三日月亭の酒場

メルアが目覚めた時、既に陽は昇っていた。


 毛布から飛び起き、辺りを確認するとクロムが不思議そうにこちらを見つめていた。


「おはよう、メルア。よく眠れたかい?」

「く、クロム……まさか、貴方一睡もしていないんじゃ――」

「うん? そうだが……」

「……………」


 彼の返事にメルアは力なく項垂れた。

 彼女の考えでは、流石にクロムも眠くなり、交代してくれ――そう言ってくれると思っていたが、蓋を開ければまさかの徹夜である。


 これではただただ遠慮なく寝てしまった自分が冷たい人間のようだ。


「なんで交代してくれなかったの!?」

「とても気持ちよさそうに寝ていたからね。寝言もちらほら聞こえた」

「うそ!?」

「嘘だよ。ほら、荷物をまとめて川へ行こう。顔を洗ったらさっそく出発だ」


 クロムはそそくさと毛布を丸め、メルアに渡す。両掌に乗せられた毛布を見つめ、頬を膨らまし「納得いかない」と小さく呟いた。


 さて――時間は進み、二人は森を進んだ。


 メルアはあらかじめ買っていた地図を広げ、クロムと肩を並べる。

 地図に穴が開くほど見つめ、時々太陽の位置を確認しながら前へと歩く。

 度々「うーん、うーん」と唸るメルア。クロムは気にもしていないのか魔物や賊の気配がないかだけ警戒している。


 この森は魔物も生息しており、商人や旅人が通ることが全くないので道の整備などはされておらず、二人は石ころを蹴飛ばしたり、木の根に躓きそうになったりと(メルアだけ)足元に注意しなければならない場面が多々あった。


 メルアはため息をその度について、横着せずに、整備された道を進めばよかったと悔やんだ。となるとクロムとも出会えなかったので、それはそれで彼女は悩む。


 そもそもメルアがこの森へ足を踏み入れた理由は近道をしようと考えたからだ。

 目的の街へ向かうのに、この森をぐるっと迂回して進まなければたどり着くことが出来ない。もちろん道の途中で魔物や賊と遭遇することもほとんどない。安全な道を始めは歩いていたのだ。


 だが、村から町まで歩いて十日ほどかかる計算だった。


 まだまだ成りたて冒険者のメルアは森の危険も考えずに、時間の事ばかり考えて、真っすぐ進むことを決めたらしいのだ――。


 結果として黒狼に追われることになるが、クロムとこうして旅をすることになり、彼女なりにプラスになったと思っているようだ。


「どうだ、メルア? 森を抜けられそうか?」

「ちょっと待って。地図によるともうすぐ出るはずなんだけど――あ!」


 メルアは突然叫ぶと、前へ向かって走り出した。

 クロムはその先を遠目で確認すると、木々が途中からぱたりとなくなっている場所がある。どうやら開けている所らしい。


メルアはそのまま木々を避け、開けた場所へ飛び出し足を止める。

数秒遅れてクロムがメルアの隣へ立つと――景色が一変する。

 木々は無くなり、代わりに草原が視界いっぱいに広がった。

 足元には大昔に整備された土がむき出しになった道がある。

何より、目を引くのは巨大な壁だ。石で作られた壁はぐるっと円を描き、囲っている――そう、街を囲っているのだ。


「あれが私達の旅で最初に訪れる街――ウトガルズだよ」

「街……あの壁の中にあるのか?」

「うん」


 クロムの目には見たこともない物が映っている。彼は記憶をなくして、訪れた場所と言えば森か小さな村だった。あれほど大きな壁に囲まれた街は初めて見る。


「行こう! ウトガルズは商人と冒険者の街だから、情報もたくさんあるはず。クロムの記憶に関するヒントがあるかも!」

「あ、ちょっと――!」


 クロムの返事を待たず、メルアは手を引いて走りだした。

 足を一歩一歩踏み出すたびに壁は大きくなって近づいてくる。

 クロムは首を上へ向け、その大きさに開いた口が塞がらなかった。


――商人と冒険者の街、ウトガルズ。


 ヨツンベレイム国の南方に位置し、住んでいる住人の半分近くが冒険者という少し変わった町である。

 ウトガルズは隣接国から一番距離の近い大型都市で、冒険者が仕事のため隣国へ向かう際に拠点として訪れる。多くの冒険者達が街に腰を下ろしているのは、ヨツンベレイムでの依頼にも、隣国からの依頼にも対応できる理由が一番大きい。


