第7話 リスタート


 ――まぶたを、開く。

 ぱちくりと、紅玉のようなその瞳が瞬かれる。


「――――――」


 何故、という疑問がフォルムートの脳内を満たす。

 疑問、というよりは当惑であろうか。


「――――――」


 肌寒い空間。

 床は石造りである。玉座の間ではない――祭壇のような場所。


「―――― …………は?」


 無意識的に首を押さえつつ、少女は困惑の声を発した。

 その身には、白い薄絹のような布が一枚纏われるだけである。

 少女はくしゃみをした。






 周囲を見渡す。

 石造りの小部屋のような場所。

 足元には絵に描いたような魔法陣――ミミズののたくったような文字で呪文が書かれたもの。


「………………?」


 それを見て、少女は自らが『召喚』されたのだと気づく――普通ならば。


「……わけが、わからんぞ?」


 しかし、数日前とはわけが違った。


「……? …………?」


 改めて首を触ってみる。

 もちろんつながっている。綺麗な白色の首筋には傷一つ見受けられない。


「確か、私は――」


 思い出そうとするまでも無いほど直近ではあるが、先ほど起こったことを思い出す。

 フォルムートは変質した自分フォルムートに出会い、剣を交わして敗北した。

 王は二人も要らぬと首を落とされた。


「――それで、こうなったというのか?」


 意味が分からない。

 そう思いつつ、フォルムートはもう一度よく辺りを見渡してみる。


 召喚者らしき人間は見当たらない。

 彼女はまた、同じような状況に陥っていた。


「……【魔衣まごろも】」


 歩き出すと同じくしてフォルムートは小さくつぶやく。

 少女の体を、紅色の衣がふわりと包み込んだ。






 少女がまず目にした光景は、青々とした風景だった。

 見渡す限り、緑、緑、緑。

 何も考えずとも、森の中であると理解できた。

 草の青々としたにおいが少女の鼻を満たす。

 周囲を見渡すと――そこは、打ち捨てられた小屋であった。


「……どうなっている?」


 ボロボロになった木製のドアが、少し触れただけで倒れる。

 それを踏み越えた少女は、強烈な既知感デジャヴに襲われていた。


「おかしい、これは流石におかしいぞ――」


 元居た世界と別の世界に召喚され、自分と全く同じ容姿の人間に出会う。

 どちらも通常では体験することの無いことであり相当の違和感をもたらす事柄である。

 そして今、少女はそれらに匹敵するほどの違和感を感じていた。


「……どうするべきなのだ」


 混乱の極致に在りながらも、フォルムートはどこか冷静であった。

 今何をすべきか、必死に考える。


「……いや」


 しかし、少女はすぐに思考を止める。

 確かめなければならないことは山積みであり、現在進行形でさらに増えつつある。


「――登るか」


 彼女は少々わざとらしく言った――緑一面の斜面を眺めつつ。






「……エドルマ」


 やはり、エドルマの街が遠方に見える――フォルムートは山を登る途中、それを半ば確信していた。

 一度立っていたことのある祭壇。一度登ったことのある山道。一度見たことのある景色。いったい少女は何度の既知感デジャヴを覚えただろうか。


 そして再度見てみると気づくことがあった――それはあの壊滅しきったエドルマを見た後であるからこその違和感であった。


「……崩壊、していない――?」


 今一度見てみれば、確かにエドルマの街は破壊されていなかった。その事実がフォルムートの思考をさらにかく乱する。

 跡形もなく破壊されていたはずのエドルマ。

 それが今、フォルムートの目には健在に映っている。


「……何故?」


 頭の中を満たす様々な疑問。しかし口を衝いたのはそれ一言のみ。

 そして少女の思考は今、理解不能という言葉で塗り替えられていった。


「……とにもかくにも、行くしかあるまい……うむ、そんな気がする」


 この上なくぼんやりとした理由、しかし何故か行かねばならないという思いがフォルムートの中にあった――しかしここからエドルマまでどれほどかかるか。

 彼女の経験からしておよそ三日。強行軍で突き進んだとすればおよそ一日余りだろうか。

 思うよりも遠い。

 そう考えてみると、少女は己の背に翼が無いことを惜しく思った――しかし、翼が無いことを悲観する意味は無い。

 翼が無ければ歩き走ればよい、フォルムートはそういう思考の人間であった。


 木から飛び降り、音も無くふわりと着地する。


「……それも、なるべく速くだな」


 なんとなくフォルムートは嫌な感覚を覚える。それは彼女が王城の前で感じたものに似ていた。

 体の筋を少し伸ばした後、地を蹴る。

 それは風のような疾走であった。






「――――はぁ……さすがに、疲れたぞ……」


 額に汗を浮かべるフォルムート。

