幻想狩りの師弟

夕凪

幻想狩りの師弟

《幻想狩り》は普通の狩りとは違うようで、結局のところは同じだ。

 息を潜め、獲物を待つ。見つけてもすぐには手を出さない。ここぞというタイミングを待ち、それを逃さず一撃で仕留める。

 ジェイクが彼女を拾ったのも、そんな幻想狩りの中でだった。


 ある夏の朝。ジェイクはたちの悪いはぐれ魔狼が人里近くに出たと聞かされ、馴染みのギルドにそのまま魔狼狩りへと参加させられた。

 そろそろ引退を考えはじめる齢ではあるが、世話になっているギルドの要請とあっては断ることはできない。それに腐ってもベテランだ。細々と三十年近く幻想狩りをやってこられた腕はまだ十分に頼られるだけのものだった。

 そうして山狩に従事していた中で、ジェイクは宿を借りようとある山村に立ち寄った。

 地図にかろうじて記載はある程度の小さな山村。人口もさほど多くないはずのその村は、人という人の気配が失われていた。

 立ち込める瘴気に、魔狼の仕業だとジェイクには一目でわかった。瘴気を振りまき、獲物を弱らせてから片端から食べ尽くす。以前にもこうなった人間の集落をジェイクは見たことがあった。

 仇は討つ。死者への祈りと共にそう誓ったジェイクは、魔狼を追うべく、その痕跡を調べ始める。

 その矢先に見つけた、唯一の生存者。それがレナリアだった。


 魔狼の瘴気に耐えるだけの霊力を偶然に持ち合わせていたとはいえ、レナリアはまだ八歳の少女だった。その小さな心は、家族と隣人の全てを一度に喪った事実に耐えられるはずもなかった。

 茫然自失となっていた少女を引き取るアテはなく、第一発見者となったジェイクはなし崩し的にレナリアの面倒を見ることになった。

 抜け殻のようになった彼女を、ジェイクは幻想狩りに仕立てることに決めた。

 彼女は魔狼の瘴気に負けないだけの霊力を持っていたし、何よりジェイクがそれ以外の生き方を知らなかったからだ。


 たくさんの食事と、たっぷりの睡眠を得て、レナリアの目にはだんだんと生気が戻り始めた。

 幻想狩りとしての訓練も淡々とこなしていくうちに上達し、成功を重ねるうちに喜怒哀楽を見せるようにもなっていった。

 けれども、ひとつだけ解決できない問題があった。

 彼女は、獲物を撃てなかったのだ。


 トラウマからか、レナリアは幻想種全てに怯えるようになっていた。

 呪装銃の扱いはすっかり上達し、訓練場で的を狙えばベテランにも引けを取らないまでになっても、それでも彼女は幻想種を撃てなかった。

「ごめんなさい」

 役立たずで。足手まといで。そう口にしてはレナリアは謝罪を続けた。

 ともすれば、生きることそのもの、生存したことが罪悪であるかのように。

 その度にジェイクは黙って彼女の頭を撫でつけることしかできなかった。


 そんなある日。新たな魔狼が現れたとの報が届いた。

 厄介な敵の再来にギルドが騒然となる中、ジェイクはレナリアが一人姿を消していたことに気づいた。

 丁寧に片付けられた日用品と、数枚の服、そして「決着をつけてきます」という書き置きだけを残して。


 ジェイクが森の中で見つけた時、レナリアは魔狼とともに茂みに倒れていた。

 仰向けになったレナリアと、覆いかぶさるように左腕に食いついたまま絶命した魔狼。

 放心したようにも見えた彼女に声をかけると、

「やりました、ししょー……」

 傷から血を流しながら、しかしどこか清々しい笑顔で、彼女は笑った。


「どうしてこんな無茶をした」

 傷の手当をしながら、ジェイクが咎めるように問うと、彼女はあっけらかんと言ってのけた。

「試してみたかったんです」と。

 命の危機に晒されたとき。一番恐い相手を前に、撃てるかどうか。

 もしこれで撃てないような人間なら、そこまでの人生だから魔狼に食われて死んだほうがマシだ、と。

「でも撃てました」

 最初はやはり、怖くて、竦んで、動けずにいたけれど。

 首を狙って飛びついてきた魔狼を左腕で庇い、食いつかれて激痛が走った瞬間もうわけがわからなくなって。

 まるで死にかけた心を身体が強引に叩き起こしたように動いたのだと、レナリアはそう語った。

 それを証明するように、至近距離から放たれた霊威弾は魔狼の胴を撃ち抜き、呪刻短剣は深々とその急所へ突き立てられていた。

 レナリアの左腕の咬み傷の手当を済ませ、魔狼の死骸の処理を終えると、ジェイクは少女に静かに告げた。

「歯を食いしばれ」

 レナリアがその意味を理解し、肩を縮めて目を閉じたのを見て、ジェイクは彼女の左頬をはたいた。

「っ――」

 目を閉じ、黙ってその痛みに耐えた少女を、ジェイクは引き寄せて抱きしめた。

「二度とこんなことはするな。大バカ野郎が。――だが、よく生きて帰った」

「ごめ、な……う……うああ……」

 小さくしゃくりあげはじめた少女は、やがて大声をあげて泣き始めた。

 彼女が泣き止むまで、ジェイクは黙って彼女の背を撫で続けた。


 そして今、レナリアは呪装銃を手に、獲物を狙っていた。

 ベテランの幻想狩りでも、その一攫千金のチャンスを前に狙いがブレるという大物。黒天馬。

 羽を休める黒天馬を狙えるという機会を前に、しかし彼女はブレなかった。

 ただ、基本通りに構え、狙い、撃つ。

 一撃必殺の瞬間を、自身の目と腕と銃口が確信したその瞬間に、一度きりの引き金を引くだけ。

 簡単で、何より難しい瞬間。けれども、レナリアはもはや迷わずにそれを捕まえることができた。

 まるで何気なく放たれた一発きりの弾丸は、吸い込まれるように獲物へ飛翔し、わずかな誤差もなくその頭部を射抜く。

 そして倒した獲物を前に、彼女は振り向き言うのだ。

 あの日よりも、ずっと綺麗になった、曇りない笑顔で。


 ――やりました、師匠!

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幻想狩りの師弟 夕凪 @yu_nag

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