File.01 転校

File.01-(1) 御挨拶

 2016年4月24日 日曜日 P.M.6:30 

 予定通りに引越し作業を終え、組み立てたベットに腰をかける。社員寮の自室の再現をしたように同じ配置の少し傷の目立つ古い家具とリフォームしたてで汚れのない壁紙がどこかミスマッチな部屋は、どこか物悲しい。

 扉の上にある壁掛け時計がゆったりと時を刻んでいる。その流れで視線を漂わせる。時計の下、窓を除けば唯一の出入り口であり、今は半開きとなっている扉には、今年のカレンダーが4月のページを前にしてかけられている。扉の正面、窓際の左の壁に窓と被らないようにした結果、壁と向き合うように置かれたダークブラウンのデスクと白黒の椅子。机に連なるように置かれたチェストの2つが備え付けられた木製のベット。右側の壁の扉が当たらない位置に高さ180cmほどの高さの本棚が地震対策を施し設置され、文庫本や参考書、様々な資料がぎっしりと収まっていた。その隣には、ハンガーフック真新しい制服がかけられていた。紺色の襟に白いラインが入ったブレザータイプ。左の胸元についているポケットには大きめに銀を基調とした校章が縫い付けられている。


 山澄学園。このあたりでは有名なこの学校は、県内有数の進学校であり、様々な分野で全国レベルの生徒が集まっている。さらに言えば、お金持ちばかりの集まる。所謂、お嬢様学校というものだ。生徒数は700人ほどなのもそのあたりが原因なのだろう。ぼんやりとそんなことを考えるていると、不意に漂ってきた、香ばしい匂いにそんな思考も中断させられる。視線を扉の上に引っ掛けてある時計に戻すと7時前を指していた。一哉は、腰掛けていたベットから立ち上がると大きく伸びをする。30分ほど何もせずに座っていた影響か体のそこかしこからパキパキポキという関節が伸ばされて空間のでき、骨が鳴る音が耳に届いた。

 匂いに釣られるようにして、扉をでるとすぐに居間に出たその左奥にはキッチンがありそこでは1人の女性が料理をしていた。工程も終盤なのかグツグツという音だけが聞こえる。カチャリと扉の閉まる音で女性はようやくこちらに気がついたように振り返った。短い黒髪が僅かにフワリと翻る。

「あ、荷物の整理は終わったのね。一哉」

ショートヘアがよく似合う20代半ばに見えるその女性は、スッピンにもかかわらず化粧をしているのかと思うほどに綺麗で、整った顔をしている。ジーンズにTシャツというラフな格好の上に水色のエプロンを付けた女性の右手にはお玉が握られている。一瞬そんな彼女に見とれる。そんな姿を見るたびに、母親がいれば、こんな感じなのかな……としみじみと感じる。そして、その度に目の前に立つ女性は、

「なーに?まさか、人妻に目覚めちゃったの!?」

と、演技じみたセリフを言っては、冗談めかして笑う。

「梓紗さん、そんなわけないでしょ……」

北上梓紗は、一哉のオペレーターで、一哉の身元保証人。今回の任務では、母親役を勤める。実際、親の顔を知らない一哉にとって梓紗と彼女の夫である政義は、親と言ってもいい存在だ。それだけに、一哉は自分の仕事に2人を巻き込んでいる事に罪悪感を抱いていた。

「何、難しい顔してるの?あ、もしかしてまた、私たちをふりまわしちゃって罪悪感とか感じてるんでしょ?」

「っ……!?何を……」

あまりに図星を突かれ、苦い表情を浮かべたうえに完璧に言葉に詰まった。さらにそれに気がついて、取り繕うも、既に遅く。梓紗は吹き出すように笑っていた。

「梓紗さんが俺の弱点を知り尽くしてるだけでしょ……」

そういって一哉は、顔を背けた。それを合図に、梓紗も料理に戻った。一哉もやることも見当たらないので椅子に座って料理の完成を待とうと椅子の背もたれに触ろうとした時、思い出したように梓紗が後ろ手に声をかけてきた。

