第11話 トレード!

 ――アストロナイズ市内 商工業区 某所 

 繁華街に店舗を構える小洒落たブティック。通りに面したショーウインドーに飾られたマネキン人形が、ポーズを変化させながらウィンクや微笑といった表情を通行人達に披露してみせていた。

 『動くマネキン人形』そのものは特に珍しい存在では無いが、人形本体を構成する軟質素材の質感に加え、小型モーターによる関節の滑らかな動きも相まって、一瞬パントマイマーの演技と見紛う事もある。

 実はこの『動くマネキン人形』には、MPUの研究開発過程で得られたモーター制御技術のノウハウ――そのごくごく一部が応用されているという。意外な物が意外な場所で使われている1つの例と言えよう。


 さて、入口ドアの取っ手を手前に引き開け、店に入る……と、店内に展示された若い女性向けの洋服達が来店者を出迎えてくれる。ざっと見たところ、この店が扱う商品のセールスポイントは、大人の色っぽさとは違う『若者特有の絶妙な艶』を引き出すデザイン……といった所だろうか。

 商品1つ1つは店の雰囲気を醸し出す大切なオブジェの役目も兼ねており、来店者はあれこれ目移りしながら自然と店の奥へと誘われて行くのである。


 店の最も奥に設置されたフィッティング・ルーム……その前に立つニュートは、何とも言えない居心地の悪さ、そして精神的・肉体的疲労と必死に戦っていた。この店に入ってから既に1時間以上が経過しており、立ちっぱなしの彼の脚にも少々痺れが出始めている。

 時折、近くを通り過ぎる店員の目も地味にキツい。背中に視線を感じるたび、掻きむしりたくなる様な『かゆみ』と体温の上昇に襲われるのだ。

 ここはニュートにとって完全に敵地アウェイであり、その場に立っているだけでガリガリと体力を削られて行く場所なのである。

 

 『そんなものは、女性と付き合ってれば良くある事さ。……じきに慣れる』

 以前、自宅にやってきたオルダー・バナードなら、多分そう言いそうだ……などと考えていた時、試着室の方から音がした。ニュートは表情を引き締め、疲れを見抜かれないように努める。

 彼の様子を一部始終見ている者がいたならば、それはまるで、飼い主の前でのみ行儀良くするペット犬のように見えたかもしれない。


 試着室のカーテンを開けたフィーナは、2着の夏物のワンピース――『薄い水色』と『淡いオレンジ色』を両手に持ってニュートに問いかけてきた。


 「これとこれ、どっちが良いと思う?」

 ……また、この質問か。一体、この店に入ってから、同じ問答を何回繰り返しただろう。これは、目の前にいるフィーナに限った話では無く、恐らくは世の女性に共通しているのだろうが……どうして、買いたい物を短時間で決められないのか。

 だが、ニュートは必死に抑えた。苛立ちと困惑が入り混じった表情が、つい顔に出そうになるのを。

 フィーナの怒る顔も少し見てみたい……という欲望もほんの少し首をもたげたが、この店を出た後が台無しになる事は火を見るより明らかだ。ここは何としても耐え、彼女を笑顔にする最善策を考えるべきだ。

 時間にして約3秒足らず。ニュートは彼自身の脳細胞をフル回転させた結果、無難な質問という形で答えを口にした。


 「フィーナは直感的に、どっちが良いと思った?」

 問われたフィーナは、『ん~』と唸りながら迷っている。だがその瞬間、『淡いオレンジ色』のワンピースを僅かに高く持ち上げているのを、ニュートは見逃さなかった。……これが、きっと答えに違いない。


 「僕はオレンジ色の方が、フィーナに似合うと思うよ」

 「どんな風に似合うのか、具体的に言ってみて」

 「え? いや、具体的に……って、それは……」

 「言えるよね?」

 言いよどむニュートを前にして、フィーナの眼が怪しく光る。大物政治家である父親から譲り受けたと思われる眼力。ニュートはその眼差しに恐怖を感じつつも、同時に心地良さも感じていた。これは、彼女との付き合い方に徐々に慣れて来た……と言って良い事なのだろうか。


