第12話 クロス・カウンター!
公共安全部・公安課に所属しているオルダー・バナードは、仕事柄さまざまな経験を積んでいる事もあり、滅多な事で驚く事は無いと自負していた。大抵、こういった話は根拠の無い自信から来る事が多いのだが、彼の場合は数々の窮地を切り抜けてきた実績に裏付けられていた。
……そんなオルダーが、眼の前に広がる風景に圧倒されていた。
遥かに高い天井、高級感あふれる大理石風の床、上品な屋内照明、精巧に細工された彫像達、恐らく時価数万アースにはなろうかと思われる絵画の数々……訪問客の待ち時間を少しでも有意義な物とするため、その内装も展示品も一級品揃い。
勿論、ロビーに並べられた多数の待合席も、有名デザイナーの手による物である事は言うまでも無い。
国賓クラスが宿泊する超高級ホテルのロビーと言われたら、そのまま信じてしまう人もいるだろう。
ここは、商工業区の一等地。中央エレベーター・シャフトに寄り添う様に建つ、総合商社『アストロナイズ・トレーディング』の待合ロビー。さすが、アストロナイズ・グループ企業中ダントツ1位の収益を上げているだけの事はあって、建物は外も中も堂々としたものである。
ちなみに、中央エレベータ・シャフトを挟んで反対側に建つアストロナイズ社本部ビルも十分立派なのだが、どことなく漂う垢抜けない雰囲気のせいもあって、傘下企業であるこの商社の建物に見劣りしている感が否めない。
通り過ぎて行くビジネスマン達は、仕立ての良い高級スーツを身に付けた者ばかり。毎度お馴染みの安物ジャケットに袖を通しているオルダーは、ここでも浮いた存在であった。
アストロナイズ宇宙港の男子トイレで、オルダーは『トム・ウェイガン』の襲撃を受けた。逮捕されたトムは、『アストロナイズ・トレーディング』の重役が関与している事を供述。……そこでオルダーは、事の真相を確かめに来た訳である。
とはいっても、広報担当者の当り障りの無い回答を聞く気は微塵も無い。事前にアポイントを取る際、この件について詳しく回答出来る『相応の役職の人物』に面会したい旨も伝えてあった。
カウンターの受付嬢に面会の話をすると、すんなり確認が取れた。
「ただいま御取次いたしますので、席にお掛けになってお待ち下さい」
受付嬢はマニュアル通りの澄んだ声で言い終えると、内線電話を操作しながら、オルダーに白いプラスチックカードを手渡す。カードの表面には、『7』と刻印されている。ラッキー7とは、幸先が良い……オルダーは軽く笑いながら最寄の席に腰かけた。
「さてと、やって来るのは狸か狐か……」
――10分後
「7番のカードをお持ちのお客様、カウンターまでお越し下さい」
壁に飾られていた絵画を見ていたオルダーは、館内放送を聞いて手にしたカードの番号を思い出した。カウンターに駆けつけ受付嬢にカードを手渡していると、……背後に何者かの気配を感じる。
反射的に素早く振り返ったオルダーの目の前に、短いブロンドヘアの男性が立っていた。端正な顔立ちと吊り上った目尻のバランスから、オルダーは『狐』を連想していた。……いかにもキレ者と言った風貌に手応えを感じる。
「お待たせしました。事業戦略部のケント・アーセンです」
ケントと名乗る男性は、上着の内ポケットから名刺入れを取り出すと、その中から1枚手渡した。オルダーは、受け取った名刺をマジマジと見る。
その紙片には『部長補佐』という肩書が書かれてある。どう見ても目の前に立つ男は30歳そこそこといった感じなのだが、きっちり整えたオールバック、感情の読めない眼差し、シワひとつ無い高級スーツ、曇りなく磨かれた革靴といった各パーツから、相当な手腕の持ち主である事が想像出来る。
ケントはオルダーを待合ロビーの隅に案内すると、パーテーションで区切られた簡易商談スペースに入るよう促した。2人は、小テーブルを挟んでソファーに座る。
「お忙しい所、時間を頂いて恐縮です。『アストロナイズ・セキュリティ』の調査員……オルダー・バナードです。本題に入る前に、事業戦略部というのは何をする部署なのか教えてもらえますか?」
オルダーによる掴みの質問に対し、ケントは即答した。
「我が社は御存知の通り、アストロナイズ市の対外物流――つまり輸出入を一手に引き受けております。例えば食肉、生鮮野菜、化学薬品、繊維、電子部品、そして鉱物資源など……あらゆる分野に及びます。では、現在の事業をより高収益な物にするにはどうすべきか? それを検討するのが、私ども事業戦略部です」
