第14話 ストライク!

 ――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス


 『フィーナ・オーキス、1年D組』

 フィーナが学生証カードを正門ゲートの認識装置にかざすと、流暢な合成音声のアナウンスと共に登校が記録された。始業時刻にはまだ時間的余裕があるため、正門ゲート付近に他の生徒の姿は殆ど見当たらない。

 正門ゲートを通過したフィーナは、1年D組の教室がある『幹部候補コース』の校舎へ向けて足早に進んで行く。しかし、彼女の様子は何か少しおかしかった。何度も何度も周囲を見回しながら歩くその様は、まるで何かを警戒しているよう。

 実の所、このまま誰にも会わずに教室に入りたい……彼女は心の底から、そう願っていた。


 「グッモーニン、マイハニー!」

 背後から聞こえた男の声に、フィーナは目を閉じて大きく溜息を吐いた。一瞬で変わった曇り空のような表情からすると、最も会いたくなかった相手に見付かってしまった……という心境らしい。

 フィーナは歩くスピードを落とさず、聞こえなかった振りをして立ち去ろうとする。しかし、フィーナの細い右肩が太く頑丈な5本の指に掴まれると、頬が触れる程の距離にまで相手の男の顔が近付いて来た。フィーナが恐る恐る横目を向けると、唾液でぬらぬらと光る男の唇が視界の隅に入っている。


 あまりの異常な状態に、フィーナは全身が硬直して動けない。

 男子生徒はフィーナの左側に立ち、右腕を彼女の肩に回す。フィーナは、全身に鳥肌が走るのを感じた。


 「せっかく、が朝の挨拶をしてるんだから、無視は無いだろ?」

 「エリック、おはよう……。あら初耳ね。あなた、いつから私の彼氏になったのかしら?」

 フィーナに絡み付く大柄の男子生徒――エリック・カールトンは、校庭にいる生徒の姿がまばらな事を良い事に、人目を憚らず必要以上に彼女に密着して来る。


 「ハニー。昨日渡した写真は、もう見てくれたかい?」

 そう言われたフィーナは、昨日の登校時にエリックから半ば強引に手渡された封筒……その中に入っていた写真を思い出した。突然の事だったため、あの時は愛想笑いで適当に受け流したが、毅然とした態度を取らなかった事が今になって悔やまれる。授業の合間に封筒の中身を確認してみると、アストロナイズ宇宙港でデートするニュートとフィーナの姿を写した写真が一葉だけ入っていた。

 フィーナにとって、あのデートは……ニュートと夏休み最後の日を一緒に過ごした大切な思い出である。しかし、それを第三者に隠し撮りされた事を知り、大事な宝物を傷付けられた様な気持ちだった。


 「ええ、見たけど……盗撮というのは、あまり感心しないわね」

 「盗撮とは、また心外だなぁ。あの日は、の新型貨物船を見学に行っててね。宇宙港で写真を撮っていたら、偶然にも君がファインダーに入ってしまっただけさ」

 「全く……口というのは、便利な物ね」

 フィーナは細やかな抵抗を試みたが、エリックには全く効いていない。それよりも今は、フィーナの右肩に載っているエリックの右手が、撫でる様にいやらしく動いている方が気になって仕方がない。


 「ところで、写真の裏に書いたメッセージは見てくれたかい? ぜひ、答えを聞かせてほしいな」


 エリックから渡された写真の裏には、確かに『従うか、断るかobey or drop』と走り書きのメッセージが残されていた。

 メッセージを一目見て、フィーナは気付いた。これは、要求を飲まなければ、危害を及ぼすという脅迫状なのだという事を。

 封筒を手渡された状況から、要求内容は自然と察しが付く。間違いなく、『ニュートと別れろ』という事だ。ニュートを巻き込まないため、取り敢えず昨日は一緒に下校する事を避けるしか無かった。