 また、冒険者が多いからなのか眠らない街としてそれなりに有名である。

 毎日のように喧嘩が行われ、酒と金、喧嘩に負けた男たちが宙を舞う。

 他にも優秀な冒険者の出身地としても名高い街である。


 そんな街へ足を踏み入れた二人がまずやってきた場所――もちろん酒場である。

 二人は入り口の壁に『三日月亭』と書かれている。

 キラキラと目を輝かせるメルアとは違い、クロムは無表情で質問をした。


「どうして最初にここに?」

「情報が集まる場所と言ったら酒場ってのがお決まりなの。さ、中に入って聞き込みよ」


 酒場は冒険者たちにとって情報共有するのに大切な場所だ。依頼も受けることができ、大半二階が宿となっている。『三日月亭』も例外ではなく、二階が宿となっているようだ。


 そんな三日月亭にメルアを先頭にして中へ入る。

 ドアを開けた瞬間、アルコールの臭いと男たちの下品な笑い声、若い女性――給仕達が忙し気に走り回っている。


 酒場は大繁盛しているようで、昼間から酒を飲む男達、一生懸命に商談をする商人、他にも昼食を食べている住人や、本を開いて読書をする若者もいる。


 長テーブルが並べられ、カウンター席もあり、メルアの想像する『酒場』のイメージを投影したような場所だった。


 ひとまず空いている席――カウンター席に座り、店主と思われる女性がこちらへ近づいてきた。

 年齢は四十代ほどで、金髪がなんとも眩しい。給仕たちと同じ制服を着ているが、彼女だけ袖に黄色い三日月が刺繍されていた。


「いらっしゃい。見ない顔だね、お前さんたち」

「私達、さっきこの街へ来たばかりなんです」

「ほー、旅ね。最近の冒険者にしては珍しいわね。魔王が討伐されてからは一ヶ所に留まる輩が多いってのに」


 店主とメルアが会話をしている間、クロムは一言も話さない。

 そんな彼が気になるのか、店主がクロムへ話しかける。


「隣の兄ちゃんはどうして旅を?」

「…………探し物をしている」

「ほう。そりゃまた。ま、ゆっくりしていきな。酒と飯、ウチの店を選んだことを後悔はさせないよ」

「じゃあ私はミルクだけでいいや。クロムは何かいる?」

「いや……特に」

「ならお前さんはラム酒ね。椅子に座ったんだ。何か飲んでいきな」


 店主はそう言ってメルアにミルクと、クロムにラム酒の入ったコップを目の前へ出した。メルアはニコニコしながらミルクを飲み、クロムも口をつける程度にラム酒を飲んだ。


「それでぇ? 探し物ってのはお宝かい?」

「いいえ。実は彼、記憶がないんです」


 それを聞いて店主がクロムを目る目が変わる。初めは無表情でよくわからない奴だと決めつけていただ、少し同情するような声で「そうだったのね」と言った。


「俺自身に関する情報が欲しい。手元にあるのはこの直剣と、ネックレスだけだ」


 クロムは背中の直剣を指さした後、首にかかっていたネックレスを見せる。

 店主は首を傾げ、申し訳なさそうに口を開いた。


「うーん、私はこの街に四十年以上いるが、お前さんの顔は見たことがないねえ」

「そうか……。いや、この街の出身じゃないってことが分かっただけでもありがたい」


 クロムは店主に軽く頭を下げる。


「力に慣れなくて申し訳ないね。あ、でも――」


 店主は思い出したかのように、二階へ通じる階段を指さし、言葉を続ける。


「実は有名な占い師さんがウチに泊まっているのよ。なんでも未来が見えるらしいわ。お客さんが来たら案内してくれって言われているんだけど……試しに占ってもらう?」


 クロムとメルアは顔を合わせた。クロムは占いというものをあまりよく分かっていない。記憶の欠陥からなのか、まず信用できるとは考えていないようだ。


 メルアは自分の知識で『占い師』はとある魔法を使って未来を見ることができる――そういう人がいることを知っていた。つまり、占いがクロムの記憶に繋がる可能性は十分にある。


「どうする?」

「そういう魔法があるっていうのは聞いたことあるし……まあ、行ってみるだけ無駄じゃないと思うわ」

「分かった――なら、さっそく行ってみよう」


 クロムが立ち上がり、メルアも続こうとすると店主に止められる。


「あ、ごめんなさい。占い師さんにお客さんは一人ずつって頼まれているの……」

「そうですか……。仕方ないね。私、待っているから行っておいでよ」

「一人で大丈夫か?」

「うん。それに酒場の雰囲気に浸っていたい気分なんだ」


 メルアは酒場を見回してにっこり笑う。


「分かった。くれぐれも気を付けるんだぞ。店主、この子を見守ってくれ」

「あいよ。それじゃ、部屋は二階の一番奥だよ」

「ああ、ありがとう」


 クロムは立ち去る際にもう一度メルアを見た。視線が合うと、メルアは手を振って「いってらっしゃい」と優しく呟く。


 階段を上ったクロムの背中が見えなくなると店主はニンマリと笑った。


「あんた達、歳の差カップルかい?」

「え? い、いえ! 違いますよ! クロムとは昨日あったばかりですし」

「昨日? ずいぶんと仲がいいから長い付き合いと思ったけど、そりゃまた」


 店主は嬉しそうに笑い続け、メルアのコップにお代わりのミルクを注ぐ。


「まあ、ゆっくりしていきな。お嬢ちゃん、可愛らしいからサービスするよ」

「ふふ、ありがとうございます」


 ミルクに口をつけ、しばらくクロムの帰りを待った。

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