第15話 バランス!
――アストロナイズ市内 商工業区
中央エレベーター・シャフトを間に挟んで建つ2棟の高層ビル。
全面ガラス張りの洗練された外観を持つ『アストロナイズ・トレーディング』本社ビルに比べ、グループ企業を統べる『アストロナイズ社』本部ビルは少々野暮ったい雰囲気がある。
アストロナイズ社本部の業務は、傘下企業の株式を掌握して各社の経営をコントロールする事にある。つまり、アストロナイズ社本部は純粋な『
『アストロナイズ社』の本部ビルが今ひとつパッとしないのは、グループ本部機能の維持を優先し、ビルの改築時期を先延ばしにして来た結果だった。……とは言え、現在の本部ビルが建てられてから相当の年数が経過しており、老朽化に目をつぶるのも流石に限界となっている。このため、数年後に改築工事の実施が予定されているという。
月面都市と言えど、街の景観が時と共に変わって行くのは地球と同じである。
9月中旬のある日、『アストロナイズ社』本部ビルの25階にある大会議室では、採掘船爆発事故調査員会の定例会議が開かれていた。室内に備え付けられた高級会議卓には、事故調査委員会のメンバーとして召集された20数名の男女が席に着いている。野心の1つや2つを腹に抱えていそうな曲者達に並んで、レコン・クローラ課長の顔も混じっていた。
「よろしい。では、事故調査委員会の定例会議を始めよう」
代表取締役社長であるグレン・ネオスCEOの言葉を受け、司会進行役の重役が淀みなく議事を進行させて行く。事故発生から現在までの経済的損失等が報告された後、クローラ課長に報告の順番が回ってきた。
「……では、残骸の調査状況について説明をお願いします」
クローラ課長は咳払いを1つした後に席を立ち、室内に用意されたプロジェクター用スクリーンの前で説明を始めた。
「前回の定例会議で報告の通り、資源小惑星レーナルト付近で採掘船ハンマーヘッドの残骸を約3万点ほど回収しました。その中から、爆発事故原因の特定に結び付きそうなサンプルが、幾つか発見されております。今回は、それらのサンプルに対して行った精密分析の結果を一部ご報告します」
スクリーンが切り替わり、穴の開いた金属板の写真が映しだされた。
「これは、通称『ドーナツ板』と呼ばれる残骸です。ご覧の通り、中央部に直径約80mmの穴が空いております。この超合金鋼板は船の最外殻――つまり、船の最も外側に取付けられていた物です。そしてこの穴は、高速で移動する何らかの物体が船の外側から内側に貫通した痕跡である事が判明しました。この衝突が、爆発事故の切っ掛けの1つと考えられます」
グレン・ネオスCEOが、軽く手を上げて質問した。
「衝突時の速度は?」
「アストロナイズ・スペースクラフト技術試験場で行った検証実験から、少なくとも秒速3km……TNT爆薬換算にして約4.3kg分、それ以上の破壊力があったと推定されています」
「つまり原因は、
「実は……、そうとも言い切れません」
写真を切り替えられ、『
「事故発生直後、近隣を航行中だった他の採掘船が現地に向かい、救助や残骸回収作業が行われました。これはその際に、事故現場で撮影された写真です。このMPUについて調査を行った結果、地球政府軍の軍用MPUである事が判明しました。また、写真の付帯データを解析した結果、事故現場に最初に到着した船によって撮影された事も分かりました」
クローラ課長の報告を聞き、委員会メンバーの中からどよめきの声が漏れる。
「ハンマーヘッドは、この軍用機に撃沈された……という事なのか?」
「現時点では爆発事故と軍用MPUとの関係は不明です。しかし、救助に向かった採掘船よりも早く、地球政府軍が現場にいた事も事実です。他の残骸の分析と併せ、この件についても現在調査を進めております。……私からは以上です」
クローラ課長が報告を終えて席に着くと同時に、グレン・ネオスCEOは溜息をついた。進行役の重役がグレン・ネオスの心中を推し量って何か言おうとするが、グレン本人がそれを制し、自分の口で重大発表を報告した。
「……実は、地球政府から議員団の訪問が打診されている。地球側も採掘船爆発事故を重要視しているらしく、現在の事故調査状況を視察したいとの事だそうだ。訪問予定日については、現在実務者レベルで調整が進められている所だ」
議員団の訪月を聞かされた委員会のメンバーは、口々に意見を述べ始めた。
