第6話 相対


「貴様、は――」


「――面白いこともあるものだな」


 玉座の間に響く二つの声。

 フォルムートは、眼前の、玉座の前に立ったをじっと見つめていた。

 そして少女もまた、フォルムートと同じように相手を見つめていた。


「いやはや、全く――ははっ」


 笑いながら、やけに大げさな仕草で、玉座の前に立った者は空を仰ぐ。

 髪と同じ黒の衣がひらりと踊った。


「――嗚呼、全く以って、このようなことがあって良いのか――」


 凛と、良く通る声ががらんどうとした玉座の間に響き渡る。


「いいや、あってはならない。あってはならないだろうこれは!」


「――――――」


 フォルムートは、すべての辻褄が合うのを感じた。

 崩れた街。虐げられた民。荒廃したエドルマ。黒い少女。


「――見たところ、まだ甘ったれていた頃だな」


 どこか懐かしむように。

 少女の眼前の『少女』はそうつぶやいた。


「甘っちょろくひ弱で、人の本性を、人間の根底にある黒い泥を知らなかった頃だ」


 しかしそれは、懐古というよりは、どこか忌々しく思っているような雰囲気であった。

 まるで自分の黒歴史を思い出しているときのような、そんなアトモスフィア。


「……何故――」


 苦々しい顔をしながら、フォルムートは問う。


「何故、民を? 何故、街を? 何故――」


「――まぁまぁ。何かと質問したいのは私にも分かるが」


 手を挙げて、フォルムートの問いを制する。

 その目が細められる――少女は何か嫌なことを予感した。


「まずは一合いちごう


 頬を吊り上げ嗤う。

 軽くステップを踏むようにして、その少女――否、もう一人のは、踵を踏み鳴らした。






「が、っ――」


 紅い絨毯を勢い良く転がりながらフォルムートはうめく。

 黒剣を手にしておらず、ほぼ不意打ちであったことをうかがわせる。


「……弱い」


 一瞬で間合いを詰めた少女が言う。

 その手には、まるで重さを感じていないかのように黒剣が握られている。

 剣二つ分ほど空いて、膝をついてその少女を睨み付けるフォルムート。

 はたから見れば、それは鏡合わせになっているような光景であった。


「……っ……ぐ」


「痛いか? 痛いよなぁ、鳩尾めがけて思い切り蹴り抜いたのだから」


 嗤う少女が、またもや黒剣を振り上げる。


「――【門よ】!」


 蹴りの衝撃でほとんど空気の残っていない肺から言葉を吐き出す。

 床に異空間へ通じる黒い穴が開き、黒剣が姿を見せる。


「っ、何故このような、ことを!」


「何故? ――何故、か」


 剣戟。黒と黒の間に一瞬まばゆい火花が散る。


「それは、何故民を殺したか、か? 何故街を壊したか、か? 何故今お前と剣を交わしているか、か?」


「全てだ……っ!」


 フォルムートは視界が真っ赤になって行くような感覚を覚える。

 憎しみと怒りで理性が塗りつぶされていく――それをフォルムートは必死に抑えた。


「……なかなか良い顔ではないか。憎しみの色は良い色だ、そう思わないか? 『私』よ」


「違う……! そうは思わない! 私は貴様ではない、貴様は私ではない!」


 再度、黒剣と黒剣、全く同じ物体同士がぶつかり合う。


「――なぜこうにも、『私』は弱かったのだ?」


 欠伸あくびでもしそうに退屈そうな顔をしつつ、黒い少女はフォルムートを強引に押し切る。


「……万に一、貴様が『私』であるとして、ならばそれこそ何故民を……っ」


