冷蔵庫くんの変化

 大の男が赤くなった頬かいてそっぽ向いてるって何なんですかね。王子のやつ、朝からコタツの側で、ずっともじもじしてるから、もういいから早くトイレ行って来いよって声掛けたら、また怒り出しやがった。

 さっきまで喧嘩していたから、気を遣って声掛けてやって、朝食のコーヒーの準備までしているのに、あいつったら、まだもじもじしてるんすよ? 本当になんなの? 王子なの? 王子なの? ねえ本当に王子なの? あー、なんで王子なんか拾っちゃったんだっけ。

 早朝、喧嘩の成り行きで魔術とやらを王子が披露したことによって、本当に奴が異世界から来たらしいと私も認めざるを得なくなった。

 捨て王子なんか、捨てられたまま、そっとしておけば良かった。後悔の涙で滲む視界の隅で、もじもじしていてムカつく王子に、朝食の菓子パンの袋を投げつけた。普通に片手で受け取って袋を開ける王子のイケメン具合、消滅しろ。

「ねえ王子さま、いつまでもじもじってらっしゃるんですかね? いい加減、うざいんで、仰りたいことがあるなら、仰って下さいませんか」

 赤い顔のまま王子が咳払いした。イケメンなのが余計にわざとらしくて、煮え滾るくらい腹がたつ。

「先程は、その、すみませんでした。それから、あの……こちらの世界では、つまり、その、それは下着なのではないですか?」

 もじもじした挙句、人のケツを指差した王子は、目を逸らした。だからなんだよ。

 そう。何を隠そう、私は今現在、パンツ一枚しか履いていない。最初に私は私の生活ペースを崩しませんよって宣言した通り、昨日からいつものノーブラTシャツパン一姿にしたからだ。なるほど、王子はそれで喧嘩の最中も、もじもじしていたらしい。

「うるせえ部屋に王子がいるからって飾り立てられるかよそれともまだやんのか王子ああん?」

 顎をしゃくり上げて威嚇したら、王子は無言になった。その隣で、静かに私を見つめていた、黒いロングワンピースに真っ白なエプロン姿の女性が、ぶっきら棒に私に尋ねる。

「マスター。マスターの崇高な私服の良さが分からない馬鹿のことは、もう放っておいて、そろそろ、サラダ用のレタスとトマトを取り出してもよろしいでしょうか? 今朝も良い具合に冷えておりますよ」

 私は差し出された彼女の両手を掴んで、崩れ落ちた。浅黒い肌の美しい彼女と手を繋いだまま、床に頬を付けて泣く私に、諸悪の根源である王子が駆け寄ってくる。くそ王子め。ああ、冷蔵庫くん。私の、大切な、彼氏。

 早朝、起こった悲劇によって、今、私のパラダイスには捨て王子以外に、このメイド服姿の女性がいる。

 その代わりに台所を占拠していた、愛しの茶色の大型冷蔵庫くんの姿は消えたわけだが、皆さんなら、もう何が起きたか薄々お分かり頂けたでしょう。

 長らく私のパラダイスの重鎮で彼氏でもあった冷蔵庫くんですが、この度、捨て王子の頓珍漢魔術によって、メイド型冷蔵庫に昇進致しました。

 早朝、リモコンの使い方を間違えた小っ恥ずかしさからか、ムキになったんだか、何なんだか知らんが、リモコンの素振りを始めた王子が、うざすきで枕を投げつけた。だって仕事と捨て王子の世話で疲れてるのに、ヒュンヒュンヒュンうるさいんだもん。それなのに王子ときたら「恩人だと思って我慢していたが、私は王子だぞ! 少しは敬え!」って華麗に逆ギレしやがった。

 普段は温厚な私も寝起きだったこともあって、「だったら無機物なのに働き者の冷蔵庫くん以上の働きをして恩人に恩返しくらいしろやぼけえ!」ってキレ返したわけだが、そしたら王子は何を思ったのか、王家の血筋だけが使える、魔人として命を与える魔術を冷蔵庫に掛けてやるなんて言い出して、止める間も無く冷蔵庫くんにブツブツ文句たれて稲妻みたいな光線を放ったんですよ。

 そうしたら、あら不思議。メイド服をお召しの浅黒い肌の長身の女性が、冷蔵庫があった場所に立っていらっしゃって、私のことを「マスター」なんて呼ぶわけです。

 そして、今に至る。

 コタツを王子とメイド服姿の冷蔵庫くんと取り囲みながら、コタツの中の王子の足を蹴り飛ばして小声で言った。

「おい王子様、あんた何でもどうでも良いから、とっとと自分で掛けた魔術とやらを解除する方法をあみ出して下さいよ」

 優雅に珈琲を飲む王子は、伏せ目のまま答えた。

「分かっています。まさか無機物とも結婚の約束をしていたなんて、想定外でしたが」

 ちらりとこっちを見て、やれやれと言った具合に微笑んだ王子は、一度掛けた魔術の解き方を知らないとか言いやがった。こいつ、明らかに馬鹿王子だろ。いらいらしながらジャムパンを咀嚼していたら、喉に詰まった。

「マスター! しっかりして下さい!」

 慌てて珈琲を呷って咽せる私の背中を、冷蔵庫くんが優しく摩る。その手を掴んでそっと押しやった。

「あは、あははは、ごめんごめんちょっとパンが喉に詰まっちゃってえ」

 彼女の手を押した手で頭をかく。誤魔化し笑いを浮かべる私に、冷蔵庫くんは冷たい美麗な顔を心底心配そうに歪めた。

「本当に大丈夫ですね? 私は恩人で婚約者である貴女に万が一にも何かあったら、自ら集積場へ赴くことになります。お願いですから身体は大切にして下さいね、マスター」

 重てえな。冷蔵庫だけに言うことが重てえ。けれど、相手が今まで散々お世話になって、愛着ある冷蔵庫くんだと思うと、そうは言えないよな。しかも、散々彼氏だって言いまくってたの、私だし。あはは、その流れで婚約してることになってんのよね、私達。口約束ってやつですよね。

 私の隣にぴったりと寄り添った冷蔵庫くんの、豊満な胸が腕に押し付けられて、白眼剥きたくなった。いや、でも、私そういう趣味ないし。てか、冷蔵庫くんって性別女性だったのか。そもそも冷蔵庫に性別が存在すること自体、考えに入れていなかったからなあ、意外だったわあ。

 私がぼーっとしている間に、冷蔵庫くんと王子は、なにやら睨み合っていた。二人の間で飛び散る火花は、ひと昔前に流行った昼ドラみたいだった。

 ああ、私の、パラダイスが、穢されていく。

 逃げるように菓子パン食って着替えて出勤した。いやあ、会社ってこんなに良い場所でしたっけ? 嬉し涙流しながら仕事したのなんて初めてだわ。

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私のパラダイスを返せ! こまち たなだ @tanadainaka

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