怒りを知った旅人

 それから十分程度時間が進んだ。


突如勢いよく店のドアが開き、先ほどまで騒がしかった店内が静かになっていく。

 異変に気付いたメルアは入ってきたであろう人物を凝視する。

 三人組の男だ。真ん中に立っている男は体格がよく、服のうえからでもわかる屈強な筋肉をもっているようだ。腕の太さが首より太い。


 あとは左右にいるひょろ長い二人は見るからに下っ端だ。男は下品な笑みを浮かべながらカウンターに近づき店主へ話しかける。


「ようババア。酒をくれや」

「アンタのようなクソ野郎に出す酒なんかないよ! 出ていけ!」

「寂しい事言うじゃねえか? また暴れて店をむちゃくちゃにされたいか、ええ?」

「……………あっちのテーブルで待ってな」

「早くしてくれよお! 俺達は客なんだからなあ!」


 そう言って体格のいい男とひょろ長い二人は店主が指さした端の方にあるテーブル席に座る。周りにいた客達はテーブルごと男達から距離を取り、ヒソヒソと話し始める。


 先ほどとは違い、小さなざわめきが店内を覆った。

 店主は舌打ちをしながら酒の用意を始めた。

 メルアは首を傾げ、小声で店主に話しかける。


「いったい皆どうしたんですか? それにあの人は一体?」

「アイツはこの街でも有名な荒くれ者よ。冒険者を名乗っているがやっていることは賊と全く同じよ。平気で人を殺すし、物も盗む。無銭飲食なんて当たり前。しかも強いから性質が悪い。この街の憲兵団や冒険者達も歯が立たない。前もこの店で暴れた時、十人で取り押さえようとしたけど逆に病院送り。この街でアイツを止められるのは誰もいないのさ」


 会話の内容は男達には聞こえていないが、酒が出てこないことに苛立ったのか、近くにあった椅子を蹴り飛ばす。椅子は近くにいた客の頭に当たり、倒れ込んだ。それを見た給仕達が怯えながら、壁際で震える。


「ブツブツ言ってないでさっさと持ってこ――あ? なんだ、可愛い嬢ちゃんがいるじゃねえか」

「え?」


 男の視線と、メルアの視線がぶつかる。舌で唇を舐めると、メルアを指さして店主に叫ぶ。


「その女に酒を持ってこさせろ! 俺がたーぷっりと可愛がってやるから」


 メルアはびくっと体を震わせ、冷や汗をかく。まさかこんなことに巻き込まれるとは思いもしなかったからだ。二階にいるであろうクロムが騒ぎに気付いている様子もない。だが、彼に頼ってばかりでは自分が成長できないと――心に言い聞かせた。


「っアンタねえ! いい加減に――」


 するとメルアが立ち上がって店主の方へ顔を向ける。


「大丈夫です。私、持っていきます」

「でも――!」

「…………大丈夫です」


メルアは力強く頷いて、店主から酒の入ったコップを三つ両手で持ってテーブルへ近づく。

 男が手を伸ばしてギリギリ届かない場所に立った。もちろんそこからテーブルの上に酒を置くことはできない。


「どうした嬢ちゃん? 俺ぇは怖くねえよ? だからさあ、ほら、こちへおいで」


 男の下品な声にメルアは無表情をつき通す。彼女の内心は色々とグチャグチャになっていた。

 この男に対する怒り、そして逃げ出したい恐怖。けれども、安心感もどこかにはあった。

 メルアはつばを飲み込み、決心がついたのか、手に持っていた3杯の酒を――男の胸元に向けて投げつけた。


 男は上半身が酒によって濡れ、空になったコップが床に転がる。

 誰しもが予想していなかった行動に場が再び静まり返る。

 ただ、男だけが青筋を浮かべ勢いよく立ち上がった。


「てめえ! 何しやがるこのクソアマあああぁぁ! 俺が誰だか知ってやってるのか!?」

「残念ながら私達は旅人なの。今日来たばかりだし貴方の事なんかほとんども知らないわ」


 メルアは震える体を抑えるために腕を組み、ついでに大きく足を広げて声の音量を上げる。


「私も、ここにいるみんなも冒険者なの。人のために戦い、人のために頑張っているの。危険な依頼にも行く。喧嘩もするし、お酒も飲む。だけどみんな冒険者として誇りを持っているはずだわ! 私は、そう信じている! 力でねじ伏せ、悪行を重ねて冒険者を名乗る貴方が許せない!」

