第2話 僕と不安と。
コン、コンコン、コンコンコン。
(なんだい、やめておくれよ。まだ、まだ、)
コンコンコンコン、コン……ドン、ドンドンドンッ。
(寝かせておくれ。ここは生まれる前のようで心地いいんだ。まだ、外には、寒い、外には。)
「コバルトヴァイオレット!」
「ッ、」
チチチ、と窓の外から鳥のさえずりが聞こえる。昨夜閉め忘れたカーテンの隙間からは明るい朝日が差し込んできた。傍らの時計を見ると時刻は既に八時を回っている。あと三十分ほどで朝食の時間だった。
「今、起きた。ごめん、急いで準備をするから先に行ってて。もう食堂の場所は覚えたから。」
自分は――――――僕は、扉を叩いていた人物に早口でそう伝えた。扉を叩いていた人物は一つため息を吐くと「分かった。」と一言返す。僕はそのまま顔を洗いに洗面所へ向かおうとした。が、もう一度コンコンと扉を叩かれた。
「なあに。」
「何か、言い忘れたことは。」
「あっ、うん、そうだね。」
僕は、生まれてから一番最初に教わった言葉をその人物に返した。
「おはよう。」
*
僕が食堂についた頃には既に多くの人々で賑わっていた。朝、僕を起こしにきた人物もまた、既に席に着き、パンをかじっているところだった。彼の名前はヴァイオレット、僕を見つけ、そして名付けた人物である。絹のような美しく細い髪はあの日のように朝日を浴びてその紫を輝かせている。食堂上部のステンドグラスに劣らない美しさに僕は少しだけ見惚れてしまった。
「おはよう、ヴァイオレット。今朝は起こしてくれてありがとう。」
「ああ、そんなことより早く自分の分を取ってきたらどうだ。早くしないとなくなるぞ。」
「いけない、僕もうお腹ぺこぺこなのに。お昼までご飯なしは嫌だもんな。いってくる。」
「転ぶなよ。」
「分かってる。」
僕が生まれてから一週間が過ぎた。人に付けられた名も、自分を覆う布にも慣れてはいない。今こうして多くの人々の中にいるのもまだほんの少しだけ怖いし、自分の身体が温かいふんわりとしたものに包まれていないことに不安を覚えている。
(なんだか、ちょっぴり寒いや。)
あの場所へ、僕の生まれた場所へ。そうしたらこの寒さも消えるだろうに。でも、僕は戻り方なんて知らなかったからこうして此処で息をしているのだ。息の仕方だけが僕が唯一はっきりと分かることだった。
(僕が生まれたのは冬の月、五〇日ある中の四〇二日目。生まれた場所の名前は“青の氷原”という場所で、僕を見つけた人の名前はヴァイオレット。僕が住み始めたのはヴァイオレットと同じの青の塔って場所で……。)
今思い出したことを全てがぼんやりとしていて。
(だって、僕っていう存在がまだぼんやりしているんだもの。)
他のことがはっきりとなんかするもんか。
そんなことを考えてどれくらい経ったのだろうか。賑やかだったはずの食堂に人の影はなく、温かかったはずのスープはすっかり冷えていた。ただ一人、ヴァイオレットが遠くから心配そうにこちらを眺めて、そうして踵を返していった。
僕の不安を助長するかのように鳴った鐘は、ひどく大きな音のように感じた。
カラー・コード 和月心 ゆきじ @natsumi1109
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