占い師
二階へ進んだクロムは店主に言われた通り、廊下を進んで一番奥の部屋までやってきた。来る途中、部屋のあちこちで男たちのイビキがうるさく聞こえたが、不思議とここでは静かに感じる。
扉をノックしようと右手を上げた瞬間――向こう側から話しかけられる。
「おや、珍しいお客さんだね」
しゃがれた老婆のような声だった。
声を聴いたクロムは手を止めて、眉をひそめる。
「……店主から占い師がいると聞いた。間違いないか?」
「ええ、ええ。その占い師は私で間違いないよ」
ガラガラ声で返事をすると、ギギギと音をたて扉がゆっくりと半開きになる。
クロムの感覚ですぐそこに人の気配はない。まるで勝手に開いたように扉が動いた。
「お入り。そこに立っているだけじゃ占いはできないよ」
「…………ああ」
クロムは扉を改めて開けて、中に入る。
部屋に入ると、声のイメージとは真逆の少女が一人椅子に腰かけ、クロムを正面から出迎えた。占いの道具なのか、机も用意してあり、その上には水晶玉も置かれている。
少女の見た目はクロムと同じ黒髪のロングストレート。ただ、目は真っ赤に輝き、不気味な雰囲気を漂わせている。
年齢はメルアとほとんど変わらないだろうと観察して思う。
声とのギャップにクロムは一瞬だけ呆気に取られてしまった。
「なんだいその顔は?」
「いや……イメージとは違ったんで」
「目に見える物だけを信じていると痛い目にあうよ。ほれ、占ってやるからそこへお座り」
向かい合うようにして置かれている椅子にクロムは無言で腰かけると、少女の赤い瞳を見つめる。今まで多くの人間を見てきたが、これほどまで真っ赤な目は見たことがなかった。自然と、引き寄せられるように見つめてしまう。
「それでお前さん、何を占ってほしいのか?」
「……俺についてなら、なんでもいい」
「ほほう。これはまた曖昧な事だ。なんでもいい……というのは大抵なんでもよくない時にでる言葉だね。お前さんは何か大きな悩みを抱えているが、それが何なのかすら把握できていない」
「……記憶がない。俺には、記憶がないんだ。だからそれに繋がることならなんでも教えてくれ」
「勘違いしていないかえ? 占い師はそんなに便利な物じゃないんだよ」
少女は両手を上げて、呆れたように言った。
じっとクロムの目を見つつ、何かを探るようにして言葉を続ける。
「お前さんからは不気味な気配を二つ感じるね。一つはお前さんの言う記憶の欠陥。何も知らないというのは恐怖さ。その恐怖をお前さんは味方にしている。言うなれば、記憶を探していることだけを目的として、それを達成した後を考えていない。お前さんは無計画で物事を考えるタイプさね」
「記憶が戻った時は、その時で考える。今は俺が何者なのか、なぜ記憶がないのか、それが知りたい」
「記憶がお前さんにとって邪魔な存在だったとしてもか?」
「ああ」
メルアと出会ってすぐに言っていた「殺人鬼の人格だったら」などのイフの考え。
今の彼にとって昔の自分が悪の存在だったら記憶がない方が幸せではないかと占い師は言っている。
だが、クロムにとってはそんなことどうでもよく、真実を知ることができればそれこそ大した問題ではないと思っている。何故、記憶を失うことになったのか、その事実も知りたいと彼は欲求に駆られている。
「まあいいだろう。それはそれで。だが、二つ目の不気味な雰囲気――お前さん、呪いがかかっているね。鉄臭い面倒な呪いが」
「…………これは、呪いだったのか」
「そんなことも知らないのかい?」
「病気か何かだと思っていた」
「はあ。これだから無知は……。いいや、無知になってしまった哀れな男と言うべきか」
少女は頭を抱え、首を横に振る。
すると冷たい眼差しのまま、クロムに向かって突如こんなことを言った。
「脱げ」
「…………俺に露出の趣味はない」
「違うわよ。呪いを見てあげるって言っているのよ。占い師も元をたどれば魔法使いよ。お前さんの呪いがなんなのか、教えてあげようとしているの。いいから黙って脱ぎなさい」
クロムはため息を吐いて、渋々立ち上がる。
背中の直剣を机に立てかけ、上半身の衣類を脱ぎ去った。