「そうですか。でも聞きたい話は、事業戦略部と関係無いのですが……」
オルダーの問い掛けに、ケントがさらに即答する。
「広報担当以上のお話を伺いたい……そう、お聞きしてましたので。こういった対応も広い意味で事業戦略の一環だろうと考え、私から説明させていただく事にしました」
オルダーは軽く2度3度うなづき、相手の立場を把握した上で本題に入った。
「実は、採掘船爆発事故についての調査中、暴漢から襲撃を受けまして……」
ケントは相槌を打ちながら、話に乗ってくる。
「それはそれは、大変お気の毒でしたね」
「被疑者は、採掘船爆発事故を嗅ぎ回っている人間を襲撃しろ……と、御宅の会社の重役から指示されたそうです」
「その件でしたら、既に警察の方から聞きました。早速、社内で調査を行いましたが、『トム・ウェイガン』なる男と接点のあった社員は存在しませんでした」
オルダーの目が即座に反応する。
「被疑者の名前、もう御存知でしたか」
「ええ、警察の方から聞きました。しかも、博打打ちの半端者だそうじゃないですか。弊社の名前を出したのは、自分を大物に見せたかったからでしょう。これも、一種の有名税みたいな物ですかね」
ケントは、いかにもといった感じに冗談っぽく笑って見せる。だが、固い表情のままのオルダーは、商談スペースをグルリと見回し……突然話題を変えた。
「ところで、採掘船爆発事故に地球政府軍が関与していたら、当然ながら地球と月の関係も悪化し、御宅の会社も商売がやり難くなりますね」
「これは、いきなりですね。一体、何を仰りたいのですか?」
ケントの言葉には少し怒りがこもっていたが、オルダーは止まらない。
「御宅の会社にとって、採掘船爆発は『単なる操船ミス』が原因であった方が商売への影響が少ない。つまり、御社にとって都合が良い事になる。だから、嗅ぎ回っている人間を潰そうとした……本当は、そういう事ではないのですか?」
オルダーの言葉を最後まで聞き終えたケントは、一呼吸おいて笑いながら否定した。
「総合商社と聞くと、何か特殊な陰謀を張り巡らせ、莫大な富を得ている様にお考えの方がいらっしゃいます。そう、今の質問のように……」
オルダーは、ケントの目を正視したまま話を聞いている。
「しかし、現実は厳しい。ご承知の通り、商売の基本は『安く買って高く売る』という事ですが、
「では、あくまで無関係である。……そういう事ですか?」
「そう考えていただいて結構です。下らない策謀を捻っている暇があるなら、うちの営業部隊に指示を出した方が遥かに効率が良い。現実のビジネスは常にドライです。ロマンが立ち入る隙は、残念ながらありませんから」
そこまで聞いた所で、オルダーはソファーから立ち上がる。この男から話を聞いた所で、大した情報は引き出せないと判断したのだ。
「分かりました。今日の所は引き上げる事にします。どうも、御邪魔しました」
商談スペースから退出したオルダーは、そのまま出入り口に向かって歩いていった。5分……いや、10分程経過した後、商談スペースに1人で残っていたケントは、上着のポケットからハンカチを取り出して額や首筋を拭った。余裕の顔を見せていたケントだったが、オルダーの指摘は実は的を射ており、正直冷や汗ものだった。
……オルダー独特の鋭い勘が、ケントにプレッシャーを与え続けていたのである。
「アイアン・ハンド、そこにいるか?」
ケントがパーテーションの外に向けて声を掛けると、すぐに野太い男の声で返事が返ってきた。
「はい、何でしょうか?」
「今、面会したオルダー・バナードという男、ただの探偵モドキかと思っていたが……少し侮っていたようだ。爆発事故の件からは、一旦手を引け」
「よろしいのですか?」
「君子、危うきに近寄らず……と言うだろう。その代わり、オルダー・バナードには監視を付けておけ。気付かれないようにな」
「承知しました。……逮捕されたトム・ウェイガンは、どうしますか?」
「トカゲの尻尾なんかどうでも良い。なんなら、刑務所でもあの世でも好きな所に行ってもらおう。……その方が、この街も少しは奇麗になるという物だ」
ケントは、彼が『アイアン・ハンド』と呼んだ姿の見えない相手――恐らく、部下であろう人物に対し、必要な指示を伝えると商談スペースから出ていった。
――公共安全部 公安課 事務所
