伝説ではない運び屋

@9mekazu

伝説ではない運び屋

ここは竜と人が住む世界、アスターテ。

     ◇

「し、白いご飯を食べさせてぇ……」

 ベヒアはB&Bの食堂に潜り込んで、女将に嘆願する。

 このB&Bで一夜を過ごし、朝食を食べていた客たちは、突然来訪したベヒアを警戒する。冒険者は腰に下げた剣の柄に手を伸ばし、商人は攻撃魔法の詰まったスクロールの紐を指で摘む。

 けれど宿の女将だけは、その体格どおり、どっしりとした態度で、床に倒れたベヒアを見下ろした。

「ここは朝食とベッドだけを提供する宿なんだよ。飯だけが食いたきゃパブにでも行きな」

「もぅ、腹が減りすぎて動けない」

 ベヒアは震える手で女将の大根より太い足首を掴む。

「しょうがないねぇ~。ここで死なれちゃ縁起が悪いから、特別に食べさせてあげてやるよ。ただし、金は持ってんだろうね」

 ベヒアは気を失ったふりをして答えない。

「ほら、お客さんたち。この一文無しを外に捨ててきてくれたら宿代を一割まけてあげるよ」

 女将の声に、お客の何人かが朝食を中断して椅子から腰を上げた。

「ちょ、ちょっと待って。おい、旅行者たち。俺は国からフライのスクロールを正式に授与されたベクター(運び屋)だ! 朝食を食わせてくれたら、どこにだって連れて行ってやるぞ」

 フライは世界を一日で一周することができるほどの飛行魔法。それゆえに王国で管理された禁忌の魔法だ。

 その魔法の威力を弱めたスクロールを国から授かり、人や物を運ぶ商売人をベクターと言った。

 ベヒアは蜜蝋で封じられた魔法のスクロールを取り出し、客へ見せる。その蜜蝋には、王国の紋章が刻印されている。そんな由緒正しい魔法のスクロールはフライだけだ。それこそベヒアがベクターである証だった。

「そんなのあるならどこぞの貴族の家でも行け!」

 冒険者が冷ややかに呟く。

「この商売敵!」

 商売人が目を吊り上げる。

「海の向こうの両親が、お前たちの帰りを待っているかもしれないぞ? 妹の結婚式会場にだって、命懸けで一日走らなくても、これなら時の鐘の一回分で到着するぞ!」

 ベヒアはベクター伝統の商売文句を口上するが、誰も耳を傾けない。

「そんな高級品、使った後に請求されたら、たまったもんじゃないさね。それにもしも使用金を踏み倒した奴は、国が必ず捕まえて処刑するって噂さ。そんな面倒背負い込むぐらいなら、お前さんをさっさと追い出した方が賢いだろ?」

「ちょ、ちょっと待ってよ。本当に御代は飯代だけでいいよ。飯って言ったって海ウサギの干物も、コッケイノの卵焼きだっていらない。白い米飯。ちょこっとだけ塩をふった茶碗いっぱいの炊きたてご飯だけでいいんだ」

 女将の足を掴んで立ち上がろうとするベヒアを女将は豪快に蹴り上げた。

「この贅沢もんが!」

 女将の周りに客が集まる。

 追い出される。ベヒアは床にへばりついた。

「飯を食うまで動かないぞ!」

 しかし誰もベヒアを追い出そうとしなかった。

「どうして?」ベヒアは恐る恐る顔を上げる。

 すると十歳ぐらいの男の子が、小さな手足を精一杯に広げて、ベヒアを追い出そうとする奴らを制していた。

「僕の朝食をこのベクターさんに譲ります」

 女将がそう啖呵を切る男の子の頭を優しく撫でる。

「しかたないねぇ。うちはお金さえ払ってもらえばいいさね。しかし、フライの魔法でどこまで行こうって言うんだい?」

「古の竜の谷」

「古の竜の谷? 本気で言ってんのかい?」

 女将だけではなく、周りを取り囲んでいたお客たちまで顔を青ざめる。

「お前さん、白いご飯を茶碗と言わず、釜ごと上げるから、男の子の約束は守りなよ」

 ベヒアは黙って何度も肯く。

 けれどどうして急に女将が優しくなったかわからない。

 女将もベヒアの表情に気づいたのか、ふぅーと長く息を吐いて、優しい目でベヒアを見下ろす。

「これが生涯最後のご飯になるだろうからね」

 気の毒に。周りのお客が次々に、ベヒアへ向かって手を合わせた。


     ◇


「古の竜の谷っていうのは、昔、世界を滅ぼそうと企てた悪竜ラグナロクが治めていた竜の楽園なんです」

 地上の景色が滝のように筋を立てて流れていく。男の子――アスタは、フライの魔法で、ベヒアと空を飛んでいた。

「悪竜って言うのは、その昔、七英雄に倒されたんだろう?」

「そうですね。でもうちの村では、倒されたんじゃなくて、七英雄の一人、伝説の魔法使いが支配下において使い魔としたとも言われています。どちらにしても、主たる悪竜を失った古の竜の谷は、地を這う下位の竜から、空を支配する古の竜の眷属まで住む無法地帯と化しています」

