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「あそこにも、河があるんだね」
「そりゃあ、空には、星があるだろう? 星があれば、河ができるよ」
その天上の河は、ずうっと遠くにあるように思われました。でも、だからこそ、彼は精一杯手を伸ばしてみたのでした。届かないとは知っていても、求めずにはいられなかったのです。
ぐうんと、身体中の筋を伸ばしてみましたけれど、やっぱり届きませんでした。そうして彼は、なんだか自分がちっぽけな石ころみたいに思えてしまったので、今度は行儀よくきちんと座りました。
「僕は、何処へ行けばいいのかな」
「君の行きたいところへ、行けばいいよ」
「だけれど、何処へだって、行きたくないんだ」
「どうして?」
「何処へだって行けないんだ。誰も、連れて行ってくれないんだ」
彼はとうとう、頭を抱え込んで、蹲ってしまいました。小さな、滑らかな、まん丸になってしまいました。
「どうして? 何処へだっていけるじゃないか。君は随分可笑しなことばかり言うね」
猫が当然のようにそう言うので、彼はかっとなってしまいました。頭の中の水分が、全て沸騰してしまったかのようでした。その勢いのまま、彼が右手を思い切り前に突き出すと、それは猫の肩に当たりました。猫は、くるりと反転すると、背中から河の中へ落ちてゆきました。ぷくぷくと、星が何個か浮かんできて、そのうち、闇と光に紛れて、猫は見えなくなってしまいました。
彼は、傷つけることしか知らないのでした。また、傷ついてしまうのでした。だけれども、どうしていいのかわからないのでした。
彼は、声を上げて泣きました。わんわんと泣きました。誰かにその声を聞いてほしかったけれども、それは全部、周りの空間に吸収されてしまっているようで、響き渡ることはありませんでした。きっと誰も僕をお許しになってはくださらないだろう。だから、僕はじっと祈ることしかできないのだ。
「ほら、僕はもう、こんなところまで泳いだぞ」
不意にまた、声がやってきました。彼がその方角に目をやると、猫がひょっこりと河から顔を出して、泳いでおりました。何時の間にあんなに遠くに行ってしまったのだろう。それはずっとずっと遠くでしたので、わかるのは赤茶色の小さな点と、その声だけでした。
猫は流れるように鼻歌を歌いながら、どんどんと泳いでいきました。赤茶色の点は段々遠くになって、とうとう白色になってしまいました。
そうして彼は、猫が向かった更にむこう側に、青く燃える光を見つけたのです。それはたいへん悲しくて、たいへん辛い光でした。それでも、ゆらゆらと、燃えておりました。
彼は、船の縁から、傍らにある河を見つめました。河に入ってはいけないと学校でも言われましたし、お母さんにも言われておりました。だけれど彼は、どうしても河に入らなければならなかったのです。
彼は、船の縁に腰掛けました。船はふうふうと揺れましたが、静かにそこに居りました。彼はぐっと息を呑んでから、するりと星の中へ入り、とうとう頭まで入ってしまいました。
恐る恐る目を開けてみますと、そこには数え切れないほどの光がありました。きらきらと反射して、彼に光を見せてくれました。
上だと思われる場所を見てみました。しかし、そこには船はありませんでした。上に浮かんでみようと、手をかいてみました。しかし、どこまで行っても水面にはたどり着きませんでした。
彼は、闇に囲まれていたのでした。そして、星に包まれていたのでした。
全て同じ光だと思っていた星星は、よく見ると少しずつ違うようでした。色や、光や、温度や、動きが。今の彼には、その違いが分かります。何故先ほどまではわからなかったのかと、不思議になるくらいでした。
くるくると回っていると、先ほどみた青く燃える星が居りました。もう一度くるりと回って、また視界に入れてみました。そうして、身体を真っ直ぐそちらにすえました。
彼は、足を一生懸命に蹴りました。前に進んでいるのかもわかりませんが、それでも休むことなく蹴りだしました。
大きな穴があるかもしれません。しかし、彼はそれさえも怖くありませんでした。足を動かしていると、不思議とぐんぐん勇気が湧いてくるのでした。
青く燃える、ランプのような炎を目指して、彼は星渡りを始めたのでした。
猫は、その炎の近くで、ぴかぴかと口笛を吹いておりました。
星渡りの夜 蒼野あかり @ao-k
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