File.01-(2) 転校の朝

 一哉の朝は日の出とともに始まる_____

 鳥のさえずりを微かに聞きながら一哉は、朝5時30分に自然と目を覚ました。幼いころから施設で行われた訓練の影響で、訓練生を終えた今でも毎日この時間に目を覚ます習慣がついていた。それでも、今日は、いつもとは違う朝。任務の開始の日。

 一哉は、任務の開始の日は毎回決まって、願掛けのように精神統一をする。布団から起き上がってすぐに、窓を背にして床に正座して、へその前で掌を上にして右の掌と左の手の甲を合わせ、親指をつける。どこか手の形が栗型に見えるその形を作って、目を静かに閉じる。剣道だったかで、練習前に毎回やっていたが、なんとなく落ち着いて、集中できた。そのことから毎回任務開始の朝にするようになった。静かな呼吸が唯一部屋の空気を震わせる。その微かな呼吸とトクンッ……トクンッ……という静かな律動を感じながら集中すると、イメージする。任務の成功とそれに至る道筋。

耳鳴りのようなキーンという音のみが耳の中で反響するほどの静寂のなか窓を背にして座る姿は、仏像のようだ。

80分ほどたって、ようやく一哉は、目を開けた。

 いつの間にか日も昇り正座する一哉の影を床に投写していた。

朝日に照らされ続けた背中にジンワリと汗がにじみ、着ていたロングTシャツの背中を湿らせていた。

一哉は、Tシャツの裾を両手で持つと万歳するょうに裏返しながら一気に腕と首からTシャツを抜き取り、部屋の隅に置かれた洗濯籠に投げ入れた。その手慣れた動作は、任務用のウエットスーツを脱ぐ時のものだった。ピチピチなスーツを脱ぐにはこの方法しかなく最初は苦労した。そう考えると動作の1つ1つが幼いころの訓練で身に着けたものばかりだ。

 そんなことを考えつつ、ハンガーラックにかかっている真新しい制服と薄い水色のワイシャツをとった。履いているズボンを脱ぐとサッと制服のズボンに足を入れ、ベルトをキュッと占める。多少ダボッとするのはもはやしょうがない。学生服なんてこんなものだと思ってはいてみたが、それは予想に反して、一哉にぴったりのサイズで作られていた。ダボッとせず着心地がいい。あらかじめそういう風に作ってくれたのだろう。あの組織はそういうところは気が利く。

 ワイシャツを着て、赤いネクタイを締める。その上からブレザーに袖を通し。自分で見下ろしてみる。水色のワイシャツにものすごく目立つ赤いネクタイ。紺色のブレザーと左胸に輝く銀の校章。黒いズボン。自分で着ていて違和感がある。ブレザーの色が白とかじゃないだけましと考えるしかない。

制服がつるされていて隠れていた備え付けの姿見の前に移動して、もう一度その姿を確認した。

「コスプレにしか見えないな……」

自然とそんなセリフが零れた。

「でも、そのうち慣れるかな……さて、そろそろ朝食の時間だな。」

ぼやきつつも扉の上にある時計を見ると、針はちょうど7時を指すところだった。デジタルウォッチを腕に巻くと、支給された携帯電話とテーザー銃を懐に忍ばせる。あらかじめ準備しておいた学生鞄を持って部屋を後にした。 

