第10話 アクション!
MPUパイロットが着用する重厚な
また、この宇宙服には様々な生命維持機能が付加されている事は言うまでも無く、名実共に彼らの生命を守る最後の砦という訳である。
オルダーの前に立つ男達の作業用宇宙服もこの例に漏れる事無く、間近で直視するのが厳しい程の鮮やかな蛍光オレンジ色に塗られていた。幾度もの窮地において、パイロットの手汗を吸ってきたであろう橙色の
「これは、地球政府軍の軍用MPUだ。間違いない」
――アストロナイズ市 宇宙港 資源採掘船用ポート
フローライン船長と別れたオルダーは、資源採掘船用ポートを行き来する人間を手当たり次第に捕まえ、『軍用MPU』の写真を見せては話を聞いて回った。
その結果、資源採掘船の搭乗員にとって『軍用MPU』は、特に珍しい物では無く、見慣れた存在という事実を改めて認識する事となった。
では、なぜ運航課長のジョン・ケイジは、この機体を知らなかったのか?
その疑問には、写真を見た2級航宙士の1人が既に答えてくれていた。
「そりゃ、運航課は船の運航管理が仕事だからね。俺達が現場で何を見たか……そんな情報にまで興味無いのさ。まぁ、いわゆる『縦割り』って奴だよ」
清掃道具や用途不明の機材が放置された連絡通路を歩きながら、オルダーは考えを巡らせていた。
「軍用機が目撃されるのが、良くある事だとすれば、やはり偶然あの場所にいただけ……って事なのか? ……まぁ、続きは事務所で考える事にするか」
一通りの情報収集を終えたオルダーは、『資源採掘船用ポート』から引き上げようと、通路の突き当りにある関係者専用ドアを開けた。ドアの隙間から漏れて来たのは暖かみのある屋内照明の光とアップテンポなBGM。そこには、『旅客路線用ポート』の賑やかな世界が広がっていた。
指定された旅客宇宙船の搭乗時間が来るまで、開放的な待合ロビーで各々暇を潰す大勢の旅行客達。ノートパソコンのキーボードを叩くサラリーマン。新聞の紙面に注目する男性。母親らしき女性に抱かれる幼児。過ごし方は、人それぞれだ。
待合席の最前列からさらに数メートル離れた壁には、大型テレビモニターが設置され、アストロナイズ市内の交通情報や気象スケジュールを報じていた。
オルダーはグルリと辺りを見回し、すれ違う人々に紛れて宇宙港に併設されたショッピングモールへと歩いて行く。ブラブラと商品を見て回った後、建物内の最も奥にある殆ど誰も使用していないトイレに駆け込んだ。
オルダーがトイレに入った約2分後、入口ドアを開けて1人の男が入室して来た。彼は清掃員とは思えない服装だったが、ドア付近に放置されていた『清掃中』の立て看板を見つけるなり、ドアの外に放り出した。――無関係の部外者に入って来られては困るのだ。
洗面所の鏡に映った男の顔は、濃いヒゲ面だった。一応スーツを着用してはいるものの、カタギの人間とは異なる雰囲気を漂わせている。……ヒゲ面男は室内をゆっくりと見回し、下手くそな口笛を吹きながら獲物の隠れ場所を見定める。
洗面所の奥、向かって右側の壁に沿って男性用小便器が5基並んでいる。今は小用を足している人間がいないため、当然ながら小便器の前には誰も立っていない。小便器群の反対側――向かって左の壁側には大便器用の個室が4基ほど設けられている。
固く筒状に丸めた新聞紙を右手で軽く振り回しながら、ヒゲ面男が大便器用の個室のドアを端から1つずつ蹴り開けて行く。
1つ目の個室は無人であった。
……続いて、2つ目の個室も無人。
筒状の新聞紙を握る手に力が入る。もし、3番目の個室に誰もいなければ、4番目――すぐ隣の個室にターゲットがいる事になる。つまり、3番目の個室に人がいようといまいと、確実に戦闘に突入する事になるだろう。
彼が意を決して3番目の個室を蹴り開けると……無人であった。そう認識した瞬間、隣の個室――清掃用具入れのドアを開け、オルダーが飛び出す。ヒゲ面男の右腕が咄嗟に振り下ろされ、オルダーの頭部に新聞紙の筒が迫る!
オルダーは清掃用具入れから引っ張り出したデッキモップの柄を両手で構え、新聞紙を寸前で受け止める。新聞紙は折れ曲らないどころか、ステンレス製の柄と衝突した際に乾いた金属音を響かせる。オルダーはそのまま、ヒゲ面男の腹筋あたりを右脚で蹴り込み、トイレの入口付近まで押し返した!