肌を見せると――少女は興味深いと目を細める。
「ふむ、これはまた珍しい呪いも貰ったわね」
「知っているのか?」
「ええ――古い呪いよ。知っている者はかなり少ないはず」
クロムの上半身――右肩から胸部にかけて、体が黒く錆びていた。
文字通り、クロムの体は黒錆に浸食され彼が左手で触ると床にポロポロと錆が落ちる。
しかも錆は徐々に広がっているようで、シミのような模様になっている。
少女は足元から何冊かの本を机の上において、そのうちの一冊をパラパラとめくりはじめる。どれもこれも古い書物で、埃をかぶっているのが分かった。
そしてあるページなると捲るのを止め、少女の口が再び開く。
「呪い――『クロサビの呪い』ね。体が徐々に黒く錆びていき、最後は脆くなった体が崩れて死ぬ。そして触れている物も徐々に錆ていく――直剣が錆びている理由はこれね」
「……ああ。体の錆と同時に、直剣の錆も酷くなっていった。錆をとっても結局は無駄になるから、手入れはもうほとんどしていない」
「クロサビの呪いの特徴ね。ただ、生き物はただ触れただけでは錆びないってのも特徴。そう――『ただ』触れただけでは……ね」
「――そうか、この力も」
「使い方を知っているのね」
「体が覚えていただけだ」
クロムはポツリと呟くと、上着を再び着始める。
少女は本に書かれている『クロサビの呪い』の続きを読み上げる。
「呪いを受けたものは命を削る代わりに『クロサビの浸食』という魔法が使えるようになる。これは触れた対象を急激に錆びらせ、脆くすることができる。何かを媒体として、対象を錆びらせることも可能――」
「…………ああ、その通りだ」
クロサビの浸食――クロムが触れた物、もしくは触れているものを通して別の物を錆びて脆くさせる魔法。
クロサビの呪いを受けた人間のみが使える禁術。
森で黒狼を殺した時も、この魔法を使っていた。
直剣を媒体として、メルアに襲い掛かった黒狼の首を錆びらせ脆くする。
後は斬る――のではなく叩きつけることによって首は吹っ飛ぶのだ。
錆びた直剣が首を切ったように見えたカラクリはこの魔法によるものだったのだ。
「呪いを受けた加護――って変な言葉よね。でも、その力は確かに強いわ」
「俺も実感はしている。この力で何でも窮地を脱出してきた。だが――俺には時間がないんだな? 病気じゃなく――呪いなら」
「ええその通り。でも術を解くことも可能よ」
「本当か?」
「ええ――そうね。ならそれを占ってあげるわ」
クロムは椅子に座りなおして、少女に「ありがとう」と礼を述べる。
「それが仕事なのよ。お礼はいらないわ。さ、ではちょっと待ってね」
少女は水晶玉に両手を覆いかぶせ、ブツブツと言葉を発する。
長い時間はかからず、ほんの十秒ほどで占いは終わったようだ。
「……呪いを解除するには北へ向かいなさい。そうね、王都を目指すのがいいわ。その旅の途中で呪いを解くヒントを得られるはずよ」
「ヒント……か」
「残念ながらクロサビの呪いは他の呪いと違って簡単に解けるものじゃないわ。でも、必ず貴方の呪いを解く方法はある。残念ながら私は知らないわ、そんな太古の呪いを解く方法。でもそうね――もしかしたら『七人』のうち、誰かが貴方を救うかも」
「七人?」
「――記憶がないんだったわね。それは連れのお嬢ちゃんにも聞きなさい」
「……メルアのことか」
「ええ。たぶんそうよ。ああ、それはそうとそのメルアちゃん、下でちょっとピンチかもね」
「何?」
クロムの表情が一変する。
「急いだほうがいいわ。ついでに占ってよかった、本当に」
「ああ、感謝するよ。代金は後で払いに来る。時間はかからないから、待っていてくれ」
「ええ分かったわ。ずっと――ずっと待っているから」
クロムは直剣を握りしめ、部屋を飛び出していく。
占い師の少女はクロムの背中を見つめ、見えなくなると優しい声で呟く。
「本当に、ずっと、ずっと待っていたから――」
誰にも聞こえない言葉は、勝手に閉まる扉の音で掻き消されてしまった。
占い師は――静かに笑う。
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