女子力大学院12

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第12話 女子力大学院大学学長 江田島エリカ

 そのとき、一陣の風が試験会場である講堂を吹き抜けた。

 佳奈は突風に目をつむりながら、その異様さに気づく。

 この屋内で、この風。

 あまりにもさわやかすぎるベルガモットの香り。

 次の瞬間、佳奈が目を開くと、まるでこれまでの戦いが嘘だったかのように、荒れていた講堂はチリひとつなく整えられていた。

 そして教壇に立ち並ぶ試験官たち。いつの間にか講堂は、学生でいっぱいになっている。

「静粛に」

 彼らの中央から、威厳と気品、そして何より女子力に満ち満ちた声が発せられる。

「わたくしが女子力大学ならびに女子力大学院大学学長の江田島えだじまエリカでございます」

 その声を発したのは、老婆だった。

 いや、ババアだった。

 もはやどうして生きていられるのかわからないくらいのクソババアだった。

 その顔面に刻まれた皺はマリワナ海溝よりも深く、その乳房は満開のしだれ桜よりも垂れていた。

 彼女こそは、慶応4年(明治元年)生まれ、御年146歳を迎える江田島エリカ学長なのだ。

「本年も女子力博士号認定試験の季節がやってきました。今年この狭き門に挑むのは、たった一人。坪居佳奈、お待ちしておりましたよ」

 学長はそう言って、佳奈を見すえる。

 瞬間、佳奈の体を電撃が貫いたような衝撃が走った。

 その視線に、心は女の子よりも女の子を自負する佳奈でさえ、ほんのりとしたときめきを感じてしまったのだ。

 なぜ、あんなクソババアにときめきを……?

 いや、考えるまでもない。

 これが女子力大学学長の女子力。

 女子力の権化たる江田島エリカの力なのだ。

 学長は、そっと目を閉じると、静かに語り出した。

「女子力大学設立から10年。これまで、多くの学生を育成し、多くの女子を社会に送り出してきました。今、この大学は、女子力に満ちていますか?」

 学長の問いに、学生たちが一斉に答える。

「はい、女子力に満ちております!」

 にっこりと微笑む学長。

 しかし、その表情は次の瞬間、鬼のように歪んだ。

「足りぬわ、まるでッ!」

 怒号。

 講堂に緊張が走る。

「もしこの大学に女子力が十分に満ちていたなら、男の身でこの構内に入ること自体がすでに不可能なはず……しかし見よや、この坪井佳奈、男の身にしてあまたの学生を退け、この場に立っておるわ」

 そして、学長はニヤリと笑い、こう言った。

「久方ぶりの最終審査じゃ。わし自ら、そなたが女子力博士号にふさわしい女子か、見定めさせてもらうとしよう!」

 カッと見開かれる学長の瞳。

 そして放たれる大音声。

「2026年2月17日、午前11時30分。第十回女子力博士号認定試験最終審査、開始ィィィ!!!!」

 その声とともに、再び一瞬で講堂の風景が変わる。

 佳奈の目の前には、巨大な中華風の円卓。

 いつの間にか席についている試験官たち。

 そして、運ばれてくる料理と小皿。

「さて、まずは小手調べじゃ。女子力大学の門をくぐりし者ならば、何をすべきか、もうわかるな?」

 そう、言われずともわかる。

 料理の取り分け。

 女子力の基本中の基本。

 ごく自然に、気を遣わせる間も与えず、料理を適切な量に配分し取り分ける手腕。それが問われているのだ。

「……ところでのう、佳奈」

 学長が佳奈に語りかける。

「何を呆けておるのじゃ?」

 ……!!!

 何たることか。

 見ると、すでにすべての試験官に料理が取り分けられているではないか!

 運ばれてきたときには、確かに料理は大皿の上に盛りつけられていたはず。

 一瞬で、佳奈が気づく間もなく、10名以上の試験官全員に対して料理を取り分けたというのだろうか?

 速すぎる。時でも止められたみたいに速すぎる。

「……時?」

 佳奈の目が、講堂の時計に吸い寄せられる。

 11時35分。

 さっき最終審査開始が宣言されたときから、5分も時計が進んでいる。

「ほっほ、気づいたかえ。そなたは正味3分もの間、わしとのガールズトークに夢中になって、料理が届いたのにも気づかずにおったのよ」

 恐るべき女子力!