「……となると、尚更、地球政府軍の機体が事故現場周辺をうろついていた等とは、口が裂けても言えませんな。我々が地球政府を疑っていると思われ兼ねない」
「全く同感です。この際、明確な証拠が掴めるまで、軍用機の件は社外秘扱いとするべきでしょう」
グレン・ネオスCEOは、クローラ課長の顔を見て一言聞いた。
「クローラ課長、……そういう事で問題ないかね?」
「はい。私も、現状では伏せておくのが良策と考えます」
クローラ課長の言葉を聞き、グレン・ネオスCEOは小さく頷いた。
「では引き続き、調査継続を頼みます。尚、議員団の訪問については後日改めて会議を持つ事とします。それまで、本件は決して口外しない事。――以上、解散」
事故調査委員会の定例会議が終わった後、クローラ課長は男性用トイレの洗面所で手を洗っていた。今回の報告は誤解を生み兼ねない内容だっただけに、久しぶりに汗をかいた……といった様子である。クローラ課長が洗面所の鏡に目を向けると、鏡に映った自分の後ろを誰かが通り過ぎるのが見えた。
その誰かとは……『アストロナイズ・トレーディング』事業戦略部所属のケント・アーセン部長補佐である。彼もまた、先程の定例会議に出席していたのだ。
男子小便器の前に立ったケントは用を足しながら、誰に向かってという事も無く、独り言のように話し始めた。
「いや、しかし……、採掘船の爆発事故が船長の操船ミスで無くて本当に良かった。もしも『操船ミス』が原因だったら、宇宙船航行の技術面・安全面の根底から地球政府に指摘される所でした。そうなれば、社の事業にどれだけの影響が出ていた事か……」
小用を終えたケントは、洗面所に近づくと右手を差し出した。
「そういう訳で、あなたの報告には感謝してますよ。クローラ課長」
「握手するのは、せめて手を洗った後にして頂きたいな」
「いやぁ、これは失礼」
ケントはハンカチをくわえると、備え付けのハンドソープをたっぷり付け、念入りに両手を洗い始める。クローラ課長は、ケントに対してキツめの言葉を投げた。
「つい先日まで、爆発事故の原因は『操船ミス』と結論付けたがっていたのは、私の記憶が正しければ……アーセン部長補佐、あなたではありませんでしたか? 何というか……随分と御早い宗旨替えですな」
泡だらけになった両手を蛇口に近付けると、赤外線センサーが反応して蛇口から水が吐き出された。ケントは手に付いた泡1つまで、さっぱりと洗い流す。そして、口にくわえていた白いハンカチで手に付いた滴を全て拭き取った。
「
トイレの出口に向かおうとするケントは、わずかに振り向いてクローラ課長の方に目をやり、たった今思い出したような素振りで芝居染みた台詞を吐いた。
「少し前に『アストロナイズ・セキュリティ』の調査員が来まして、似たような事を聞かれましたよ。確か名前は……オルーダとか何とか言ってましたが。……あ、そう言えば、クローラ課長も『アストロナイズ・セキュリティ』にお勤めでしたね。もしかして、お知り合いですか?」
「オルダー・バナードは、私の優秀な部下ですが。それが、何か?」
クローラ課長の返事を聞くと、ケントは合点がいったという様子で嫌味たらしく、左の掌を右手の拳で叩いて言った。
「なるほど、部下が部下なら、上司も上司といった訳ですか。まぁ、ここは丁度トイレですから、お互いに腹に溜めた汚い物は水に流しておきましょう。では、失礼」
ケントはクローラ課長を見下すような眼差しを浮かべながら、トイレから出て行く。洗面所に残されたクローラ課長は、ケントの侮辱的な言動に怒り心頭といった様子である。彼は大便器用個室の1つに入ると、便器に付けられた洗浄用レバーを思い切り踏み付けた。洗浄音と吸引音が響き渡る中、クローラ課長は奥歯を噛み締めていた。
――公共安全部・公安課
翌日、クローラ課長は朝から不機嫌であった。
課員達は上司が発する負のオーラを感じ取り、彼を腫物の様に扱っている。オルダーもまた、空気を読む事に長けた男である。課長の席から最も遠いアイダの席に移り、彼女が抱えている写真資料の整理を手伝う振りをしていた。
「ねぇ、ねぇ、オルダーちゃんは、課長の不機嫌の理由……何だと思う?」
アイダが小声で聞いてきた質問に対し、オルダーはクローラ課長の方をチラリと見て表情を伺った。
「さぁな。課長だって人間なんだし、そりゃ機嫌の悪い日もあるだろうよ」