 「オレンジ色って活発な感じだけど、淡い色合いだから上品さもある。その雰囲気が、フィーナのイメージにぴったりだと思うよ」

 ニュートが感じたままの言葉を述べると、少しの間を置いてフィーナは笑顔を見せた。

 「やっぱり、ニュートもそう思う? じゃあ、これに決めた!」


 『乙女心ガールズ・マインド』という名の爆弾解除に成功したニュートは、レジで会計をするフィーナを見ながら小さく息を吐いた。もっとも、これから続くであろう長い付き合いの中で、この程度は取るに足らない物だと知って行くのだが。


 「はい、お会計致します。32アースと18グランになります」

 女性店員がワンピースの値段を告げると、フィーナは肩に掛けていたカバンから洋服を何着か取り出した。いずれも手入れが行き届いているとはいえ、ややデザインが古臭い物ばかり……フィーナは、自宅から古着を持ってきていたのだ。

 「じゃあ、これを下取りしてください」

 「かしこまりました」


 女性店員は嫌な顔一つせず、フィーナの古着を査定し始めた。

 アストロナイズ市内に存在する全ての衣料品店では、持ち込まれた古着の下取りが日常的に行われており、新しい服を購入する際に査定額分を値引きしてもらう事が出来る。

 ちなみに下取りされた古着は、化学薬品メーカー『アストロナイズ・ケミカル』に関連した化学処理工場に送られた後、新しい衣料品の原材料として溶解・再利用される。使える物資を可能な限り活用するという思想は、こういった形でも市民生活に浸透しているのである。


 「……そうですねぇ。下取り額は、7アースになりますが……」

 フィーナは何も言わず、店員の瞳を見つめる。

 「おまけして、7アースと18グランの下取りにさせて頂きますわ。では……、ワンピースのお会計は25アース丁度となります」


 代金を支払い、ほくほく顔で店を出るフィーナ。そして、彼女の後について歩くニュート。ダンスのステップにも似た足取りで歩くフィーナを見ながら、ニュートは疲労と引き換えに何かを学んだ気がした。多くの女性にとって、買い物が単に必要な物を手に入れる事では無い……という事を。


 『魅力的な商品達との出会い』、『本当に必要な物かを厳選する時間』、『店員との些細なやり取り』等など……その全てが、その品物に付いて回る貴重な記憶ドラマであり、実際に着用するという未来に繋がるのである。

 フィーナにとって、たった今買ったばかりの『淡いオレンジ色のワンピース』もまた、ニュートと一緒に買い物をした思い出と共にあり続けるのだろう。


 「ニュート、待たせてごめん。どこかで、休んで行こ?」

 くるりと振り返ったフィーナ。そして、彼女が見せる眩しいほどの笑顔。

 その何気ない仕草が、ニュートにとっては代えがたい物に感じられた。


 歩道を歩いて行く2人とすれ違うように、白と黒のツートンカラーに塗られたパトカーが赤と青の回転灯を光らせ、けたたましいサイレンを鳴らしながら猛スピードで車道を走り去って行った。パトカーが視界から消えてもなお、サイレンの音が聞こえている。

 ニュートは無意識のうちにフィーナの前に立ち、彼女を庇うような位置を取っていた。サイレンの音に少し驚いていたフィーナだったが、やや低い位置から見る彼の背中に出来た影が嬉しい。


 「警察か……。近くで事故でもあったのかな?」

 ニュートは気を取り直して背後にいるフィーナの方へ向き直る。……と、何やらニヤニヤしている彼女と目が合ってしまった。


 2人同時に、急に恥ずかしさが湧きあがってくる。

 フィーナは照れ隠しに思いついた質問を投げ、場の空気を換えようとする。

 「……ま、前から気になってたんだけど、アストロナイズ市のパトカーって、『シティガード』って書いてあるけど……どうして?」

 「……あ、あれ? 地球では違うんだっけ?」

 「地球では、そのまま『警察ポリス』って書いてあるわ」


 地球からアストロナイズ市に転居してきた人間にとって、毎日の出来事の幾つかは違和感の源泉である。最も大きな違和感の源は、アストロナイズ市という都市の仕組みそのものかもしれない。


