第13話 インパクト!

 アストロナイズ市は、月面と地下4階層を合わせた計5階層で構成されており、各階層の中央部は巨大な筒状の建造物によって貫かれている。直径約5㎞もあるこの円筒――中央エレベーター・シャフトは、階層間を行き来するための公共交通機関であると同時に、都市全体の強度を確保する支柱の1つとして機能しているほか、市民の心の拠り所という一面も担っている。


 級友とケンカした小学生が、得意先を怒らせた営業マンが、失恋した女性が、夕灯に映える中央エレベーター・シャフトを見て明日への気力を取り戻す。……アストロナイズ市民なら誰もが、成長の過程でそんな経験をしているものだ。

 

 下の階層から昇っていくエレベーターが行き着く終着点。

 それは、アストロナイズ市の第1階層――つまり、月面である。

 この最上階層の地面は言うなれば地下都市を密閉するフタであり、『宇宙空間』と『都市空間』を分離する隔壁の役割をしている。当然、気密性や強度に十分配慮がなされている事は言を待たない。


 最上階層に設置された施設は、宇宙港及び整備・造船用ドック、各種通信設備、天体観測所、太陽光発電システム等である。ここに挙げたラインナップを見ても分かる通り純粋な工業施設やインフラ設備が大半を占め、娯楽施設等は宇宙港内部のごく限られた物のみとなっている。

 無論、特殊な例を除き、居住区画は基本的に存在しない。


 中央エレベーター・シャフトの終着スポットや各種施設は、自動車道路で連絡されており、利用者は各所に配置されたシンプルな案内表示板に従って目的の施設を目指す事になる。尚、これら全ての施設・道路が分厚い宇宙線防御隔壁で遮蔽されている事は勿論言うまでもなく、月面の風景を見ながらロマンチックにドライブ……という訳にはいかない。


 中央エレベーター終着スポットに設けられたシャッター。その1つが重々しく開くと、奥には下の階層から昇って来たばかりの車両搬送用ゴンドラが見える。ゴンドラに載せられていたメタリックブルーの小型電気自動車がヘッドライトを光らせ、タイヤを鳴らしながら急発進した。


 低圧ナトリウムランプが発するオレンジ光が、ボンネットからフロントガラス、さらにルーフ部分へと車体の曲面に沿って次々と流れて行く。

 車体後部には、アルファベットのAとMを重ね合わせた意匠……『アストロナイズ・モータース』のエンブレムが輝き、その右横には車の商品名である『BRATブラット』のメッキ文字が銀色の光を放っていた。


 運転席に座るオルダーは、自分の愛車をいたく気に入っているらしく、鼻歌まじりでハンドルを握っていた。チェンジレバーを挟んで隣のナビゲーター席に座るのは、同じ公安課員のアイダ・サマリー。普段の白衣姿とは打って変わって、薄手の黒ジャケットにタイトスカートというシックなワントーンでキメている。

 2人を乗せた車は、宇宙船建造会社『アストロナイズ・スペースクラフト』の技術試験場に向け、連絡道路を軽快に飛ばしていく。


 採掘船爆発事故現場で回収された残骸のうち、幾つかのサンプルがこの技術試験場で精密分析にかけられていた。今回の目的は、その精密分析について進捗状況を確認する事にある。


 技術試験場のゲートを通過し、駐車場エリアに入ると既に満車に近い状況であった。ここは職員用・来客用を特に分けていないらしく、停めてある車の大半は、自動車通勤をしている職員達の物だろう。

 駐車場エリアを一回りしてみたところ、施設全体を囲う宇宙線防御隔壁に沿ったスペースの隅に空きがあったが、車を入れるのも出すのも相当に難儀しそうな場所である。恐らく駐車場の区画分割をする際、余った部分を無理やり駐車スペースとして線引きしたのだろう。


 「オルダーちゃん、こんな所に入れるの?」

 「ここしか無いからな。……まぁ、見てな」

 

 オルダーはハンドルを操作しながら、空きスペースの真横に付け、チェンジレバーを『S(スライド)』の位置にセットする。

 次の瞬間、アイダは今まで体験した事の無い自動車の挙動に目を丸くした。

 オルダーが軽くアクセルを踏み、ハンドルを少し右に回す。すると、車の向きはそのままに、真横に水平移動を始めたのである。アイダが驚いている間に、車は空きスペースへの駐車を完了してしまった。