「……民を憎んでいるからに決まっているだろう? 分かりきったことを」


「何故!」


「――はて。もしお前――『私』が私と同じ目に逢ったならば分かっているだろうと思っていたのだが……」


 袈裟に黒剣が振りぬかれる。

 紅い衣をはためかせながら、フォルムートは床を転がりそれを間一髪で避けた。

 はらりと、紅い髪が数本、宙に舞う。


「分からないのか、そこまで鈍感だったか? いや、もしや別の結末を辿ったか――ならばお前は幸せ者だな」


 独白。


「私は首を落とされた」


 床を横に転がり距離を取る。床に膝を着き、気迫の声をあげてフォルムートは構えた――雄牛オクスの構えである。


「大衆の面前で、惨くもな」


 その黒い瞳の奥に、渦巻く憎しみの色が見える。


「民を手にかけたくないという想いで大人しく捕まってやればその様だ」


 細く息を吐くと共に、フォルムートの瞳が心なしか紅く輝く――地を蹴った。

 物悲しげに独白を続ける少女は最小限の動きでその鋭い突進をかわした。


「私を助けようとする者は、誰も、誰も――」


 哀しそうに、儚げにつぶやく。

 それだけを見れば、物思いにふけり何かに嘆く美しい少女であった。


「――私は民を信じた。民を愛した。民の命を奪うまいと、そう強く思った。王である私が民を殺すなどあってはならないことだから」


 達観しきった雰囲気を漂わせる少女に、フォルムートは近寄りがたく思った。

 何を言っても無駄な地点まで来てしまっているのだと、言外に語りかけるようであった。


「しかしどうだ。貴族は復権とカネだけを望んで、軍部は汚職にまみれ腐敗しきって。その結果が――はは、その結果がどうだ!」


 悲痛に嗤う。


「民は私を愛していたか! 民は――私を助けてくれたか! 否、否、否だ! 民は私を愛してなどいなかった!」


「信じ愛していたのならば民は私の命を助けてくれたはずだ! 私が滅私奉公したのはすべて無駄だった! 私が愛した彼らは加害者へと変わったのだ!」


 ひとしきり、溜まった鬱憤を晴らすかのように叫んだ後に、黒髪の少女はぴたりと動きを止めた。


「――不思議なものだ、首を落とされても私は何故か生きていた。いや、生き返ったというべきか。奇蹟きせきでも起こったか、それとも魔法が使われたか、なぜかは私には分からないが。そして私の髪と瞳は気づけば黒く変わっていた……魔力が変質したのだろうな」


「民は私を見殺しにした。貴族は私を殺した。軍部は芯まで腐りきり果ては忠義ではなく金に動かされ反乱クーデターを起こした――だから私は民を、貴族を、すべての人間を心底から憎み、そして殺す。ただそれだけだ――わかったか、まだ甘ったれていて、それでいてまだ幸せな『私』よ」


 ――眼前に立つ少女は、自分であるが自分ではない。最早壊れてしまっている。

 目の前に居る者は、違う結論に達してしまった人間。

 を憎むのではなく、を憎んでしまった自分である。

 そう、フォルムートは感じた。


「――――――」


 フォルムートは、何も言うことができなかった。

 絶句しているわけではない。

 自分が目の前にいる自分に良く似たナニカと同じ立場ならば、おそらく自分も――という風に感じたから。


「……しかし私も、街はどうにかそのままの形で置いておきたかったのだがな。ヴェルメイン卿とマスターフ卿は全く、置き土産に余計なことをしてくれたものだ……人の財産に傷を付けおって。まぁ、それは今はどうでもいいことだ」