 市役所で配布されているパンフレットにも書かれてある通り、アストロナイズ市の歴史は、宇宙開拓企業アストロナイズ社の月面入植基地に端を発している。

 そのため、アストロナイズ市内の土地、敷設された道路、建造された建築物……その全てがアストロナイズ社または傘下企業の有形固定資産扱いとなっている。


 また、同市の維持運営もアストロナイズ社及びその傘下企業によって行われており、いわゆる公僕と称される『公務員』という職業自体が存在しない。公的機関と認識されている市役所等も、実はアストロナイズ社関連企業の1つに過ぎないのである。


 当然の事ながら、市内の治安を守る警察業務もアストロナイズ社の傘下企業が担当している。正確には、『アストロナイズ・シティガード』という名の企業なのだが、この名前は全くと言って良いほど浸透していない。善良な一般市民は皆、彼らを単に『警察』と呼ぶ。例え呼称が正確で無くとも、市民に奉仕し、また市民達から信頼されている事に変わりは無いのだが。


 「……簡単に言うと、警察もアストロナイズ社関連の会社って事なんだ」

 「ふぅん……、良くそんな仕組みで上手くやれるよね」

 生まれた時からアストロナイズ市で暮らしているニュート。彼には当たり前の感覚なのだが、『公務員』が存在しないというのはフィーナにとって理解し難いシステムなのだ。つまり、彼女の父親の職業である『議員』も存在しないのだから。

 

 「それはそうと……フィーナ、何か食べに行こうよ」

 「そうね、なんかお腹すいちゃった!」


 ニュートとフィーナは再び歩道を少し歩いた後、通り沿いに見付けた喫茶店に入って行った。


 数日後――アストロナイズ・シティガード 第8分署

 アストロナイズ宇宙港の男性用トイレでオルダー・バナードを襲撃したヒゲ面の男――『トム・ウェイガン』は、狭い取調室の中で若手と年配の刑事コンビから取り調べを受けていた。頭に包帯が巻かれている事から、オルダーに確保された後に傷の治療を受けたようである。


 「アストロナイズ・マテリアル社のロビーで獲物を探していた所、被害者に目を付け尾行、人気の少ない宇宙港内の男子トイレで犯行に及んだ……と。ここまで、間違い無いな?」

 「ありません」

 「大便器用個室のドアを3つ開扉した後、被害者と格闘になった。被疑者は特殊警棒で殴りつけ、被害者は清掃用モップでこれを防いだ。……間違い無いか?」

 「ありません」

 「被害者は小便器を作動させ、モップに洗浄水を含ませた後、これを振り回して被疑者を攪乱した。その直後、被害者はモップの柄で被疑者に打突を加え、さらにモップ側で被疑者の左側頭部を殴打した。そのはずみで、被疑者は男子小便器に頭部を強打して昏倒。……他に、調書に書いておきたい事はあるか?」

 「ありません」


 被疑者『トム・ウェイガン』は、刑事達による調書の内容確認に素直に応じている。……もっとも、今回はオルダーによる現行犯逮捕であるうえ、凶器の特殊警棒も押収されており、良くある強盗未遂事件として調書もほぼ書きあがっている。あとは、担当検事の取調べにより起訴を決定すれば、刑事裁判が行われ、然る後に刑が確定するだろう。恐らく、懲役3年程度の実刑判決が言い渡される可能性が高い。


 少なくとも、取り調べ担当の刑事2人はそう考えていた。しかし、この流れに異議を唱える者がいた。それは、被疑者『トム・ウェイガン』を逮捕したオルダー本人である。如何なるコネが存在するのかは不明だが、オルダーの要求を聞き入れた警察署上層部は1日だけ送検を待つ事にした。ただし、追加調査はオルダーが1人で行うという条件付きで。


 灯も暮れかかった頃、取調べ室のドアをノックする音がした。

 「……いや、お待たせしました」

 ドアから入って来たのは、オルダー・バナードであった。恐らく、今日一日かけて東奔西走したのであろう。夏の灯差しで汗だくになったチノパンが、やや重たくなっているようだ。