 息も上がっており、見るからに疲れている――それでも『疲れている』程度に止まっているのだから、彼女の肉体がいかに異常、もとい強靭であるかを伺わせる。


「あと、どれくらいだ……?」


 少し小さく見える程度の距離に石造りの城壁を見やりながら、フォルムートはつぶやく。

 時間にして数刻。距離にして十里――おおよそ40kmほど。

 平坦な道ではなく、道中にはごつごつとした岩肌が多い道。そこをフォルムートはただ走った――普通の少女には到底出すことができないと思われるスピードで。


「……やはりゆっくり歩く方が好ましいな……いや、それは言うまでも無いか」


 少女は紅い髪を軽く指で梳かす。


「そも、何故速く行かねばと思ったのか」


 自問しつつも足を動かす。


「……ううむ、何故だ。そうだな、良く考えてみれば、何か……違和感がするな? どうにも気持ち悪い感じだ……」


 己の中で何かがこの違和を起こしている、とフォルムートは独りごちる。


「……まったく、奇妙なことだらけだな――先を急ごうか」


 しかしその思考すらも切り捨ててフォルムートは発つ。

 確かに彼女の思考は、何らかの要因によって一定の方向に定められているようであった。

 そして彼女はそれに気づかない――








 数刻後。

 太陽がようやく西に落ちかけようとしている中、フォルムートは大きな街道の真ん中に立っていた。

 地面は石で綺麗に舗装されている。といってもアスファルトほど平坦ではなく、また丈夫でもなく、やはり多少の揺れは生じる。が、それでも未舗装の荒れ道よりは何倍かマシである。

 いくつものわだちのあとがあり、また所々が割れて欠けており、何度も馬車や荷車、そして多くの人が街道を行き交っていることが分かる――それはその先にある都市の繁栄ぶりを伺わせた。


「あぁ――」


 少女の周囲には動き続ける人の海がある。

 馬を駆る者、剣を背負う者、大量の家畜を連れて鞭を振るう者、車を引いて荷を運ぶ者――その他様々な行き交う人間たちによってその海は形作られていた。

 人ごみは喧騒で満たされている。明るく生気に満ち溢れた、賑わいの象徴である。街の外でこの調子ならば、内側ではもっと繁栄しているのだろう――何も知らない人間でもそう察するであろうほどであった。


 いつもならば少しうるさく思ったのだろうが。

 今の彼女にとって、それは少し心地のよいものであった。


 やがて少女は、時が動き出したかのように足を踏み出す。

 その様は、まるで人の海を泳いでいるようであった。


「――うむ、うむ」


 感嘆して、つぶやく。

 美術品を愛でるときに吐き出す嘆息のような言葉であった。


「これこそが、エドルマだな」


 先ほどまでは霞む程に遠かった石の城砦を今は見上げながら、少女はしみじみと言った。

 それこそ、人と金、物に満ち溢れた――この世界有数の都市、エドルマである。






 城塞都市エドルマ。『不壊の堅城』という異名でたたえられる都市。

 世界有数の大きさを誇る都市である。『城塞都市』とあるように、元々は軍事的な目的で造られた都市であった。今は半ば商業都市としての役割も果たしている。

 すぐ横に大きな河を持ち、それは運河としての役割を果たしている。石畳で丁寧に舗装された大きな街道は馬車や荷車の通行を大きく助ける。

 どちらも元々は物資運搬・戦力の移動の円滑化のために利用されていたのだが、他国からの侵略の頻度が少なくなるとやがて城砦の内側に民が住むようになり、商売が栄えるにつれ、運河と街道は売物と人間の運搬に使われるようになった。もちろん、今でも本来の使い方――軍事的な利用は可能である。


 城壁はかなり高く、また硬い石で造られているため、登ることも壊すこともなかなか難しい。また処々に塔が置かれており、常に兵が周囲を見張っている。哨戒もかなり短い間隔で行われており、それゆえ城壁内の治安も大変良い。

 窃盗などが少なく、商売人からすればかなりの好条件の市場となりうる都市である。故に、現にこうして栄えている。


「………………」


 今一度、少女は城壁を見上げる。

 城壁は先述した通りかなり強固。

 どうすればあの壁に巨大な刀創とうそうを付けることができるのだろうか――崩れ去ったその城壁を想起しながらフォルムートは考える。


「……これが、なぁ」


 目前には巨大な金属製の扉。いつも開け放たれているこの扉は、襲撃を受けたときには閉じられ、まさしく鉄壁の護りを誇る。

 無惨にもそれがひしゃげた光景を思い出す――どう考えても無理ではないかと思えてくる。


「……彼奴きゃつは一体全体、何をどうしたというのだろうか」


 それは人間どころか、御伽噺に聞く魔物でも不可能では無いだろうかと少女は思う。

 フォルムートですらそれは成し遂げ得ないだろう。力量云々の問題ではなく、単に質量が足りない。いくら彼女が渾身の一撃を壁に叩き込んだとしても、巨大な刀創というものは付けることができないと思われた。


