殺戮の魔獣と死にたがりの少女

湖城マコト

洞窟に通う少女

「調子はどう?」

「……大して変わらぬ」


 薄汚れた布の服を纏った村娘――クレアが村の東の森林内にある洞窟に向けて優しく問い掛けると、野太い声で返答が返って来た。


「少ないけど、果物とパンを持って来たわ」

「俺に構うなと言っただろ。殺すぞ」

「それならそれでも構わないけど、まずは体力を戻さないと駄目よ。あなたには物足りないと思うけど、何も食べないよりはマシでしょう?」

「……変わった娘だ」


 観念したのだろうか? 野太い声の持ち主が、洞窟の中からその巨体を晒した。


「姿を見せてくれたのは久しぶりね」


 人語を話す高い知能に加え、魔術までも扱う巨大な狼の姿をした魔獣――ガルム。

 人肉を食し、各地で殺戮を繰り返す恐るべき魔獣を前にしても、クレアは笑顔を崩さない。


「ほら、早く食い物を寄越せ」

「素直でよろしい」


 クレアは持ち寄ったパンや果物を、ガルムが食べやすいように顔のそばへと広げていく。

 少女の昼食分程度しかない食料を、巨大なガルムは一口で平らげてしまった。


「全然足りないな」

「ごめんなさい。今はこれしかないの」

「気にするな。どうしても腹が減った時はお前を食う」

「あら怖い」


 どこまで本気か分からぬガルムの発言を、クレアは笑顔で受け流す。


「傷の具合はどう?」

「傷そのものは間もなく塞がる。そうなれば、こんな手狭な洞窟とはおさらばだ」


 一週間前。右足と腹部に大きな傷を負ったガルムがこの洞窟の前で倒れているのをクレアは発見した。

 ガルムは人を殺す恐るべき魔獣。本来ならば発見次第近くの軍施設に報告し討伐を依頼する必要があるが、傷ついたガルムを不憫に思ったクレアは彼に洞窟に身を潜めるように助言し、傷の治りが早まるようにと、毎日のように食料を差し入れた。

 魔獣であるガルムの治癒力は驚異的で、この一週間で傷はかなり回復してきている。


「……娘。お前の方こそ、日に日に傷が増えているぞ」

「気にしないで。ただ転んだだけだから」

「毎日転んでるとでもいうのか?」

「それは……」


 それまではずっと笑顔を貫いてきたクレアの表情が、この時ばかりは微かに曇った。


「洞窟暮らしは退屈だ。暇つぶしに、お前のことを聞かせてみろ」

「意外ね。私みたいな小娘のことを気にかけるなんて」

「暇つぶしだと言っただろ。いいから言え、早く言わないと食い殺すぞ」

「分かったわ。言う」


 覚悟を決めたように深く頷くと、クレアは徐に衣服を脱ぎだし、下着だけを身に着けた姿で一回転してみせた。


「やはり、転んだわけでないようだな」


 クレアの色白な肌には、数えきれないほどの傷が刻まれてた。まだ真新しく、薄らと血が滲んでいる傷も少なくない。


「村の人達がね。私のことを虐めるの」


 服を着直すと、クレアは静かに語り出した。

 

「私は、村の人達が忌み嫌う血筋の人間なの。両親を早くに亡くした私が生きる道は、村の人達の玩具に成り下がる他無かった」


 クレアは泣きながら笑みを浮かべていた。自らの運命を滑稽だと言わんばかりに。


「村の男達には性のはけ口として、村の女達にはストレス発散のための人形として、事情を知らない子供達だって、親の態度に習って、私に向けて意味も無く石を投げる始末よ」

「愚かなことだ」


 ガルム種は決して同族で争ったり、同族を差別するようなことは無い。そんな彼からしたら、人間はあまりにも低俗で愚かな生き物だ。


「食料を用意することも、決して楽ではないだろう?」

「そんなことはないよ」


 その言葉が嘘であると、ガルムは瞬時に見抜いた。クレアの置かれた状況を考えれば、僅かな食料を確保することさえ大変に違いない。


「何故、俺を助けるような真似をした?」


 あえて今までは触れてこなかった疑問を、ガルムは口にした。

 リスクを冒してまで自分を助けてくれた理由が分からない。


「傷の痛みは、人並み以上に分かってるつもりだから――」


 あまりにも堂々と言ってのけるため、ガルムは思わず面食らってしまった。


「――傷ついたあなたを見て、放っておけなかったの」

「おかしな娘だ」


 ガルムの声色は、心なしかいつもより柔らかい気がした。


「明日も食料を持ってくるから」

「無理はしなくていい」


 去り際のクレアに、ガルムはそう念押しした。




 さらに、一週間が経過した。


「大分調子は良さそうね」

「そういうお前は、あまり良くなさそうだ」


 ガルムの傷はほとんど塞がり、自在に駆け回れるまでに回復していたが、それとは対照的に、クレアは頭に血の滲んだ包帯を巻き、右足を引きずっていた。

 食料を手に入れるためにかなり無理をしたのだろう。彼女の身体はボロボロだ。


「無理をするなと言っただろうに」

「あなたが元気になるなら、それでいいわ」


 この時点でガルムはある察していた。クレアは自棄になっているのではとないかと。だからこそ彼女は、自らの身を顧みず、これ程までに献身的に支えてくれているのかもしれない。


