12 心
ぼくが心配した雨はI中央公園の最寄駅に着いても降り始めない。
初めての場所なのでスマホの地図を頼りに西見晴台に向かう。
園内に入り、経路を選ぶと、いきなり上りがキツい。
ここ三か月余り、ぼくは坂ばかり登っているが、それでもキツイい。
西見晴台は公園の外れにあるので着くまでに時間がかかる。
慣れれば時短コースがわかるだろうが、初めてなので最短コースを選ぶしかない。
上り坂が終わると平坦な遊歩道。
こんな時間で、しかもこんなコースだというのに犬連れの散歩者がいる。
追い抜く前に吃驚させないように挨拶し、先を急ぐ。
平坦な広場を抜けると、また昇り。
暫く木の通路となり、それが土と雑草の道に代わり、分岐。
前もって、どちらの道を進んでも西見晴台に至るとわかっていたので滑り難い段のある道を選ぶ。
西見晴台は四角い二階建ての庵(?)といった風情で遠目では人がいないように見える。
時計を見ると、もう六時だが、まさか、ぼくの方が先に着いたか。
蚊が一匹しつこく右耳近くに纏わりつくので虫除けスプレーをシュッとかける。
最初に里山に出かけて以来、虫除けスプレーがぼくの散歩の友。
種類が多いので幾つか試すが、結局有名な外資系企業のSが最良とわかる。
少なくとも夏になるまで、S以外の虫除けスプレーでは最低必ず一ヶ所刺されたから。
Sを用いれば一か所も刺されない(ただしスプレーした箇所が白くなり易い)。
が、その効果も夏になれば蚊に負け、痒み止め剤が手放せなくなる。
漸く蚊が右耳の周りから消えたところで西見晴台に到着。
西見晴台は二階建てだから柱が太い。
その陰に白い衣装の人(自称Crazy fairyさん)を発見。
短い石の階段を昇り、見晴台の中に入る。
(遅かったわね)
相変わらず無言で白い衣装の人(Crazy fairyさん)が、ぼくに言う。
「済みません。初めてのところだったので」
(まあ、いいわ。はい、これ……)
白い衣装の人(Crazy fairyさん)が三色リュックサックの中からデジタルカメラを取り出し、ぼくに渡す。
(この間は、ありがとう。また撮影をお願いするわ)
ぼくにはそうとしか取れない態度でデジタルカメラをぼくに手渡す。
「ここは広さがないから全身像を狙うと、あなたの姿で画面が一杯になりますよ」
西見晴台は一階が休憩所で階段があり、二階が手摺に囲まれた展望台構造になっている。
正方形の一辺が四メートルないので、被写体(人)の割合が増えるのだ。
(構図は、あなたに任せる)
白い衣装の人(Crazy fairyさん)がそういう仕種をするので、ぼくが首肯く。
「入り口付近に立ってください」
「階段を昇ってください」
「手摺に寄りかかってください」
「髪を掻き揚げる仕種なんかをしてくれると嬉しいです」
ぼくの注文に白い衣装の人(Crazy fairyさん)が素直に応える。
数分もすると、さっきの犬を連れた散歩者が西見晴台に現れる。
が、何も見なかったように見晴台を一周し、去って行く。
犬が吠えなかったので、訓練された賢い犬だと感心する。
普通の犬なら不審者がいれば吠えるだろう。
その後、人が現れる気配はない。
「見晴台を背景に撮りましょうか」
展望台から降り、西見晴台の外に出る。
途中、白い衣装の人(Crazy fairyさん)が階段で転びそうになるのを、ぼくがサポート。
白い衣装の人(Crazy fairyさん)が履くパンプスのヒール高さは六センチだが、普通の靴に比べれば土と雑草の地では安定が悪い。
白い衣装の人(Crazy fairyさん)に適当に歩いて貰い、ぼくがその姿を写真撮影する。
その間、約五分。
白い衣装の人(Crazy fairyさん)が撮影終了の合図を出す。
が、ぼくに去れという仕種をしない。
三色リュックサックを置いた西見晴台内に一旦戻り、大胆にも着替えを始め、ぼくを驚かせる。
来ていた妖精衣装を一枚ずつ折り畳みながら片づけるのに吃驚するほど短時間だ。
最終的に、ぼくが高架駅のホームで見た地味系白い衣装の麦藁帽子の人に変わる。
髪もロングからショートに変わり、靴も黒エナメルのパンプスから白いサンダルに変わる。
さすがにメイク落としはしないが、大きなマスクをする。
「お待たせ……」
