に見えないこともない。


「おや、この辺ではあまり見かけない子ですねぇ。迷子にでもなりましたか?」


 丁度中から出てきた老人は、ハルトに優しく声をかけた。黒衣に身を包み、十字架のペンダントをしている所を見ると、この教会の牧師であろう。


「いや、迷子にはなっていないさ。少しこの国を見て回りたいと思ってね」


「ほう、それではよその国からおいでになったのですか。それはそれは」


 ハルトが王子になったのは2年前。当時の国王であるハルトの伯父が病死した後に、ハルトの父親が国王の座についた。そのためハルトの外見や身分を知っているものは少なく、牧師が驚かないのも無理はない。彼はそのまま言葉を続けた。


「この国は、外の方から見るとどのように見えますか?」


「気候も穏やかで、街の人々も活気にあふれ、飢えなどもないような、幸せでいい国だと聞いているよ。尤も、自分の目で確かめたわけではないけど。ただ美しい自然はたった今体感してきたところかな」


「そうですか……。あなたが聞いているこの国のお話、それはこの国の仮面の部分、都合よく良い部分だけを抽出した偽りの姿です。たしかにこの国には、飢餓はありません。しかし、貧困はあります。城下町など、国の主要道路の周辺は確かに活気立っています。しかし、ここのような少し外れた地域には貧困家庭も多くあるのです。そして、どちらかといえばそういう家の方が多いのです」


 話は最後まで聞いていた。理解はした。ただ、体が受け付けていない。老神父の話にハルトは呆然とするばかりだった。


「……そして何より、国民の負担になっているのが、教会なのです」


「教会……いや、しかしあなたも教会の神父じゃないか」


「ええ。ですから、私は教会のやり方に反対です。彼らは初め、布教のために尽力し、民の心を救う素晴らしい働きをしていました。しかし組織が巨大になるにつれ、よからぬ噂も流れるようになりました。それが――――」


 彼がその続きを話そうとした時、奥の道から3人の男たちがやって来た。


「フィネル牧師、あなたは反教会派集団を匿っている疑いがある。一緒に来てもらおうか」


「私はそんなもの知りません。ですから、ついて行く理由もありません」


「大人しくご同行頂けいようなら、少しだけ痛い思いをしてもらうことになるが……」


 男はそう言うと、腰の剣を鞘から抜き、片手で軽く構えをとった。背後の仲間達もニヤニヤしている。彼らは、胴の部分が厚手になっている衣服を身にまとっている。教会のマークが入っているところを見ると、教会騎士団の下っ端で、その制服なのであろう。


