野宿

二人はそれからしばらく森を進み、メルアの予想では明日の昼には森を抜け、町に到達できるだろうと考えた。


 日も暮れ二人はこの森での、最後の野宿をすることにした。

 森には小枝が大量に落ちており、メルアは炎系の魔法が扱える。焚火をするのに苦労はしなかった。

 焚火を二人で向かい合うように囲み、メルアのリュックから鍋と木で作られたお椀。あとは料理に使う材料と水の入ったビンが取り出される。


 材料は小さな肉のブロックと、様々な調味料が入った小さな袋だ。

 メルアは手慣れた手つきで料理を始める。肉のブロックをナイフで切りながら鍋に放り込み、水と調味料などをぶち込んで木製のスプーンでかき混ぜる。


「いい匂いだ」

「でしょう? 私、料理には自信があるの。まあ、材料が少なくてこれが精いっぱいなんだけどね。町ついたら食料を買いましょう」


 そう言って、メルアは味見をする。少々薄味だが、贅沢は言えない。


「まあまあかな」


 お椀に注ぎ、スプーンと一緒にクロムへ渡す。

 彼は「ありがとう」と感謝の言葉を示し(相変わらず無表情なのだが)、メルアに頭を軽く下げる。

 メルアも自分のお椀にスープを注ぎ、膝の上に乗せて、両手を合わせた。


「じゃ、食べようか」

「ああ」


 二人同時に温かいスープを喉に通す。薄味ながらも、疲れた体を十分に癒してくれる。

 よっぽどお腹が空いていたのか、クロムはあっと言う間にお椀の中身を平らげ、今まで見せなかった微笑みをメルアの前で晒した。


「…………おいしい」

「クロム、笑ってる?」

「え? 俺が?」


 今度は少し驚いたような顔になり、ペタペタと自分の顔を触りだす。

 そうしている間にも、何時もの無表情に戻ってしまったが、メルアは目を輝かせて体に力がこもった。


「クロム、絶対笑っていた方がいいよ。無表情だと疲れない?」

「……どうだろう。わからな。笑い方も忘れていたかもしれないけど……」


 クロムは空になったお椀を見つめ、ぽつりと呟く。


「こんなに上手い食べ物は、初めてかもしれない。だから、笑えた……のか?」


 メルアは心が震えた。彼にとって何気ない一言だったかもしれない。だが、自分の料理ともいえない料理で、彼が笑顔になってくれたことが心から嬉しかった。


「まだまだおかわり、たくさんあるから食べて。私も体力付けないと、クロムの足を引っ張らないようにたくさん食べなきゃ」

「………そうだな」


 二人は鍋の中身が空っぽになるまでしばし談笑をしながら、食事を続けた。

 それほど時間はかからず、片付けもメルアがささっと終わらせた。

 この後どうするかとメルアがクロムに質問する。


「メルア、君はもう寝た方がいい。俺が見張りをするよ」

「一応、魔物除けを周囲の木に貼っているから大丈夫だと思うけど」

「魔物は大丈夫でも、山賊や盗賊には無意味さ」

「た、確かに……」


 冒険者になって六日間。野宿を毎日やってきたが、魔物の脅威だけを考え、賊のことをすっかり考えていなかったメルアは、今まで襲われなかったことに奇跡を感じる。

 本当に運が良かっただけで、もしかしたら大変なことになっていたかもしれないと想像すると血の気が引く。


「俺はそんなに疲れていないから、大丈夫」

「でも――いえ、分かった。お言葉に甘えて、寝かせてもらうわね。眠たくなったら交代しましょう」

「ああ」

「じゃ、これをクロムに」


 メルアはリュックから毛布を取り出す。特に刺繍もされていないシンプルなものだった。同じものを二枚とりだし、一枚は自分へ。もう一枚をクロムへメルアは渡す。


「君のリュックからは何でも出てくるな」

「何でも……じゃないけどね。村を出るとき、皆が色々用意してくれたから」


 メルアはそう言いながら、毛布を羽織る。そのまま立ち上がってクロムの横に座った。


「……クロムの隣で寝ていい」

「構わないが……怖いのか?」

「ちょっとね。今日の事がまだ頭から離れなくて」


 メルアは両手に毛布の端を持ち、ぎゅっと力をこめた。クロムは横目でそれを確認すると、足元に落ちていた小枝を焚火の中へ放り込む。


「俺は、色々忘れているから怖いとか、そういう感情もイマイチだ。だから、メルアの気持ちは俺もよくわからないけど、俺が君の傍にいることで力になれるなら、遠慮はいらないよ」