「いやはや、少しだが気になってきた――」


 人の海にもまれながら進み、少女は門のすぐ近くまでたどり着いた。

 門の直前では人が数列に分かれて並んでおり、関所が置かれている。危険な人物や他国の間者が居ないかどうか検問しているようであった。


 案外にも、少女がフォルムートであると――セルメスの王であると気づく者は居ない。それは背が他のものに比べてほぼ頭二つ分といって良いほど低いのと、纏う衣の色が全く違うことが原因と思われた。


「……やはり、私の顔をはっきりと覚えている者は少ないのかもなぁ」


 少しだけさびしく思うフォルムート。

 しかし写真などという高度で便利なものは無いのであって、それは仕方の無いことであった。


『――次』


 極めて事務的で単調な響き。向こう側から何度も聞こえてくるそれは一定のリズムを保っている。

 何度かそれが繰り返された後、フォルムートの番となった。

 堂々と踏みだす。


『検問だ。剣や毒物など、何か危険な物を所持していないか調べさせて――』


「特に無い……あぁ、剣はある。【門よ】」


 騎士と呼ぶに相応しい格好――鈍く銀色に輝くフルフェイスのヘルメットにフルアーマーメイルを纏った者が言う。

 高圧的と感じさせる調子が、言葉尻になるにつれ下がってゆく。


「――私の持つ武器はこれだけだ。これでよいか」


『――フォ、フォル――』


「あぁ、これはお忍びである。故にくれぐれも内密にな」


 平気な顔で少女は嘘をつき、剣を無造作に手放す。

 金属板を隔てた騎士のその顔に驚愕の表情が浮かんでいるのが、フォルムートには容易に想像できた。


「もう良いか?」


『――え、ええ。どうぞ……この件は内密にとどめておきます』


「良い心がけだ、内密に頼んだぞ――御勤めご苦労」


 改めて念を押し、関所を抜け、門を潜り抜ける。

 少女はこのようにお忍びで様々な都市を訪れることを好んだ。VIP待遇を受けるよりも渡り歩いて様々なものを見たり買ったりするのが好きだった。


(まぁ、すぐに見つかって連れ帰られていたが)


 盛大な鬼ごっこをしていたころを思い出し、微笑む。

 窮屈だったが同時に楽しかったことを思いつつ、辺りを見渡す。


「……おなかがすいたな」


 きゅぅ、と可愛らしく鳴る少女のお腹。

 彼女の視線は、飯を求めていた。






 ――無事、遅めの昼食をとるフォルムート。

 柔らかいパンをかじりつつこれからどうするかと考えていた彼女に、後ろから声をかける者があった。

 その声の主が全く気配を感じさせなかったもので、フォルムートは後方を警戒する。


『もし、そこの君』


 若い男の声だった。

 辺りはがやがやとしているのだが、なぜかその声だけは明瞭に聞こえた。


『少し話があるのだけれど、良いかい』


「――――――」


 聞き覚えのあるようでないような声。非常に馴れ馴れしいが、どこか親しみを持たせるような口調。

 少女は思わず振り返った。

 その声の主が貴族の関係者だろうかと考えつつ。


『――久しぶりだね……嗚呼、久しぶりだ――』


 相手が誰かというのを視認する前に、その声の主はフォルムートに抱きついた。

 いや、体格差的には抱きしめたというのが正しいか。


「――――!?」


『久方ぶりだね、姫!』


 大勢の客が居る中で、その男は大きな声で言った。

 その辺りの目を一切気にしない行動から、男の正体をフォルムートは察する――しかしそれが真実であるとすると、その者は本来そこに居るはずの無い男であった。


「その呼び方……周囲の視線から何も感じないという態度……そして馴れ馴れしい口調……!」


『病気していなかったかい、怪我は? 民のみんなを苦しめてはいないかい?』


 男の羽織った紫色のローブは、王族、つまりセルメス一族に直接仕える魔術師――それも最高位――の証。

 フォルムートを抱きしめる際に無造作に放った木の杖は、魔法を扱う者にとってはこの上なく上質な杖である。


「貴様――シュヴか!」


『その通り。数年ぶりだね、姫』


 男――シュヴは満面の笑みを浮かべる。


『――――突然申し訳ないけど、今僕はびた一文持っていない。どうかお金を工面してくれないかな』


 明らかに屑な発言をするその優男やさおが『賢者』であると、誰が思うだろうか――

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