 「え? ええ?? こ、これ、どういう事?」

 「驚いただろ? こういう芸当が可能な事……それが、この車にブラット……『悪戯小僧BRAT』の名が与えられているワケさ」


 アストロナイズ・モータース社謹製・小型電気自動車『ブラット』。

 この車は、車体全長が3.5m弱しか無い事からも分かる通り、何から何までコンパクトな造りとなっていた。バッテリーも相応に小型となるため、当然の事ながら長距離や不整地の走行には向いていない。……しかし、その欠点を補って余りある特徴があった。

 それは、車輪と一体化した超電導モーター――いわゆる『ハブモーター』と呼ばれる技術。このモーターを本格採用した事により、電子制御式の四輪独立操舵と相まって驚異的な機動性を獲得しているのだ。 


 通常の車の場合、左右の車輪は『ドライブシャフト』と呼ばれる軸によって連結されている。このため、ハンドルを最大限に切った場合でも、車輪の角度は約40°程度までしか変えられない。『切り替えし』や『縦列駐車』といった運転技術を要求されるのも、こういった車の構造に起因する部分が大きい。


 しかし、『ハブモーター構造』の場合、ドライブシャフト自体が存在しないため、正に縦横無尽と言える挙動を可能にしている。操作次第では、その場で真後ろに向きを変えるといった――いわゆる、『超信地旋回』を行う事も出来る。


 「私もこの車、欲しいなぁ。……いくらするの?」

 「残念だが、買うのは無理だ。何年も前に市場から消えたからな」

 「こんなに便利なのに?」

 「何と言うか……、『良いモノ』と『売れるモノ』は別って事だろう」

 

 思うに、この車を設計したエンジニアは、都市生活者のための最高の小回り性能を追求したのだろう。だが、自家用車に奇妙な運動性能を求める消費者は少なく、何とも先進的なこの自動車は市場から消えて行った。

 販売終了から数年が経過する現在、自動車マニア達によって珍品に分類され、所有者は好事家の変わり者扱いされる有様である。同様のシステムを搭載した車が再び市場投入される事は、恐らく当分無いだろう。


 「なんだ、つまんないの」

 アイダは駐車スペースに収まった車から降りると、メタリックブルーに塗装された『ブラット』を名残惜しそうに見ながら、オルダーの後について技術試験場の自動ドアをくぐった。


 技術試験場館内の待合ロビーは、腰掛用のクッションが数個並んだ程度の酷く寒々しい景観だった。それよりも、壁沿いに並べられたガラスケースの一群が、やけに自己主張している。ガラスケースの中には、この試験場でテストされた様々なサンプルが展示されているのだが、この施設を預かる責任者のが如実に分かる代物といえる。

 破壊試験や衝撃試験によって、ある物はねじ曲げられ、ある物は断裂していた。こういった金属サンプルの数々は、見る者が見れば相当な技術的価値を見出せるのだろう。……が、アイダが受付カウンターで問合せをしてる間、暇つぶし程度に眺めていたオルダーには、そこに食い付いて行ける程のマニアックな感性も知識も持ち合わせていなかった。


 カウンターでの受付処理を終えたアイダは、右肩に下げたグレーのトートバッグから白衣を引き摺り出し、ジャケットの上から手慣れた感じで羽織った。

 「オルダーちゃん、入館許可のバッジ。胸に付けといて」

 オルダーの右手が、アイダの投げてよこしたプラスチック製バッジを空中でキャッチした。バッジに書かれていた番号を見て、オルダーが苦笑する。

 「また、この番号かよ」

 彼の手にしたバッジには、数字の『7』が記載されていたのだから。


 アストロナイズ・スペースクラフト技術試験場――それは、同社の主な業務である宇宙船建造に必要な各種実験・検証を行う施設である。その範囲は、旅客船のシートの座り心地テスト、船内食の試食、外装の破壊試験、新型エンジンの稼働テスト等々と実に多岐に渡る。


