黄金色の明日香

葉月みこと

史跡をめぐる愉快な旅 明日香村編

「ほら。咲希さき。起きて。散歩に行くよ。

 せっかく明日香に泊まっているのに、朝の景色を見ないでどうするの」

 早起きの母に起こされた。

「……。 私。寝たの、1時」

「どうせゲームでしょ。旅行に来てまでゲームって、ありえないし」

 母にすぱっと布団をはぎ取られた。


 アラフィフの母と二人旅。

 母は一般家庭から農家に嫁いで20数年。会社勤めをしており、いまだに農業にはノータッチだ。

 私は看護師。三交代勤務をしている。

 二人とも神話や神社が好きで、由緒ある地を旅するのが趣味の一つ。

 今回は2回目の明日香村。宿泊したのは飛鳥駅近くのペンション。すぐ前を小さな川が流れている。緩やかに流れるささやかな音がはっきり聞こえるほど、しんとしている。


 明日香村の秋暁しゅうぎょう。気温12℃。天気晴れ。

 体感としては少し涼しい。ジーパンに厚手のカーディガンでちょうど良い。ひんやりとした空気が心地よく、ぼんやりした頭も覚めてきた。


「どこに行く?」

 ペンションを出て、母に尋ねた。

「“猿石さるいし”かな。そこなら朝ごはんまでに帰ってこられるよね。

 前に来た時にも行ったけど。朝に見ると、また違って見えるかもだよ」


 飛鳥駅を通り過ぎ、中街道を進む。

「確か、こっちだよね」

 母は横断歩道を小走りで渡った。普段は腰が痛いだの、息が切れるだのって、ちょっと歩くとぐずぐず言うくせに、こういう時の足取りは軽やかだ。


 中街道を右に曲がり、細い路地に入る。すぐに猿石への案内板があった。

 矢印に従って左に曲がると、真正面には木の生い茂る山。

欽明天皇陵きんめいてんのうりょう

 天皇陵の手前で左に折れ、細い坂道を登った。中ほどまで登った所で、思いついたように後ろを振り向いた。

 明日香に陽が昇る瞬間だった。

 向こうの山の稜線から、太陽が顔を出す。眩い陽光が、明日香の村を照らした。

 乳白色の空と、白いうろこ雲。

 稲穂が頭を垂れている稲田。

 空き地に自生している猫じゃらし。

 古墳を覆う木々。

 古墳の周りを囲んでいるお堀。

 お堀の水面からゆらゆらと浮かんでくる川霧。

 朝陽ですべてが金色に染まっている。セピア色の写真のよう。

 感嘆のため息が、自然に出てきた。


 当初の目的である、猿石に向かう。

 猿石は欽明天皇陵に隣接する“吉備姫王墓きびつひめのおおきみのはか”の中に置かれている。私たちが登り始めていた小山が、その王墓だった。

 再び坂を登ると、左手に石製の柵。柵の中には高く生い茂る草木と猿石。猿石とは4個の石造物を総称しており、それぞれに女、山王権現さんのうごんげん、法師、男、と呼ばれている。

 柵の中には入れないため、隙間からのぞくしかない。

 端から順に眺めていると、先に進んでいた母が私を呼んだ。山王権現を指さしている。石像の後ろの葉の隙間から、ちょうど陽が射してきていた。

「後光みたい」

母がつぶやいた。

「でもさ。あの石造物。下半身丸出し。後光が射すほどのってないかも」

「……。 下半身は無視」

しゃがんでいた母は、すくっと立ち上がった。


「明日香村の人ってうらやましい。古代のロマンが、こんなに身近にあるんだもん」

歩きながら母が言った。

「うーん。どうなんだろ」

私は首を傾げた。

「だって、生まれた時から石造物とか古墳が身近にあるんだよ。それが日常でしょ。

 ここにずっと住んでいれば、ロマンも何も、ない気がする」

「……。 確かにね」


 今回の旅行ではレンタカーを利用した。前回は“かめバス”で回ったが、今回はバスで行けなかったところを訪ねる予定だ。


 まずは飛鳥川に向かう。母は上流に向かって車を走らせた。結構な登り坂だ。

 木々は深碧しんぺきや草色など、様々な緑色を呈し、紺碧の空にくっきりと映えている。青く澄んだ飛鳥川の水が、石に弾けて光を反射させる。


“飛び石”と書かれた看板を見つけた。母は車を停め、車外に出た。細いお手製と思われる道を下って、飛鳥川のほとりに出る。

 川に大きめの石がとびとびに置かれ、石を渡って向こう岸に行くことができる。これが飛び石だ。

 母ははしゃぎながら、石の上に立った。

「私、明日香村に住みたいな。父さん死んで、ひとりになったら移住しようかな」

母は突然、縁起でもない夢を語りだした。

「やめてよね。母さんが入院でもしたら私が病院から呼ばれるんだよ。こんな遠い所、簡単には来られないんだから」

「これだから、看護師って」

「だって、この前、ひとり暮らしの人が急変したのね。それで家族にすぐに来てって連絡したのに、県外なので2時間はかかりますって言われて。すっごい困ったんだよね。

 そんな経験しているから、そう考えてしまうのは仕方ないっしょ」

母は無言で飛び石から降りてきた。


柏森かやのもり”で引き返し、次の観光予定地に向かう。

 途中、“棚田たなだ”が見えてきた。

 カーブの途中で車を停めるスペースがあり、何台か車が停めてある。私たちも停車し、外に出た。

 眼下に広がる黄金色。


「稲刈り、まだ終わっていないんだね」

我が家の稲刈りは、すっかり終わっている事を思い出した。

「うん。そのおかげで、こんなにきれいな棚田が見られたんだから。ラッキーだよね。

 だだっ広いうちの田んぼとは、なにか違う。稲穂なのに神秘的って感じ。田んぼが観光地になるのもわかるわ」

「でも、棚田って稲刈りとか大変そう」

 私の言葉に母は一拍の間をおいて返答した。

「そういう現実的な事はいいから」


「ねえ。明日香村の人と結婚するってどう?」

また、突然なにを思いついたのか。

「2次元の彼氏とばかりデートしていないでさ。もういい歳なんだし」

母が私を産んだ年は超えてしまっている。確かに結婚適齢期であり、いい歳と言われても否定はできない。

「咲希も明日香村に住めば、私が入院してもすぐに来られるじゃない。

 農家もそこそこできるし。

 そうそう、看護師ならここでも続けられるし。確か、駅の近くに病院の看板あったよね」

返す言葉もない。

「そうだ。結婚式は“橿原神宮かしはらじんぐう”がいいよ」

誰か。この母の妄想を止めて下さい。


 

 

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黄金色の明日香 葉月みこと @asukanoyume

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