「私は、家庭問題の線かなと思うのよ。例えば、お子さんが反抗期だとか」
「課長のお子さんって、女の子だっけ? 課長はその程度で動じないだろ。もっと他の理由だなぁ……多分」
オルダーは何気なく机の上に置かれた卓上カレンダーに注目し、昨日の日付欄を凝視する。昨日は……、『アストロナイズ社』本部ビルで事故調査委員会の定例会議があった日である。クローラ課長も会議には当然出席していたはずだ。
そこまで考えた所で、オルダーの脳内で推理がまとまった。
「課長が不機嫌な理由は、恐らく昨日の会議だな。また、ケント・アーセンに馬鹿にされたんだろう。課長は、根が真面目だからなぁ」
「ケント・アーセンって……確か、オルダーちゃんが、トム・ウェイガンの件で会って来た人だっけ? へぇ、課長と仲悪いんだ」
「詳しくは知らないが、この前の課長の反応からすると……多分な。ま、あのキツネ野郎と仲良く出来る奴がいたら、ぜひお目に掛かりたいねぇ」
写真整理の手を休めず、オルダーとアイダが小声で雑談をしていると、2人の名を呼ぶ声が聞こえた。オルダーが席を立って周囲を見回すと、手招きするクローラ課長と目が合ってしまった。
「アイダ、課長のお呼びだぞ」
「……さっきの話、もしかして聞こえちゃったかな?」
「さぁな」
オルダーとアイダは課長の機嫌がこれ以上悪くならないよう、小走りで課長の事務机の前に駆け付けた。クローラ課長は咳払いをすると、2人の前に大き目の封筒を一つ放り投げた。
オルダーが封筒を手に取って中身を確認すると、何やら書類の束が入っている。……ある女性の身上調査書だった。オルダーは、書類にざっと目を通す。
「フィーナ・オーキス。年齢15歳、アストロナイズ技能訓練校テンダー・キャンパスに通学。……なかなか、利発そうなお嬢さんですね。それで……、この子がどうかしたんですか?」
オルダーが質問を投げると同時に、クローラ課長は簡潔に指示を出す。
「暫くの間、2人でこの女性の身辺警護をしろ。それも、内密にだ」
調査課時代に身辺警護任務を数多く経験してきたオルダーは、上司の表情から何かを嗅ぎ取った。一方のクローラ課長も表情を読まれた事に感付いた。……が、アイダには2人の無言の読み合いが全く理解できていない。
結局3人は狭い会議室に場所を移し、詳しい話をする事となった。
「課長、ここなら他に誰もいませんよ。一体、この女の子は何者なんですか?」
「オルダー、その女性の名前を見て何か気付かないか?」
オルダーは『フィーナ・オーキス』という名前を何度も口ずさみ、数秒後に気が付いた。地球政府の大物議員『ジーン・オーキス』と苗字が同じである事に。
オルダーの表情を読み取ったクローラ課長が口を開く。
「その少女は、ジーン・オーキス議員の御息女でな。今年4月から、アストロナイズ技能訓練校のテンダー・キャンパスに在学している。所属は幹部候補コースの1年D組。なかなかの才女だそうだ」
アイダはオルダーの手から書類を横取りすると、添付されていたフィーナの写真と書類を眺めながら、上司に向かって幾つか質問を投げた。
「彼女が通ってる技能訓練校、住んでるマンション共に防犯設備は問題無いと思います。3月末からアストロナイズ市に住んでるのに、なぜ今頃になって身辺警護をするんですか?」
クローラ課長は小会議室の入口ドアを開けると、外の廊下に誰もいない事を確認して再びドアを閉めた。オルダーとアイダは、上司の尋常ならざる慎重さに異常を感じずにはいられなかった。
「2人とも、これから私が言う事は絶対に他言するな」
「はい」
クローラ課長は2人が同時に返事するのを見て、やっと本題を切り出した。
「実は、例の採掘船爆発事故に絡んで、地球政府議員団の訪月が予定されている。具体的な日程や内容は、現在実務者レベルで調整を進めている段階だ」
課長がここまで説明すると、オルダーは頷きながら話を先回りする。
「……その議員団の中にジーン・オーキス議員が含まれている。ジーン・オーキスと言えば『穏健派』の重鎮。そして警察筋の調べで、御息女がアストロナイズ市に留学している事が分かった……と、こんな所ですか」
「そこまで理解してれば話は早い。お前達は臨時職員として学校に潜入し、議員団の訪月が終わるまで彼女を警護してほしい。既に、赴任の手続きは完了している。来月から任務に就いてもらいたい」
