第8話 賢者と伝説と黒髪と

「ふむ、ふぁんふぉなふふぁふぁったふぉ」


「……頼むから口の中のものを飲み込んでからはっきり喋ってくれないか、シュヴ」


「――なんとなくだけど、今の姫の状況は察することができた」


 フォルムートの嘆願で供された飯を口いっぱいにこれでもかと頬張りつつ、男――シュヴは言う。


「ふふぁ……ここ数日何も食べていなかったから助かったよ。ありがとう姫」


 少女はため息をつく。

 賢者はそれを意に介しもしない。ただただ空腹を満たすために飯を食べ続けている。


「……シュヴ、まさかとは思うのだが……貴様、自分が無一文であることを承知でこの店に入ったのか?」


「魔法で皿洗いとか何か手伝ったりしたらどうにかなるかなって……まぁ、どうにかして何とかするつもりだったよ」


「……そうか。相も変わらず適当な輩だな、貴様は」


 シュヴは小さく笑う。


「……ちなみにだけれど。姫は、何故此処に居るんだい?」


「それはこちらの台詞だ。シュヴの方こそ何故……薬草を採りにエルルに行くと言っていたのではないか?」


「その用を済ませたから、ここでぶらぶらして遊ぼうと思って来たんだけれど……姫は? あの黒いお姫様はともかく、君がここに居る理由は?」


「……先ほど言ったではないか。なんとなく来なければならないと思ったから、ここに来た」


 シュヴは考え込むような素振りを見せる。


「……ふむ、なかなか興味深い理由だ。ああ、皮肉じゃないよ?なんとなく……そう、なんとなくか……」


 真剣な眼差しでシュヴは少女の紅い双眸そうぼうを見つめている。

 少しだけむずがゆく感じて、フォルムートは別の話題を切り出した。


「……貴様の私生活については知らなかったが、父の代からそんな自堕落で無責任で屑のような生活を繰り返してきたのか?」


「姫は辛辣だねぇ……反論できないけど。まぁ正確に言えば、君のお父さんのもっと前の代からこんな調子だけどね」


「いつか殺されるんじゃないか貴様……」


「別に今まで生き延びてきたし、きっと大丈夫だよ」


「……腐っても最高位の魔法使い、か」


「別に腐っては無いけどね、あと褒めても何もでないよ」


 ――そう、シュヴはこう見えて最高位の魔法使いである。

 魔法で延命を行っており不老。致命傷もやはり魔法で何とかする。逃げ足も一流。

 この上なくしぶとい魔法使い。

 セルメス王国が成立する前から生きており、代々の王に仕えてきた。様々なものを見聞し、記憶し、後世に伝える。故に彼は、自然に『賢者』と呼ばれるようになった。


 そしてシュヴはフォルムートの教育係でもあった。

 先の貴族たちとそれらに買収された軍部による反乱クーデターは、彼の不在を狙った物であった。


「――いやはや、しかし……貴族たちが先導もとい扇動して、僕が居ない間に軍にクーデターを起こさせるとはねぇ……ろくな根回しもせずに、愚かだなぁ。一回死んだ方が良いんじゃないかな?」


「……それに関してはおそらくもう一人の『私』が済ませているだろうな」


「そうだろうね。姫の話を聞く限り、黒い方の姫――呼びにくいから黒姫って呼んじゃおうか。貴族のこと、すっごく憎んでそうだし?」


 フォルムートは無言でうなずく。


「感情というものは時に力を生み出す。感情が強ければ強いほど生じる力も大きくなる。彼女の憎しみが一体どれほどのものか……ちょっと、想像できないね」


 意味深長に言う。


「……また話がそれたね、僕の悪い癖だ――しかし、うーん……どう言ったものかな。僕の推察によれば――いや、さっき確信したけど、姫は今現在、実に面倒な事に巻き込まれているんだよねぇ……」


