随想 神国横浜

山の下馳夫

第1話 横浜市民にあらずんば人にあらず

 大学に進学し、群馬県民の私に初めて横浜市民の友人ができた。今でこそ丸くなった彼だが、この時は完全な横浜至上主義者で他の地域の出身者をかなり低く見ていた。そのころの私は既に群馬県の治安の悪さ(鎌倉時代末~室町時代初期程度の治安であろう)に辟易しながらも、まだ実家が焼き討ちの憂き目にあっていなかったことから、ファッション的に時折愛郷心を披露することも多く、彼が頻繁に見せた非横浜市民蔑視に多少の抵抗を試みることがあった。

 

 他の群馬県出身者を焚き付け、名号や念仏のように『上毛かるた』の文言を唱え、群馬の初等教育で行われた洗脳の成果を彼ばかりか無関係の同級生にまで喧伝してみせたりしたが、彼もまた彼で「横浜は神である」と断言し、ある時には約束の地カナンのように、ある時には黄金郷エルドラドの如く、自らの故郷を礼賛した。


 私は既にこの時点で横浜に対する敗北を実感していた、私はあくまで生活の質を向上させる目的で群馬信仰を利用していたに過ぎないと言うのに、彼には横浜に対しての真なる信仰があった。近年登場した群馬信仰を取り扱った創作物から解るように、群馬を根本から信じる信徒はこの世にいないと思われるが、彼の日頃の崇拝の様子は、私に狂信的な横浜信者の存在を確信させるものだった。

 

 彼のみなとみらい巡礼に同行した時、クイーンズスクウェアを遥拝する彼の眼に不退転の決意が宿るのを見た。今でこそ北関東の田舎の大学に逼塞ひっそくしているが、この神の国で生業なりわいを見つけ、神の国の礎になるべく身を投げうつ覚悟がその双眸に宿っていた。私はその、凄絶な美しさすら感じられる彼の信心の在り方に感服した。そもそも私は愛郷心を表現するのに群馬を用いたのに対し、彼は純然に横浜のみを崇拝の対象に据えて頑なに他の自治体の加勢を拒んだ。世間一般の人は群馬に対応するのなら普通、神奈川を挙げると思うが、彼は他の出身者が県を誉めるのに対しひたすら横浜の名のみを叫んだ。そもそも川崎とかはすごい下に見ており、その在り様は上古刀を思わせるような直向きさと優美さを携えていた。


 私は偽りの信仰を棄却して(そもそも県知事が小寺弘之から大澤正明に代わったのも知らなかったくらいだが)、むしろ横浜が如何に世の中の他の場所と比べ優れているかを調べ始めた。みなとみらいや中華街のような有名観光地はさることながら、まず、目についた指標は人口である。

 私が生物学上生を受けた群馬は、上毛かるたに『力あわせる二〇〇万』とあるように、おおよそ二〇〇万人の人が住んでいる。これは関東地方においては栃木県と関東最下位を競う程度の人口であるが、他の地方に比べれば十分多い。よく山口県の人あたりに群馬をバカにされているイメージがあるが、山口県よりは五〇数万人程度多い、即ち両者には約1鳥取県いちとっとりけん程度の隔たりが存在する。このあたり腐っても関東地方と言えようが、この群馬ですら横浜市の人口からすれば酷く頼りない。

 横浜市の人口は約三七〇万人、思わず頭を垂れそうになる数である。最近テレビで島根県の人口が七〇万人を割り、大正時代を下回ったと言っていたことを踏まえれば、横浜市の人口は5島根県ごしまねけんを越えると言える。これは五つの平行世界から島根県民を召喚してもまだ及ばない数値である。横浜と言えば大正ロマンを思わせる建築や通りが有名だが、島根もまたそういう意味では大正ロマンを感じさせる県と言えるかもしれない。


 このように単純な数値だけでも我が横浜市が如何に優れているかを知ることができるが、あくまでこれは表面的な理由の一つである。持てる情報を片っ端から挙げ、横浜の魅力を紹介するには紙幅が足りないし、筆舌に尽くし難い横浜市の神髄を私ごときが表現できるものでもないだろう。

 いっそのこと私の眼を開かせてくれた彼が、既に穏健派となり、影響力を危惧して私家版に留めた名著『我が横浜』、『横浜党宣言』、『林主席語録』等を世に出してくれれば万事解決するのかもしれないが、これがIOCや識者の目に触れてしまえば、せっかくのオリンピックをなぜ横浜に誘致しなかったのかと詰問される事態になるだろうし、ひいては日本の首都移転問題にも繋がりかねないので、軽々と推奨もできないのである。

 

 諸氏にこれらの聖典を伝えられないというのは残念であるが、選ばれし民として国家の秩序を優先する横浜市民の性質を鑑みれば仕方がない。となれば、残された道は一つ、横浜市内に張り巡らされた交通網を駆使し、聖地を訪れるという手段である。 2016年現在、飯能から直通の電車に乗れば一時間半で横浜に着いてしまう。埼玉県民ならばこれらを利用ない手はない、池袋で降車したくなるのを必死に耐えて、副都心線が東急東横線に接続するまで、鴻巣の免許センターに遠征する過程を思い出して乗り続けてみてほしい。

 

 さすれば、静かに吹く海風と、響くカモメの鳴き声が、神の国に到達したという実感を必ずやもたらすはずである。

 



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随想 神国横浜 山の下馳夫 @yamanoshita05

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