 佳奈をも虜にするトーク力はもちろん、目上の人に料理を取り分けさせているという負い目すら感じさせないその気さくさ。

 しかし、手品の種さえ知れてしまえば、対抗できない技ではない。

 しっかりと気を張って女子力を展開していれば、再びガールズトークに没頭してしまうことはあるまい。

 間髪入れず、次の料理が運ばれてくる。

「ほっほ……今度は多少マシになったかのう」

 全力だった。

 佳奈は全力で女子力を張り巡らせ、神経を研ぎ澄ませて料理をよそった。

 しかし、3つ。

 佳奈が料理をよそうことができた小皿は、わずか3つに過ぎなかった。倍以上の皿が、ババアの手によって試験官たちの手元に配分されていた。

「よかろう。このわしに対して、1つでも取り分けられればたいしたもの。それを3つも食い下がりよるとは、見込み十分といったところじゃな」

 言いながら、ババアは立ち上がり、再び大きな声を発した。

「次っ! エリカの全身女子力ちぇーーーーーっく!」

 声とともに、料理も円卓も跡形も無く消え去る。

 そして、じわりと佳奈に近寄る学長。

「ふむ、なかなか女子力に満ちた肌をしておる……」

 学長はそう言いながら、佳奈の脚を凝視する。

「そう緊張するでない。肌に出るぞ」

 懐から片眼鏡を取り出し、佳奈の肌を食い入るように見つめるババア。

 視線が、下半身からじっくりと、佳奈の全身を舐め回す。

「ムダ毛の処理、肌のうるおい、ともに合格。男の身で、よくぞここまで磨き上げたものよ。じゃが、ここはどうかな」

 ババアの視線が、佳奈の鼻の頭に突き刺さる。

 大丈夫、問題ない。

 佳奈は心の中で、自らを鼓舞するようにつぶやく。

 お肌のコンディションは完璧。今日のこの日のために整えてきた肌は、ノーメイクでも輝きを放っているはず……

「甘いぞ、佳奈」

 学長の声に、佳奈は自分の鼻に異変が起こっていることに気づく。

 わずかな変化だが、佳奈の鼻にある毛穴が、少しずつ開きつつあるのだ!

「あまりにも女子力の高い女子が来ると、とたんに周囲の女子がおっさんに見えてしまう……女子力とは、かように相対的なもの。わしの圧倒的な女子力の前には、無防備な肌など、ゴビ砂漠のごとき不毛の大地と化してしまうぞ」

「くっ……耐えてみせます!」

 佳奈は全身の女子力を鼻の頭に集中させる。

 開きつつあった佳奈の毛穴が、ゆっくりと閉じてゆく。

 同時に、佳奈は気づきつつあった。

 この最終審査が何を問うているのかを。

「ようやく気づいたか。そう、女子力博士号認定試験の最後に問うのは、女子力のもう一つの側面。他者を蹴落とし、己こそ女子の頂に登り詰めんとするいわば“攻めの女子力”に対し、己を清く美しく保ち続ける“守りの女子力”こそが、この最終審査で問われるのじゃ」

 学長は居住まいを正し、ゆっくりと宣言する。

「よろしい。小手調べはここまで。次はちと厳しくいくぞ。エリカの極限ファッションチェーック!!」

 ババアの叫びとともに、三度講堂の風景が変わる。

「な……なんなの、これは……!」

 目の前に広がるのは、信じがたい風景だった。

 講堂の中に雷雲が立ち込め、凍えるような風が吹き込んできているのだ。

「はっ……これは、雪……?」

 佳奈の頬に、冷たいものが触れる。

 そう思った次の瞬間には、すでに辺りはすさまじい猛吹雪に包まれていた。

「ほっほ、その白いワンピースでは、たちまち凍えてしまおうぞ。女子力を解放し、この極限の環境下に耐えうる衣装を身にまとうがよい!」

 激烈な寒さが佳奈を襲う。

 すでに講堂からは一般の学生どころか試験官たちも逃げ出している。なにしろ現在の環境は、摂氏マイナス40度の限界状況。冬のシベリアにも匹敵する低温下。適切な防寒具なしには命にかかわる過酷な寒さだ。

「どうした佳奈。早う衣装を変えんか。それとも、それほどの女子力を持ちながら、それしかセルフイメージの持ち合わせがないというのか?」

 学長の言葉に、佳奈は身を震わせながら、ただ耐えている。

「真の“守りの女子力”とは、いかなる大輪の華を並べられようともなお孤高の輝きを湛え続ける力のこと。それはすなわち『個性』。そして個性とは、環境によって左右されるものであってはならぬ。さあ見せてみよ、この過酷なる吹雪の下、本来のそなたの姿を!」