 「オルダーさん、今更何も出てきやしませんよ。お引き取り願えますか?」

 部外者に仕事の流れを崩されたくないらしく、若手刑事がオルダーの捜査協力を断ろうとする。

 「そこを何とか! 10分で終わらせますから」

 オルダーは両手を合わせて神か仏にでも祈る様な姿勢を取り、刑事達に頭を下げると……、年配刑事が腕時計を見て頷きながら若手刑事と共に部屋を出て行く。

 「分かりました。オルダーさん、10分だけ……ですよ」


 パイプ椅子に腰を下ろして一息ついたオルダーは、机を挟んで座る被疑者『トム・ウェイガン』と対峙する。

 「やぁ、トム。宇宙港のトイレでは世話になったな。それはそれとして、……今日1日市内を駆けずり回って、お前の事を調べさせてもらったよ。聞いた所によると、お前……3度の飯よりギャンブルが好きだそうだな」

 オルダーは語り掛けながら、トムの背筋がビクンと跳ねる様に動くのを見た。多分、トムは『ギャンブル好き』というキーワードから、聞き込みをした相手……彼がである事を知っている人間を必死に想像しているのだ。


 オルダーは証拠品として押収されたトムの財布を手に取ると、小銭用のポケットから銅茶色の10グラン硬貨を1枚取り出した。

 「ここに、1枚の10グラン硬貨がある。たった今、お前の目の前で、お前の財布から取り出した物だ……細工はしていない。今から、このコインを使って賭け……いや、警察署内でこの言葉は良く無いな。そう……、取引をしないか?」

 「取引……だと……?」


 オルダーは右手の握り拳を机の盤面に立てると、10グラン硬貨を人差し指の上に載せ……親指の爪で軽く弾いた。コインはクルクルと回転しながら、放物線を描いてオルダーの左手の甲に落ちる。すかさず、右の掌でコインを押さえた。


 「取引の方法は、コイントスだ。トム、お前が勝てば……被害届を取り下げてやる。そうなれば、無罪放免で今すぐにでも釈放されるだろうな」

 「あんたが勝ったら、どうするんだ?」

 「そうだな……、お前の依頼主でも吐いてもらおうか」

 「調査員の旦那……、俺に依頼主なんかいないぜ? 取引するだけ無駄だな」

 オルダーは何度かコイントスの練習をした後、トムの目を凝視した。

 「……で、取引に応じるのか、応じないのか。どっちだ?」


 トムは少しだけ考え、口の中に溜まった大きな唾の塊を飲み込んでから……首を縦に振った。彼の瞳が病的ギャンブラー特有のギラギラした光を帯びている。オルダーは10グラン硬貨を右手に持ち、人間の横顔が刻印された『表面』を見せた後にクルリと回して、10GRグランと大きく額面が描かれた『裏面』を見せた。


 「勝負は1回きり。コインが宙を舞っている間にコールする事。良いな?」

 「ああ、いつでも良いぜ」


 オルダーの右拳にコインがセットされ、親指の爪が今……コインを弾き飛ばす! 宙高く浮いたコインはクルクルと回転し、裏表の面を交互に変える。最高到達点に達したコインは一転して落下軌道に入り、オルダーの左手の甲に向かって落ちて行く。コインが着地する瞬間ギリギリ、トムとオルダーが同時に叫んだ。


 トムが叫んだ言葉は、『表面HEAD!!』だった。

 オルダーが口にした単語は、『裏面TAIL!!』である。


 手の甲に着地した直後、右手が被せられた。

 「トム、判定する前に確認しておくぞ。お前もギャンブラーの端くれなら、結果に対してである事。……それくらいは守れよ」

 「ああ、分かってる。良いから、早く右手をどけろよ!」

 トムの額からは大粒の汗が流れ落ち、口の端から涎が垂れかかっている。オルダーが右手をゆっくり持ち上げると……、コインは『表面HEAD』を見せていた。


 ガッツポーズを決めるトム、それを静観するオルダー。


 「トム、お前の勝ちだ。約束通り、被害届は取り下げる。……言っておくが、結果に対してである事。これだけは、忘れるなよ」

 「分かってるって。それより、外の刑事さんを呼んで来いよ!」


 その数分後、アストロナイズ・シティガード第8分署の署内に衝撃が走った。特に取調べを担当した刑事達の怒りは凄まじく、オルダーに殴り掛かりそうな勢いであった。身柄送検は確実視されていただけに、彼らの気持ちも良く分かる。