「本当?」

「ああ」


 メルアは優しく微笑んで「ありがとう」と呟き、体を横にする。仰向けになるように寝ころぶと、クロムの顔がよく見えた。


「…………ねえ、記憶ってどの程度忘れているの? 例えばほら、この世界の歴史とか」

「歴史……。何一つ、分からない。そもそも何を知っているのかもわからないんだ」

「思い出だけじゃなくて、知識も忘れちゃったってこと?」

「多分。いや、覚えていることが曖昧すぎてそれも断言できない。なんだか体は覚えているのか、全部それに任せている――って感じだ」

「よく、分からないや」

「ああ、俺も分かってない」


 メルアはクロムを見上げながら、唐突に言葉を発した。


「じゃあ、私が毎日この世界の事、少しずつ教えるわ。知らなくてもいいかもしれないけど、知って損することはないと思うし」

「助かるよ」

「えへへへ。私、歴史大好きなんだ」


 メルアはくるっと体を回転させ、今度はうつ伏せにになる。そのまま腕を曲げて、上半身を少しだけ浮かばせ両手に顎を乗せる。


「じゃあ、さっそく今日からお勉強だね」

「今からか?」

「そんなに長い話はしないわ。ええっと、そうね。それじゃまず私達の世界――アースについてお話させてもらうね」


 メルアは態とらしく咳払いをすると、クロムに向かって自分の知識を披露し始めた。


 ――この世界は人々からアースと呼ばれている。


 その歴史は古く、数千年前には高度な文明を築いていたことがここ数年で判明した。


 人が動かす鉄の箱、暗闇を照らす数百万の光、頑丈な建物に、現在では考えられないほど発達した科学技術。このような文明を持ちながら――人々は一度滅びることとなる。


 それが――魔王降臨である。


 突如として現れた魔王と呼ばれる存在が文明を滅ぼし、人々を絶滅の危機へと追いやった。


 魔王に対し、人々は爆弾の雨を降らせ、世界を滅ぼす兵器すら使用した。


 結果は――人類の敗北である。


 生き残った僅かな人類は身を潜め、魔王が世界から出ていくことを待った。


 しかし、魔王は北の大地に城を作り、世界中に魔力を溢れさせたのだ。


 幾つかの生物が、その魔力によって魔物となり、世界は再び混乱に陥ることとなる。


 だが、人類も魔力によって新たな進化を遂げる。


 それが――魔法だ。


 魔法によって人類は力を手に入れ、とうとう魔王討伐さえ可能にしてしまった。


 それから数百年の時が流れ、アースの現在があるという事だ。


「この後、魔王が復活して、世界はまたまた混乱に包まれるのだけど、なんと一年前にとうとう勇者様によって討伐されたの!」

「勇者?」

「うん。『赤の勇者』って呼ばれている人なんだけど、女性なのにものすごく強いの。女性冒険者の憧れの的だわ」

「へえ…………」

「結構、旧文明の名残って残っているの。例えば下水道とか、電気も魔法によって再現できたし、私達の世界があるのもやっぱり旧文明があってこそなの。どう、少しは分かった?」

「あ、ああ。分かりやすかったよ。ありがとう」


 体を伸ばして、クロムに追うメルアの瞳はキラキラと輝いて今日一番の笑顔を見せている。クロムは思わず腰が引けて、顔が引きつりそうになったが、なんとか無表情を貫き通す。

 実際、メルアのいう通り、旧文明の技術を魔法で応用していることが多い。

 ガラスでさえも、旧文明の知識が残ってなければ製造は難しかっただろうとされている。


 そこでふと、クロムは気になることがあった。


「なあメルア。そもそも知識ってどうやって残っていたんだ?」

「いい質問。それはもちろん、『本』よ」


 メルアは薄い胸を張って、自慢げに言った。


「旧文明の人たちは電子による記録もしていたみたいだけど、それは魔力によって全部なくたってしまったわ。残ったのは形ある本だけ。その本も大量に焼けてしまったみたいだけど、それでも世界中に貴重な本がたくさん残っていたらしいわ」

「……でんし? あ、いや、それ以外は分かったよ。なんとなく」


 クロムは記憶があったころの自分でさ、そのことは流石に知らないだろうと勝手に結論付けた。自分の身なりを見て、博学な人間だったとは思えないからだった。


 どう見ても筋肉のつき方や、そもそも剣を握っていた時点で学者ではないだろうと予想がつく。

 そうこう話している間に、メルアが大きなあくびをした。


 話疲れたのか、両方の瞼はすぐにでも閉じてしまいそうだ。


「眠いたいんだろ? 遠慮せずに寝ていいよ」

「ごめん……うん、ありがとうね、クロム。それじゃ、おやすみ」

「うん、お休み」


 メルアにとって数日ぶりの、クロムに至っては記憶を失ってから初めての挨拶を交わし、夜は更けていく。


 クロムは寝静まったメルアの顔を見ながら、焚火に小枝を注ぐ。

 天に昇っていく煙は、星空には届かず、すぐに拡散してしまっている。

 触ることもできず、ただただ消えて行く煙を見て、クロムはまるで記憶のようだと――小さな声で呟いたのだった。

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