もはやカモフラージュの必要が無くなったのか、ヒゲ面男は新聞紙を捨て、中に隠し持っていた特殊警棒を取り出した。オルダーは両手でデッキモップを構えながら、相手の得物をつぶさに観察する。
長さは約60cm、相手が振り回す様子から重さは700g前後、落ち着いた黒色からすると強化プラスチック又は硬質ゴム製といった所か。どっちにしろ、一発でも貰ったら危険な代物に変わりは無い。
オルダーの持つデッキモップは柄が長いため有利に思えるが、構え直す度にモップや柄の先端が、個室の側壁を構成する
月面では重力が地球の16%程度しか無いため、便器の構造が地球用と同じでは排泄物が飛散しやすくなる。不衛生極まりないこの現象を防ぐべく、洗浄水と排泄物を掃除機と同様の装置で吸引し、建屋内にある集中浄化槽に送り込む仕組みが導入されている。
吸引装置の稼働音が鳴り響く中、武器であるモップを自由に扱えないオルダーの様子に勝利を確信したのか、ヒゲ面男は警棒を手にジリジリと接近して来る。
オルダーは洗浄・吸引中の小便器にモップを突っ込み、洗浄水を染み込ませ、渾身の力で振り回した。飛び散った水滴がヒゲ面男の視界を一瞬奪う。実際には、モップに染みた水分のうち、飛散したのは僅かな量だったのだが、相手を怯ませるのには十分だった。
オルダーは素早くモップを持ち替え、柄の先端部を相手に向ける。ヒゲ面男が体勢を崩して警棒の構えを解いた時、オルダーは柄の先端で強烈な一突きを食らわせた。 相手の鳩尾を打ち抜いた確かな手応え!
ヒゲ面男は急所の激痛に声も出ず、膝を床に着きかける。オルダーは再びモップの柄をクルクルと回して持ち替えると、湿ったモップ側で敵の左側頭部を殴り付けた。殴打された勢いのまま、男は頭を小便器に打ち付け……今度こそ完全に伸びてしまった。
男の手から床に落ちた警棒が、小さな音を立てた。……まるで、試合終了のゴングのように。
オルダーはモップを清掃用具入れに投げ入れた後、床に放置された警棒と新聞紙を拾い上げ、ヒゲ面の顔を二度三度平手で叩く。しかし、打ち所が悪かったのか、彼の意識が戻る様子は無い。男が着ている上着の内ポケットを探り、財布を確認する。その中から、運転免許証を見付ける事が出来た。
「名前は、トム・ウェイガン。……コイツ、一体何者だ?」
このヒゲ面の男――トム・ウェイガンとは、もちろん面識は無い。だが、この男性から滲み出る雰囲気は、『アストロナイズ・マテリアル』のロビーにいた時から気付いていた。――恐らく、訓練されていない
オルダーはヒゲ面男を釣るため、わざと大声で受付嬢に話し掛け、運航課長とロビーのテーブル席で話したのだった。まんまと餌に喰らいついた哀れな追跡者は、オルダーが腕利きの公安課員である事など露程も知らず、せいぜい平凡な調査員くらいに考えていたのだろう。
端から、オルダーを尾行するには力不足だったのである。
オルダーはトイレの外に出されていた『清掃中』の看板をトイレ内に収容し、ヒゲ面男を抱え上げた……その時、無関係の男性客が、腹を押さえて飛び込んできた。顔中脂汗だらけの客の表情は正に危急の状態と言わんばかりの物であり、つい先程まで戦闘中だったオルダーとは別次元のピンチに現在進行形で遭遇している状態であった。
「たった今、清掃が終わりました。ごゆっくり、どうぞ」
オルダーは、それだけ言い残してトイレから立ち去った。何の事やら理解できない男性客は、大便器用個室の1つに駆け込んで事なきを得たようである。
ヒゲ面男の捨てた新聞紙は、オルダーの手によって紙資源リサイクル用のゴミ箱に投げ込まれた。きっとこの新聞紙も再利用され、市民生活に貢献するのだろう。
「さてと……、お前にも役に立ってもらうからな」
気絶したヒゲ面男を担いだまま、オルダーはショッピングモールの通路を歩いていった。
――アストロナイズ技能訓練校 テンダー・キャンパス
空が茜色に染まり始める頃、技能訓練校の教室、廊下、階段、校庭と言わず、生徒達の笑顔で溢れていた。期末試験を乗り越え、何事も無く終業式の日を迎え、明日から突入する夏休みを前にして心が躍らない者はいないだろう。
『1年X組』の教室も例外では無く、帰宅前のホームルームが終わった瞬間から生徒達は一足早い解放感に浸っていた。担任のヨウコも生徒達の気持ちを汲み取り、はしゃぎ過ぎる生徒らを笑って注意する程度で済ましている。
ヨウコは暫く使う事の無い黒板を丁寧に拭き、職員室へ戻ろうとした……が、帰り支度をするニュートに目を留めると、何か用事を思い出したらしく彼の方にゆっくり歩み寄って行った。