 二人共に頬杖を突き、気だるそうに言う。


「面倒事は嫌いなのだが……説明はなるべく手短に頼むぞ」


「分かった。じゃあなるべく懇切丁寧に、前提知識の段階から話していこうか――飽くまで僕の予想だけどね」


 フォルムートは座りなおして、向かいに座るシュヴのほうへ少しだけ身を乗り出す。


「――食べ終わったら話すよ、そうしたほうが区切りが良いからね」


 シュヴはマイペースにパンを頬張りつつそう言った。






「――さて。突然だけど、姫は勇者って知ってるかい?」


「……勇者? 御伽噺おとぎばなしに出てくるあの『勇者』か? それくらいは誰でも知っている、聞くまでもなかろう」


「『むかしむかし、とあるおおきなくにがありました』から始まる、誰でも知っているような、ポピュラーな御伽噺――昔、姫が好きだったねぇ」


「何だ、もう絵本の朗読を聴きながら眠る年でも無いぞ……やめろ、理由もなくにやつくな」


「……まぁ、有名だからね、そりゃあ知ってるよね。ちなみにあれって僕が伝えたんだよ」


「それも何度も聞かされた」


「――じゃあ、その昔、魔物と人間の間に大きな戦争があった、というのは知ってるかい?」


「愚問だな」


「話が速くて助かるよ。知ってのとおり、そして昔からの御伽噺にあるように――大昔、人間と魔物と呼ばれる者たちとの間に、大きな戦争があった」


「血で血を洗うような、この上なく大きく残酷な戦争だ。人間と魔物の、どちらが生き残りか賭けた壮大な戦争だった――」


「シュヴよ」


「ああ、ごめんよ。で、君がいま現在進行形で体験しているそのおかしな一連の現象は、多分だけど勇者伝説のその大戦に関わっているんだよね」


 シュヴは一呼吸置く。


「……姫は魔物について知ってるかい? それも詳しく」


「知っているが……ああ、いや、名前しか知らない」


「だよね、御伽噺には魔物に関してあまり記述されていないもの。伝えなかったし、関連する文献もすべて消し去っちゃったからね。子守唄代わりに子どもに聞かせるにはその外見はあまりにグロテスクで恐ろしい――」


「――魔物は大きく屈強な肉体を持ち、魔法を扱う、まさに人類種の天敵とも呼べる存在だった。見た目は様々で、目が無数にあるのも居たし、逆に眼だけのも居たし、角が生えてるのも居たし、頭が三つあるのも、数えきれないほどの腕を持つのもそもそも見えないのも、たくさん居た――個々が姫の強さに及ぶことは到底無い。けれど、集団でかかればもしかすると……って感じの強さだったかな。まぁ、それは今は置いておこう」


「さっき言った、人間と魔物の間にあった大戦争――先に仕掛けたのがどちらか、はっきりとは伝えられていない。けれど僕はちゃんとこの目で見てきたし、あえて伝えなかった」


「仕掛けたのは人間側だった。共生の道もあるにはあったと思ってたんだけど……人は魔物を一方的に恐れ、一方的に滅ぼそうとした。討滅とうめつの道を選んだ」


「結果は……言うまでもないね。そこは伝えられてる話と全く同じ――生まれつき持ってるモノが違うからね。魔物側は最初こそ押され気味だったが、そのうち難なく戦線を押し返し始めた」


「人間たちは焦り始めた――その無様さが滑稽すぎて僕は当時腹を抱えて笑ったよ……思い出せば今も笑えてくる」


「必死に考えたんだろうね。どうすれば生き残れるか、どうすれば生存競争で生き抜けるか。地獄の蓋を開いたのは自分たち自身だというのにね……」


「当時の人間は見ていて実にイラついた。自分たちが撒いた種だ、自分たちで後始末するのが道理ってものだろ? なのに僕に助けを乞うてくるんだから……ま、あのままだと人類は滅んでいただろうね。それは面白くないから入れ知恵したんだけど」