数日振りに事務所へ顔を出したオルダーは自分の席に向かう事無く、真っ直ぐにクローラ課長の机へ直行する。課長の方も聞こえて来る足音から相手を予想し、書類を裁く手を止めて視線をゆっくり上げ、開口一番に労いの言葉を発した。
「オルダー、警察筋から話は聞いた。……襲撃を受けたそうだな。大丈夫か?」
「ええ、まぁ。ただの
「よろしい。報告を聞こう」
オルダーはジャケットの胸ポケットから『
「まずは……例のMPU。地球政府軍の軍用機らしいですね」
クローラ課長は銀縁眼鏡を外して目頭を揉んだ後、改めて眼鏡をかけて写真を見直した。
「なぜ採掘船爆発事故の現場に軍用機が?」
「採掘船の乗員達によると、軍用機を目撃するのは珍しい事では無いそうです。現時点では、偶然その場にいた……としか言えません」
オルダーの話を聞きながら、クローラ課長は軽く握った右手を顎に当てて考える。そこへ、書類の束を持った白衣姿の女性課員――アイダ・サマリーがやって来た。
「クローラ課長、X線解析装置の定期点検が終わりました。この書類に承認のサインをお願いします」
課長は話を中断すると、書類の内容に素早く目を通し、所定の欄にサインを書き込んだ。書類をアイダに手渡しながら、課長は思い出したように質問を投げた。
「アイダ、回収されたハンマーヘッドの残骸のうち、精密分析に送ったサンプルがあったろう。現在の進捗状況はどうなってる?」
「今週中に『アストロナイズ・スペースクラフト』から、最初の分析結果が上がってくる予定です」
クローラ課長はアイダの答えを聞いた後にまた少し考え、オルダーとアイダを交互に見る。そして、何かを納得したように、軽く両手をポンと叩いた。
「オルダー、アイダ。明日、2人で分析状況を見に行って来い」
「分かりました。では、ちょっと行ってきます」
オルダーが平然と指示を受けたのに対し、アイダの反応は少し違っていた。
「よろしくね。オルダーちゃん」
「……遊びに行くんじゃないんだぞ?」
「まぁ、そうカタい事を言わないの~♪」
オルダーは自分の腕にしがみ付くアイダを気にも留めず、報告を続ける。
「それから、俺を襲ってきた……『トム・ウェイガン』という男についてですが、多額の借金を抱えたギャンブル中毒のチンピラです。此奴の供述によると、『アストロナイズ・トレーディング』の重役から指示を受けていたそうです。……採掘船爆発事故を嗅ぎ回る人間を襲撃しろ……とね」
大手総合商社の名前の登場に、クローラ課長はもとよりアイダの表情も硬直する。同じアストロナイズ・グループの傘下企業とはいえ、公安課が所属する『アストロナイズ・セキュリティ』とは、月とスッポンというくらい規模が違うのだ。
「地球政府軍に、大手総合商社か……。なかなか、面白くなってきたな。……で、お前の事だから、もう行って来たんだろ?」
クローラ課長は普段の物静かな雰囲気から一転し、顔を崩してニヤニヤし始める。オルダーは、手に入れた名刺を取り出して報告を続けた。
「事業戦略部・部長補佐の『ケント・アーセン』という男に会ってきました」
「ケント・アーセンだと?」
「もしかして……、知ってるんですか?」
「知ってるも何も、事故調査委員会メンバーの1人だ。ブロンドで、目尻が吊り上った狐みたいな奴だろう? ……で、この狐が何だって?」
クローラ課長はケント・アーセンという人物が相当気に入らないらしく、露骨に嫌悪感を顔に出していた。想像するに、事故調査委員会の席上で揚げ足の1つでも取られたのだろう――オルダーは何となくそう察した。
「終始、知らぬ存ぜぬの一点張り。……取りつく島もありませんでした。もっとも、そう簡単にボロを出すようでは、大手商社の部長補佐なんか務まらないんでしょうけどね」
オルダーは左右両方の掌を見せ、素直に完敗を認めるジェスチャーをやって見せた。クローラ課長は両手を組みながら、小さく繰返し頷いている。
「……この、ケント・アーセンという男は、事故原因を『操船ミス』と結論付けたがってた奴だ。アストロナイズ・トレーディングの商売に悪影響が出ないよう、妨害工作を行っていた可能性はあるな」
クローラ課長の推測を聞いたオルダーは、少し躊躇した挙句……素直に白状する事にした。
「課長、実はその……俺もそう思ったので……直接聞いてみました」
「直接って、妨害工作に関与したかを聞いたのか?」
「……やり過ぎでしたかね」
クローラ課長は、組んで両手で口元を押さえながら少し考えた。