 「それは……」

 フィーナの答えを遮る様に、エリックが言葉を付け足す。

 「言い忘れてたけど、僕の友達には荒っぽい奴もいるからね。返事次第では、大切な君のお友達の身に起きるかもしれないなぁ。そこは、理解しておいてくれよ」

 フィーナの脳裏に、大怪我を負うニュートのイメージが浮かび上がる。

 「エリック、あなたって人は……」

 「事を進めるに当っては、チェスを指すように。それが、僕の持論だからね。とはいえ、君にも心の準備って物が必要だろ? 今日の放課後まで答えは待ってあげよう。すっぽかしたり、誰かに相談するのも無しだ……分かってるね」

  

 エリックはフィーナから離れると、勝利を確信した余裕の笑顔を湛えながら、

『幹部候補コース』の校舎へと入って行った。


 一人取り残されたフィーナの顔は、絶望の色で塗り潰されている。睫毛と頬の曲線が織りなす『光るような笑み』は……もう遠い思い出の中でしか見る事は出来ない。


 そんな状況を露程も知らないニュートは、午前中に行われたMPU操縦訓練の授業で全く精彩を欠いていた。夏休みが明けて最初の授業のため、まずは簡単な歩行訓練や走行訓練から復習となった。だが、ニュートは心ここにあらずといった状態で、アクセルペダルをしっかり踏み込めない。クラスメイトが徐々に操縦の勘所を取り戻して行く中、走る事はおろか真っ直ぐ歩く事さえおぼつかない体たらくであった。


 隊列を乱すニュート機の連帯責任を取らされる形で、1年X組の生徒達は厳しい灯差しの中を何十周も走らされるハメとなった。

 本来の予定通りに復習が終われば、涼しい格納庫の中で貨物運搬に関するレクチャーを受けるはずだったのだが……これは生徒達だけでなく、教える側のヨウコにとっても計算外であった。

 無線機を介して、クラスメイト達のイラつく舌打ちがニュートの耳に届く。それがまた彼を神経質にさせるため、操縦ミスが次の操縦ミスに繋がっていく。

 

 結局、歩行訓練と走行訓練の復習だけで、この日の授業は終わってしまった。


 「……ったく、いい加減にしてくれよな」

 格納庫に機体を収容した生徒達は、ニュートの顔を見るなり口々に悪態をついて更衣室に向かって行く。申し訳ない気持ちで一杯のニュートは、級友達の顔を見る事が出来ない。格納庫に一人だけ残されたニュートは、自分も更衣室に向かおうと一歩踏み出すが……


 「ちょっと良い?」

 ニュートの背後から声を掛けて来たのは、エルザであった。ニュートが振り向き終えるのも待たず、エルザは左手でニュートの体操着の襟首を掴むと、大きく右手を振り上げ、彼の頬に平手打ちをしようとする。

 目を閉じて身構えるニュートを見て、エルザは思い直したのか……彼の襟から手を離す。その代わり、思いっきり突き飛ばして打ちっ放しのコンクリ床に尻餅をつかせた。エルザは何か汚い物でも見るような軽蔑的な視線でニュートを見下ろし、静かに言い捨てる。


 「今のあんたには、引っ叩く価値すら感じないわ。あたしを熱くさせたニュート・カーバインとかいう男子は、きっとバイク事故にでも遭って死んだのね」

 エルザの言葉は、頬を叩かれるよりも或る意味で屈辱的だった。


 エルザはウェーブの黒髪を右手で掻き上げると、更衣室へ向かおうと振り返った。しかし、エルザの目の前に竹刀の先端が見え、彼女は微動だに出来なかった。竹刀の持ち主は当然の事ながら、担任のヨウコ・マーシーである。