白い衣装の人(Crazy fairyさん)が初めてぼくに口を利く。
その声は嗄れており、とても女性の声には聞こえない。
「聞き取りにくいでしょ。でも、これがわたしの声。だから、これまで声を出さなかったの。失礼してごめんなさいね」
「それは別に構いませんが……」
「久世さんがノコノコとこんな所まで来たからには話を聞いて貰います。覚悟してください」
「それも構いませんが……」
「歩きながらにしましょう」
今では地味な女性(ただし背は高い)に変わった白い衣装の人(Crazy fairyさん)がそう告げるので、ぼくと彼女が西展望台を出、来た道を戻る。
「見て判る通り、わたし、背が高いでしょ。オマケに肩幅もある。声はこんなだし、顔も鼻から下が化粧をしてもフォローできなくて……。だから、ずっと諦めていたのよ。可愛い格好をすることを……。昔から自信があったのは脚だけ」
彼女がそう言うので改めて脚を見ると確かに細くて綺麗。
近くの沼地からやって来たのか、小柄なシオカラトンボの番がぼくと彼女の目の前を飛び去る。
「で、社会人になって、ある日、急に気づいたの。可愛くなれる方法があるって……」
ゼルフィスがフワフワと周りを舞う。
翅の表側がメタリック・グリーンで珍しい緑小灰蝶(ミドリシジミ)まで現れる。
近くに榛の木(ハンノキ)があるのだろうか。
「実はとても簡単で顔の下半分はマスクで隠す。長い黒髪はウイッグ。前髪を目の上ギリギリに調整。あとは可愛い服を着るだけ。そんな簡単なことで、わたしが可愛くなれる。実際、ネットで必要なものを揃えて着替え、鏡に映し、見れば可愛い。写真に撮って見れば可愛い。生まれて初めて自分が自分で可愛く見える。まあ、中身が隠されているからだけど、それでも感動。わたしだって可愛い格好ができる、ってジンとして……」
「あなたは放っておいても十分可愛いですよ」
「素顔を見れば、絶対そんなこと言えない」
「ならば、あなたの素顔は見ないことにします。元々化粧って、そういうモノでしょう。平安時代のお姫様は殿方に素顔を見せません。結婚しても基本的には同じ」
「でも男の人は女の子のスッピンが好きなんでしょ」
「正直言えば、ぼくだって可愛い人の素顔は見たい。でも、ぼくが好きなのは妖精の姿をしたあなたらしい。もちろん、今のあなたが嫌いという意味ではありません」
「二十五にもなって、あんな格好をして出歩いて、自撮りを繰り返している不審者よ」
「妖精の姿をしたあなたに会いたくて近くの公園を三月も探しまわったぼくも不審者ですよ」
「久世さんって、おかしな人ね」
「自ら『狂った妖精』を名乗るあなたを気に入るくらいですから」
「わたし考えたの。不審者は不審者なんだけど、被写体とカメラマンが一緒にいれば多少はマシ、だろうって……」
「なるほど、それでぼくにカメラマンを……」
「わたし専属のカメラマンになってくださいってお願いしたら、久世さんは色好い返事をくれるかしら」
「ぼくのことを好きになってくれますか」
「今はムリ。自分の感情処理だけで手一杯。それに自分より背の低い人はちょっと……」
「はっきり言いますね」
「男の人が笑いものになるわ」
「あなたにとって、背が高いことはコンプレックスですか」
「運動選手じゃないし、運動好きでもないし……」
「偶々最近、あなたと同じような身長の女性と知り合いましたが、彼女は全然、そんな感じじゃありませんでしたよ。元陸上部でしたが……」
「そう」
「あなたと会わせて話をさせたいですね。でも、連絡先を聞いてない」
「久世さんはうっかり者か」
「さあ。……ところで今日、これから何処かに出かけませんか。心配していた雨も降らず、空が明るくなってきましたし」
「行ってもいいけど何処へ」
「あなたが自分の背景に移したい場所へ……。幾つかあるでしょ。被写体とカメラマンが一緒にいれば、不審者に見られても多少はマシ」
「今のわたしに人の多いところで妖精になる勇気はない。でも、ありがとう。引き受けてくれるのね、わたし専属のカメラマンを……」(了)
白い衣装の人 り(PN) @ritsune_hayasuki
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