「お断りします。どうせ弁明の余地もなく、神の名において処罰されるのでしょう」


「では……少し大人しくしてもらおうか」


 男が振り上げた剣が牧師に届く寸前、ハルトはサッと間に飛び込み、剣の柄を掴むと、飛び込んだ勢いを利用してそのまま相手を倒しながら剣を奪い取った。


 スッ……


 ハルトは男が起き上がるより先に、切っ先を眼前に突きつけた。


「無抵抗の人を傷つけるのはやめた方がいい」


 咄嗟の出来事に、男の仲間達からは先ほどの薄ら笑いは消えていた。


 尻餅をついたままの男はハルトを見据え言った。


「わ、わかった……」


 男はゆっくり立ち上がり、仲間たちの下まで後ずさりした。そして仲間たちに目で合図を送ると、ほかの男たちはそれぞれ剣を抜いたのである。


「何のつもりだ?」


「無抵抗な人を傷つけるのはやめたほうがいい、そう言っていたが、剣を持っているお前は無抵抗ではあるまい?」


 そう言うと後ろの二人の教会騎士は剣を両手に構え、ハルトからの間合いを測る。ハルトは、何かを感じ取ったように不格好な構えを見せた。


「ふふ……行くぞっ!」


 騎士は土を蹴って飛び出し、不敵な笑みを浮かべながら一閃を放つ。しかし、ハルトは見事にそれを防ぎ、身体を回転させて力を逃がすと騎士の背中に柄での一撃を御見舞した。


「がはっ……」


 崩れ落ちる不敵騎士。


「なっ……!」


 狼狽えた騎士からは最早戦意は感じられなかった。剣を取られた騎士はギリリと歯を食いしばると、崩れ落ちている不敵騎士の元へ近寄る。


「くっ……わかった。今日の所は引くとしよう。おい、行くぞ」


 そう言うと、2人は不敵騎士の肩を抱えて教会を去っていった。




「ありがとうございました。お陰でなんとか奴らに連れていかれずに済みました。いやぁ、それにしてもお強いですね」


「役に立てたのなら何よりさ。ただ、さっきの戦い、正直運が良かったとしか言い様がないな。長期戦になってしまっていたら、勝ち目などなかっただろう」


 空想物語ならば、自堕落な男が窮地のヒロインを助ける為に規格外の力を発揮し、心得ある相手を圧倒する事は多々ある。むしろお約束と言っていい。しかし、ハルトはそうではない。剣筋が粗方読めていたのである。

 ハルトは王子になって以来、座学以外の教養として剣の稽古も付けられていた。特に、教会の国への影響が強くなってからは、剣術の師として教会騎士団の剣術指南役がやって来るようになった。先ほどの騎士達の構え、身のこなしはまさにその流れを汲む物だったのである。

 さらに相手は、2人であった事やハルトが青年だった事、剣術とは無縁であろうという思い込みから、明らかに油断していたのだ。


「何にせよ、無事で何よりだ」


「はい、本当に。はぁ……しばらくこのスベランナ教会は閉ざしておこうと思います。彼らがまた来ないとも限りませんから。いずれこんな日が来るのではと思っていました」


「スベランナ教会……それがこの教会の名前だったんだな。今日のような事があったんだ。しばらく隠れられる場所があるといいけど」


「それは大丈夫です。きちんとアテならありますから。ただ、時折訪れてくれる教徒の方々に申し訳が立ちません」


「それは仕方ないさ。貴方の身の安全のほうが大事だからね。あ、そうだ、すまないけどこれを処分してくれないか?」


 そう言うとハルトは先ほどの剣をフィネル牧師に差し出した。


「わかりました。こちらでどうにかしておきます。本当にありがとうございました」


 そして、いくつかのやり取りをしたのち、教会をあとにした。


 束の間の新しい世界。そこで見聞きしたものは、ハルトの心を動かすのに十分なものだった。ほんの数分前までの出来事を反芻はんすうする。来た時と同じように手を伝わせている通路の石壁は、心なしか来る時よりも冷たく感じた。


「俺が今まで信じていたエトムント国は、ただの仮面だったのか……」


 ポツリと呟いたのは、もう天井裏から部屋へ降りた後だった。乱れた服装を直し、ひと息つこうとした時である。


「ぼっちゃまぁぁぁぁあ!!!!」


 セバスである。


「ぼっちゃま!どちらにいらっしゃったのです!剣術の先生、ずっと待っていらっしゃったのでございますよ!?そんなに服を汚されて、また変な隙間にでも潜り込んでいたのでしょう!」


 あぁ、確かに今日は剣術の訓練があった気がする。今日のような日が来ないとも限らないし、今まで以上に真剣に取り組まなければ……そんな事を考えている中、尚もセバスの小言は続く。


「そもそも、ぼっちゃまにはそろそろ王子たる自覚をでございま――」


「なぁセバス……」


「キチンと――――はい?」


「この国は、本当はどれくらい病んでいるんだ?」


時が止まるというのはこういう状況を表したものなのだろう、セバスは機関銃の様だった小言をピタリと止め、驚いた様子でハルトを見ている。


「ぼっちゃま、先程まで一体どちらにいらしたのですか?」


「少し、自分の国を見てきた。俺が信じていた国とは全く違った……。豊かな国だと?国民はみな幸せなのではなかったのか?」


ハルトは怒り満ちた、それでいてどこか悲しみを含んだ顔をしながら、セバスの胸ぐらを掴んだ。セバスは困り顔をしながら、震えるハルトを眺めていた。

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英雄譚 キキョウ @kikyo_g

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