 「お前ら、着替えもせずに何をしてる!」

 ヨウコは『眉を寄せたエルザの表情』と『床に腰を下ろしたままのニュート』を交互に見て、大体の事情を察したようだった。

 「なるほど、今日の授業が予定通り進まなかった腹いせに、ニュートの私刑リンチをしていた……という訳だな」

 「先生、それは誤解よ!」

 「問答無用! 罰として、今日の放課後に校舎裏の掃除を命じる」

 「こ、校舎裏って……、まさか5棟ある校舎全部?」

 「校舎裏と言ったら、そういう事になるな」

 「そんな……、何で私が……」

 貧乏くじを引かされたエルザは小声でブツブツと愚痴を言いながら、ゆっくり立ち上がるニュートにキツい視線を向けた。

 「確かに1人では、厳しすぎるな。ニュート、お前も手伝ってやれ」

 「……分かりました」

 ニュートがうつむき加減に小さな返事をすると、懲罰の件はこのまま決定事項になりそうな雰囲気を帯びてきた。納得いかないエルザは、最後の抵抗を試みる。


 「やるなら、あんた1人でやれば? 私は嫌よ」

 エルザの不満を少しでも和らげようと、ヨウコは表情を崩して事情を説明し始めた。

 「どうも最近、生徒のモラルが低下してる様でな。校舎裏にゴミを捨てたり、格納庫の壁を殴る奴がいるらしい。もちろん、お前達がそんな事をする奴では無い……と、私は信用してるぞ。でもなんだ……、何も手を打たないと……頑固者の教頭とかが煩くてな。ここは1つ、生徒代表という事でやってくれないか?」


 軟化したヨウコの態度を見ながら、ニュートは首を縦に振った。一方、エルザの方は、『格納庫の壁を殴る奴がいる』という言葉を聞いて急に大人しくなり、渋々ではあるが懲罰を受ける事にした。


 「掃除と言っても、落ちてる大きなゴミを拾う程度で良い。さて……、早く着替えないと、次の授業に遅れるぞ」


 ブチブチと不満を言いながら格納庫を出て行くエルザ。その後に続こうとするニュートをヨウコが引き止めた。

 「ニュート。今日のお前の動きは、明らかに夏休み前とは違っていた。何か心配事があるなら、遠慮なく相談しろ。決して、悪いようにはしない」

 この何気ない担任の言葉だけが、今のニュートにとって唯一の救いではあった。それと同時に、『フィーナとの関係』を相談する事は……何かやってはいけない事のような気もした。校則に抵触する可能性がある……という事では無く、一人の男として何か踏み越えてはいけないラインの様な物を感じたのだ。


 「先生、心配かけました。でも、もう次からは大丈夫です」

 それだけ言い残して、ニュートは更衣室へと駆け出して行く。彼の後姿を見送ったヨウコは、竹刀を小脇に抱え、格納姿勢を取るMPU達を見上げた。


 ――昼休み

 手早く昼食を済ませたフィーナは、テンダーキャンパスの敷地内にある図書室を訪れていた。もっともとは名ばかりで、実情は文献閲覧用のパソコンを多数設置したコンピュータルームといった方がしっくりくる。

 フィーナは空いてる席の1つに陣取ると、地球関係の経済ニュースを閲覧し始める。彼女がキーボードから入力した検索ワードは、『カールトン・カーゴ』という名の運輸会社であった。


 アストロナイズ技能訓練校は、市内居住区に50カ所も存在している。そのため、全ての学校に膨大な数の書籍を保管する事は、紙資源の有効活用という市全体の運営方針と衝突してしまう部分がある。とはいえ、学生に必要な文献を提供しない訳にもいかず、結果として『図書室』という名のコンピュータルームが設置される事となった経緯がある。しかし、個人所有のパソコンでも同様の閲覧は簡単に出来てしまうため、『図書室』を利用するのは余程の急な用件の場合が殆どだった。


 フィーナは最新のニュース記事から目を通し始め、ついには今年6月頃にまで遡って読んでいた。手元のノートには、ニュース記事から読み取った要旨が次々と書き込まれて行く。画面の片隅に見える時計表示を気にしながら、記事に書かれた文字を目で追っていく。


 今朝のやり取りの中で、執拗にフィーナに絡んで来た男子生徒――エリック・カールトンは、夏休みの最終日にアストロナイズ宇宙港にいた事を言及していた。

 その理由が、『の新型貨物船の見学』である事も言っていた。 そして、エリック・カールトンが地球の運輸会社『カールトン・カーゴ』の社長子息である事は既に耳にしていた。それは単なる噂等ではなく、エリック本人が事ある毎に彼の父が経営するこの会社について吹聴するため、表だって顔には出さない物の一部の生徒達は辟易としていたのである。