「その無法地帯にどうしてお前さんは行くんだい?」

 ベヒアの質問に、アスタは目を大きくする。

「どうした? 俺、何か変なこと聞いたか?」

「いいえ、違います。だって、どの冒険者も古の竜の谷の名前を出したら、理由なんて一つも聞かずに、顔を真っ青にして依頼を断ったから……ベクターってやっぱり凄い人なんですね」

 ベヒアが照れて頭をかいた瞬間、飛行姿勢が崩れ、二人は一気に地上へ落ちる。

「ベヒアさぁーん!」

「悪ぃ!」

 ベヒアが、背骨を折らんばかりに、反り返ると、今度は一気に青い空へ向かって急上昇した。

「ベクターの誰だって竜は怖いさ。けどな、古の眷属を相手にしない限り、飛んでいれば竜の牙も、死の咆哮も届かないさ」

 ベヒアはアスタにウィンクする。

 地を這う下位の竜は問題外として、空を飛ぶ上位の竜でさえ、古の竜の眷属でもない限り、フライの魔法の飛行速度には付いて来られない。

「そっかぁ。そうですよね」

 アスタはまだ少し回る目を瞼の上から擦りながら答える。

「悪いな。吟遊詩人の謳うような英雄譚なら、俺は七英雄の子孫とか、大魔法使いの弟子っていう、格好いいオチがあるんだけど。俺は、白いご飯のためならなんでもする、普通のベクターなのさ」