「我々の手の内を見せ過ぎたかもな……。ただ、本当に妨害工作を仕組んでいたのなら、良いプレッシャーになったかもしれん。少なくとも、オルダー……お前がただの調査員では無いと分かれば、狐も慎重になるだろう。もしかしたら、一旦は爆発事故の件から手を引くかもしれないな」
「牽制……ですか。果たして、そう上手く行きますかね?」
「次の事故調査委員会の席で、奴が『操船ミス』を口にしなくなれば、ほぼ正解と見て良いだろう。連中の言動は慎重な物になるし、我々にとっては事故原因の調査に集中出来る。まぁ、良しとしよう」
……そう言って締め括った直後、クローラ課長の表情が一転して厳しい物に変わった。さらに引き出しから1枚の書類を取り出し、オルダーに突きだす。
「オルダー、次から独断専行は無しだ。今回の件について始末書を提出しろ」
「……はい」
がっくりと肩を落とすオルダー。アイダは、彼の背中をポンポンと軽く叩くのだった。
――翌日
夏とは言え、早朝の空気は清々しい。
規則的な呼吸音のリズムに乗って、アスファルト表面を力強く蹴る濃紺のスポーツシューズ。赤いショートパンツから伸びた浅黒い両足には機能美と躍動感が同居しており、さながら最新型スポーツ・ビークルのボディラインと言った所か。白いタンクトップの胸部からはさらに露出度が高まり、女性特有の鎖骨をアピールする水着に近いデザインに至っては、すれ違う通行人が目のやり場に困る程である。
ピンクのバンダナでまとめ上げたウェーブの黒髪。うなじに貼り付く数本の毛髪が、年齢以上の色艶を醸し出す。その美しさに目を引き付けられない者はいないはず……なのだが、厳しい眼差しが邪な視線の接近を一切を許さなかった。
徐々に温度が上昇して行く外気を振り払うように走る少女――それは、エルザであった。夏休み初日から始めた朝のジョギングにもすっかり慣れ、自宅からテンダー・キャンパスまでの往復約8㎞コースをかなりのハイペースで走れるようになっていた。
走っている間は、嫌な事を忘れていられる。エルザは、少しペースを上げた。
……あれは、夏休み突入直前の前期終業日。
クラストップのMPU操縦技能を持つ自分を差し置いて、ニュートに対して教員コースへの誘いがあった事……それは、彼女にとって耐え難い屈辱だった。
『こうなったら、力づくで実力を認めさせてやる』
そう心に決めたエルザは、男子生徒に負けない基礎体力を身に付けるべく、毎朝のジョギングを日課とした。始めてから3日程度であるにもかかわらず、練り上げられた執念が彼女の体躯から女性特有の曲線を徐々に奪い、微笑が薄くなった代わりに刃物を思わせる鋭い雰囲気が滲み出ていた。
学生証カードを提示して正門ゲートを抜けると、当り前の事だが校庭には誰もいなかった。軽くストレッチをした後、校舎の作る灯影で暫し休憩を取る。
「さてと……」
エルザはスポーツシューズの爪先でトントンと地面を叩き、スキップするような動作から徐々に脚の動きを早め、やがてスピードが安定してくる。瞳の先に見えるは、自宅へと繋がる4kmの帰り道。
大きく吸い込んだ酸素が、肺を介して全身に分配される。彼女の足が力強く地面を蹴ったかと思うと、あっという間に数百メートル……朝灯の中へと消えて行った。
その数分後、エルザが走り去った方向の反対側から人影が1つやって来た。学校指定のジャージに身を包んだの人物……それは、ニュートだった。
『天性の才能を持つエルザに追いつくには……兎に角、努力するしかない』
それが、彼の導き出した答え。
学生証カードを提示して正門ゲートを抜けると、当り前の事だが校庭には誰もいなかった。軽くストレッチをした後、校舎の作る灯影で暫し休憩を取る。
「さてと……」
ニュートはスポーツシューズの爪先でトントンと地面を叩き、スキップするような動作から徐々に脚の動きを早め、自宅へと繋がる帰り道を走り出す。夏休み突入と同時に始めたジョギングの習慣もすっかり体に馴染み、心なしかニュートの顔付に少しだけ精悍さを帯びてきた様に見える。
2人は知らず知らずのうちに互いを目標として捉えていた。しかも、ほぼ同じ時刻にジョギングしていながら、わずかなタイミングの違いで見事にすれ違っているというオマケ付きである。この世に神という者がいるのなら、それは相当に悪戯好きな存在なのであろう。
……そして今日もまた、あつい一日が始まるのだ。
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