夏の群青

猫之宮折紙

町の風を浴びて

 福岡県の筑紫郡に位置する「那珂川町」をご存知だろうか?

 歴史はそれなりに古く、安徳村、岩戸村、南畑村は1956年に新設合併し、町制施行、「筑紫郡那珂川町」となった。


 町のあちこちには歴史の足跡が残っており、安徳小学校には古墳が、裂田の溝(さくたのうなで)と呼ばれる日本最古の農業用水路が残っている。


 那珂川という名前の由来は福岡市中心部を流れる河川である「那珂川」だ。

 町の南部が源流となっているのが主な理由だろうか。


 そんな街に私は小学三年生になると同時に引っ越してきた。

 父の転勤で、熊本県の帯山からの転校だった。

 父と母は元々福岡の人間で、二人は懐かしい懐かしいと言っていたが、私と一つ下の妹は転校と慣れない土地に困惑していたのを覚えている。


 先ほど述べた安徳小学校への転校だったが、ここで私は今後長い付き合いとなる親友と出会うことになった。

 良くも悪くも「悪友」と呼ぶにふさわしい男子だった。


 私と彼は学校の先生方から見たら対照的な性格だったようで、気弱な私とガキ大将のような彼が仲良くなるとは考えもしなかったらしい。

 当時の担任から聞いた話なのだが、小学三年生にそのような事を言ってよいのか今では疑問ではある。


 さておき、私と彼は当時から二人っきりで遊ぶことが多かった。

 那珂川町は自然も多く、山や川へ行けば暇を持て余すことはほとんどないのだが、何故か私たちは近所の公園で野球をよくしてたのを覚えている。


 二人で野球? と疑問に思うかもしれないが、二人で野球をするのだ。


 一人がピッチャーを務め、もう一人がバッターをするシンプルなもの。

 三振したら交代。打たれたら、ピッチャーはボールを拾いに行き、ノーストライクノーボールから始めるという地獄のようなルールだった。


 私は運動神経が悪く、逆に彼は運動神経はピカイチだった。

 当然、私ばかりがピッチャーをやることになり、何度も頭上を通過していくボールを拾いに行った。


 真夏にそれを陽が沈むまでやるのだから、今の私からすれば「バカな子供だったな」と思う。


 だが、当時の私は別に嫌いではなかった。

 そう今の彼に言えば「いやいや、嫌な顔してた」とで言うだろうか。


 まあ、地獄野球は約三年間続けるのだから、そりゃ嫌な顔もするときもあるさと。


 特に文句を言わずにボールを拾いに行っていたが、私の記憶ではその時吹いていた風がとても印象的だ。

 汗でべっとりとした肌を冷やす心地い風はとても広い草原で一人っきりになり、夏の香りを独り占めできる――そんな錯覚をしていた。


 私は、この町が好きな理由は夏に吹く風だ。

 山から吹く優しい風が体を包み込み、今でもあの場所へ行くと当時の記憶を思い出させてくれる。


 山で遊んだ記憶、町の祭りではしゃいだ記憶、川で転んだ記憶、夜に家族で花火をした記憶、ホタルを始めて間近で見た記憶、そして親友と過ごした時間の記憶。


 町の風を感じれば、記憶と思い出を運んでくれる。


 楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、怒ったときのこと――忘れていた物を蘇らせて、私は私になっていった。


 私の半分はあの町で創られたといっても過言ではないと思っている。

 親友との出会いや青春もあの町で体験して、あの町で私を創り上げていった。


 貴方は覚えているだろうか?


 貴方が育った町の風景を。


 貴方は知っているだろうか?


 貴方が作った思い出の数々を。


 貴方は忘れてはいないだろうか?


 貴方が過ごした日々の記憶を。


 私は――時々ぽっかりと心に穴が空いたような状態になるときがある。

 落ち込んでいるときや、ぼーっとしているとき、何も考えられないときなどなど、思いつくだけも様々なシーンがある。


 幸い、私は今も福岡県内に住んでる。

 行こうと思えば、あの全てが詰まった町へ行ける。


 だから私は気が向いた時、足を運んで私を見つけに行く。

 ぽっかりと空いた場所を埋めるために……。


 何かを探しているわけではない。

 でも、それは自然と集まって、私を満たしてくれる。


 目に見えない何かが私を私にしてくれる。


 私にとって町とはそういう場所なのだ。


 といった感じで、私の町語りはここまでだ。

 那珂川町には高校卒業して二年ほどしてから引っ越しをした。

 好きな町だったからこそ離れるのは少々息苦しい気持ちにもなったが、気軽に行ける距離でもあったので妥協した。


 最近では国勢調査によって人口が五万人を突破し、「町」から「市」へと変わるというニュースを聞いた。

 那珂川町が市制施行すると、「筑紫郡」は自然消滅してしまうらしいので、名残惜しいが、仕方がないと言えば、仕方がない。


 さて――少しは那珂川町のことを知っていただけただろうか?

 そして貴方の育った故郷を思い出すことはできましたでしょうか?


 私はあの夏の日の空――群青色の空を今でも覚えている。


 親友と共に笑った、あの空の下で起こった思い出の数々を。


 忘れているならぜひとも思い出してほしい。


 私が貴方に出来る唯一のメッセージだと、私は信じているから。

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