「何言っているんです! ベクターってだけでも凄いことですよ」

 アスタがさっきまで他人だったベヒアをわが事のように励ました。

「それに、古の竜の谷に着いたら、後は僕一人で妹を助け出します」

「妹? お前は竜と戦う気なのか?」

 今度はベヒアが目を大きく開ける番だった。

「もちろん物見遊山なわけないですよ。戦いたくないけれど、妹を襲った竜が、また妹を奪い取ろうとしたら、今度は僕も戦います」

 アスタは目の前に掲げた拳を睨みつける。

「妹のためか……。それって英雄よりも立派なことだぞ! よし、俺は今回、お前に協力する。一緒に、妹を救い出そう!」

「でも、そんなこと……危険を顧みず、運んでくれるだけでも感謝しているのに」

「お前は孤高を由とする竜か? 人間なら好意は素直に受け取るものさ」

「ベヒアさん……」

「さぁ、竜に人間様の強いところを見せてやろうぜ」

 ベヒアは離れて飛ぶアスタを引き寄せる。一つの矢となった二人は速度をさらに上げて、古の竜の谷を目指した。


     ◇


「お兄ちゃん!」

「シアッサ! 無事だったんだね」

 王城がすっぽり入りそうな大きな洞窟の奥で、アスタは妹のシアッサを抱きしめた。

「せっかくの感動の再会のところ申し訳ないが、さっさと逃げ出さないと、水飲みから帰ってくる竜に鉢合わせるぞ」

 ベヒアが振り返って、洞穴の周囲を警戒する。

 一日観察したものの、この洞穴に住む竜が本当に一匹だという保証もない。

「走れるかい?」アスタの問いにシアッサはおさげを振って、うん、と答える。

「この狭さで飛ぶと危ないから走るぞ!」

 先に出口へ向かって走る兄妹を、ベヒアは後ろを警戒しながら追いかける。

 入り口から入ってくるはずの竜はまだ水飲み場に居るはずだ。問題は、さらに奥にいるかもしれない竜に、気づかれないようにするだけだった。

 ――しかし、そこまで上手くいかなかった。

「竜の咆哮だ……」

 アスタが思わず立ち止まる。

 シアッサが居た場所の、さらに奥から、竜の咆哮が響く。

 さすがに遠すぎて、咆哮で体が引き裂かれたり、硬直したりすることはなくて、三人は命拾いする。

 顔を青くして震えるシアッサの手を、アスタは強く握って励ました。

「ヤバイ。肌がざわつきだした。捕まる前に逃げるぞ!」

 長く続く咆哮が徐々に大きくなって、体が麻痺し始める。

「あっ、ダメだ!」

 アスタが叫ぶ。

 やっと外が見え始めた洞穴の出口を水飲み場から戻ってきた竜が塞ぐ。

「アスタ、掴まれ!」

 ベヒアはアスタの、アスタはシアッサの手を繋ぐ。

 ベヒアは片手に持ったスクロールの封印を、口で解く。

「しっかり捕まっていろよ!」

 フライの呪文が発動した途端、一気に洞穴の天井が三人へ迫る。

 ゴツゴツした岩肌が竜の歯牙の如くに三人を襲う。

「きゃあああああ」

 シアッサは竜の咆哮にも似た叫び声を上げた。

 アスタはシアッサを抱き寄せる。

「くそっ!」

 ベヒアが体をくの字に曲げると、今度は反転、洞穴の地面が目の前に迫る。

「言うことを聞け!」ベヒアは川えびよりも角度をつけて背を反った。

 本来、何もない自由な空を飛ぶための魔法は、こんな狭いところを飛ぶのに向いていなかった。

 それでもベヒアは腹筋と背筋を限界まで使いながら、洞穴の中を、寸前のところで壁を回避しながら、錐揉み飛行を続けた。

 そして最後の難関が待っている。

「付け焼刃だけれど耳を塞げよ!」

 出口を塞ぐ竜が咆哮を上げようと口を開く。出口と竜の隙間は、洞穴の比ではなかった。

「この魔法め! 言うことをきけぇ!」

 ベヒアは兄妹を上から抱えて、竜の口と手の爪と翼と洞穴の壁で囲まれた隙間をつきぬけた。

「どんなもんだ!」

 ベヒアが歓声を上げた。

「お兄ちゃん! わたしたちお空飛んでる!」

 アスタと違って、シアッサは頬を赤らめるほど飛行に興奮していた。

「さぁ、後は村まで帰るだけ……」

「ベヒアさん、もう一匹の竜が!」

 出口に居た竜を洞穴の奥から出てきた竜がかみ殺し、翼を広げた。

「空を飛ぶ上位の竜か……。でも心配ないさ、フライの呪文に追いつける翼を持つ竜なんていな、い、はず……」

 ベヒアが言い切るよりも早く、竜が三人の前に立ちふさがる。

 その後を追いかけるような暴風が三人を後ろから襲った。

「うわぁっ!」三人は悲鳴を上げながら、地上へ落下する。

 ベヒアが体を反り返しても、暴風に翻弄されて、フライの魔法は役に立たない。

「お兄ちゃん!」

 アスタは妹の頭を手で覆うと、自分の体を妹の下にした。

 せめて妹だけでも。アスタの決意がベヒアまで伝わってくる。

「フライのスクロール一枚で暴風に対抗できないなら……」

 ベヒアは残っていたフライのスクロール全ての封印を解いた。

 すると三人を叩きつけようとしていた暴風が凪ぎへと変化する。

「よしっ!」

 しかしフライの魔力も相殺され、三人はふわりと草が生い茂る広場へと落ちる。

「せめて森の中だったら……」ベヒアが見上げると、古竜の姿がはっきりと見えた。

 隠れる場所はどこにもない。

 むろん、走って逃げ切れるわけもない。