「やることないなら、御近所に挨拶してきてくれない?そういうの、得意でしょ?」

なんとなくだが、梓紗の声には少しのからかいのようなものが感じられた。これも彼女なりの気使いのようなものだろう。それを理解している一哉も

「そうだな……いってきます。」

「はい、いってらっしゃい」

そんな自然なやり取りをして一哉は玄関に向かった。

 玄関には、綺麗に包装された箱が積まれていた。これがおそらく今回のあいさつ程度の粗品だろう。箱の大きさから見て洗剤だろう。まさか油ではあるまい。

 それを1つ持つと靴を履き替え外に出た。まずは右側2軒。507号室の渡辺さんのお宅を訪ね挨拶をして、粗品を手渡した。普通にしていただかなのだが、割と好印象を持たれていた。

 今回の仕事は、最初で良い印象を持たれなければ今後の接触がしずらくなってしまう。ならこのファーストコンタクトにある意味すべてかかっている。その為のシミレーションをしながら次の508号室の栗本さん宅、自宅の左隣のターゲット宅、天宮家を飛ばして、504号室佐原さん宅の挨拶を終え、天宮家の扉の前に立った。

 年の近い女の子の一人暮らしの家のインターホンを押すのは、妙な緊張感があるといったのは、同僚の小寺武斗だった。そのときは相当馬鹿にした一哉だったが最初に押そうと決めてから早数分が経過していた。最初に躊躇して、つい指を引っ込めてしまったのが運の尽き、どうしても押す寸前になると決心が揺らぎ、指を引っ込めてしまう。まるで、指とインターフォンの間に反発する磁力でも発生しているようだ。一哉は一度、扉から離れるとスーッ、ハァーッと大きく深呼吸をしてもう何度目かの目の前のインターフォンを押そうと指を近づけていく。指がインターフォンのボタンに触れるか否かのタイミングで、ガチャンッという鍵の開く音が耳に届き、一哉の指が一瞬固まる。一瞬の動揺が走りそれと同時に、勢いよく扉が開いた。白を基調としたセーラー服を着たこげ茶色の髪の女の子が飛び出してきた。

「____えっ!?」

 辛うじて、扉の追突を紙一重のタイミングで回避した一哉だったが、直後飛び出してきた少女はよけられなかった。女の子もまさか扉開けたら人がいるなんて思いもよらなかったようでブレーキを掛ける暇もなく、ボフッと、顔面から一哉の胸に追突した。その衝撃で彼女の手からエコバックがこぼれ力なく地面に落ちた。一哉は右手でわきに抱えていた粗品の箱を取り落とし、代わりに女の子を抱きとめるような形になっていた。



 今日は3月末に引越していって以来空き部屋になっていた506号室に誰かが引越してくるらしく朝から隣は忙しなく人や物が出入りしていた。お昼を過ぎるころ家具などの運び入れは、終わったのか少し騒がしさは落ち着いた。私はベットに横になりながらどんな人が引越してきたのか少し気になっていた。

 普段日曜日は、まる一日コンビニのアルバイトをしているのだが、先日代わりに出たお礼にとバイトの友人が仕事を代わってくれていた。そのために、久々にのんびりとなおかつ楽しい休日を……と、考えていたころもあった。しかし、突然の休みにクラスの友達とも予定を立てることができず、独りぼっち。これならバイトしてた方がましなのではと考えさせられるほどだった。

 明日は学校だが、課題も昨日のうちに終わらせてしまい。リビングのソファーでTVを見るか、自室のベットで読書をするかの繰り返し、予定のない日曜日は暇でしょうがない。

 それだけに、お隣さんがどんな人なのかという想像はいい暇つぶしにもなり、答え合わせは挨拶に来た時にと思い顔を合わさないよう。開き直って、少しワクワクしながら家に引きこもっていた。

 外はすっかり暗くなり、微かに開けた部屋の窓からお隣の晩御飯のにおいが微かに届いた。スパイスのにおいからカレーかビーフシチューかと考えを巡らせながら視線をデジタル時計に移すとP.M.7:26と表示されているのが目に入った。そろそろご飯作って食べようと部屋を出てリビングにある冷凍庫の扉を開ける。