「んなの俺の勝手だろうが! 冒険者を名乗るのに何か資格でもいるってのかよ!?」

「そんなものは無いわ! 冒険者は誰にでもなれる職業! 私も、皆も、自らが冒険者だと思うから冒険者! そこに理由がなくても、名乗ることができる!」

「矛盾してるだろクソアマぁ!」


 メルアは立ち上がって顔を近づける男に怯みもせず――言葉をぶつける。


「私が気に入らない! それ以上の理由はないわ!」

「コイツ……女だからって殴られないとでも思っているのか!? 俺は殺しもするし、女だって何度も犯した! テメエなんぞ、赤子の首を捻るみたいに簡単に殺してやるっ!」


 男が右腕を大きく振り上げ、そのままメルアへ叩きつける。

 周りの客達も止めに入ろうと立ち上がるが――間に合わない。


 メルアは――瞬きをしなかった。男の拳から逃げようともせず、腕を組み、じっと立ち止まる。


 冒険者とは、皆我儘で、自分の主張が必ず正しいと思う者がほとんどだ。だからよく喧嘩もするし、殴り合うこともある。

 メルアも先ほどのセリフを聞いての通り、かなりの我儘だ。男が冒険者であることになんの問題もないし、ただただメルアが気に入らないというだけの話だ。

 だが、彼女の言葉に多くの冒険者は首を縦に振るだろう。

 冒険者とはそれほどまでに躊躇半端で、自分勝手な人間なのだから。


「――っ!」


 驚いたのは男の方だった。振り上げた拳はメルアに届くことなく、自らの顔の位置辺りで停止した。拳を――クロムの左手で受け止められていた。


 いつの間にかクロムはメルアの真後ろまで移動し、左腕を伸ばし、攻撃を防いだようだ。クロムの突然の登場に、周りの人々も息を飲む。


「な、なんだおま――っ!? う、腕が離れねえ!?」


 クロムの左手から拳を引き抜こうとしてもビクともしない。男は一生懸命に体を動かすが、効果は全くなさそうだ。


 一方のクロムは相変わらずの無表情で眉一つ動かさない。


「……クロム!」

「ごめん。遅くなった」

「大丈夫。その――」

「俺は君を守るという役目を貰った。それを果たしているだけだ。それに、メルア、かっこよかったよ」


 クロムはメルアの右腕で抱き寄せ、そのまま後ろへ下がらせる。男を突き放し、派手に転ばせるとクロムが口を開く。


「なるほど――これが怒りか」

「今度はなんだ!? テメエ、何者だ!」


 転がった男はすぐさま立ち上がり、クロムに向かって吠える。


「俺は――クロム。故郷も、思い出も、何もかも忘れた哀れな旅人だ」

「…………は?」

「お前はメルアに暴力を振るおうとした。つまりお前は俺の敵だ」


 クロムは冷たい視線で男を睨むと――背中の直剣へ手を伸ばした。

 鞘からは抜かず、本体をそのままメルアに向かって投げる。


「持っていてくれ」

「――うん!」


 クロムはそのまま構えを取るわけでもなく、ただただ普通に立っている状態で男に歩み寄る。

 男はさらに顔を怒りに染めると、近くにあった椅子を両手で持ち、派手にぶつける。砕け散った椅子は、木の残骸として男の両手に残り、鋭く尖った鋭利な武器になった。


「俺を怒らせたこと、後悔させてやるぅ! 後ろの女も、泣き叫び、殺してと悲願するまで犯し、バラバラにして、殺すぅ!」

「そうか。それは――つまらないことを聞いた」


 クロムが一歩、前へ出た。同時に男は両手の木片をクロムの頭へ突きさすようにして振り下ろした。

 男の身長差は一メートルないほどだ。背の高いクロムが小柄に見えるほど、男の体格はよく、威圧感からなのか更に巨大に見えた。


 となると振り下ろされた木片がクロムの脳天に直撃する角度だった。

 何かしらで防がなければ即死は逃れられない。


 クロムは二つの木片を見つめ、自然と右の手のひらを頭の上に出した。

 誰もがそれだけで防げるわけがないと思った。男の怪力で、クロムの手のひらは木片で貫通し、致命傷を負うだろうと予測したのだ。


 それは男も例外なく、クロムに対してバカな奴だとおもっただろう。


 しかし――それが何も持たない普通の人間ならば――の話である。


 二つの木片がクロムの手のひらに触れた瞬間――木片は一瞬で錆て、男の両手も同様に黒く変色した。


 木片がパラパラと崩れ、男の腕もボトリと床に落ちた。


「え?」


 男は何が起こったのか理解が追い付いていないようだ。


 床に落ちた男の両腕は少しの振動でボロボロと外皮が剥がれ、やがて錆となった肉も砂のようになり、残った骨ですら見分けがつかないほど粉々になった。


「俺の……オレの腕がああああああぁぁぁ!!」

「騒ぐな」


 クロムは冷たい視線で男の喉元を右手でつかみ、ぎゅっとしめる。力はそれほど入れてはいない。だが、男の脳裏に先ほど光景がこびりついているからなのか、冷や汗と震えが止まらない。


「いいか、よく聞け。まず一生、俺とメルアの目の前に現れるな。もし視界に入ることがあれば、殺す。絶対に、だ。二つ目に、この町から出ていけ。お前がいると折角うまい酒と飯も不味くなる。だから、出ていけ」


 クロムの声はどこまでも冷たく、そして恐怖を掻き立てられるものだった。

 この場にいる全員――客も、給仕も、店主も、そしてメルアさえもクロムの深い闇の部分に踏み入ってしまっていることに恐れをなした。


 男はすでに声も出ないのか、目から涙を流し、震える体を一生懸命に動かして、頷く。

 クロムはそれを見て男の首から手をゆっくりと離した。


「あ……ああ……ああああぁぁぁ!!」


 男は最後に叫び声を上げ、店の外へ飛び出していった。

 子分の二人も慌てて後を追い、取り残された人間は床に落ちている錆クズの山と、まるで化物のような黒い男へ視線を向けるのであった。


 誰も――声をださない。


「……すまない。迷惑をかけた。また二階へ行っていいか、店主?」

「…………あ、え? あ、ああ。二階ね。いいわよ。うん……大丈夫、よ」

「ありがとう。壊したものや、汚した床の代金も払う。そのあとはすぐに出ていく。メルア……ついて来てくれ」

「う、うん」


 錆びた直剣を抱えたメルアは名前を呼ばれ、客達の間から姿を現せる。

 クロムは再び二階へ上がり、メルアも後ろをついて行く。


 彼らが二階へと消えて行ったあと、客たちはザワザワと騒がしさを取り戻し、先ほどの出事について話題を変えるのであった。


 客達とは違い、店主は複雑な表情で二人の消えた二階への階段を見つめる。しばらくの間――仕事の事も忘れ、動くことはなかった。

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クロサビの旅人 猫之宮折紙 @origami0608

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