 リビングに入ると、梓紗が、みそ汁がよそわれたであろうお椀をテーブルに運んでいた。

「おはよ、梓紗さん」

そう声をかけると梓紗は、持っていたお椀をテーブルに置くと、顔を上げて快活そうな笑顔を向けて、

「おはよう、一哉。んー……20点。」

一瞬何のことを言っているか理解に時間を使ったが間違いなく制服がどうかを言っているのだろう。一哉は、少しむっとした表情を浮かべつつ

「顔合わせて速攻、辛辣なこと言うな……自覚はあるけど……ちなみに内訳は?」

「まずは、んー……違和感がある−20点。それから無愛想−50点。あとは、笑顔がない−10点かな?」

笑顔でそう答えた。梓紗の適当さが滲み出る回答が返ってきたところで、軽く突っ込みを帰してみる。

「いや、それ無愛想−60点でしょ……」

「そうともいうわねーふふふふ」

はぁ、と短くため息をつくと一哉は、テーブルについた。

「それにしても、毎度の儀式……今日は、長かったわねーあんな長い時間正座してて疲れない?」

そんなことを言いながら純和風の朝食を一哉の前に並べていく。相変わらずの手際の良さだ。

「ま、昔は感覚がなくなるまで座らせられてあから、それに比べれば、全然ましだよ。それより、今回もサポートお願いします。」

「ま、オペレーターの仕事だし、弟の面倒を見るのは姉の務めだし。むしろ今では、息子のように思ってるくらい。だからその辺は気にしなくていいの。」

恥ずかしいことを臆面もなくいう梓紗は、一哉に微笑みかけた。

 幼いころに施設に捨てられた彼女は、親の顔を知らずに育った。それでも施設の不遇にあっても見捨てない大人たちのもとで優しさに触れ、大人になった彼女は、十分に幸せだろう。

 俺が初任務に就いたとき、彼女もちょうど初任務だった。今と同じ潜入調査だったために1年の共同生活を行い、10歳という歳の差のせいか姉弟のような関係になり、今梓紗は、俺を息子だというようになった。

 当時から見事な料理の腕はあのころより一層美味くなった。今も一哉の目の前に純和風の朝食が並べられている。一哉もそれなりに料理の腕はあるが、梓紗には到底及ばない。

 梓紗が一哉の正面の席に座るのを合図に朝食が始まった。

「いただきます。」

「はい、どうぞー」

野菜に手を伸ばしつつ、もう一人の家族の事を尋ねる。

「そういえば、政義さんは?もう出かけたの?」

「ええ、距離的には大差ないけど、道順覚えるためにも少し早めに出たみたい。起きたときにはもういなくて、テーブルにメモが置いてあったわー」

そういって、梓紗はメモ用紙をピラピラとこちらにかざした。よく見るとそこには、最寄り駅の名前と乗る路線名、乗り換える駅名と会社の最寄り駅が記入され最後に所要時間がかかれていた。

「これって、梓紗さんに向けたメモというより、電車の乗り換えのメモ何じゃ……」

慌てていたのか、いつもより早い時間に出たせいで寝ぼけていたのか、テーブルに前日に調べた路線のメモを忘れていく姿が容易に想像できた。

「そういわれてみれば、そうね……まぁ、大丈夫でしょう。昨日もちゃんと帰り着いてたわけだし……日本の詳細地図と方位磁石は持ってるから大丈夫よ」

明らかに不安になるフォローを入れて、冷や汗を浮かべながら梓紗は苦笑いを浮かべていた。

 政義は重度の方向音痴で、なおかつ機械音痴という現代に嫌われた男で、辛うじて、パソコンの使い方は覚えたが、そのほかの機械がうまく使えずに、携帯もメールと電話しか使っていない。日常生活をなんとか記憶力の良さでカバーしている面が大きい。

 

 リビングにテレビの朝のニュース番組が天気予報を説明するキャスターの声だけが響いている。

『中国地方から北海道まで高気圧に覆われ、概ね晴れるでしょう。四国や九州、沖縄は前線や湿った空気の影響で雲が多く、所々で雨が降る見込みです。最高気温は平年並みか高い所が多く、過ごしやすい陽気となるでしょう。続いて週間予報______』

天気予報に耳を傾けていた梓紗が一哉に笑いかけ

「転校初日に雨とか降らなくてよかったじゃない。幸先のいいスタートができそうね」

「そうだな……雨も嫌いじゃないけど、こういう時は晴れててくれた方がいい。」

そう、あいずちを返した。

 確かに、雨の日に転校してきたやつはなんだか、暗くて内気な奴に見えてしまいがちだ。それに雨を連れてきたなどと非科学的な言いがかりをつけられるのも面倒だ。ならばこういう第一印象を問われる日は、晴れて影る方がなんとなく好印象に見えるからその方がいいに決まっている。人間そういうところは単純だ。さらに転入生という興味をそそられる単語に弱く少なからず、どんな奴が来るのか期待してしまうのが思春期ってものだ。そんな事を考えながら食べていたらいつの間にか、食器は空になっていた。

