砂の印象―鳥取砂丘探訪

片山順一

秋の日のこと


 鳥取砂丘、という名前をご存知の方は、多いかと思います。

 鳥取県の北東部にある、有名な観光スポットです。


 十月のある休日、僕はそこを車で訪れました。


 着いたのは、午後一時頃だったでしょうか。良く晴れた青い空に、かすれたような雲のかかる、風の強い日でした。


 砂丘の前の駐車場が混んでいたので、少し東に進んで、人けのない海水浴場の近くに車を停めました。近くの道から砂浜へ降り、砂丘に向かって歩いてみたのですが。


 大げさながら、砂漠の恐ろしさを知りました。


 まず、とても歩きにくいんです。砂の目が細かく、柔らかいので、普通の靴では、足が異常に沈み込んでしまいます。

 一歩ごとに重心が揺らぎ、余計な体力を使ってしまいます。普通の砂浜はいわずもがな、砂の丘はさらに厳しい。蟻地獄の原理で、踏み出したそばから足が下がってしまい、とても登れません。砂丘は上に行くほど急になっており、苦労して上を目指すほど、下に向かって引きずり降ろされてしまいます。まるで人生か何かか、と思いましたね。


 この歩きにくさは、深く積もった雪の上にも通じると思います。楽に歩きたければ、かんじきの様なもので、体重を分散させる必要があるでしょう。ただ、雪と違い、砂は踏んでも固まらないから、ラッセルみたいなことは出来ないと思われます。


 それから、舞い上がる砂。砂丘は日本海を望む、景色のいい吹きっさらしで、当日は、白波が立つ程度の風でした。細かく軽い砂が一面に吹き上がり、地吹雪の様になって穴という穴を襲います。目に入ったり、口に入ったり、家に帰って体を洗ったとき、耳の穴から砂粒が出て来たのには閉口しました。小さな砂は、服の繊維すら通り抜け、靴下の中にまで入ってきてしまい、かなり不快です。


 僕が歩いたのは、たかだか砂浜から砂丘までの二百メートルほどでした。それでさえここまでの苦しさなのだから、重い荷を背負い、砂漠を旅した民族の方々などは、どれほどの苦労をされてきたのかと思います。しかも、中国あたりの歴史をたどれば、そんな砂漠でも戦いがあったようで。鎧や武器を背負って、命がけで砂漠を行軍するなど、本当に考えられません。


 僕の考えすぎかもしれませんが。何より心を打ったのは、荒涼とした砂漠の印象です。


 砂丘の砂は、ほとんど常に風で吹き飛び続けていて、それゆえに美しい砂丘や砂紋が形作られます。人間の足跡の穴程度なら、たった数分で砂が埋めてしまうのです。乾いた砂が動き続けているということは、そこに種が飛んできても、植物が生えないということです。発芽や、根を伸ばすことができません。


 植物が生えないということは、当然農業はできませんし、草を食べる虫も居ません。それらを食べる鳥や動物も居ないということです。


 すると当然、食べ物も、飲み物もありません。命の気配がありません。大げさに言うなら生き物の存在できない死の世界です。


 しかも砂丘の砂は、海から波に乗って次々に供給されます。波打ち際で濡れているうちは動きませんが、風で乾けば次々に吹き込み、森や草原、人の住む街ですら覆っていくことでしょう。砂漠が広がるとは、そういう事のようです。


 先祖代々住んでいた場所が、乾いた砂に覆われていく恐怖。続けてきた営みが、砂に還る寂しさや、やるせなさ。砂漠の宗教であるイスラムの文化圏において、本来恵みの象徴であるはずの太陽が憎悪される理由が分かりました。


 だからこそ、砂丘に染み出た、湧き水の周囲。草の緑がどれほど尊く見えたことか。虫の声の何と美しかったことか。一面の砂の中に、命の気配を見たときの安心は言葉に言い表せません。


 などと、一人合点していた僕ですが。

 現実に戻していただいたのは、ボランティアガイドの方でした。


 死の印象は、僕の行き過ぎた妄想だったのです。


 鳥取砂丘は日本にある以上、気温も降雨量も日本のものから大きく外れません。砂漠の本場である中近東と違って、定期的に雨が降り、砂が濡れることになります。濡れて固まった砂は、風で吹き飛ばされることもなく、植物が発芽することもできます。そしていったん植物が繁茂すれば、砂が乾いても吹き飛びにくくなり、次々とほかの植物が発芽し、そのまま草原を経て森へと戻ってしまうのです。


 対策としては、不要な植物を取り除くことしかありませんが、砂丘は法律上の自然公園に指定されています。ゆえに、機械を導入して大規模に除草することができず、人の手でコツコツと除草するしかないのです。砂浜にしか生えない貴重な植物を守るためでもあります。


 波を通じて、海から無限に供給されるように思えた砂丘の砂ですが。これも実は、港の施設に吹き込んだ邪魔な砂を回収し、砂丘の沖に放り込んで循環させているという説明をいただきました。


 ただただ無知を恥じます。死の世界に見えた砂丘は、植生の豊かなこの国に、わざわざ人間が作り出した人口の場所の様なものでした。


 二、三弁解させていただけるなら。


 砂の歩きにくさは本物でした。そして、動き続ける砂に植物が生えないということも。さらに、日本ほどの雨が降らず、砂の供給が滞らない場所なら、砂漠が広がり続けることもです。


 いずれにしろ、空気の乾いた盛夏、水筒を持たずに一時間ほど歩き回れば、砂漠の旅人の気分が味わえるかもしれません。


 好奇心のある方は、一度足をお運びください。


 なお、周囲には土産物屋さんや、食堂、美術館、らくだの騎乗体験もあります。

 やろうと思えば、半日以上費やせるでしょう。楽しかったですよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂の印象―鳥取砂丘探訪 片山順一 @moni111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