 試験場の廊下を歩いて行くと、すれ違う職員達がアイダの顔を見て会釈をしたり、親しそうに声を掛けて来る。事情が理解できないオルダーは、こっそりアイダに耳打ちした。


 「お前、ここじゃ随分と有名人なんだな」

 「公安課に来る前の職場だから、結構知り合いがいるのよ」


 オルダーの言葉が呼び水になったのか、アイダは自分の事を話し出した。

 「もうちょい成績が良ければ、アストロナイズ市の技術官僚テクノクラートになれたんだけどね。さすがに、凡人が本当の天才と勝負しても適わなかったわ」

 「もうちょいって……技術官僚テクノクラートって言えば、技術屋のトップだろ? アイダ……お前、案外凄いんだな……」

 途轍もなく凄い事を軽く言って済ませるアイダに、オルダーは開いた口が塞がらない。……しかし、同時に疑問も湧いた。


 「将来を嘱望されてただろうに……、なんで公安課なんかに来たんだ?」

 「ん……何でだろうね。オルダーちゃんは、何故、公安課に来たの?」

 「そりゃ、課長に期待されたら、嫌とは言えなかったしな……」

 そこまで言った所で、オルダーはハッとした。

 「私も同じだよ。私の能力を必要としてる人が、この世界の何処かにいるなら、私は迷わず応えたい。それだけ」

 「アイダ……お前……」

 「なぁんてね。本当は、暗くて寒い実験室が嫌だったから」


 ペロッと舌を出したアイダは、子供のようにパタパタと駆け出し、廊下に面したドアの前で立ち止まった。受付カウンターで渡された来客用IDカードをトートバッグから取り出し、ドアの横に備え付けられた読取装置のスリットに通す。すると、読取装置の盤面に点灯していた赤色のランプが消え、代わりに緑色のランプが点灯した。その直後、乾いた機械音と共にドアの電子ロックが解除された。


 ドアを開けて中に入ると、そこは魔窟と呼ぶに相応しい散らかり放題の研究室であった。物音に振り返った人物は、骨格標本が白衣を着ているという表現がピッタリの痩せた男性。頭髪もかなり薄く、メガネは重さでズリ落ちるのではと心配になる程、分厚いレンズが嵌め込まれている。

 この不気味な風貌の男に対し、アイダは気さくに声をかけた。


 「やっほー。ロジー君、元気でやってる?」

 ロジーと呼ばれた骸骨男は、懐かしそうにアイダと握手を交わす。

 「やぁ、アイダ。ご無沙汰してます。私の結婚式以来ですから、2年振りですね」

 「……で、どうなのよ。新婚生活は、上手くやってる?」

 「ええ、まぁ……何とか。えっと……、そちらの方は?」

 ロジーはアイダにからかわれながら、オルダーの方に視線を向けて聞いた。

 「彼はオルダーちゃん。私の相棒みたいなモンかな」

 アイダに紹介されたオルダーは、ロジーに向かって軽く会釈する。

 「アストロナイズ・セキュリティの調査員……オルダー・バナードです」

 「研究員のロディ・オズボーンです。ロジーと呼んで下さい」

 

 握手をしようと触れたロジーの手が余りに冷たかったため、オルダーは思わず手を引っ込めそうになる。しかし、アイダの知り合いという事で何とか堪え、握手を交わした。ロジーは指も極端に細く、本当に死体安置所から這い出てきた遺体ではないかと思えた。

 挨拶もそこそこに、ロジーは書き上がったばかりの報告書をアイダに手渡した。


 「こちらが、サンプルの1つ……『ドーナツ板』の分析報告書になります」

 報告書のページをペラペラと捲って査読していくアイダ。オルダーも報告書の中身を横目で見ていたが、とても彼女の速度に付いていけず途中で断念してしまった。アイダの査読が終わったタイミングを見計らい、ロジーは報告書の要旨を簡単に説明し始める。


 分析対象となったサンプル――通称『ドーナツ板』は、縦1024mm、横995mm、厚さ30mmの超合金鋼板である。中心部分に直径約80mmの穴が空いており、これがこのサンプルに付けられた通称『ドーナツ板』の由来となっている。


 資源採掘船ハンマーヘッドの設計図面と照合した結果、この超合金鋼板は船の外殻――つまり最も外側の外装板として使用されていた事が特定された。


 次に、衝突痕について観察した結果、が船の外側に衝突・貫通したものと判明した。孔の形状がほぼ真円であるため、衝突体の断面は円形――つまり、物体の形状は『球形』または『円筒形』と推測される。