 予想外の光景が広がっていた。ほとんど空っぽに近い冷蔵庫には、賞味期限の近い牛乳と最近よくCMでみる真空パックに入った醤油や麺汁などの調味料。卵の入っていない卵室。とにかく、まともに料理して食べられそうな材料が欠片もない。今、作っても出来上がるのは液体のみの状況で、昨晩の事を思い出していた。

 

  明日が休みになり、明日の計画を立てた私は、冷蔵庫の中身がほぼないことに気が付くと計画を練っていた。

 夕方の特売で、卵とお肉を手に入れる。6時ごろ商店街で野菜をおまけしてもらう。そして、それらを買い逃した場合、7時半から30分間近くにあるスーパーで、日曜限定の閉店前のセールが行われる。さらに残り15分となると卵が大幅に値下げされる。しかし、卵がおひとりさま1パック限り、などの制限が付く。そして、そのスーパーのちかくには、学校が多いということもあり学生割引という制度があった。学生服で来店した学生はいつでも20%OFFとなるという制度だ。セールのうえ大幅な割引


行くしかない。という結論に至ると、大急ぎで制服に着替え、エコバックをつかむと玄関にいき靴も吐きかけの状態で鍵を開け扉を押し開け勢いのままに飛び出した。しかし、扉を開け飛び出した先には歳の近そうな男の子がいた。白い箱を右手でわきに抱えインターフォンを押そうとした状態で扉が開き、驚いて固まっているような姿勢。必然的に道を塞いでいた。

「______えっ!?」

なんとか、止まろうとあがいてみたが、靴も半分脱げた状態では力も入らず、ほとんどそのままの勢いで、男の子の胸に収まった。一瞬見えた彼の瞳は驚きに見開かれる。ぶつかった衝撃で男の子は半歩さがるも持ちこたえたが、右手で抱えていた。白い箱は取り落としてしまった。そして、抱きとめるように彼の手が腰に回された。多分、無意識で。

 しっかりした男性の硬質な筋肉が触れているからだから伝わってくる。力強くも優しく包まれる感覚は思考をマヒさせるには、十分なものだ。さらには、彼の胸に顔をうずめる形になっている私には、彼の心臓の律動が速くなるのが感じられ冷静さを失わせた。

 なんで、こうなった____!?状況をなんとなく理解して、最初に浮かんだ。このはたから見ると恋人同士が玄関先で抱き合っているようにしか見えない状況。しかし、実際には、年齢の近そうな挨拶もしたことがない赤の他人。全く知らない人、初対面。男の人、誰?Who?思考がどんどん関連ワードをぼろぼろと頭の中で垂れ流す。

 恐る恐る顔を上げる。目の前に男の子の顔があった。息のかかる程の至近距離にあるその顔。目は少し切り目だが驚きで少し見開いてはいるがどこか心配げにこちらを見つめ、少し高い鼻立ちとサラサラの髪がわずかに目にかかる程度の長さ。整った顔立ちを引き立たせる。今、私が胸に収まっていることを考えても身長は180㎝前後。間違いなくイケメンに分類されるだろう。そんなことを考えると益々、思考がパニックを起こす。

 そして、そんな私でもわかること。間違いなく言える事……

 

 私……今、絶対顔真っ赤だ……



 腹のあたりに彼女のふくよかな胸と下着のわずかに硬い金具の感触、それと同時に女の子の暖かさが伝わってくる。あまりに唐突に訪れた衝撃と感触に一瞬思考が完全に停止し再び動き出すまでに幾ばくかの時がかかり、再起動した脳が状況を整理し始める。インターフォンを押そうとしたとき、扉が開き、中から女の子が飛び出してくる。こんなん誰が予想できる?いや、できまい。結論。不可抗力!!俺は悪くない。誰に言い訳をしているがわからないが、こんなことをしている時点で末期だ。

 10秒ほどたっただろうか、胸に飛び込んできた女の子はようやく顔を上げ、彼女を見下ろしていた一哉と至近距離で目が合った。真っ赤な顔をしていた彼女の顔がより一層赤くなり微かに涙目に。

