くじらの金曜日
きゅうた
くじらの金曜日
地元から出て、呉に来てもう二年になる。大学は夏休みに入ったが、お盆が近くなると親しい友人は皆帰省し、出産のため姉が里帰りしている実家からは、邪魔になるから帰ってくるなとお達しがあった。こう暑いとバイトをする気にもならず、ぽっかり無気力に過ごしていたある日、駅前の掲示板に気になるポスターを見つけた。
『呉海自カレーシールラリー』
カレー?シール?
ポスターによると、海上自衛隊ではそれぞれの艦船ごとに独自のカレーレシピがあり、それを忠実に再現したものが様々な飲食店で提供されているらしい。そのカレーを食べてまわるとシールが貰えて、集めた数に応じて海自グッズと交換できるというのだ。そういえば、「海軍さんのカレー」という幟がはためいている店を目にしたことがある。
ふむ。時間はうんざりするほどあるし、カレーは好きだし、一丁やってみるか。
軽い気持ちで始めたラリーだったが、三枚も集まってくると、段々楽しくなってきた。2、3日おきに昼はあちこち繰り出して、暑い中、汗水垂らして探し当てた店でありつくカレーはどれも本当にうまかった。それぞれ味も見た目も違うし、実際に乗組員が使っている鉄板食器で出てきたり、でっかいコロッケが乗っていたりと、全く飽きない。
順調に食べ進んでいたある日、俺の同志に、綺麗なおひとり様女性がいることに気が付いた。隅の席で、目玉焼きの乗ったカレーを口に運ぶ彼女に既視感を感じたのだが、先に会計へ立った彼女の「シールください」の声に記憶が蘇った。先週別の店で、牛すじ入りカレーをペロリと食べていたあの人だ。女一人でラリーに参加している人はめったに見かけないから、よく覚えている。
またあの人に会えるかもしれない。ちょっとした楽しみも増えて、翌週またせっせと食べ続けてシールを二枚増やしたものの、彼女を見かけることはなかった。
まぁ目的はあくまでカレーだ。今週最後は、昼営業している居酒屋にしようと、暖簾をくぐった瞬間に俺は息をのんだ。カウンター席で黙々とスプーンを動かしているのは、まさしく彼女ではないか!「お好きな席へどうぞ」の店員の声を幸いに、出来るだけ自然に見えるように、ゆったりした動作で彼女の隣に座った俺は、必死ににやけを堪えた。
ゴロゴロと大きめの具が乗ったカレーが運ばれてきた時、サラダの皿を脇に寄せた腕が軽く彼女に当たった。反射的に謝ると、彼女は笑顔で「いいえ」と返してくれた。
今しかない。
俺はその流れを殺さないように、彼女を見かけたことがあること、大学の夏休みを利用して自分もシールを集めていることを、決して下心なく、純粋にラリーを楽しんでいる人間が話し掛けている雰囲気を醸し出しながら伝えてみた。
いい人だった。営業の仕事をしているという彼女は、昼休みに週1くらいでカレーを食べにあちこち回っているのだそうだ。一度始めたら、ついシール集めちゃうよねと笑う彼女は、嫌な顔一つせず話をしてくれた。
雑談が盛り上がって、てっきりフリーだと思っていた彼女に彼氏がいるという事実が発覚して内心ガッカリしたが、次のセリフを聞いて俺は眉をひそめた。
「まぁ今音信不通なんだけどね。」
「え?」
「仕事でねー。」
「いや、ネットのある時代にそれおかしいでしょ。海外でも簡単に連絡取れるのに。」
「実は今どこにいるかもわからない。」
「え。大丈夫すか、それ。」
「ふふ、やっぱりそういう反応になるよねー。」
笑い事じゃないだろうと怪訝な顔をしている俺をよそに、楽しそうに彼女は話を続ける。
「彼の身内に会ったことないしさ、彼に何かあった時、私には連絡が来ない可能性もあるでしょ?それが心配なのよね。一大事も知らないで、ずっとずっとただ待ち続けるとか…」
そんな怪しげな男にどれだけ惚れてるんだと、ちょっと呆れてカレーを頬張る。
「やっぱりプロポーズするしかないか!」
頬張ったカレーが危うく飛び出しそうになった。ぎょっとした俺の態度を爽やかに笑い飛ばして、先に空になった皿を前に彼女が席を立つ準備をする。
「一体何者なんすか、その彼。」
「くじら乗り。」
は?と顔いっぱいに疑問を広げる俺をよそに、颯爽と立ち上がった彼女は急に違う話題を振ってきた。
「大和ミュージアムのそばの海自カレーはもう食べた?まだだったら行ったついでに観光して帰ったらいいよ。近くの海自史料館はタダで入れるし。」
じゃね!と去っていく背中を見ながら、あまりに彼氏に対しての疑いの声音を強くしたことに、気を悪くしただろうかと心配になった。でも誰が聞いてもあの反応になるぞと自分に言い聞かせて、なんだか気になって翌日には大和ミュージアムの前に来ていた。
カレーの店はすぐにわかった。ライスではなくナンが添えられていてなかなか美味い。土曜だったせいか客が多くちょっと待たされたが、大満足だった。
住んでいるとなかなか観光地には足を運ばなくなるもので、大和ミュージアムには初めて入ったし、すぐ向かいにあるでかい潜水艦のオブジェが、オブジェではなく海自史料館で、その中に入れるのだということも初めて知った。
入り口で看板を見て、「あ」と声が出た。この史料館、別名「てつのくじら館」というらしい。鉄のくじら。潜水艦。
あぁ、海自の潜水艦乗りだったのか、問題の彼氏は。
海の底じゃ電波はつながらないし、機密事項で任務地などは話せない。なんだ、どうしようもないひどい男ではなかったらしい。
潜水艦の中の展示で、食堂のコーナーのプレートには「曜日感覚を失わないために毎週金曜日はカレーが出される」と書いてあった。そういえば彼女を見かけたのもいつも金曜ではなかったか。
くじら乗りの彼氏が少し羨ましくなった。
史料館を出た途端、刺すような真夏の白い光をもろに顔面に受けて、顔中の筋肉が勝手に皺くちゃになる。眉を最大限に上へ引っ張り上げると、きらめく夏の海が映りこむ。
プロポーズ、うまくいくといい。
くじらの金曜日 きゅうた @kan90
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