第9話 奥様は依頼主
「こんにちは、西川さん」
俺が入ってくるとその人は立ち上がって会釈をした。俺もつられて礼をする。
「お久しぶりですね」
「あぁ、牧原さんじゃないですか」
牧原さんは俺と同じマンションに住んでいる近所の奥様だ。凛の親友のお母さんということもあって俺も少なからず関わりを持ってはいる。
「それで、今日はどういったご用件で?」
すると彼女は浮かない表情を浮かべながら言う。
「その……娘を探して欲しいのです」
「そうですか、娘さん……ってあれ?遥ちゃん何かあったんですか?」
遥ちゃん、と言うのは凛の同級生の名前だ。それでいて牧原さんの娘。俺も多少喋ったことがあるが明るくてお転婆って感じの少女だった。
つまり、娘を探して欲しいと言うのは……
「家出、ですか」
「はい、恥ずかしながら……」
「いやいや、遥ちゃんも女の子ですからね!些細なことで家から出たくなったりするもんですよ」
慌ててフォローする。全く掠ってもいない気もするが。
「そんな!なんの前触れもなく家出なんてするわけないじゃないですか!けんかだってしてないのに……」
牧原さんが目に涙を溜めながら反論する。
あー、逆効果だったな……
それはともかく。
「す、すみません。軽率な発言でした。で、ですよ、遥ちゃんが行きそうな場所を聞かせてもらえないでしょうか」
「私も思い当たる場所は調べました……でもいないんです。なので西川さんのお力を借りようと思って来ました」
「そうですか、心中お察しします」
つまり、調べられる限りは調べた……
手がかりなしですか。
それから俺と須藤は彼女に遥ちゃんについてこいくつかの質問をした。電話番号とか、改めて行きそうな場所とか。
もちろん守秘義務を保証して。
こんなこと、本当は凛に聞けばわかるだろう。しかしこういうことは依頼者の口から聞いて初めて意味があるのだ。
「では、よろしくお願いします。どうか……見つけてくださいね」
「はい、お任せください。必ず見つけて見せましょう」
牧原さんは前金を置いて事務所から重い足取りで立ち去っていく。
「所長、動くんですか?」須藤が言う。
「まぁ、俺を呼び出してまで依頼して来たんだ……俺が動くのが筋だろうな」
まぁ誰がこの件を依頼してこようが俺が気づいて動くと思うが。
「そうですか、まぁ何かあったらお手伝いしますよ」
「おう、ありがとう」
須藤の気遣いに感謝しながら時計を見る。時刻は午後5時。まだ空は明るく日が暮れるまでには随分時間があるように見える。
この事務所の開業時間は午前9時から午後5時半まで。そろそろ閉業だ。
「よーしお前ら、帰る準備しろよー」
俺がみんなに声をかける。
するとデスクに向かって仕事中のシモは立ち上がり、相談室にいた須藤はスタスタと扉を開けオフィスに戻って来て、ダンベルで業務中に筋トレをしているバカはこちらに歩み寄ってくる。
「所長、まだ30分ありますけど?」
「もう30分なんだ。というか人と話すときくらいはダンベルを置け」
そう言われて初めてバカ……伊吹はダンベルを床に置く。
「いやーすまんね所長、癖でつい持って来ちまう」
「相変わらずアンタって筋肉バカね」
須藤が煽るような口調で伊吹に言う。
それを聞いて伊吹の顔色が変わる。
あーまた始まった。
「うるさいな!いいだろ別に!だいたいなんだよその足、まるでゴボウじゃねーか!お前こそちょっとは鍛えたらどうなんだよ!」
「何よ筋肉バカ!だいたい業務中にろくな仕事もせずになに筋トレしてんの?
そんなんだから財布スられるのよ!」
「あーもう!関係ないだろそれ!あと筋肉バカで悪いか!俺がバカならボディービルダーってなんだよ!気狂いかよ!ボディービルダーに謝れ!」
まーた始まった。今に話が脱線してくるぞ。
しかしまぁ、こんないつ終わるかわからない論争を見ているのは虚しいものだ。
いつも通りシモは笑いながらこのやり取りを見ているだけだし止めるのは俺だけだし。
「はいはい2人ともそろそろ……」
「「所長は黙って!!」」
そこだけは息ぴったり。あーなんだこれ。
こうして俺は、いつも通りの夫婦漫才を止められるわけもなく、閉業時間になってその言い合いが終わるまでじっと見守っていたのだった。
朝起きたら左腕が無くなっていたけど探偵として生きていこうと思う。 小見川 悠 @tunogami-has
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