 「ごちそうさま」というと一哉は食器をながしにおくために立ち上がった。

 少し考え事をしていたからか眉間にしわが寄っており、梓紗がそれを見て吹き出すように笑っていた。

一哉は、台所まで食器を運びながら梓紗に声をかけた。

「そろそろ行くよ。今日のところは登校時のターゲットのモニタリングをお願いします。梓紗さん」

「転校初日に玄関前で会っちゃったらサプライズ感が薄れちゃうもんねーわかったわ。任せなさい」

そういうと、梓紗は力こぶを見せるようなガッツポーズをして見せた。

だいぶ古く感じるリアクションを得た気がしてならないが、一哉はそれを受け流すと、食器を流しに置き、椅子に置いていた学生鞄を持つと

「いってきます。」

と言ってリビングの扉を開けたところで、後ろから

「昨日の失敗を挽回してらっしゃい」

と梓紗の声が飛んできた。一哉は、思わず「うっ……」といううめき声をあげつつ、俺のせいじゃない……と内心ぼやきながら部屋を後にした。

玄関に行くと靴箱から真新しく黒光りしているローファーを取り出すと足を入れ、扉の取っ手を捻ると軽く押し開き、僅かな隙間を作り人の気配を探る。

昨日みたいに予想外をされると面倒だし、マンションを出るまでは、細心の注意を払おう……

静まり返った廊下に人の気配はない。それを確認すると一哉は、扉を開けて外に出た。


無事にマンションの前に出ると、昇った朝日が晴天から眩いまでに差し込み、眼を反らすように腕時計に目を落とす。時刻は7:40。学校まで、徒歩で約20分の道のり。マンションのエントランスの前に立つと昨晩は暗く、ほとんど見ることのできなかった桜並木の薄紅色が目に映る。国道に沿うように植えられた桜の木々は、花びらを7割ほど散らし、一部は葉桜となっているが、寄り集まっているためか、儚くも鮮やかに写った。国道の歩道に足を踏み出すとちょうどスーツを着た会社員の出勤時間とかち合った様で、多くの会社員が一哉と同じく道に沿って南東方向に向かってせかせかと歩いている。このあたりの最寄り駅は、山澄学園駅で、多くの人が通勤や通学に使う。マンションから逆方向に3km程行けば山澄駅、山澄市の中心部にあり市役所などの主要施設が置かれている。山澄駅の南側は遊べる場所の豊富な市街地で、いつでも人でにぎわっている。打って変わって北側は言わずと知れた高級住宅地ということもあり、静かで穏やかな時間が流れている。その奥の山には由緒正しい神社があるらしく毎年盛大に祭りがおこなわれているらしい。

 そうこうしているうちに、昨日、優陽に手を引かれ、やってきたスーパー サハルを通り過ぎ、わずかに吹いてくる風に潮の香りが混ざり始める。

 あと900m程歩くと、海岸線に出るだけあって国道を進むごとにその香りを強めた。15分ほど歩いたころには、海と桜の季節感の不揃いな風景が見え始めた。

 国道の桜並木に別れを告げて、海岸線に出たところで、一気に視界が開ける。水面がキラキラと輝き、水平線にポツリと小島が浮かぶ。しばし見ていると、遠くにわずかに灯台のようなものが確認できた。

そこから東に少し行ったところで、道路標識を見上げると、左の方向を指し←山澄学園駅0.5km、上(正面)を指し↑山澄学園正門0.6km、澄川橋1kmという文字が目に入る。正面を見ると海岸線に面して200mほどのところから赤色の塀のようなもんが見える。しかし、その終わりは見えない。