「ベヒアさんは、シアッサを連れて逃げて下さい。僕が餌になります」

「お兄ちゃん!」

 妹が泣きながらアスタの背中に飛びつく。

「竜にとって人はご馳走だって聞いたことがあります。そして収集の癖がある。えさをじっくり苛めてから、食べるって言ってました。みんなはその間に逃げて」

「そんな迷信、信じるな」

「でも、今は、それに賭けるしかない」

「三人で逃げよう、お前が死んだら、妹だって悲しむだろ?」

「逃げるっていってもフライの呪文はさっきので使いきったでしょう? もうこれしかないんです!」

 竜が慌てることなく、ゆったりと地上に降り立つ。

 三人が逃げ出すことは微塵も不安に思っていないようだ。いやむしろ、逃げ出すのを楽しみに待っているのかもしれない。

 竜の趣味は、財宝の収集と、人間狩りだ。

「一人の人間を捕まえたら、三人の人間が捕まえられた。人間はこれをなんと言ったかな。そう、友釣り、確か十年前に食った人間がそう言っていたな」

「竜が喋った……」

 シアッサがアスタの後ろへ隠れる。

 アスタとベヒアは目を合わす。

 人の言葉を喋れる。それこそ、相手が世界を滅亡寸前まで追い詰めた古の竜の眷属だという証だった。

 そしてここにはその竜を倒した七英雄は存在しない。竜を屈服させた、大魔法使いもいなかった。

「ベヒアさん! 計画通りに」

 アスタが叫ぶ。しかしベヒアは首を横へふった。

「いつも人間の勇気は素晴らしい。けれど、冷静に判断する術も人間は身につけるべきだ。この場合、餌となるのは私だ」

「ベヒアさん?」

「おぉ、人間よ。古竜の王ラグナロクを七英雄が打ち負かしたように、我に立ち向かうか。しかし人間の英雄すら七人必要だったのだぞ? お前一人でなんとする。

 逃げよ。逃げよ。

 その方が我も面白い」

 竜は大きな口を空けて高笑いする。

「ベヒアさんはやっぱり七英雄か大魔法使いの縁の人なんですか?」

 ベヒアの勇気に驚いて、アスタは叫ぶ。

「そんなものじゃなくても、こんな竜に負けないさ」

 ベヒアの足は震えていた。

「弱き英雄よ。足が震えているぞ」

 竜が舌なめずりをする。

「お前は眷属でも若い竜だな。七英雄と悪竜ラグナロクの戦いの真実を知らない」

「いかにも、わたしはまだ齢百を越えておらん。しかし弱き英雄よ。人の生は竜の瞬きより短いと聞く。お前こそ、その目で見ていないことを、真実と言い切るか?」

「真実?」アスタがベヒアを見上げる。

 アスタの視線に気づいて、ベヒアはにっこりと微笑んでから、竜へ口を開く。

「悪竜は負けたわけじゃない。人間の、友情と、愛と、勇気の強さを知ったとき、人間と争うことを止めたのさ。そして戦いを止める条件に、大魔法使いにあることを申し出た」

 ベヒアの足の震えがいっそう激しくなる。

 太腿の筋肉が異常に大きくなり、服を引き割く。

「何を申し出たのじゃ?」

 竜はそう強気に答えながらも、ずしりと重い音を立てて、一歩引き下がる。

 アスタも思わずシアッサを連れて、ベヒアから離れた。

「大魔法使いは俺にベクターという仕事をくれた。人の喜怒哀楽に触れる良い仕事だと」

 ベヒアの服は完全に内側から引き裂かれ、ベヒアの口が前に突き出ていく。背中からは翼が生えていた。

「何を申し出たんだ!」

 竜が目の前の弱き人間を恐れる。

 いや、もう前の前にいるベヒアは弱き人間ではなかった。

「……古竜の王ラグナロク」

「その名で呼ばれるのも久しいな」

 竜の姿へと変貌したベヒア――ラグナロクは、火竜らしく、ため息代わりに火を噴いた。

「わが眷属よ。人を恐れよ、人を知れ、人から学べ。さすれば、竜もまたこの世界で生きていける」

 ラグナロクが若き竜を諭す。しかし若き竜は空へ向かって咆哮した。

「人として生きて、竜としての誇りを忘れたか! 人は我らの餌。人のように地面を這うのではなく、空を駆けてこそ竜の誇り!」

 若き竜は主の鱗へ牙を突きたてようと襲い掛かる。

「愚かな。若き竜よ。次に世界へ産み落とされるときは、人として生まれよ。

 人が食べる白いご飯は人よりも美味ぞ」

 ラグナロクは咆哮と共に、噴火にも似た炎を吐いて、若き竜を焼き尽くした。


     ◇


「怖くないのか?」

 竜の背ではしゃぐシアッサに、ベヒアは尋ねた。

「俺は、お前を攫った竜だぞ」

「違うよ、ベヒアさん!」

 アスタが大声で答える。

「ベヒアさんは僕たちを助けてくれた」

「わたし、竜さんのこと大好きだよ」

 シアッサの小さな手が翼の付け根を擦る。

 自分を食べようとした竜と同じ種であるのにも係わらず、ベヒアのことは怖がろうとしない。

「だから人間は面白い。お前たちが言ったとおりだな、七英雄よ」

 ベヒアはどうやって人間に戻るかと思案しながら、兄妹の村を目指して飛んでいた。

 人間に戻らないと、茶碗いっぱいでは腹一杯にならないからな。

 ベヒアは舌なめずりする。

 白いご飯は、大魔法使いの言うとおり、竜と人が共に生きるこのアスターテの最高のご馳走だ。

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