「まぁ、そんなこんなしておこなったのが、勇者召喚の儀式だったってわけさ」


 シュヴは一息つくかのように、手元にあった水を一口含んだ。






「――君は召喚された、その認識は間違っていない」


「君が初めに立っていたのは、むかーしむかしに作られた、勇者召喚の大魔法祭壇」


「………………?」


「……よくわからない、って感じだね。まぁ分からなくて当たり前だね。僕はあまりに突拍子の無いことを言っているから」


「つまるところ――僕の推測が正しいとすれば――君は御伽噺の勇者として召喚されたのさ」


 と、シュヴは何食わぬ顔をして言い放った。






「……シュヴ」


「至極本気さ、まるで御伽噺みたいだろう?」


 からかうのはよせ、といった顔をして言うフォルムートに、シュヴは至って真面目な声音で返答をした。


「勇者召喚っていうのはかなり特殊な召喚魔法でね。この場合召喚者というものは存在しない」


 ぬるくなりかけた水を一口含み、話を続ける。


「勇者は人間の意志ではなくぶのさ。人間はそれを理解していなかった、そこが駄目だった」


「……世界?」


「ちんぷんかんぷんだろうね。それもここで説明しよう」


「勇者召喚という魔法は、言ってしまえば、世界がその身を守るための唯一のすべ。唯一の自衛手段だ」


「人間が勇者を呼ぶことなど絶対にできない。この魔法で呼ばれる勇者というのは人類の守り手ではなくなのだから」


「だから、これはただの召喚魔法とは一味違う。何せこことは違う世界、つまるところ異世界から『勇者』に適した者を選び、無理やり召喚するんだよ。ただの魔法と同じにしちゃいけない――こんな大きな魔法、人間程度の矮小な存在に使えるわけが無い」


「まぁ、召喚される側からすれば迷惑以外の何物でも無いけどね」


 言葉を切る。

 少女は今しがた聞いた話を脳内で整理していた。そして当惑していた。

 とうてい信じがたい話である。


「……だとすれば、御伽噺は……」


「――伝承では、勇者が召喚されて魔物をすべて倒し、人間は栄えた――とあっただろうね。実はぜーんぶ真っ赤な嘘なんだ、実際には召喚は成功しなかった」


「だって勇者召喚っていうのは世界の危機に自動的に発動する魔法だもの。世界が消滅してしまうほどの危機でなければ異世界から勇者は召喚されない」


「人ではなく世界が呼ぶ、というのはそういうことさ」


「そうして召喚魔法は発動せず、人間は滅び魔物が世界の支配者となりました、めでたしめでたし――――というわけではない。僕たちがこうして悠々と遅めの昼食を摂っていられるのは人類が滅んでいないからだ」


「そんな終わり方は色々と酷すぎるし、ね」


「勇者召喚は成功しなかった、その代わりに普通の召喚魔法が発動した」


「魔法陣に魔力が注ぎこまれた以上、何らかの魔法は必ず発動する。魔力を使って何も起こりませんでした、っていうのは等価交換の法則に反するからね」


「魔法陣の形が召喚魔法に類するものだったから、その時は普通の召喚魔法が発動した――ただ、注がれている魔力の量は普通とは呼べないほどの量だった」


「召喚されたのは強力な魔獣だった。魔獣は使い魔として呼び出された。自分の呼ばれた目的を果たすため、その魔獣は魔物の一切を皆殺しにし、その後霧のように消えた……というのが、本来の事の顛末さ」


「言い訳するようでなんだけど、そんなの物語にするにはつまらなさすぎるだろう? 平凡で、月並みで、とても、とっても陳腐な結末に終わる。僕はそういうの嫌いだ。だから物語を改変、もとい脚色した」


「――何、解釈を変えるだけで物語というものは如何様いかようにも変化するからね。物語の多少の改変は伝える者の特権さ――そう、僕だけの」


 と、シュヴはにこりと笑って言った。






「――だんだん混乱してきた。すまないが、手短に纏めてくれ……」


「すっかり長くなってしまったね、いやぁこれは僕の悪い癖だ――さて。端的に言うならば、姫は世界に喚ばれ、世界に生かされている。世界を守るために」


「姫はその魂に首輪をつけられ、この世界に捕らわれてしまったのさ。勇者デビューだよ、やったね姫。昔は憧れていたじゃないか」


 首を繋がれ、それはまるで世界の奴隷のよう――全く嬉しく思えないような感じにシュヴは言う。


「いったいいつの話をしているのだ……」


 少々照れ気味に言って、少女は黙る。シュヴは少しからかうように笑んだ。

 勇者。フォルムートにとって余り実感の湧かない言葉であった。


「――まぁ、僕も知識でしか知らなかったんだけど。でも……今の姫の魔力は僕の知っているものと比べて明らかに異質だ。【魔衣まごろも】の魔法で生成されたその衣が紅くなってるのも魔力の変質が原因――黒姫の髪の色が変わっているのと同じような理由だと思う。魔力変質なんて普通に生きてたらありえないし、やっぱり勇者召喚によるものだろうね」