 2分ほど歩いたところで山澄学園の敷地の端に到着した。時計に目を向けると時刻は8時を回ったところだった。ボチボチ生徒が登校をして来る時間のはずだが、その姿は見えない。かわりに立派な校舎の上の方が見えた。この学園の広大な敷地は、大学と見紛うほどで外周は約2.5km、その中に教室棟と特別棟、図書館、屋内水泳場、専用トラック、体育館が1から3までと、野球場があり。そこを3m程の微かに生えた苔とツタがいい味を出している赤レンガの塀と木々でぐるりと一周囲っている。

 塀に沿ってまっすぐ歩くこと数分ようやく正門にたどり着いた。いかにもお金持ちと言わんばかりの仰々しい赤煉瓦柱四本に白い鉄格子という西洋風の門が開かれその奥には、顔認証カメラと警備員詰所があり、レンガ張りの道と噴水のさらに奥に豪華な校舎が見えた。一瞬、気おされながらも意を決して敷地内に足を踏み入れるた。

 と、さっそく警備員詰所から警備員が2人程出てきて、駆け寄ってきた。

 少々こわもてで体格のいい警備服を着た男が一瞬、怪しむような目を向けたが、話しかけるときには、それをしっかりと隠し、野太い声をかけてきた。

「そこの君、入学時に認証とかって、やってないかな?」

「いえ、今日が転入初日なもので。」

それに対して一哉は、愛想笑いを浮かべながら返した。すると、もう一人のひょろ長い眼鏡をかけた男が納得したような表情を見せ。

「なるほどそれで、引っかかったわけか……一応、学生証の提示をお願いしてもいいかな?」

「ええ、もちろん。」

一哉はそういうと左胸のポケットにしまわれていた赤色の革手帳のようなそれを眼鏡の警備員に手渡した。

 それにさっと目を通すと、警備員は携帯電話を取り出し、1の番号をプッシュすると耳に当てた。おそらく学校の内線のようなものに電話をしたのだろう。

「こちら警備の田代……間宮先生につないでいただいてよろしいですか?」

数秒の沈黙の後田代と名乗る眼鏡の警備員が電話に向かって話し始める。

「あ、間宮先生ですか?警備の田代です。今、正門に今日先生のクラスに転入する……篠田一哉……という生徒がおりまして……間違いないでしょうか……はい、はい……じゃ、職員室まで……はい。それでは失礼します。」

ピッという音がして田代を見ると、ふぅーと短い息を吐き、緊張が解かれたような微笑を浮かべた。

「はぁー……よかったよ。コスプレした不法侵入者じゃなくて……一安心一安心。」

いきなりの気の抜き用に一哉は一瞬唖然とする。が横に立つガタイの良い警備員に眼鏡の警備員がどつかれる。

「いきなり、失礼だぞ……」

「あ……これは失礼しました。それでは、参りますか……」

といって、唐突に歩き始めた。行くといえば、さっき職員室に連れていく的な会話をしていたはずだ。そのことに至り一瞬反応が遅れながらも一哉は田代のあとに続いた。ガタイの良い警備員は、2人を見送ると詰所に戻っていった。


 職員受付から土足のまま中に入ると、警備員と一緒ということもあり、まばらにいる生徒から注目されつつも何食わぬ顔で縦にも横にも広々とした廊下を歩く。写真で見るよりも広く綺麗な校舎に圧倒されそうになるが、高そうな絵画などが廊下に飾られていないだけましだろう。あとは、シャンデリアなどが飾られていないのは地震対策なのだろう。見かけ的には飾られていてもおかしくないほどに豪勢だ。


