蒼の日々〜蒼黒堂徒然録〜

蒼黒

第1話〜9月〜あお

【1】


 AM5:00


 設定された目覚ましの音が鳴り響く前に起床。


「……あ」

 そうか。

 もう、こんなに早く起きる必要無いのか。


 だが、二度寝をするのも片頭痛予防に良くないし。


「…起きるか」


 いつも通りのルーチン。


 先ずは、室内の観葉植物達に霧吹きをしたりしながら様子を見る。

 必要があれば水遣りも。

 室内が終わったら、外の子達を見に行かなきゃ。


 昨日は雨だったから、ベランダ組は霧吹きをしただけで充分だな。

 なんなら多肉達は、雨の後の蒸れが心配だ。


「今日は天気が良いから暑くなるかな…君達は良いかもしれないけど、私は日差しは嫌だよ」


 たわいも無い独り言。

 植物は良い。

 それぞれ世話の仕方は違うから、手間は勿論かかるけど、でも…

「君達は嘘はつかない…」


 そう。

 人の様には。


 数年続いた、忙しくも充実していた気がした日々も突然諦めなくてはいけなくなった。


 仕方がない。


 シカタガナイ


 そして今日からまた、何かを諦めた末の、新しい日常が始まる。


 何時もより念入りに朝の習慣を終えても、まだ、新たな職場に行くには早い時間だった。


「マスターいるなら開いてるよな」


 早く行けば何か手伝える事もあるかもしれない。

 仕事も覚えたいし、最初は出来る事も少ないから積極的にいかないと。


 と、相変わらずワーカホリック気味な自分に自嘲がもれた。


 でも、忙しくしたりギチギチに詰め込んだ日々は好きだ。

 そうしては、転職をした意味が無いのだが、性分はそうそう変えられないのだから、この辺は徐々になんとかするしかないだろう。



 車を持ってはいるが、職場迄は歩いても15分程なので、通勤は徒歩にする。

 スペースが少ないから、私の所為で、お客様が駐車出来なくては申し訳ないし。



「さて、いってきます」

 誰もいない部屋に向かい独白をし、玄関を出る。


 外は快晴。


 少し風が強く、秋の気配がするがまだまだ暑い。

 そんな9月のある日だった。



【2】


 テコテコ、トコトコ歩く。

 この辺りの道は、木々や草花が季節を主張してくる。

 私はそんな景色を見ながら歩いたり車で通るのが好きだった。

 折角の一人暮らしを、実家からさほど離れていない所で始めたのも、この環境を手放したくなかったからだ。


 転職先が、偶々この地域だったのも嬉しい限りである。


 つらつらと考え事をしながら歩いていると、独特の良い香りが、微かに鼻に届いてきた。

 目的地に近づいてきた証拠だ。


 この香りがするという事は、マスターはやはりもう働いているのだ。


 少し小走りに目的地を目指す。



「…っはぁ…着いたっ…」


 其処には、木造の少々古めかしい…いや、『レトロ』な雰囲気の喫茶店があった。



『喫茶 紺』


 今日からここが、私の新たな職場になるのだ。



 少々、重厚感がある扉をあけると、カラランと音がした。


 開店前というのに、ドアに施錠されていないのは些か問題な気がするが、そのおかげでマスターを呼ばずとも入れるのだから、今は気にしないでおこう。


 店内には、コーヒー独特の芳しい香りが立ち込めている。


 さっと見回した所、マスターの姿が見えない。


 ドアを開けた鐘の音に気づいて、出てくるかと思い暫く待ってみる…が来ないか?