 自分たちの今の状況を客観的に見たらどうゆう状況か想像してみた一哉は、恐らく彼女と同じ結論に至り、慌てて体を離した。

「ご……ごめん……大丈夫だった____?」

 あまりの衝撃に後ずさる。無意識に抱き留めてしまったが、柔らかな体の感触とほのかな温かさが、まだかすかに体に残っているように感じられた。  

 真っ赤な顔をした少女は何とか一人で立って入るがボーっとしている。そして、ぶつかったときの痛みに今まで気が付かなかったという様子で鼻先をさする。

 そして、呆然とした様子で、こちらをちらりと見やると恥ずかしさで、顔を背ける。そんなことを数回繰り返したところで足元に落ちているエコバックに気が付き、はたとした顔になった。自分の目的を思い出したように、慌ててそれを拾い上げ、指をかかとと靴の隙間にねじ込み無理矢理に靴を履くと走りだそうとしたが、この状況を放置するわけにはという考えにも至った様で、迷った末にようやく声を出した。

「あ___あの……い、いっしょに……」

呟くような僅かに聞き取れるほどの震える女の子の声が一哉の耳に届いた。

「え……なに____」

しかし、末尾聞き取れなかった一哉は、思わず聞き返す。今度ははっきり

「一緒に来てくれますか!?」

そう口にしていた。むしろ、前のめりになって、一哉の手をつかむと引っ張って走り始めた。

「ちょっ……うわっ____」

 思わず情けない声を洩らしながら一哉も引きずられるようにつんのめりながら走り始めた。一人は安定して加速するがもう一人は、突然走り始めた影響で、歩調の乱れた奇妙な二人分の足音が廊下にこだまする。あとに残されたのは、廊下に落ちた白い粗品の箱1つだった。

 彼女は、相当に混乱しているのか慌てているのか、エレベーターホールを通り過ぎその隣にある階段を駆け下り始めた。それも一哉の手を引きながら2段飛ばしに、引っ張られて安定しない体を何とか体幹で踏ん張りつつ彼女のテンポに合わせる。

 ものの30秒程度で5階から1階の玄関ホールにたどり着いた。2枚の自動ドアが開き、マンションを出た。入口はよく清掃されゴミが落ちている様子はない。2m程の生垣におおわれ一階部分のベランダが見られないように配慮された造りをしていた。土地は、門におおわれエントランスを出てから20mほど道があり、サイドを5m間隔に置かれたレンガ作りの柱の上についているライトが煌々と照らしていた。マンションの敷地の前には国道が走りこの時間は人通りがある。そんな中をこれから駆けだそうとしていた。

「ちょ、ちょっとちょっと……どこに、行こうとしてんの……?」

 突然走り出した影響か、一哉は久々に息が乱れていた。予想外につっかえつっかえの声が漏れた。

「えっと……ね……すぐ、そこにあるスーパー……はぁ、はぁ……」

 相当急いでいるのか答えながらも足を緩めることはなく。乱れる呼吸がこちらにも伝わってきた。

「毎週……はぁ……日曜日の、閉店間際、にセールが……あってね……」

樹木の生える歩道を二つの影が疾走する。パタパタと走る少女のスカートは歩幅が狭いせいかあまり乱れていない。街灯があるもののそこまで明るくなく、視界の端を絶えず何かの花弁が通り過ぎる。きっと、桜だろう。毎年満開の時期になると、この並木道はライトアップされとても美しいと評判ではあるが、それは、4月20日で終わってしまい、桜は薄暗い中でわずかにつく花びらを落としている。それが残念でならない。きっと、綺麗に咲き誇っているのだろう。制服の少女に手を引かれながら荒い息で一哉は木々を見上げる。僅かな街灯に照らされる中を走る俺たちは、幻想的にも見えるだろう。などと、計画から明らかに外れてしまっている現状に、逃避めいたことを想像しながら、少女に手を引かれながらひた走る。時折、前からくる自転車が制服の女の子と私服の男が全速力で走っているのを見て、何事かという目ですれ違った後もちらちらとみていた。やがて、マンションを3棟抜け、信号を渡った先にそれはあった。スーパー サハルという看板が視界に入る。歩道と打って変わり煌々と電気をともすそこに、一瞬目が付いていけず、視界が白みがかる。しかし、一哉は休む暇もなく女の子に手を引かれるままに駆け込んでいた。