 エントランスホールから遠ざかり人の通りが少ないのか、沈黙の中に二人の足音がわずかに聞こえる。

 不意に前を歩く田代が背中越しに質問をしてきた。

「あまり驚いていないみたいだね。話によれば君も特待生だから経済的問題があるんじゃないのかい?あ……すまない、口が過ぎたね。」

しかし、そう聞いてきた田代は、失言だったと気付き、帽子の縁をつまんで顔を隠すように俯いてしまった。それに対して一哉は

「あ……いえ。まぁ……そうですね……少し驚きましたよ。でも、外観で覚悟はできてましたから」

と、できる限り毅然とした振る舞いを返す。

「ま、しばらくなれないとは思うけど、頑張りなさいな。ほら、ついたよ。職員室」

そういうと、田代は踵を返し元来た方へ去っていった。

一人取り残された一哉の目の前の扉にはStaff roomと書かれたボードが取り付けてある。まさか、全部英語で書いてあったりするのだろうか……と内心ぼやきながらも2回ノックをして「しつれいします。」と短く言うと足を踏み入れた。

 

 入ってすぐに、ざわざわという話声が聞こえ、それに混ざってキーボードやパソコンのフォンの回る音がかすかに聞こえる。職員室全体を見回してみると、校舎の印象とは打って変わって、質素でどこにでもある職員室とった印象だ。横長の部屋の手前、正面に副校長や主任教諭の机その裏に校長室へとつながるであろう扉が一枚。他は給食時の机のようにつけられた教員用デスクが6つづつ縦に並んでいる。

 部屋を観察していると、生徒が入ってきたことに気が付いた短髪の女性教員から一哉は声をかけられた。

「君、見ない顔だけど……こんな時間にどうしたんだい?もうすぐホームルームが始まるよ?」

口調がどこか男勝りでサバサバした印象を受けるその女性教員は、健康的な体躯の女性で、白い運動着に紺色のジャージを羽織っている。見たところ体育教師という感じだ。もしくは朝練をしていた部活の顧問といったところか、どちらにしろちょうどいいので訪ねておこう。

「今日転校してきたんですが……ま、まみや先生?はどちらに……____」

いらっしゃいますか?と言い切る前に、横から声がかけられた。

「君が、篠田一哉くんかな?」

「あ、はい」

その声に返事をしながら視線をそちらに向ける。

「げっ……香さん___」

自然と漏れ出した。目の前には、スーツに長い黒髪の女性が立っていた。前髪は目にかからない程度に下し、後ろ髪を首の裏あたりで結った大人らしい上方に、左目の泣きボクロが大人の魅力を引き立てている。

「雫先生、お手数おかけしました。彼は私が預かっていきます」

先まで話していた雫先生と呼ばれたジャージの先生が目をパチパチさせながら首をかしげる。

「え……香先生、転校生くんと知合いですか?」

「あ……まぁ、そうですね。ちょっとした知り合いですよ。」

そんな意味深な言葉とウィンクを返すと、一哉の首をわきで固めながら引きずっていった。その際小さく「任務の障害を増やしたいの?S.13。あと、ここでは間宮先生って呼びなさい。」と耳打ちされた。

ズルズルと引きずられるように、香のデスク。入口から2列目の奥、窓際の中央までやってきた。香は「お騒がせしてまーす」とペコペコしながら。

「じゃ、そこ座って」

香は自分の椅子を壁につけると、一哉は促されるまま椅子に座る。そして、疑問を口にする。

「あ、はい……で、なんでカメラなんて構えてるんですか?」

その疑問の通り、香の手にはカメラが握られていた。

「ん?顔認証用の写真撮らないと校門通るたびに止められて、そのたびに一哉くんの担任である私に連絡が来ちゃうの。だから……忘れないうちに撮って終わらせる。あ……ほら___背筋伸ばす」

まぁ、そういうことならと思いながら一哉は一度ピシッと襟を正すと椅子にしっかりと座りなおす。

「よし、はい、チーズ____ま、これでいいでしょ……」

「ずいぶん適当ですね……」

「これで、ちゃんと認識するようになってるんだからいいの。文明の利器はめんどくさがりに利用されるために進化し続けるのよー。ほら、そろそろ教室行きましょ」

 間違っているようないないような、屁理屈を言うと、香はせかすように一哉を連れて職員室を出た。職員室を出るとちょうど妙に重厚的な鐘の音が鳴り響いた。ダラァァアダラァァアン。周囲の空気を大きく振動させて音が重なってやがて止まった後にも余韻のように耳に残る音が、学校内の厳粛な雰囲気を一層引き締めたように感じられた。