 荒れ狂う吹雪。

 肌を刺す極寒の風。

 その中で、佳奈はすっくと立ち、ババアの目を見てこういった。

「私は、着替えません」

 学長がいぶかしげに問う。

「なんじゃと?」

 佳奈は、最高の笑顔とともに答えた。


「だって、おしゃれはガマンだから!!」

 きらっ☆


 佳奈の笑顔から、星が飛んだ。

 同時に、ババアの額にびしりとヒビが入るのが見えた。

 吹雪は止み、いつの間にか、周囲は元の講堂に戻っている。

「学長!」

「ご無事ですか学長!」

 駆け寄る試験官たちに手をかざして制し、ババアは言った。

「ふっ……一瞬、ほんの一瞬、このわしが“キュン”とさせられてしまうとはの……。佳奈、そなたの笑顔に、若いころのわしを見たぞ」

 露骨に嫌そうな顔をする佳奈。

 ババアの顔が、ひび割れたところからバリバリと崩れていく。

「久方ぶりに本物の女子力をもつ者と遭うたわ……おもしろい、おもしろいぞ。ならばわしも真の姿を見せようぞ!」

 あたかも土人形が崩れるかのように崩壊してゆくババア。

 そしてその中から、一回り小さい人影が現れる。

「ふぅ……この姿をさらすのは、3年ぶりか……」

 中から現れたのは、細い腕、細い脚、真珠のように輝く肌。どう見ても12~13歳ほどにしか見えない少女の姿だった。

「改めて名乗ろう。わしこそは、女子力大学ならびに女子力大学院大学学長、江田島エリカじゃ!」

 そう、学長の真の姿は、ババアではなく、ロリババアだったのだ。

 その小さな体から感じられるのは、異常なまでの女子力。

 佳奈は、あまりにも圧倒的な女子力の前に、足がすくみ、動けなくなっていた。

「どうした? 佳奈。最終審査はいよいよここからが本番。わしの本気の女子力をその身に受けて、そなたはまだ人でいられるかな?」

 学長がゆっくりと佳奈に近づく。

 そのとき、講堂の扉が開いた。

「お待ちください、学長」

 女子力大学にそぐわない、野太い声が響く。

「その子の命、あと1年、預からせていただけませんかしら!」

 その声の主は、スキンヘッドで強面でゴリマッチョの、オネエだった。

「……父さん……」

 佳奈が力なくつぶやく。

 学長は、佳奈の首に手をかけたまま問う。

「これはこれは、この世にたった3人の女子力博士号保持者の一人、坪井教授ではないか。息子、いや娘の窮地に、親心が動いたかな?」

 学長の言葉に、坪井と呼ばれた教授が答える。

「学長、あなたもおわかりでしょう? その子は何らの訓練も受けることなく、ここまでたどり着いた。ならばあと1年、アタシの手で育て上げれば、きっと最高の女子力を生み出す逸材になる……」

 学長が、佳奈の首から手を放し、ニヤリと笑った。

「……よいじゃろう。坪井佳奈、そなたを特別奨学生として、女子力大学院博士課程後期への編入を認める。指導教員は坪井教授じゃ。1年後の女子力博士号試験、楽しみにしておるぞ。くっははは!」

 そう言い捨てると、学長は笑いながら、大学の奥へと消えていった。

「くっ……待って、まだ私は……」

 追いすがろうとして、佳奈は倒れた。

 ここまでの戦いで女子力を使い果たし、そのうえ、あまりにもすさまじい江田島エリカの女子力に当てられたことで、意識を失ってしまったのだ。

 その佳奈を抱き上げる、坪井教授。

「佳奈……よくここまで来たわね。でも、ここからが本当の地獄よ。きっと耐えて見せなさい」

 佳奈を抱き上げ、研究室へと向かう坪井。

 女子力大学院大学に編入した佳奈を、どのような試練が待ち受けるのか?

 1年後、果たして佳奈は江田島エリカの試験を突破することができるのか?

 そして佳奈と父との間にある過去とは?

 それらすべてが語られる第2期を待て!


女子力大学院 第1期 完

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女子力大学院12 既読 @kidoku1984

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