 店内に入ったことろでようやく彼女は一哉の手を放し、足を止めた。乱れた呼吸を整えるように膝に手をつき、肩で息をする。

「ついた……なんとか……はぁ、はぁ……15分前____」

 一哉も何とか息を整えようと腰に手を当て効率的に酸素を取り込もうとする。止まったことで、額から汗がしたたり落ちる。その間そんな奇妙な2人を周囲にいた客は何事かという顔で見ていたが、閉店15分前のアナウンスと音楽が流れ始め、買い物にいそいそと戻っていった。

 一哉は呼吸を落ち着かせ彼女を見ると、彼女もこちらに視線を送っていた。

「えっと……この状況は、いったい……」

当然の疑問をぶつけると彼女は、わたわたと腕を振り回しながら

「わっ、ごめんなさい!!えっと……あ、あの……その……えっと……た……」

「た?」

「卵!!……そう卵がね……お一人様1パック限りで……」

 捲くし立てるようにそういうと、卵入手のために出来上がったと思われる行列を指さした。しかし、あまりにも苦しいというか、自分が一哉を何故連れてきてしまったのか、全く理解していない様子で、思わず笑いが込み上げた。一哉の想定していたファーストコンタクトとは、まるで別次元かと錯覚させられるほどに違うが、強烈すぎる印象が刻まれただろう。

「……ぷっくくふふふふふ……まあいいや……」

そんな、一哉の反応に女の子は、非難がましい目を向ける

「笑うなんてひどいと思いますー」

「お隣さんのお願いだから、無下にはできないね」

そう呟くと列に向かって歩きはじめる。

「え____あの……」

その行動があまりに意外だったのか、女の子は一瞬視線で一哉を追った。そして、はっと気が付いて彼の後について歩きはじめた。


結果、卵はギリギリ買うことができた。


 買い物を済ませ、玄関先に戻るころには8時半近くになっていた。帰りは、終始無言で、エレベーターを5階で降り、廊下に無造作に置き去られたそれを見てようやく会話が始まった。

「あ……そうだ、挨拶……引越しの挨拶しに来てたこと忘れてた……」

そう呟くと、天宮家の玄関前に歩いていき白い箱を拾い上げた。箱庭僅かなへこみはあるものの水が滴っているということもない。どうやら中身は漏れてはいないらしい。軽く後ろに視線を向けるとわずかに申し訳ない顔をする女の子が目に入った。

「ごめ_____」

「かなり今更だけど、挨拶していい?」

彼女が謝るのを別に謝るようなことでもないという意味も込めて遮る様に言った。その言葉に一瞬驚きつつも彼の持っている白い箱を見て

「えっ____あ、はい」

と答えた。

「今日、隣に引越してきた、篠田です。今後ともよろしくお願いします。」

「あの……天宮です。さっきはいろいろごめんなさい。ありがとうございました。えっと、今後ともよろしくお願いします。」

動揺が残っているのか彼女は、どこかぎこちなく挨拶を帰してきた。それに笑みを帰すと一哉は踵を返し篠田家の扉の前に立つと扉を開けたところで、声がかけられる。

「その手に持ってるの、貰ってもいいですか?」

女の子は一哉がわきに抱えている過度のへこんだ白い包装紙の巻かれた箱を指さし言った。

「でも……これ、落としてへこんだりしちゃってますから_____」

「私のせいで落としちゃったものですからもらいます。」

一哉は少し困った顔をしたが、少し思い悩んだ末に箱を彼女に手渡した。

「その……挨拶の品で罪悪感を抱かせるのは本末転倒な気がするので、渡す……けど……改めて、挨拶の品持っていきます。」

女の子は、こちらに歩いてきて、箱を受け取る。

「えっと……はい。じゃ、これで……」

どこか曖昧な挨拶をして、今度は彼女が踵を返す。それをみて、一哉は扉を開きながら家の中に入る。その直前、彼女の姿をもう一度見て、自宅への数歩を歩く彼女の後姿が目に入った。そんな彼女に向けて自然と言葉が出ていた