 今まで何の素振りも見せなかったエリックが、夏休み明けに自分へ急接近して来た。……フィーナは、そこに何か作為的な物を嗅ぎ取っていた。


 フィーナの所属する『幹部候補コース』は、技能訓練校に設置された5つある選別コースの1つである。入学直後に行われたコース選別試験――通称『15歳の選別』での成績優秀者を集めた、いわゆるエリート・コースである。

 このコースを卒業した生徒達の中には、アストロナイズ本社や傘下企業の経営幹部、地球政府の政治家になる者がいる程である。また、成績優秀者のみで構成された特別コースという以外に、他とは決定的に趣を異にする特徴を持っていた。


 それは、地球居住者の子息・息女が編入されている事である。それも、地球政府有力議員の令嬢であるフィーナ本人に代表されるような、上流家庭の子供が殆どであった。

 見識のある親達は、すでに人類経済圏の将来が月面や宇宙抜きで語れない事、しかも子供が社会の牽引役になる頃には今よりも顕著になるだろう……と、先を読んだ上で進学させているのである。

 そんな親心を正面から受け止め、期待に応えようとする者もいる。反面、全くと言って良いほど理解していない所か、自分に都合良く曲解する者もいる。家庭によってその事情は様々だが、子育ては本当に難しいという事……それは、どの親も共通した認識であろう。


 経済ニュースの検索に没頭していたフィーナは、昼休みの終了を告げる予鈴の音で我に返った。ノートや筆記具類を手にした彼女は図書室の扉を抜け、教室に向かって駆け出していく。

 自分の掴んだ事実が、自分とニュートの未来を切り拓く事を固く信じて。


 ――放課後

 選別コース毎に独立した5棟の校舎。それらが作る巨大な灯影の中、ニュートとエルザの2人は、ヨウコに言いつけられた通り校舎裏のゴミ拾いを行っていた。ゴミの量は決して多いわけでは無いが、菓子や惣菜パンの包装クズ等といった、主に昼食時に投棄されたと思われるゴミが目に付く。


 右手で持った清掃用トングで1つ1つ摘み上げては、左手のゴミ袋に放り込む。欠伸が出るほど単調な作業が10分も続く頃には、エルザは完全に飽きてしまっていた。離れた場所で作業に勤しむニュートの方を見ると、彼は脇目も振らず黙々と作業をこなしている。


 「飽きもせず、良く集中してられるわよね。ある意味、凄いわ……」

 ニュートへの対抗心に火を付けられたエルザは、気を取り直して落ちているゴミを探し始めた。

 すると、少し離れた場所に生徒の一団がやってくるのが見えた。3,4人の男子生徒に囲まれた小柄な女子生徒が1人。……何やら、雲行きが怪しい。


 「ちょっと、ニュート! あれ見て!」

 ニュートは作業の手を止めると、エルザが指差す方に視線を向ける。最初は何気なく見ていたニュートだったが、女子生徒の歩き方を見て直感した。


 フィーナに間違いない……。

 

 トングとゴミ袋を放り出したニュートは、校舎裏に設営された教材用倉庫や物置の陰に隠れながら、フィーナを取り囲む男子生徒達にギリギリまで接近する。男子生徒の1人は、フィーナの肩に手を回し、何か封筒を手渡していた男である。


 「フィーナ、返事を聞こうか。もっとも、聞く必要なんか無いか。ニュートとか言ったか? あんな落ちこぼれコースの奴なんかより、将来、パパの会社を継ぐ僕の方が良いに決まってるよなぁ」


 物陰から様子を見ていたニュートの後ろには、行きがかり上、エルザも同席した形となっていた。

 「あんた、随分と酷い言われようね」

 ニュートはエルザの言葉を気にもせず、引き続き様子を見ている。

 

 「エリック、貴方には……ニュートの良さなんて理解出来ないでしょうね」

 ニュートはフィーナの言葉を聞きながら、リーダー格の男が『エリック』という名である事を理解した。そして、自分をこれほど困惑させた元凶も、恐らくこの男なのであろう……という事も。