「聞け、娘。俺は今日この洞窟を発つ。これだけ回復すればもう十分だ」

「そう、それは良かったわ」


 クレアはガルムの回復を心から祝っていた。自由を取り戻そうとしている魔獣に、決して自由にはなれない自分の思いを託しているのかもしれない。


「お前から食料を差し入れてもらったとはいえ、俺はまだ空腹だ。そこでだ、手近な村を襲って腹を満たそうと思うんだが、ここから一番近いのは、お前の村ということになるな」

「そうね」

「俺は一時間後に村を襲う。お前は村を離れていろ」

「私に対する礼のつもり?」

「受け取り方は自由だ」


 ガルムはあえて否定はしなかったし、クレアはこの提案に二つ返事で頷いてくれると思っていた。しかし、


「……私も村と運命を共にするわ」

「何故だ。お前はさんざん村人たちに痛めつけられてきたんだろ? 同情も義理立ても、必要ないはずだ」

「……村の人たちが無残に殺されるのは嬉しいけど、村から解放されたところで、私みたいな人間が幸せになれるはずがないもの。ここで死ねた方が、私は幸せ」

「……そこまで追い詰められていたのか」


 クレアの言葉を聞き、ガルムは考えが足りなかったのは自分の方であったことを悟った。

 彼女の心は、もはや救えるような段階を超えていたのだ。彼女はガルムを助け村を襲撃させることで、村人への復讐と自らの人生を終わらせるという自殺願望。その両方を叶えようとしていたのだ。

 クレアを説得出来るような言葉を、ガルムは持ち合わせてはいなかった。


「ねえ、一つだけお願いを聞いてもらってもいい?」

「何だ?」

「私を殺すのは最後にして。村の人たちが死んでいく様を、この目で見届けたいから」

「それがお前の願いなんだな?」

「そうよ」

「いいだろう。助けてもらった礼として、お前の願いを叶えてやる」

「ありがとう」


 クレアは今まで見せた中でも一番華やかな笑顔をガルムに見せた。




 殺戮は始まった。

 

「うわあああああああ――」


 農具を背負った中年の男性は、ガルムに頭から食い千切られた。

 クレアを何度も慰みものにした男だった。


「いやあああああ――」


 包丁で身を守ろうとした女性の頭は一瞬でガルムに潰された。

 ストレス発散と称して、何度もクレアを痛めつけた女だった。


「く、来るな――」


 近くにいたクレアを盾とした村長の首が、ガルムの操る風魔術の斬撃により飛んだ。ピンポイントで狙ったため。盾とされたクレアは無傷であった。


 血飛沫と悲鳴の入り混じる地獄絵図。人口70人程の小村が蹂躙されるのに、それ程時間はかからなかった。


 ガルムの襲撃から1時間。生きた人間の姿は、あと一人だけとなった。


「ありがとう。大きな狼さん」

「礼などいらぬ。俺はこれからお前を殺すのだからな」

「私、美味しいといいんだけど」


 顔にかかった村長の血を手で拭いながら、クレアは微笑んだ。これから死を迎えようとする者の表情とはとても思えない。


「見逃せと言えば、今からでも見逃してやるぞ?」


 ガルムの慈悲にクレアは首を横に振った。

 最後通告は終えた。ガルムはもう迷わない。


「さらばだ。娘よ――」




 翌日。村を訪れた行商人の一行は、世にもおぞましい光景を目の当たりにした。

 村はまさに地獄そのもの。人の形を保った者はほとんどおらず。血の海には男とも女とも判別がつかなくなったいくつもの肉片が沈んでいた。


 そんな中、村外れの花畑に、一人の少女の遺体が横たわっていた。

 凄惨な村の光景とは対照的にその少女は、花畑のベットに横たわったまま眠っているかのように、安らかな表情で亡くなっていたという。


 それは、魔術を使った最も苦しみの少ない、安らかな死であった。




 了

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殺戮の魔獣と死にたがりの少女 湖城マコト @makoto3

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