 再度、片手で軽々と黒剣を持ち上げる黒髪のフォルムート。

 その視線は、極寒の様相を呈していた。


「ちょうどエドルマに残った残党をすべてすりつぶしに行こうかと思っていたのだが……『私』のことだ、どうせ全力で私を止めるのだろう。今の私にとってお前は障害である」


 フォルムートは無言で、黒い柄を力強く握り締める。


「……無論、私の民を殺すなど許さぬ」


「はて、今の彼らは民なのだが――困ったな。ならまずはお前を殺そう」


 どうでもよさげに、適当に。この上なく軽い感じで、何事もなさげにそう言う。


「私としても、お前――甘ったれていた頃の『私』を見ると嫌な感じがしてくる。不愉快で、疎ましく、虫唾が走り、向かっ腹が立つ……不快だからとりあえず死ぬと良い」


 傲岸に言い放ちつつ、満面の笑みで――壊れた笑みで、少女はフォルムートと同じような構えを取った。






「――――ふん」


 つまらなさそうな声が、少女の頭上から投げかけられる。

 いつかのごとく、少女は地面に膝をついていた。


「つまらんな」


「とことんつまらん。貴様は弱い、弱すぎる……全く興がげたわ」


 冷たく見下ろしつつ、黒い少女は言い放つ。


「何だ、手加減でもしているのか? いいや『私』のことだ、そんな慈悲と慢心は持ち合わせていまい……技がなまっている? いや、それでも無いな」


 まるでフォルムートのことなど眼中に入っていないかのようにつぶやく。


「何故だ? 万に一、『私』の腕が落ちるなど有り得ぬ――嗚呼、そういえば当たり前の疑問を訊ねていなかったな」


 あまりにも唐突な話題の転換。支離滅裂に感じ、フォルムートは戸惑う。


「お前はどうしてここに存在する?」


 真っ当な――極自然な疑問であった。


「良く考えれば――いや、良く考えずとも湧き出てくる質問だ。何故『私』が二人も居る? 何の因果だ? それも少し昔の、何も知らない『私』。分からんな、それだけが分からん……」


「……さぁな。私にも分からないよ――っ!」


 突き放すように吐き捨て、足に思い切り力を込める。

 剣を捨てた体当たり。フォルムートは目の前の少女の腰めがけて飛びついた。


「はて、まだ余力が残っていたとは……見誤ったな」


 黒髪を乱しつつも冷静に、少女はフォルムートの腹を強く蹴り上げる。


「っ、は……っ!」


 肺から空気が全て絞り出される。一瞬だが酸欠状態となり、体が上手く動かせなくなる。


「まぁ、良いか。どうであろうと」


 体勢を崩され、痛みのあまりにうずくまる。胃から何かがこみ上げてくるのを少女は必死に抑えた。

 そしてその様に対し冷たく黒い視線を投げかける少女は、黒髪を片手の指でいじりつつ剣を振り上げた。


「お前に分からないなら私に分かるはずも無い。いや、それを知る必要すら元より無かったか――ここで殺すのだから、どうしてここに居るのかということを知る必要などない」


「――何故……何故、殺す」


「先ほどと同じ問いか、無駄だな」


「……私は、自分の命を惜しいとは思わない……だが敢えて聞こう。何故殺すのだ。貴様は私を、民と同じように憎んでいるのか?」


「……ふむ。何故……何故、か。理由……理由?」


 剣を振り上げたまま、少女は眉を吊り上げて思考する。

 やがて答えを得たように、一つ息をついた。


「理由など特に無い」


「――――――」


「憎んでいるわけではない。いや、どこか親近感を感じる余地すらもあった――いまやそんなものは全く無いといって良いのだが。さて、何故殺すか、だったか? それは私が目的を果たすのに邪魔となりそうだから、というのもあるな。言ってしまえば、ただ単にむかつく。だから殺す」


「――あぁ、貴様は私とは違う。良く分かった、そして分かることができてよかった」


 これから一人の人間の命を奪おうというのにまるで何とも思っていないような、抑揚の無い冷静な声音。

 狂人めいた言動。

 フォルムートは怖気を感じた。

 姿も声音も一緒であるというのに、目の前に居る己は己ではないということを再認識する。

 怖気を感じると共に、少しだけほっとする。


「貴様は私と違う。私と同じ中身をした者が民草を殺していると知れば、私はそれこそ狂ってしまいそうになっただろうが……安心した」


「――そうか、良かったな」


 心底どうでもよさそうに言う。

 しかしフォルムートがその態度に苛立ちを感じることはなかった。


「……私からも一つ、貴様に聞きたいことがある」


 黒髪の少女を睨み付けながら問う。


「何だ、手短に済ませろ」


「……従者は。城に勤めていた者たちはどうした」


「あぁ、彼らは――」


 少しだけ言い淀み、少し間を空けた後に答えた。


「――殺した」


 歯切れの悪い返答であった。

 フォルムートはそれを聞いて――笑う。

 『自分』のことであるが故に、嫌でも分かった。


「嘘だな」


 黒衣の少女は眉にしわを寄せ、不愉快そうな顔をする。

 そして髪をいじっていた手を剣の柄に持っていき、力強く握った。


「……それはさておき、首をさぱっと落としてやろう。かつて私がされたように、な。あぁ、決してやつあたりでは無いからな、そこのところ勘違いするんじゃあないぞ」


 風を切る音、一瞬の冷たい感触。

 それに続く、熱さにも似た痛み。


「そうだな、あえてもっともらしい理由を取ってつけるなら――王は一人だけで良い」


 途切れる声。

 あまりにも呆気あっけなく、少女の意識は儚くも溶け消えた。

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