 そして、エルザもまた理解した。包囲されている女子生徒が、ニュートの友達……いや、それ以上の親しい関係者なのだろうと。


 「へぇ、あいつのどこがそんなに良いんだ? ナニがデカいとかか?」

 エリックの取り巻きと思われる3人の男子達は、エリックの言葉を継いでヘラヘラと薄笑いを浮かべている。


 「私のスクーターが壊れても、あっという間に直してくれるわ」

 フィーナの答えを聞いて、エリック一味が腹を抱えて大笑いした。

 「僕だったら、君に新品のスクーターをプレゼントしてあげるよ。僕が選んだ最高のマシンをね」

 エリックは殺し文句のつもりで言ったのだろうが、フィーナは大きく頭を横に何度も振ってから返答した。


 「でもそれって、あなたのお父様が稼いだお金で買ってくれるって事よね。私が言ってるのは、そういう事じゃないの。第一、私は今使ってるあのスクーターが好きなの。なぜ、私が貴方の趣味に合わせなきゃいけないのよ。やっぱり、あなた何も分かってないわ。さよなら、エリック。もう私に付き纏わないで」


 「ふぅん、この僕を振るわけだ。では仕方ない……その大事なお友達に、少し痛い目にあってもらわないといけないなぁ」

 

 帰ろうとするフィーナの足が止まる。

 「僕と付き合うなら、彼に手荒な事はしない。この目に誓っても良いぜ」

 そう言うエリックの目は、どす黒い欲望に濁りきっている。


 「エリック。あなたって人は……本当に救いようが無い人ね」 

 精一杯、抵抗の意思を示すフィーナに、エリックはゆっくりと近づき……彼女の顎を右手で持ち上げて言い聞かせる。

 「いい加減に、僕のモノになって楽になれよ。それとも……、フィーナお嬢様は力づくで女にされる事を御所望かな?」


 ついに本性を現したエリックの顔を見て、フィーナの全身に鳥肌が立つ。そして、わずか数センチメートルの所まで、自分の身の危険が迫っている事に改めて気付いた。

 エリックと彼の取り巻き達は下品なせせら笑いを顔に浮かべ、じりじりと包囲を狭めて来る。力の有り余る男子達が一斉に飛びかかれば、腕力で劣る女子生徒がどんな目に遭うか……結果は容易に想像がつく。

 フィーナは体を強張らせ、両手で耳を塞ぎ、目を閉じる。エリックの大きな右手が彼女のブラウスの襟を掴んだ時、フィーナは渾身の力で叫んでいた。


 「ニュートォォォォ!!」


 エルザが制止する手を払いのけ、我を忘れて物陰から駆け出したニュートは、エリックの手を振り払ってフィーナの前に立つ。恐る恐る目を開いたフィーナの前には、信じていたニュートの背中があった。

 ニュートは、エリック達と正面から対峙しながら背後のフィーナに声を掛けた。


 「お待たせ。フィーナ」

 「もう、遅いよ。ニュート」

 いつもの様に駐輪場で交わしている言葉だったが、今この瞬間は一言一句に込められた絆に無上の輝きが感じられる。

 ……しかし、フィーナを守りながら、体格の良い4人の男子を相手にするこの状態は、さすがに厳しい物がある。フィーナとニュートの2人にとって、苦しい状況である事は何も変わっていない。それは、エリック達も分かっている。

 

 「もう、世話が焼けるんだから!」

 夏休みのジョギングで鍛えた健脚が地面を力強く蹴る。

 猛ダッシュで1年X組の教室に戻ったエルザは、教室で帰り支度をしていた男子生徒らを見回すと、手当たり次第に説得を始めた。

 「ニュートが大変なのよ! すぐに校舎裏に助けに来て!」

 ところが、エルザの期待を裏切るかの様に、男子達の反応は冷ややかだった。


 「あのな、エルザ。今日の操縦訓練の授業で、俺達に散々迷惑をかけたのは誰だよ。まぁ……、仮に助けに行ったとしよう。俺達に何か得があるのか?」

 「そうだ、そうだ!」

 男子全員の代表意見を述べた生徒に追随して、他の生徒が囃し立てる。


 そうなのだ……このクラスは、常にこんな空気――他人のトラブルに関わろうとしない雰囲気があるのだ。クラスで一匹狼の扱いを受けていたエルザは、クラス内の様子を外野から眺めている様な気持ちで観察する癖が付いていた。

 そんな自分もまた……間違いなく、目の前の男子達と同じく他人のトラブルを避けて来た。でも、こんな連中と私は一緒にされたくない!