「……私の感じた既知感デジャヴは?」


可能性が高いかな」


 フォルムートは眉をひそめる。

 全く簡単でないように思えることをさも簡単そうに説明するのだから、それは当然の反応であった。


「世界が関わってるんだ、普通のスケールで考えてはいけない。それほどの規模で干渉できるだろうし、そう考えるのが一番手っ取り早いし――結局は憶測の域を出ないけれど」


「……ただの蘇生魔法では駄目なのか?」


「蘇生魔法を使うにはかなりの時間がかかる、それだけの猶予が無いんじゃない? 君がもう一度蘇るころには、もはや越えてはならない時点を越えてしまうとか」


「そういうものなのか……?」


「全ては推測って一言で片付けられちゃうけどね」


 首をかしげる少女。


「推測、憶測、希望的観測だ。でも、一つの可能性として頭の片隅にとどめておいて欲しい――あぁ、姫が勇者として召喚されたかどうかについては僕はほとんど真実だと思っているよ」


「……ありがとう、シュヴ。やはりお前が居ないと私は駄目だな……」


「いえいえ、姫は一人で立派にやれていますとも」


 芝居がかった口調でそう言うシュヴに、フォルムートは少し照れくさそうにした。


「……なぁシュヴ、私が彼奴に……『私』に勝つには、どうすれば良いのだ?」


「うん? 頑張るしかないと思うよ?」


 出鱈目な返答であった。

 少女はずり落ちそうになる。


「いい加減だな、貴様……」


「いや、それ以外に言いようが無いもの。どっちも同じ姫なんだし、黒姫がどれほどの憎しみを抱いているのかも分からないし、今の姫に対する世界の後方支援バックアップがどれほどの規模かも量れないし――いや」