 カウンター奥の部屋から、物音など気配を感じる。


「おはよーございまーす!工藤ですけど、マスターいらっしゃいますかー!?」

 声を張り気味に呼びかけると、予想の通り奥から、マスターがひょこっと顔を出した。


 紳士然とした佇まいながらも、瞳には年齢にそぐわない少年の様な輝きがあった。

 銀縁の丸眼鏡を、指で押し上げながら、少し驚いた様に私を認識した。


「おや?お嬢、お早い到着だったね…んー?まだ、1時間も前じゃないか」

 品の良いながらも、高級そうな腕時計を目を細めながら確認し、カウンターから出てくる。


「申し訳ありません。その…ご迷惑でしたよね?」


「いやいや。お嬢の事だ。大方、今迄の習慣で早く起きてしまい、早く行けば何か手伝えるだろうと思って来てくれたんだろう?」


 図星である。


「フハハハ、相変わらずの仕事病だ。丁度豆を焙煎にかけた所だから、様子を見ながら色々説明しようかね」


 そう言いながら、私を奥の部屋に招いてくれた。


 そこには見た事のない機械が、ゴーゴーと音を立てていた。



 焙煎機を興味深くみていると、マスターはニコニコと話しだした。


「排気をしながら、温度の上げ下げをするのだよ。シッカリとした排気をすると、後味がスッキリとした豆になる」


 ほぅほぅと真剣に聞く。


「焙煎時間はだいたい20分かの。浅煎り、深煎り、温度などで出来上がりが変わってくるから、一定の決まった時間というのはないんだよ。見極めはセンスが決めてじゃ」


 軽くウィンクをしながら、難易度の高い事を言われる。

 センス…こういうセンスあるのか私。


「そこの覗き穴から豆がみえるようになっていての。後は…ここについてるつまみを引っ張ると豆が入ってくるから、それで状態を確認する事もできる」


 そのつまみに入っている豆を見てみると、まだ灰色がかったベージュの状態で、コーヒー豆と聞いて思い浮かぶ状態には程遠かった。


「そうさな。作業の流れはまず、焙煎機に火を入れて暖気と言う焙煎機全体を暖める間に、生豆のハンドピックをする」


「あ!すいません。ハンドピックってなんでしょうか?」

 わからない事はすぐに聞くことにしている。


「はいはい。ハンドピックというのはね。欠けたり、変形したりしている欠点豆や石などの不純物を取り除く作業の事なんだよ。袋に1〜2割はいってるかのぅ」


「成る程。結構手間かかるんですね」


「そうさの。まぁ、その手間の分、ちょっちウチのコーヒーの値段はお高めじゃ。それで、ハンドピックが終わったら、焙煎機に豆を入れて焙煎開始。後は最初に言ったように、豆の状態を見ていって、良い感じになったら、冷却装置に落として、冷ましたら完成!こんなとこかの」


 所々メモをとりながら聞いていたが、作業的には理解できた。

 豆の状態の見極めセンスは分からないけど。



【3】


 焙煎の仕方、開店までの流れ、1日の業務のあれこれを、お客さんの切れ間に教わっているうちに、もう夕方を過ぎていた。



「どうするかの。今日は初日だから、ここらで帰るかい?」


「え、でもまだ閉店まで結構ありますよね?」


 ここ『喫茶紺』は、夜遅くまで営業している。


「これから来るのは常連さんばかりで、中々ユニークな人が多いのじゃが…お嬢なら大丈夫かね」


「お邪魔でないのならいます。これからずっと働くんですから。そんなお客さんどうこうなんて言ってられないですよ」


 てか、そんなに変な客が来るのか?

 逆に会いたい。


「そいじゃあ初日、引き続き頑張ってもらうかねぇ」


 ホホと笑っている。

 何やら楽しそうだ。


 そう話していると、カラランと音がした。

 早速お客さんが来たらしい。


 店の入り口をみると、洒落た雰囲気をした男性がいた。


 スラリと背が高く、肉付きは華奢だ。

 黒髪は癖毛なのか乾燥ワカメを思わせ、メガネは黒縁。

 だがそれを野暮ったくみせない華やかさが彼にはあった。

 そんな彼がスタスタとカウンターに腰掛け早々の口調に、私は驚いてしまった。


「マスター!私今日はつかれちゃったわよー!!急に1人休んじゃって…スッゴク忙しかったの!」


 ………ん?


「おやおや。じゃあ濃い目に淹れようかね。お腹はすいてないかい?」

「すいてるすいてるぅ〜!何かガツンとしたもの食べたいわ〜。あるかしら?」

「待っていなさい。お肉をもってきましょうかね。お嬢、手伝いたのむよ」


 少し呆けた顔をしていたであろう私に、彼?多分彼は初めて気づいたようだ。


「あらあら?初めてちゃん?」

「あ、はい。今日からです。ご常連なんですよね?これからよろしくお願いします」


 少々面食らってしまったが、直ぐにそれを隠し笑顔で挨拶をする。

 口調の事など、気になるとこはあるが、流石に初対面で聞くわけにもいくまい。

 今は愛想良くして、徐々に聞き出していくとしよう。



「嬉しい〜!私、マスターの渋くてお茶目な感じ、勿論好きなんだけど、やっぱり女の子が店に入ると華やぐわよね〜!良い感じ!」


 そう言いながら、めちゃくちゃ上から下まで見られている…手を握らんばかりの勢いだ。


 おおぅ…圧が…


「えーと、マスターの手伝いしてきますので少々お待ちくださいね。お疲れみたいですし、なるべく早くお持ちします」


「ありがとー!優しいわね。待ってる待ってる!」


 ハハハハと笑いながら、不自然に思われない程度にマスターの元へ逃げる。

 逃げる程嫌なわけでは無いのだが、何となく圧がね…圧が。


 そんな私を、マスターはニヤっと笑う。


「ホホ。中々面白いじゃろ?」


「はぁ、まぁ、そうですね」


「苦手かい?」


「あ、それは無いです。別に、私にどうこうって事はないんで」


 あの人がどんなんだろうと、私はお客様として扱うだけだ。


「…相変わらずクールな考えじゃの〜。そのお嬢の営業外面に気付く人が来たらどうする?」


「そうそう居るとは思いませんが…その時はその時考えますかね」


 生まれてこの方、これに気付いたのはマスターを入れて2人だ。


 両親などの身内ですら気付かないものを、簡単に気付けるとは思えない。


 まぁ、油断はしないけど。


 話しているうちに、シチューが出来ていた。


 小さい少し深めなスキレットに、厚めだが見ただけで柔らかそうとわかる牛タン、素揚げされたジャガイモ、人参などの野菜達、デミグラスソースや赤ワインなどで煮込んだブラウンソースがグツグツしていた。


 牛タンシチューがサッと出てくるのは凄いな。


「コーヒーはも少しかかるから、先にこっちを持って行ったげてくれるかの」


「はい。そういえば、サラダもありましたよね?おつけした方が、バランス良いと思うんですが良いですか?」


「良いよ良いよ〜。パンかライスもつけて良いからね」


「んー、取り敢えずサラダだけ。多分パンとかはいらないと言われると思いますから」


「ほ?」


 何でじゃ?みたいな顔されたが、それには答えず持っていく。


 予想だが、きっと当たるはずだ。

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