 エルザは教室の教壇に立ち、マイクとスピーカーのスイッチを入れた。続けざまに、心の中にある幾つかのスイッチも、全て『オン』に切り替え……啖呵を切って見せた。

 

 「あんたら、ニュートに借りがあるんじゃない? ここで、あいつを助けなかったら、1年X組男子の名が泣くぞ! 男なら、今ここで、根性見せてみろ!」

 それだけ言い捨てると、感極まったエルザは教壇から降り、廊下を駆け抜け、ニュートの助っ人に向かう。残された男子生徒達は、互いの顔色を伺いながら決断し兼ねている。だが、生徒の1人がポツリと言った。


 「確かに、ニュートには借りがあるしな……」

 「あいつニュートがビシッとしてねぇと、このクラスも締まらねぇからな」

 「エルザ姐さんにそう言われちゃ、仕方ねぇなぁ」


 それぞれ理由を述べながら、男子達が次々と席を立つ。彼らの目は、熱い炎で輝いている! そう今こそ、1年X組、出陣の時である。


 ――校舎裏では、ニュートが危機的状況に直面していた。 

 ニュートがフィーナに注意を払う一瞬の隙に、次々と鉄拳を食らってしまう。羽交い絞めにされ、成す術も無くボディブローを何発ももらうニュート。地面に放り投げられたニュートに、容赦なく取り巻き達の蹴りが入る。


 「その哀れな白馬の王子様をシメとけ。二度と盾突けなくなるようにな」


 エリックは取り巻き達にニュートの始末を命令すると、フィーナの手を引いてどこかへ連れて行こうとする。取り巻きの1人はエリックに向けて軽く頷くと、ズボンのポケットからナイフを取り出した。


 「盾突くどころか、二度とロボットを操縦出来なくしてやるよ」

 

 悪乗りする別の取り巻きが、ニュートの右手を掴むと、手の甲にナイフの刃が近づいて行く。ナイフから手を避けようとするが、がっちり固定されて動かせない。

 凶刃が右手の数ミリ手前まで接近した時、何者かのキックがナイフを蹴とばした。


 宙を舞い、地面に突き刺さったナイフの刃に映っていたのは、エルザの美貌であった。

 「なんだ手前ぇ!」

 「そう言われたら、名乗らないといけないわね。MPUパイロット養成コース1年X組の2、エルザ・クローラとは……あたしの事よ」

 「そんな奴、知るかよ」

 「じゃあ、今度から覚えといて」


 いつの間にか、エルザの背後には1年X組の男子生徒達が顔を揃えていた。

 後ずさるエリック一味。一瞬怯んだエリックの手を振り払い、フィーナがニュートの傍に駆け寄る。


 「フィーナ、無事だったんだね。良かった」

 腰の入った良いパンチを何発も貰っていたニュートは、顔を腫らしながらもフィーナが無事だった事に安堵していた。フィーナにとって、彼のその優しさが辛い。大きな瞳から、涙の粒が幾つもボロボロとこぼれ落ちる。

 「ご免なさい。私が、もっと……しっかりしていれば……。ご免なさい……」

 「これくらい、ゲル爺のゲンコツに比べれば何でも無いよ」


 ニュートを介抱するフィーナの様子を見ていたエルザは、視線をエリック達に移した。攻撃的な眼差しを投げつけるエルザに続き、1年X組全員がエリックらに詰め寄る。

 「うちのクラスの1を、ここまで痛め付けてくれたんだから……それなりのお礼をさせて貰うわよ」

 エルザの言葉を受けて、1年X組の男子の1人が申告した。

 「あいつら、ニュートの大事な腕も潰そうとしてたぜ!」

 MPUパイロットにとって、両腕は大事な商売道具である。それを潰すという事は、彼らの未来を奪われる事に等しい。しかも、一歩遅ければニュートの腕が使い物にならなくされていたのだ。……とても、許せる事ではない。