クローラ課長は、名刺大のプラスチックカードをオルダーとアイダに1枚ずつ手渡した。白一色のカード表面には、名前だけが記載されている以外に何の飾り気も無い。
「そのカードは、学生と職員に1人1枚ずつ配布されている物で、それが無ければドア一枚開ける事も出来ないそうだ。取り敢えず、先に渡しておく」
オルダーはカードの表と裏を何度か見直した後、愛用のパスケースに収めた。
「くどい様だが……お前達の任務は、あくまで『フィーナ・オーキス』の身辺警護だ。任務達成のためなら、学校側の行事や時間割は多少無視しても構わん。もっとも、お前らが他の職員から怪しまれては意味が無い……そこは、上手くやってくれ。以上だ」
……このような経緯の末、アイダ・サマリーは臨時の理科教員として技能訓練校テンダー・キャンパスに赴任する事となった。彼女は授業用の教材として渡された教科書をパラパラと捲りながら、自分の学生時代を思い出してほくそ笑んでいる。
そして、オルダー・バナードはと言うと……、課長に抗議していた。
「課長、アイダが理科教師ってのは分かりますが……、俺がスクール・カウンセラーってのは何なんですか!?」
「仕方無いだろう。お前が学校で出来そうな事と言ったら、『相手を口車に乗せる事』くらいだ。そのポストを用意するのに私がどれだけ苦労したか、少しは察して欲しいもんだな。……と言う訳で頼んだぞ。バナード先生」
「やれやれ、演じる役者の身にもなって欲しいもんだよ」
オルダーは小声で愚痴を吐露し、溜息をつく事しか出来無かった。
――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス
貨物運搬訓練用コンテナの大きさは、縦・横・高さが全て1メートル、重量は約1トンとされている。MPUパイロット養成コースで学ぶ学生達は、この巨大サイコロを相手にする辺りから、自身が操縦する作業機械――MPUの存在意義を意識していく事となる。
正直な所、単に歩いたり走ったりするだけなら、電気自動車と何も変わらない。機体の両肩に装備された両腕は単なる飾りでは無く、れっきとした作業装置なのである。そして、巨大サイコロは1学年修了までの間、彼らにとって友となる。
……そう、見るのも嫌になるほどの友に。
操縦席の中で、ニュートは大きく深呼吸をする。
「右手、アームカメラ起動」
右手操作用レバーにあるカメラスイッチを親指で押すと、MPUの右手首に設置されたカメラによる映像が正面のモニターに映し出された。
「左手、アームカメラ起動」
続いて左手操作用レバーのスイッチを押下すると、モニターには左手首カメラの捉えた映像が表示された。これで左右両手首のカメラから見た映像が、同時に表示されている事になる。
「貨物保持開始」
レバーを完全に握りこまず、カメラの映像を頼りに慎重に動かす。人間の3倍もある鉄の手が、微妙なレバー操作に合わせて小刻みに動く。やっとの事で機械の両腕は、強化プラスチック製の訓練用コンテナを掴む事に成功した。
機体の両手を制御する操作用レバーには、圧力感知センサーが内蔵されており、パイロットの握力を機体操作に反映させる仕組みとなっている。早い話、パイロットが強く握ると、MPUの手も握り拳の状態となるのだ。
「貨物運搬動作、バランス・コントロール開始」
そして今度は、ゆっくりと両手の操作用レバーを左右同時に引き上げる。ワンテンポ遅れて、巨腕に掴まれたコンテナが持ち上がり……地面から離れて行く。さらに、背中を反らしてシートに軽く押しつける。
機体の上半身がほんの少し反らされ、コンテナを抱えた分のバランスを全身で取る。両腕だけの操作では、このコントロールは不可能だ。
ニュートの操縦する『77番機』はコンテナを持ったまま真後ろを向き、背後に控えていた『81番機』――エルザ機にコンテナを手渡した。エルザは既に操作を習得し終えており、ニュート機から渡された訓練用コンテナを危なげなく受け取った。
「ニュート077、合格だ。他の者も、ニュートとエルザの動きを参考に練習しろ。全身を使って機体を操作する……その勘を忘れるな! 訓練始め!」
ヘッドセット越しにヨウコの号令が発せられると、校庭中に展開したMPU達が、一斉に訓練用コンテナを掴もうと悪戦苦闘を始めた。ニュート機とエルザ機は、貨物運搬作業を習得出来ていない機体に近寄り、手取り足取り教えている。訓練教官のヨウコは、その様子をただ静観している。
