第3話 NGCから赤緯赤経へ

 Mメシエの次くらいによく見かけるのがNGCという表記である。そういえば、前回に登場したNGC55というのもそうであった。

 このNGC、特徴としては、大きい数字がいくらでも出てくるということがある。メシエはせいぜい3桁なのだが、NGCは4桁が当たり前だ。さらにいうと、メシエ天体にもNGCナンバーがついている。両方付いているとたいていメシエのほうが優先されるのでカタログなどをきちんと見ないと分からないことが多いけど。例えばM31はNGC225だ。

 Mはメシエという人名の略だったが、NGCのほうはニュージェネラルカタログの略である。人名らしくないが、もちろん人名ではない。いずれにせよカタログで、そこの何番目に載っているかということなのだが、ニューでジェネラルだから、特にカタログの内訳というわけでもない。言うまでもないが、将軍とも関係ない。その中身を表してるわけでもなければ作成者の名前を表しているわけでもない、どこのカタログにでも付けられそうな名前はと言われそうである。

 まあ、そうなんですけど。

 そもそも、ニューってなんなのか。オールドバージョンがあるのか。なんでニューだけ残ってるのか。

 まあそうなんですけど。

 NGCの前に、ニューのないジェネラルカタログというのがあったのである。これは、天王星の発見者で知られるウィリアム・ハーシェルとその息子が作成したカタログで、略号はGCだった。19世紀ぐらいになるといろいろとカタログが作られていたので、それを総合的ジェネラルにまとめて整理したカタログとして作られたのがこのジェネラルカタログだったのである。

 これをベースにさらに天体数を増やして改訂したのが、NGC、ニュー・ジェネラル・カタログである。これはハーシェルではなく、さらに少し時代を下ったドライヤーという天文学者の手によって行われている。

 NGCには、8000近い天体が収められている。メシエカタログは特に並び順に一貫性はないのだが、まあ言って全部で110なので目的の天体を見つけるのに苦労はない。

 だが、この数になるとそういうわけにはいかない。だいたい、GCの時点でも100ページ以上ある。今のように写真が発達してた時代ではないから、位置や簡単な特徴の記述などがあるのみで、これでランダムに番号を付けられたら必要な天体の情報を探し出すのが危うい。図書館の書庫に、デタラメに本が排列されているようなものである。

 ので、並び順に一貫性が必要になる。

 これはGCにしろNGCにしろそうなのだが、赤経順に並べられている。赤経というと突然言葉が難しくなるが、くだけていえば、要するに西から東へと並んでいるわけだ。地球の経度と同じである。


 赤緯と赤経は天空上の位置を表すのに使われている座標系である。天文学の論文などでは、星座よりもこちらのほうがよほど使われているし、自動導入の望遠鏡などの天体データもこれだ。

 すごくオールドスタイルな見方だが、空に星が張り付いているとしよう。そうすると、星を見るというのは、要するに地球を中心にして星が張り付いた球を、内側から覗き込んでいるような構図になる。中心が半径6400kmもあって違和感がある?地球の中心を、だと思ってください。

 いかにも「地球が世界の中心で、周りをいろんな天体が回っている」という天動説時代の感覚の構図であるが、星の動きについて考えるだけならばこのほうがイメージしやすい。昔の人は意外に偉大なのだ。このような想像上の球を、天球と呼ぶ。

 あくまで球なので、地球の表面を緯度方向と経度方向に目盛りをふる時のように、目盛りをふることが出来る。外側から目盛りをつけるか、内側からつけるか、違うだけだ。

 地球の場合は、緯度は北極と南極を90°として、赤道を0°とする。じゃあ天球の場合は?北極の真上に当たる点と、南極の真上に当たる点を90°とすればよい。0度に当たる線が、天の赤道である。これは恣意的というよりも、この2点は地球の自転に応じて動かないという特別な点だからということもある。北極と南極というのはその結んだ線が地球の回転軸となっているので、それをさらに外挿したところにこの2つの点、天の北極と天の南極が位置するわけだ。

 もっとも、天の北極が+90で天の南極が-90なのは、いかにも北半球で作られたものだという感じがしなくもない。

 問題は、経度である。南北方向が決まったので、あとは東西方向に目盛りをふればいいのはわかるのだが、どこかに原点が必要だ。そして、北極や南極と違って、一意に決める規準というのがない。

 一意に決める規準はないが、一意に決めてしまえば終わりである。地球の場合は、グリニッジ天文台のある経度を0としている。天球の場合はどうするか。

 ここで使われているのが、春分点である。つまり、春分の日に太陽が通過する点だ。しかし春分の日というのは太陽が春分点を通過する日のことなので、これではトートロジーになってしまう。

 太陽は夏至に一番高くなる。まあだいたいこういうのはさっきの赤緯の話ではないが、北半球の人間の都合で決まっているので、北半球で夏至になるとき、つまり太陽が一番北に来るときが夏至だ。一番南にくるときが冬至である。

 このことを考えると、太陽は年に2回、天の赤道を横切ることになる。このうち北から南に横切るのが秋分点、南から北に横切るのが春分点である。そして、そこを通り過ぎる瞬間が天文学上の秋分・春分。その瞬間を含むのが秋分の日、春分の日である。これでトートロジーにならない。

 で、話を元に戻すと、この春分点を、0°とするのだ。

 ただし、全周で360度の代わりに全周で24時というほうを使うことが多い。日周運動、つまり一日24時間でめぐるほうに一致しているのでわかりやすいからかもしれない。これだと、1時間が15度になる。

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