 

 第8分署の出入り口付近には、4つの人影があった。

 1つは無事に自由を勝ち取った『トム・ウェイガン』、もう1つは取引に負けたオルダー、残りの2つは取調べを担当した刑事のコンビである。


 「じゃあな、トム」

 オルダーの言葉を背に受け、トムは入口から続く石段を降りて行く……が、その途中で歩みを止めた。彼の視線の先……警察署の駐車場に黒塗りの高級リムジンが1台見えたためだ。リムジンのドアが次々に開き、車内からイカツイ男達が降りて来る。

 トムは血相を変えて警察署の石段を登り直すと、オルダーの胸にぶつかった。

 「どうした、トム。お前は釈放されたんだ。警察には用は無いはずだぜ?」

 「いや、その……」

 

 トムが背後を振り返ると、男達がすぐ近くまで迫ってきている。

 オルダーはトムの顔を薄笑いを浮かべながら見つめ、言い聞かせるように話す。

 「トム、私は言ったよな。今日1日でお前の事を色々調べたと……。お前が重度のギャンブル中毒だという事も、他人から多額の借金をしてまでヤリ込んでいる事も分かったよ」


 一目でタダ者では無いと分かる輩が、手の届きそうな距離まで接近している。トムはオルダーの話を聞いているのか、いないのか……発狂寸前の精神状態で顔がグシャグシャに歪んで行く。

 「……そこで、お前が金を借りてる相手とする事にした。もし、私がお前との取引に負けたら、釈放されたお前を好きにしていい……とね。みんな、悪い話じゃ無いと言って喜んでくれたよ」

 「そ、そんな話ってあるかよ!」

 「そういえば、私はこうも言ったな。結果に対してである事。まぁ、後の事は……あの優しいお兄さん達に面倒見てもらえ。全裸で月面に放り出されるか、生きたままドロドロに溶かされて合成肥料の一部になるか……知った事じゃないがね。じゃあな、トム。……達者で暮らせよ」


 石段に膝を落とし、茫然とした表情のトム。彼の両腕・両肩を屈強な男達が掴む。トムは激しく暴れるが、そんな物は些細な抵抗でしかない。事ここに及んで、トムは最後の切り札を使った。


 「黒幕は『アストロナイズ・トレーディング』だ! そこの重役に依頼されたんだ! 採掘船爆発事故を嗅ぎ回ってる奴をシメるように……そう言われたんだ!」


 オルダーは唖然とする刑事コンビの顔を見ながら、落ち着いた口調で言った。

 「刑事さん、あれって立派な『暴行教唆』を受けた供述だよな。……身柄を押さえといた方が良いんじゃないの? 早くしないと、怖い連中が連れて行っちゃうぜ」


 『教唆きょうさ』とは――他人に犯罪を犯すようそそのかし、犯罪の実行を決意させる罪である。今回の場合、暴行の実行犯であるトム・ウェイガンの証言が正しければ――彼は『アストロナイズ・トレーディング』の重役から暴行の実行を、実際に実行した事となる。もちろん有罪となれば、犯罪の実行を指示した者も実刑判決を免れない。


 刑事達による拘束劇を見ながら、オルダーはシティガード第8分署から立ち去る。

 『アストロナイズ・トレーディング』と言えば、グループ企業最大の収益を上げる総合商社である。月面と地球の間の商取引を主な業務としており、小惑星帯で採掘された鉱物資源も基本的にこの会社を通して輸出されている。


 「なるほど、採掘船爆発事故の現場に地球政府軍がいたとなれば……商売に影響が出る。連中にしてみれば、メアリー・カーバイン船長の操船ミスという結果の方が都合が良い。それで、こそこそ嗅ぎ回ってる奴を潰して回ってたというわけか。……さてと、次の手はどうしたものかな」


 安物ジャケットの裾を夜風に軽く揺られながら、オルダーの姿は街灯の中に溶けていった。


 

 

 

 

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