御堂筋の彩り

カミノアタリ

第1話

 秋の気配が際立ってきた月曜日の朝のこと。大阪市長の登庁はいつもより2時間早かった。次の日曜日に大阪マラソンを控え、市長の公務は多忙を極めていた。そんな市長は庁舎の前で足を止めた。奇妙なモノが庁舎前に並んでいたからだ。

 いくつもの彫像だ。見覚えがある。大阪市の大動脈、御堂筋の歩道に並ぶ少女像達だ。おそらくその全てがここに集合したのではないかと思われる。悪戯、いや犯罪とも言える。市長は彼女たちに近づいた。その時、風が吹き抜けて、かさかさという音がした。一体の腕の隙間に挟まっていた小さな紙が揺れたのだ。引き抜くとそれは婦人服店のチラシだった。写真のモデル達は、何かしら目を引く赤い衣装を身に着けていた。そして「この秋、わたしに赤い服を」とある。

「君ら、赤い服着たいんか」

無意識に市長は呟いた。すると、

「着たい着たい」「赤いドレス」「着せて」「あの時みたいな」「赤、絶対赤」

様々な声色の女性の声が耳鳴りのように押し寄せた。少女像たちが一斉に口を開いたように。しかしそんなはずはない。疲れのせいだ、と頭を振った市長だったが、ふと、あることを思い出した。自分より二代前の市長の任期中、御堂筋の少女像の大半に赤い服を着せられるという事件があったことを。誰の仕業かわからずに終わったのだが、犯人追及をしないことを決めた当時の市長が、黙ってやらずにこういったイベントの企画を提案してくれればよかったのに、と言っているのをニュースで聞いた。

 ならば…市長はすぐさま、秘書に電話をした。そして、守衛を呼んで彫像が隠れるようにブルーシートで覆わせて執務室へ向かった。

 市長が秘書に依頼したのは、船場センターの責任者を呼び出すことだった。船場センターとは、大阪市営地下鉄中央線の本町駅から堺筋本町の区間、阪神高速を支えるように建てられた細長い建物で、主に繊維関係の問屋の集約地だった。


「なんですのん?市長はん。急に呼ばれてびっくりしましたがな」

市長のところへ駆けつけた船場センターの代表者は怪訝な表情だ。

「お忙しいところ申し訳ありません。悪い話と違います。ご安心を」

そう言って、市長はスマホで撮った少女像の写真を見せた。

「赤い生地を用意してもらえませんか。もちろん有償です。この子達に服を着せて御堂筋に戻したいんです。大阪マラソンに間に合うように」

「マラソンて、今度の日曜でんがな。生地はあっても誰が縫いますねん」

市長はとんでもないことを考えていた。しかし、それは時間が許すことではなかったようだ。


 日曜日は晴天だった。コース沿道、テレビ、インターネットで市民が見守る中、スタートのピストルの音が響いた。まずは車いすランナー、そして、招待選手の壁が動き、一般参加ランナーの波が続いた。観客からは歓声が上がる。

 同時に、コースの一部になっていた御堂筋では別の動きがあった。前夜から歩道の少女像が白い布に覆われていた。マラソンのスタート時間に合わせて、一斉に覆いが外されると、現れたのは鮮やかな赤い服でおしゃれした少女達だった。ざわめきが起こり、観客は一斉にスマホを掲げた。

 その日の夕方、市長は御堂筋にいた。傍らには船場センターで古くから生地屋を営む店主がいた。マラソンコースは、ボランティアによってすでに清掃されて、車両の通行が始まっていた。

「うまいこと行きましたな、市長」

「ありがとうございます。まさか百貨店に声を掛ける方法があるとは。阪急、阪神、大丸、高島屋、皆さん最新のファッションを提供してくれました」

「市長、忘れてまっせ、近鉄を」

市長は頭を掻いた。

「年初めにこの子らの写真展をハルカスで開いてもらういう話も出てるそうやないですか」

 あの日、船場センターの生地店に赤い服地の調達と少女達に着せる服作りを依頼しようとした市長だったが、関係者からは到底間に合わないと一蹴された。しかし、直後に新たな提案が船場センター側から出た。それは、ダメもとで百貨店に衣装提供を求められないかというものだった。彫像に着せるためには売り物にハサミを入れる必要も出る。だが、目的は大阪マラソンを盛り上げるため。協議の結果、皆、同意してくれた。

「女の子に服着せるために、おっちゃんが一肌脱ごか」

誰かがそんな冗談を言って、笑いが損得を捨てさせたのだ。そして、突貫で少女像の衣装合わせをする中、日本一のノッポ商業ビルあべのハルカスで「御堂筋の少女たち」(仮題)という写真展を開きたいと要望が出たのだ。

 市長は阿倍野の方角に体を向けて胸の前に右手を立てて頭を下げた。

「しかし、庁舎にこの子らを運んできたのは一体誰やったんですかね。」

こんな話聞いたことありまへんか。船場センターの老店主は話し始めた。


御堂筋には魔女がいてるていう話。大阪のもんが困ったら助けてくれるんですわ。なんでも、よう目立つ黄色のマント着て、変なにおいの香水ぷんぷんさせて現れる。箒持ってるから魔女やといわれる。名前は確か「ギンコ」やったかな、知らんけど。


黄色で変なにおいのギンコ…それって…市長は街路樹を見上げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御堂筋の彩り カミノアタリ @hirococo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