「また、明日。」

そう声をかけた。直後、扉はパタリと閉じた_____



 「また、明日」

 篠田君はそう言った気がした。言葉が耳に届き、とっさに振り返ると、ちょうど扉の閉まるところだった。

 空耳かな……また明日ってどういうことだろう?さよならって言うと、関係が切れてしまいそうでってことかな? 

 そんなことに頭をまわしつつ女の子、天宮優陽は、自宅に入った。慌てていたのか、鍵をかけておらず、開錠もせずにドアは開いた。我ながら不用心ではあったが、多少の警戒はしつつ、踏み込んだ。荒らされている形跡もないことから少し安堵しつつ、リビングに向かった。リビングに入ると、電気をつける。暗い室内が一瞬のうちに白い閃光に包まれる。一瞬の明暗の違いに瞳がフラッシュバックをおこし視界が白く染まった。2秒と経たないうちに、正しい色を映し出す。広い部屋に一人暮らしなだけあって、物は少なく殺風景な部屋を眺め、一瞬ボーっとするも荷物をかたずけなくてはと思い出し、冷蔵庫に買ってきた食材を入れ始める。簡単に作れるものを考えると今ある材料では、炊飯器に入れっぱなしにしていたお昼のあまりの冷ごはんと、ハムエッグくらいで、朝ごはんじみていた。それはもう、お味噌汁があればいうことなしってくらいに……


P.M.11:00

 お風呂の後、いつものようにリビングでTVを見ると、11時には自室に戻り日課である日記を書くために、机に向かった。

 そして、今日の事を思い出し……思わず机に頭突きを食らわせていた。考えないようにしながら事実だけを書き連ねると、パタリとノートを閉じ、ベットにダイブする。恥ずかしさに身もだえそうになるのを必死にこらえ、変な子だと思われたのでは、と不安になる。間違いなく思われた……溜息しか出てこない……


 その夜は、まともに寝ることができなかった______



 リビングに入ると、2人の人が一哉を出迎えた。一人は、梓紗。ニンマリとした顔でこちらを見ていた。もう一人は、椅子に座って、出された煮込みハンバーグを食べながら晩酌をしている、眼鏡をかけた短髪の中年男性。

「ただいま。あ、政義さんおかえりなさい」

「お帰り一哉。先に、ご飯食べているよ」

ほろ酔いなのか上機嫌に政義は答えた。

「今回は、随分と手が速いわねー、でもまぁ、鍵開けぱなしで、行ってくれたから仕事は、やりやすかったけどね」

梓紗は、ニヤニヤしながらそういうと、小型の盗聴器を見せびらかす。彼女の言う仕事とは、天宮優陽の自宅に侵入し、室内に盗聴器と小型の監視カメラ、玄関のところに人感センサー、玄関前の廊下に予備のドームカメラを設置することだった。

「相変わらず、仕事が速いですね……」

「まあね、機会は逃さないのがプロよー」

おちゃらけながら彼女は言った。


 一哉が、テーブルにつくとそれに合わせて、梓紗は皿を運んできた。

「ありがとう、いただきます。」

一哉は礼をいうと、両手を顔の前で合わせて、煮込みハンバーグを食べ始めた。一哉が、箸で切り分けたハンバーグを口に入れた瞬間、梓紗が

「さっきは、愛の逃避行みたいだったわね」

と、耳元で囁く。

「____っ!!?ごほっごほっ」

急にそんなことを言われ、ハンバーグをのどに詰まらせ、欠片が気管に侵入する。確かに客観的に見ると先ほどのあれは、そうとしか思えないものだった。その情景を思い出し、顔を赤らめる一哉を見て、梓紗は大笑いをしていた。


 篠田家のにぎやかな夕食の時間が過ぎていった______

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