「……姫が、ねぇ……憎しみ……負の感情を――」


「私がどうかしたか?」


「……いや……もしかするとだけど――」


 何かに気づいたような口ぶりのシュヴ――しかし、そこで言葉を切ってしまった。


 外が騒がしい。


 フォルムートは店の外を見やる。シュヴも外を見やる。

 傾きかけた日が燈色になりつつある日光を店の中に流し込んでいた。浴びていると億劫になりそうな燈色であった。

 人々は何かから逃げるように走っている。というより逃げている。命の危機を感じているような走り方であった。


 フォルムートは一つの考えに至る。


「――まさか」


 もう『私』が――と。

 その深刻そうな横顔を見て、シュヴも察した。


「……どれ、僕も一味違う姫を一目見ておこうかな。黒髪の姫ってのも――」


 シュヴが窓から身を少し乗り出した――瞬間。


「――――っは」


 一瞬。体を硬直させ、賢者は後ずさった。

 恐怖によるものではない――その目に映るのは驚愕。


「……シュヴ!?」


「――油断しちゃったなぁ、というか殺意高すぎじゃない」


 その胸に突き立ったどす黒い矢を見、フォルムートはシュヴの傍に駆け寄った。

 冷や汗をかいているが、涼しそうな表情である。


「……これは魔法の込められた矢だね。強力な感情の込められた闇の魔法だ……不味いなぁこれは」


「しゃべ――」


 喋るな、と叫ぼうとしたフォルムートの唇に人差し指がそっと当てられる。

 その意図を全く解することができず、フォルムートは困惑する。


「――まったく、賢者たる僕であるが故の痛いところを良く理解してるね」


「一応、魔術的防御を施しているとはいえ……必ず弱点は残る」


「その急所たる心臓に迷い無く直接呪詛を叩き込むだなんて……こんなことは、僕のことを良く知っている人間じゃあないと、ねぇ」


 普段どおりの口調で喋りながらも、シュヴは力なく座り込む。

 やじりは胸に深く突き刺さっていた。どこからどう見ても致命傷。しかしなぜかその紫のローブに赤色が滲むことは無い。


「そんな挨拶を教えた覚えは無いよ。ねえ――姫」


 その呼びかけは、フォルムートに向けられたものではなかった。

 否。

 確かに、に向けられていた。

 それは、窓の外に向けられていた――燃えるような日差しを背負い、黒髪をたなびかせる少女が言う。


「――私は学んだのだ、シュヴよ」


 その手に握られるのは黒剣ではなく、漆黒の弓であった。

 すでに二の矢がつがえられている。矢も弓と――そして持ち主の髪色と同じように、真っ黒であった。

 窓の縁に立ち、少女は言い放つ。


「世の中は、正しいことだけでは決して回らないと……な」






「良く考えれば、そうだと分かるはずだった。悪しき人間でもいつかは分かり合えると、思っていたさ。純真無垢に、一途に、根拠もなしにそう思っていたとも」


 憂いを帯びた表情でそう言う。


「何があったか聞いたよ、姫」


「……はて。鼠一匹たりとも、私の行った所業を知る者は王都から逃さなかったはずだが……そうか。知っているか、事の顛末を。まぁ、貴様なら、あるいはあり得るな」


「ごめんね、僕のせいだ……」


「良い、謝るでない。赦す。シュヴは何も悪くない、私は知っている。ただそこで地に伏し私の所業を見つめていれば良い」


「嗚呼……反抗期にでも突入したのかい?」


「いいや、反抗期なんかじゃないさ……ただ、ぬるま湯から這い出ただけだ。しかし、まだ軽口を叩けるのか。心臓に呪いを直接注ぎ込まれて苦しいだろう? そこで黙っていたほうが楽だぞ?」


「何、いくら痛くとも死にはしないさ。僕、これでも数万年は生きてる大賢者なんだぜ?」


「そうだったな、貴様はそのなりでも賢者……だが、その体で邪魔はできまい」


 その長い髪を軽く指でいて、ふぅと息を吐く。


「――さて、お前は先ほどまで誰と話していたのだ?」


 辺りを黒の双眸で見渡しながら少女は言った。






(やはりシュヴはセルメス一番の魔法使いだな……)


 息を殺しつつ、フォルムートは静かにたたずむ。

 一瞬、黒髪の少女が辺りを見渡すような動作をし、心臓が止まるような思いをする。


「――何、女の子を引っ掛けてお話していたのさ。姫がそんな場所から入ってくるから、あまりにびっくりして逃げちゃったようだけど」


さえずるな。隠し事は良くないと私に教えたのはお前だろう?」


「人の嫌がることをしてはいけないと教えたのも僕だよ」




 ――黒い矢が心臓を貫いたと時を同じくして、シュヴは冷静にかつ咄嗟に複数の魔法を行使した。


(不可視化、気配遮断、幻術魔法の無詠唱同時行使……つくづく見た目に似合わぬ大魔法使いだな、奴は)


 この上ない魔法の腕を持つ男に無言で礼をしつつ、少女は踵を踏み鳴らした。


(賢者とは呼べないほどの俗な奴だが――本当に、頼りになる奴だ)


 足音が聞こえることも、フォルムートが剣の柄を握ったことも、その目に映る、黒い弓を携えた少女にそれが伝わることは無い。


「――ゆくぞ、『私』」


 少女は、跳んだ。






「――――ッ!?」


 苦悶の声と共に黒髪が揺らされる。

 鳩尾に感じられた強烈な痛みによるうめきであった。


「――他愛なし」


 紅い少女は、傍から見れば何も無いところから現れたように見えただろう。


「――く、なかなか、重い一撃ではないか……けほっ。何奴なにやつか、名乗れ」


 うつむき、咳き込みつつ、口の端から漏れた唾液を拭う少女。

 誰もがすでに逃げ、その周囲にはすでに誰も居ない――


「――ならば答えようか」


 その聞きなれた声に、黒髪の少女は違和感を覚えた。

 なぜなら、頭上から響くその声が誰のどんな声よりも聞いたことのある声であったためである。


「貴様は――」


「――第六十五代セルメス王国女王、フォルムート・セルメス」


「エドルマは壊させぬ、民は殺させぬ――私が必ず阻んでみせる」


 少女は鋭い目つきでを見つめた。

 鏡に写したような眼前の少女を、鋭い、刃物のような目つきで。

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哀しみの魔王 反比゜例 @Lindworm

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