 「さて、どう落とし前を付けてくれるのかしら?」

 エルザはこれ以上無いほど鬱陶しそうに、ウェーブの黒髪を掻き上げた。一触即発の空気が充満する校舎裏。睨みあうエリック一味とエルザ達。


 「ちょっと待って」

 ニュートの傍で立ち上がったフィーナは、背筋をピンと伸ばしてエリックを見据えた。彼女の目は、先程までエリックらの乱暴に怯えていた弱い少女の目では無くなっていた。有力政治家の血を受け継いだ、確固たる意志を込めた瞳である。


 「エリック……いえ、エリック・カールトン君。貴方がいつも自慢しているお父様の会社……『カールトン・カーゴ』って言ったかしら。あまり、業績が芳しくないようね」


 フィーナの言う通り、『カールトン・カーゴ』の業績が低迷しているのは事実だった。新型貨物船を大量導入する等の大規模設備投資を行ったものの、それに見合うだけの利益を出すには至っていなかったのである。この結果、第一・四半期――つまり4月~6月までの決算発表は当初の予算を下回り、大幅な下方修正を余儀なくされた。しかも、8月の時点では業績回復の見通しは無いと言う。


 「貴方のお父様は閃いたのね。地球政府の有力議員と懇意になれば、補助金か何かで救済してもらえるんじゃないか……って。そこで、政府議員ジーン・オーキスの娘……つまり、この私に目を付けた。その気になれば、スキャンダルを取引材料にして、私の父からお金を引き出させるつもりだった……」


 フィーナによって次々と指摘され、エリックの両足はガクガクと震えている。雰囲気が悪くなってきた事を感じ取った取り巻き達は、いつの間にかエリックの周りから一人残らず消え失せていた。


 「ま、世間知らずな子供が、思い付きで言ってる事だから……まぁ、外れて当然だとは思うけど。その様子では、結構当たってるみたいね。これで分かったかしら、私を怒らせるとどうなるか……」

 

 完全に腑抜けになったエリックは、アングリと口を開いたまま何度も頷いた。

 「だったら、さっさと行ってちょうだい。成り上がり者の貴方の顔は、もう見たくないわ。……それから、女性の扱いは、もう少し丁寧にする事ね。あなた、意外とクラスの女子から嫌われてるわよ」


 回れ右をして駆け出すエリック。しかし……彼の真後ろには、1年D組の担任教師が立っていた。教師は今ひとつ状況を把握出来ていなかったが、エリックの挙動不審振りから何かに感付いた。


 「エリック・カールトン。この件について説明を聞かせてもらおうか……。ちょっと、職員室まで来なさい」


 教師に連行されて行くエリックの姿が校舎の陰に隠れて見えなくなると、大演説を打ったフィーナは急に体から力が抜け、地面にペタンと腰を落としてしまった。その様子を一部始終見ていた1年X組の生徒達は……ただ、茫然としていた。

 きっと、自分達とは別次元の生物、まるで宇宙人か何かを目の当たりにした様な気分だったに違いない。


 頑固者の教頭から騒ぎを聞いたヨウコは、監督指導責任を追及された。その鬱憤を晴らすかのように、下校時刻を過ぎたにも拘らず、彼女は1年X組全員を教室に召集して説教した。しかし、エルザを始めとする生徒全員は胸を張り、清々しい気持ちで彼女の説教を受けた。


 「ところで、事の発端になったニュートの奴は……どこに行った?」

 「さぁ……」

 ヨウコの問い掛けに、生徒達は我関せずという態度を示した。

 エルザは頭の後ろで両手を組み、芝居がかった態度で知らん振りを決め込む。

 「こういう時くらい、野暮は言いっこ無しよね」


 ――保健室

 ベッドで横になっているニュート。フィーナはその傍らに座り、殴られた彼の頬に慣れない手付きで消毒薬を塗っている。既に、ニュートの顔は絆創膏やらガーゼだらけになっているのだが。

 最後の仕上げとして、フィーナはニュートの額に軽くキスをした。


 「ニュート、早く良くなってね!」

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