……ここまで来れば、整地環境での基本操縦は習得できたような物である。後は生徒達が経験を積み、目の前の状況に対応して行くだけ。実際、教科書の残りのページは様々な大きさ・形状のコンテナを保持・移動させる事に大半を割いている。
どんなに遅くとも、11月頃には全員が基本操縦を身に付け、1学年が修了する3月までは完熟訓練期間に入るのだ。
4月に入学した頃、MPUという名前すら知らなかったクズガキ共が、訓練用とはいえコンテナの運搬操作を習得しつつあるのだ。そのテクニックは拙い物だが、社会を構成する部品としての原型は徐々に出来上がっている。
毎年10月を目前にしたこの時期、ヨウコは生徒達の成長を最も実感するのだった。
……私の手から離れるのも、もうじきか。
夏の延長と感じていた9月も今日が最後。明日からは、生徒達の制服も冬服に変わる。秋めく風がそうさせるのか、ヨウコは柄にも無く感傷的になっていた。
そして、授業終了のベルによって現実に引き戻される。
「今日の訓練はここまで。各自、機体を格納庫に片付けろ!」
……学校からの帰り道。バイクを押しながら歩くニュートは、操縦訓練の授業で『貨物運搬訓練』の見極めを取れた事を興奮した面持ちで話していた。彼の隣には、興味深そうに相槌を打つフィーナがスクーターを押して歩いている。
9月初めに起きたエリック・カールトンとのトラブル――俗に、『校舎裏事件』と称される出来事の後、2人の間に割って入る者はいない。
ニュートの肩越しのやや低い位置に、彼を顔を見上げるフィーナの顔がある。このままずっと、この時間が続けば良いのに……ニュートは、そんな風に考えていた。MPU操縦訓練の話が一段落した時、今度はフィーナの方から話を切り出した。
「ニュート、お父さんに会ってみたくない?」
「え? お父さんって……フィーナの?」
「当り前でしょ! 余所のお父さんに会わせて、どうするのよ」
ニュートの頭の中が一瞬真っ白になり、重い意味を持つ様々な言葉が右へ左へと行き来する。婚約、結婚、家族、仕事、人生……まだ弱冠15歳の少年には、実感の湧かないモノばかりである。
フィーナの父親に罵倒され、足蹴にされるニュート。父親を止めるフィーナ。左手の薬指に嵌められる指輪。ウェディングドレス。沢山の子供に恵まれたものの、妻となったフィーナから安月給をなじられる。その彼女に、かつての可憐な面影は無い。……恐るべき未来予想図を想像し、ニュートの顔が青ざめて行く。
「ニュート、どうしたの?」
「いや……フィーナのお父さんは、エライ政治家って聞いてるから……」
「ニュート、緊張してるの? 大丈夫よ、お父さんは優しいから」
フィーナのコロコロとした笑い声は、ニュートの不安を幾分和らげてくれたのだが……それでも、ニュースや新聞に名前が載る人物と会うのは只事ではない。
以前、ゲル爺は『2人の住む世界が違い過ぎる』と警告していた。あれは、こういう事を意味していたのか。
ニュートの胸中にある『心の天秤』が微妙なバランスで揺れている。左側の皿には『笑顔のフィーナ』が載せられており、右側の皿には『得体の知れない様々な物』が山盛りとなっている。そして、天秤の腕は今にもへし折れそうである。
「実はね……、お父さんが仕事でアストロナイズ市に来るかもしれないの」
「あ、仕事で来るんだ」
『心の天秤』の右側の皿から、婚約や結婚、人生といった荷物が取り除かれ、
かなり軽くなった。ニュートの顔にも、徐々に余裕の色が出て来た。
「でも、はっきり決まった訳じゃないから、誰にも言わないでね」
「はは……だろうね。分かった、誰にも言わないよ」
「……で、私と面会する時間を少し取ってくれるみたいなの。出来れば、その時にニュートを紹介したいなぁ……って」
恐らくフィーナには、アストロナイズ社の上層部から内密で話が行ったのだろう。本来、外部に漏らしてはいけない事実……それを自分に打ち明けてくれた。
フィーナにとって、自分が特別な存在である。それを再確認出来ただけで、ニュートは天にも昇る気持ちになっていた。
『心の天秤』……その右側の皿に、不安要素となる物は何も載っていなかった。
LIFE★LINE ねこ博士 @NEKO2609
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