 さらに、物体が鋼板表面に衝突した際の角度は、ほぼ『垂直』だったと考えられる。鋼板表面に対して斜めに衝突した場合、衝突痕は長細い物となり、奇麗な真円状の孔は空かないからである。


 以上の観察記録を元に、実験用電磁レールガンを使用した検証実験を繰返し行った結果、『重さ4kgの砲弾型の物体』を『秒速3㎞』の速度で鋼板表面に対し『垂直』に撃ち込んだ際、サンプルと同様の貫通痕が発生する事が実際に確認された。

 この実験から算出される物体の運動エネルギーは、約18メガジュール。TNT爆薬トリニトロトルエンに換算して、約4.3kg分の破壊力に匹敵する。


 「以上となります」

 ロジーの説明を一通り聞き終わっても、アイダの表情は曇ったままだった。オルダーに至っては、物理計算が出て来た辺りで気が遠くなっていたが。

 

 「何か、腑に落ちないのよねぇ……」

 アイダの発した疑問の声に対し、ロジーが答える。

 「具体的には、どこがですか?」


 「そもそも資源採掘船の外装板に、こんな奇麗な丸い孔が空く事自体が不自然に感じるのよ。例えば小惑星の欠片……天然の石コロが衝突したなら、もっと歪んだ衝突痕になるでしょ。――むしろ、そっちの方が自然と思わない?」


 「なるほど……、そう言われて見ると、鋼板の表面に対して『垂直』に衝突してるのも違和感がありますね。まるで、正確に狙って当てたみたいです」

 「でしょ。でしょ!」


 2人の会話を聞きながら、オルダーはジャケットの内ポケットから『機体番号ナンバー709』の写真を取り出そうとした。……が、寸前でアイダがそれを制し、無言で首を横に振った。


 技術試験場からの帰り道、車内の空気は重い沈黙に支配されていた。

 結局この日は何も結論が見出せず、他のサンプル分析を行ってから改めて検討する事となった。


 「なぜ、彼に『機体番号ナンバー709』の写真を見せなかったんだ?」

 ハンドルを握りながら、オルダーはやや厳しめの口調でアイダに聞いた。

 「今の段階で写真を見せたら、彼が行う分析全てにバイアスが掛かる事になるでしょ。例えば、あのMPUに結び付きやすいデータのみ注目するとかね。……それは、駄目なの。事実を見落とす事に繋がるわ」

 「先入観を持たせたくないって事か」

 「まぁ、そういう事ね」


 2人を乗せたブラットは、中央エレベーターに向かって疾走して行った……。


 ――至福の時間という物は、過ぎ去るのも早い。

 永遠に続くかと思っていた学生達の長い夏休みも、いつの間にか今日が最終日。明日からまた、勉学の日々が始まるのだ。

 ……だが、そんな憂鬱な思いを軽く吹き飛ばしてしまう物が、この世には存在する。例えば、アストロナイズ宇宙港・展望室から見る壮大な景色など、その最たる物だろう。


 出発を控えた旅客宇宙船の周囲で、船に貨物搭載や燃料補給を行う月面作業仕様のMPUが行き来している。既に知っての通り、MPUは小惑星帯での資源探査・採掘のために開発された作業機械であるのだが、その有用性が確かめられると様々な業種で運用されるようになった経緯がある。いずれは、アストロナイズ市内の道路工事にも、MPUが使われる日が来るかもしれない。


 ニュートとフィーナの2人は、夏休みに入って何度目かになるデートを宇宙港の展望室で過ごしていた。

 次々に離陸する旅客宇宙船。歓声を上げながら、それらを見送るフィーナ。夏休みの初日に買った淡いオレンジのワンピースも良く似合っている。頭に被った白いつば広帽子には、アクセントにピンクのリボンがあしらわれており、これもまたフィーナの魅力を十分に引き出していた。

 隣に立つニュートは、彼女の首筋辺りから匂い立つ色気に何度もノックアウトされている。何か特別な事が無くても、一緒にいるだけで楽しい。……きっと、こういうのが、幸せって事なんだろうな……と、そう思うのだった。