 あまりに呆気にとられたせいで、一哉は立ち止まりそれに気が付いた香も同じように立ち止まった。

「って……なぜに教会の鐘……ここキリスト系の学校じゃないですよね……?」

「んー?違うねー。これは……まぁ学長の趣味ね。新婚旅行でドイツのどこだったかな……フォイ……アーゼー?とかなんとかってところの鐘の音があまりに美しかったとかで、屋上に作っちゃったのよね……無駄なところにお金使いやがって」

最後の方ぼそりと何かを吐き捨てて、歩き始めた。


 先ほどのあれが予冷だったのか、廊下は職員室前同様に静かで、教室内のかすかな騒めきが僅かに聞こえる。廊下をスタスタと歩く香について歩くつくり自体は、職員室前と何ら変わりはない。むしろ違いがなさ過ぎて、ループしているような錯覚に襲われる。見つけられる違いは各教室の扉の上に取り付けられたクラスプレートくらいではあるが、唯一廊下がループしていない証明となっていた。

 そして、ある教室の扉の前で香が立ち止まった。見上げると扉の上にかかっているプレートには2-Dと書かれている。時計にちらりと目を落とすと8:29本鈴の直前だった。他の教室に比べこの教室は、妙にざわめきが大きい。騒いでいるというよりは、浮足立っているようなそんな雰囲気が伝わってくる。耳を澄ますとわずかに、転校生やらどんな奴やらそんな単語が耳に入る。香は一哉の方に首だけで振り向くと

「お前はここで待って、合図したら入ってきなー」

香はそう言った直後、先ほどと同じダラァァアダラァァアンという鐘の音が空気を震わせる。それを合図に開き戸タイプの木製の扉を押し開け、教室に足を踏み入れた。一瞬その隙間から見えた教室内では、香を見た生徒たちが慌ててワタワタと自分の席に着くところだった。そして、一哉の目の前で扉はゆっくりと閉じられた。

数秒の間の後、微かに香りの声が聞こえ始めた。

「お__う。今日_____るみたいですね。すこ_わだ_にも____っていて___と思い__……は、せんせ___ではなく____を紹介____すね」

(おはよう。今日も、全員いるみたいですね。少し話題にも上がっていて知っていると思います。今日は先生の話ではなく転校生を紹介させていただきますね)

微かに聞こえる声からつなぎ合わせた香さんの言葉はこんなところか、流石に香さんでも生徒の前では丁寧口調のようだ。面倒くさそうで無頓着な普段の態度でないことに少し安堵する。真面目に仕事しているらしい。

 そう考えているうちにトントンという内側から扉を軽くノックする音が聞こえドアノブに手をかける前に扉が開かれた。

 教室内の視線が集まっているのを感じる。少し筋肉が硬直するような感覚が体に走る。しかし、それも一瞬で、堂々とでき得る限り自然な動きで黒板の前、教壇に立つと、チョークを手に取り、丁寧に“篠田 一哉”と黒板に書くとゆっくりと振り向いた。教室全体にざっと目を走らせる。机の数は6列×6、7個それは、窓側から3列目の一番後ろと窓際の一番後ろの2席以外、すべて埋まっている。教室の真ん中あたりに、デカい図体の見知った男子生徒を見つける。男子生徒は一哉にニシッっと笑いかけているが流す。昨日あいさつを交わしたターゲット天宮優陽は、空席に挟まれた窓側から2列目の最後尾。空席のどちらに座っても彼女の隣になる。

 それにしても教室も40人いるとは思えないほどゆとりがある。そんなかんがえで少しの緊張を紛らわすと、一哉は小さく息を吐きだし話し始めた。

「篠田一哉です。両親の都合で転校してきました。中途半端な時期からでは在りますが、これから1年よろしくお願いします。」

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優しい嘘の恋文 絢音 史紀 @Shiki0622

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