君の世界、僕の視界。

和菓子屋和歌

君の視界、僕の世界。



 京都駅からどれだけ歩いただろうか。

 少し肌寒いと感じた昨日とは打って変わって京都市内の気温は上がり、蒸し暑いくらいになっていた。

 やはり徒歩ではなく電車やバスを利用すればよかった。

 それもこれも昨日の晩、泊まったホテルで京都市内や周辺を地図で確認して、これなら交通機関を使用しなくとも徒歩で目的地まで行けると思ってしまったのが運の尽きだろう。

 僕は額から流れる汗をハンカチで拭うと、いま自分がどれだけ歩いたかを確かめる。その場で地図を広げ建物や川の位置などから位置を割り出すと、次は歩いた距離から逆算して目的地への到達時間をざっくりとだがはじき出した。

 このまま順調に行っても着くまでにあと二十分はかかるだろう。

 本当にどうして徒歩なんかにしたのだろう。

 そんなことをぐちぐちと思いながらも、僕は目的地である伏見稲荷大社を目指していた。



 やっとの思いで伏見稲荷に到着した僕は、時間を見るついでに連絡が入っていないかを確認する。

 午前十一時二十分前。まだ約束の時間までは余裕がある。

 待ち合わせをしている相手からもメールが来ていた。

『遅い。いつまで待たせる気だ。さっさと登ってこい』 

 約束の時間までは一時間以上あるだろうが、何を言っているんだこいつは。

 僕は朝早くから山登りなんてしたくないと言ったので、あちらも折れて一時に稲荷山山頂で待ち合わせにしたはずだ。あいつに限ってそれを覚えていないなんてことはないだろう。

『約束は一時のはずだ。今から登るから大人しく待ってろ』

 僕はそう返信すると、近くにあったコンビニで飲み物を買ってから千本鳥居に足を向ける。

 いやがらせというわけではないが、登る前に小銭を投げ入れて行ってやろう。

 きっと喜ぶに違いない。



 千本鳥居の人の多さにはいつもながら辟易するが、それも最初だけ。参拝者、観光目当ての人のほとんどは千本鳥居の半分も見ずに引き返すからだ。

 ここの空気はとても澄んでいる気がして、僕はここに来るたびに癒されている。

 登っているさなか、様々な人とすれ違う。鳥居の写真を撮ったり、犬を散歩させていたり、海外からの観光客なのかきれいなブロンド髪の女性ともすれ違った。みんな少なからず動きやすくて運動に適した格好だったが、僕は稲荷山を甘く見ていたのか、普通に街中を歩くような格好で来てしまった。簡単に言うと動きにくい恰好をしてきてしまったのだ。

 上に行く度に空気が冷気を孕んで、さっきまで暑いくらいだった気温がほどよい暑さに変わり、いくらか過ごしやすくなっている。

 しかし、歩くのには慣れているつもりだが、京都駅からここまでほぼ休むことなく歩き続けていたので、さすがに疲労がたまってきた。どこかで休憩しなければ。

 あらかじめ買っておいた飲み物を少しずつ消費し、なんとか休憩所らしき場所までは到着することができた。

 このあたりでいくつかの道に分かれているのか、行き来する人が意外と多くてびっくりする。僕自身この山を登るのは初めてではないのだが、いかんせん山頂まで登ったことはないので、ここまで上に人がいるとは思っていなかった。

 時計を見ればすでに十二時を過ぎ、約束の時間が迫っていた。

 この調子でいけば早めに着くことはあっても遅れる心配はもうないか。

 そう思いもう少しだけここで寛いでいこうと考えていたら、ポケットに入れていた携帯が振動するのが分かった。

 この状況で連絡をしてくる奴なんて一人しかいない。僕は携帯を取り出してメールの内容を確認する。

『すぐそこまで来ているのは分かっている。さっさと登ってこい。暇で死にそうだ』

 冗談もほどほどにしてほしい。あいつがそう簡単に死ぬわけないだろう。だがそこまで来ているのを分かった上で急かしているあたり、相当暇と見た。いったい何時から待っているんだか。

『もう少しで着くから待ってろって』

 返信を打つのも面倒だが、打たなきゃ打たないで面倒になるからな。短い文を入れて送っておくことにした。

 おそらくこうやって休憩しているところも見られているのだろう。別に僕自身が許可したことだから文句は言わんが、監視のような使い方はいただけない。

 後でちゃんと言って聞かせなければ。



「遅い」

 僕は休憩もそこそこにして出発し、軽く急いで登ってきたというのに、山頂に到着した瞬間これである。

「あのな、約束の時間は一時だろうが。今何時だと思う? 十二時四十五分だ。僕は時間に遅れていないし、きっちり十五分前行動をしている。褒められこそすれ、非難される理由はない」

「遅いと言ったら遅いのよ。私が遅いと言ったらたとえ時間前に来ていたとしても遅いの」

 自分でとんでもないことを言っていると言う自覚はあるのか、こいつは。

 僕は目の前に突然現れた少女をまじまじと見る。

 見た目はどこにでもいそうな少女。長ったらしい黒髪と人形のようにくりっとした瞳。着物がとても似合っていて、どこか現世のものとは違う雰囲気を醸し出している。

 この少女と話しているとなんだか調子が狂ってしまうので、とにかく早めに用事を済ませたかった。

「それで、今日呼び出された理由は?」

「よくぞ訊いてくれた。明日から私、下界に住もうと思うのだ。というか決定している」

 ふざけるなよこいつ。そんなこと許されると思っているのか。

「それでだ、貴様の家空き部屋があっただろう。そこで良いから私を住まわせろ」

 そう言って向けられた笑顔は僕に断られるなんて微塵も思っていないほど純粋なものだった。

 僕は短くため息をつくと、頭をかいて至極面倒くさそうに言い捨てる。

 どうした処で眷属である僕が、この少女の要求を却下できるわけがないのだから。

「はいはい。あぁもう分かったよ、三狐様」

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