 ――鳴り響く残酷なアラーム音。

 甘い夢の世界から現実の世界へニュートを連れ戻したのは、目覚まし時計だった。つい数秒前まで昨日のデートを反芻していた彼は、起床した直後も現実を認識出来ないでいる。寝ぼけ眼のニュートは、熱いシャワーで無理やり自分の頭を覚醒させた。


 ――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス

 駐輪場のいつもの場所にバイクを停めたニュートは、正門ゲート前の生徒達の列に混じって並んでいた。数分の後、ゲート装置に学生証カードをタッチして正門を抜けると、視線の先……5m程の所に見慣れた後姿の女生徒を見付けた。


 間違いなく、フィーナ・オーキスである。


 後姿だけでなく、カバンの持ち方、歩き方……その全てがニュートの脳内にあるデータベースと一致する。こっそり近付いて驚かせてやろう……そう思った矢先、見知らぬ男子生徒がフィーナに接近して行くのを見た。

 問題の男子生徒はフィーナの肩に手を回し、やけに親しそうに話し掛けている。チラチラと見えるフィーナの横顔にも、まんざらでは無さそうな笑みが浮かんでいる。男子生徒は、フィーナに何か封筒の様な物を手渡して走り去って行った。


 一部始終を目撃していたニュートの歩幅が徐々に狭くなり、やがて歩みを止めてしまった。自分の体から急激に体温が抜けて行く。

 ……今のは、一体何だったのだ? フィーナのクラスメイトか? それにしては、随分親しそうだったな。肩に、肩に手を回して……。もしかしたら、僕の知らない所で、2人はもっと親密な関係になっているのだろうか……?

 だとしたら、僕はフィーナにとって、どういう存在なのだろう。

 

 ネガティブな思考がニュートの頭の中をループする。


 夏休み明けの初日は始業式くらいしか無く、本格的な授業は翌日からとなる。1学年後期の授業に関するオリエンテーションが終わる頃、『1年X組』の教室に詰め込まれていた生徒達は、すっかりヘトヘトになっていた。

 

 「お前ら、明日からまたビシビシ行くからな。覚悟してろ!」

 「えー、先生勘弁してよ~」

 「今日は夜更かしせず、早く休んでおけよ。以上、解散!」

 ザワザワと席を離れて行く生徒達に置いて行かれるように、ニュートは席に着いたまま呆然としていた。ヨウコの説明は、殆ど頭に入っていない。一日中、朝の光景が頭から離れなかったからだ。

 例の男子生徒は、ニュートより身長が高く、やや筋肉質で如何にもスポーツマンといったルックスだった。外見だけ取り上げて言えば、ニュートに勝ち目は無いだろう。


 気が付くと、教室はニュートだけになっていた。

 ゆっくりと席から立ち、廊下を歩いて行く。その間にも、嫌な想像が胸の奥から無限に湧き出して来る。

 確かに自分は、フィーナと何度かデートしただけで舞い上がっていた。もしかしたら、あの2人は何処かで、そんな自分の事を嘲笑っているのだろうか。

 

 いや……、フィーナに限って、そんなはず無い!

 きっとあれは、……何か違うんだ。多分、良く分からないけど。


 何故そう言い切れる? 証拠は? 彼女の何を知っている? そもそも、何時からそんなにフィーナの事を知ったつもりになっていた? 


 いつ正門ゲートを通過したのか覚えてないが、ニュートは駐輪場に来ていた。きっと自分の考えすぎなら、いつも通りフィーナが駐輪場に来るはずだ。

 『ニュート! 一緒に帰ろう!』って。

 そして、馬鹿みたいなお喋りをしながら、わざわざバイクを押して歩いて帰るのだ。今まで、何十回もそうして来たじゃないか……。


 しかしその日に限って、ついにフィーナは現れなかった。いつまで待っても。


 何か無性に馬鹿馬鹿しくなって来たニュートは乱暴にヘルメットを被り、バイクに跨って駐輪場を後にする。居住区画の天蓋が夕灯色のグラデーションに飾られ、遥か遠くに見える中央エレベーター・シャフトが映えて見える。


 バイクを路肩に停めたニュートは暫しその風景を眺め、ヘルメットの中で泣いていた……。

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