ニュートを囲んで冗談を言い合っていた級友達が、ヨウコの接近に気付き、挨拶もそこそこに次々と退散して行く。友人らを見送り、ニュート自身も席を立とうとした時、目の前に立つヨウコが話し掛けて来た。
「ニュート、今日はもう帰りか?」
「はい。これからバイトなんで」
ヨウコは竹刀を小脇に抱えたまま腕を組み、感心して頷いている。
「まだ学生なのに、お前はホントに凄いよな」
「いや、そんな事ないっすよ」
ヨウコは教室を出て行く生徒2,3人を見送ってから、再度ニュートに対して口を開いた。
「実はお前に話があってな……ちょっと、顔貸せ」
「はぁ、良いですけど……小言を言われるような事、何かしたっけ?」
「さぁ、それはどうだかな。せいぜい、楽しみにしとけ」
一連の会話を少し離れた席から聞いていたエルザは、連れ立って出て行くヨウコとニュートが何となく気になった。慌てて帰り支度をしたエルザは、こっそり2人の後を追う。……2人が入って行った部屋のプレートには、『進路指導室』と書かれてあった。エルザは扉に耳を押し当て、話の内容を聞き取ろうとする。
「まぁ、そこに座れ」
ヨウコに席を勧められたニュートは、テーブルを挟んだ向かい側のソファに腰を下ろした。この部屋は保護者を交えた三者面談にも使われるためなのか、なかなか座り心地の良い家具が備えられていた。
「……で、先生。話って何ですか?」
ヨウコは席に着くなり咳払いを1つした後、真剣な眼差しをニュートに向けた。
「単刀直入に言うぞ。ニュート、お前……教師になる気は無いか?」
「はい?」
ヨウコの台詞にはニュートのみならず、外で盗み聞きするエルザも驚いた。
ニュートの表情を見ながら、何度も頷きつつヨウコは話を続ける。
「まぁ、お前が驚くのも無理は無い。1学年の夏休み直前に進路の話をするのは、私も初めての経験だからな。でもな、私は驚いているんだぞ……お前の才能に!」
「僕の才能……ですか」
ヨウコは成績表のコピーを数枚テーブルに並べ、熱っぽく語り出した。
「姿勢転換の習得が遅れていた時、正直なところ、今年の1年生は不作だと思った。ところが、エルザとお前が習得した直後、まるで伝染病にでも罹ったようにクラス全員が習得してしまった。……ニュート、お前がコツを教えたそうだな」
「あ、やっぱりマズかったですか?」
ヨウコは右手を軽く振りながら、ニュートの返事を否定した。
「いや、その逆だ。お前の操縦技能は確かに荒削りだが、人に技術を伝える能力に長けていると私は睨んでいる。そこでだ……その才能を生かして、教師を目指してみる気はないか?」
『進路指導室』のドアの外では、エルザが膝を震わせながら壁伝いに後ずさっていた。自分の技量は確実にニュートより上であるはずなのに、教職員コースへの誘いが……なぜ、自分に来ないのか? 目まいにも似た感覚を覚えながら、ふらつく足取りのまま彼女は校舎の出口へと向かって行った。
「先生、気持ちは嬉しいけど、もっと操縦が上手い奴いますよね。例えば……」
「81番機のエルザ・クローラか?」
「はい。あんな滑らかな動き、僕には真似出来ません。彼女は、天才ですよ」
「確かに、エルザの操縦技術は凄い。多分、お前の言う通り天才だろう。……でもなニュート、人に物を教えるってのは、相手に分かる言葉で伝える必要がある。エルザは他人に技術を教える能力も言葉も……持ち合わせてはいないんだ」
ニュートは目を閉じ、腕を組んで考えた。確かにヨウコの誘いに乗るのも悪くは無いが、……自分が本当にやりたい事とは違う気がするのだ。
「先生……」
「どうだ、教師になってみたくなったか? 手続きなら私が……」
勝手に話を進めようとするヨウコ。ニュートは、彼女を制した。
「いや、先生の気持ちは嬉しいけど、教師になるのは辞めときます」
「そ、そうか……でも、気が変わったら、いつでも相談してくれて良いぞ」
「はい! そうさせてもらいます」
ヨウコに力強く肩を叩かれたニュートは、一礼した後『進路指導室』から退出した。
校舎を出たニュートが駆け足で駐輪場に向かうと、彼のバイクが停めてある場所に制服姿の女子がポツンと立っていた。――フィーナである。駐輪場の屋根を支える支柱にもたれ掛りながら、退屈そうに辺りを見回している。彼女の不機嫌そうな雰囲気を感じ取った瞬間、フィーナの鋭い目と合ってしまった。
「ニュート君、遅いよ!」
「フィーナ、ごめん。ヨウコ先生に捕まっちゃってさ……ホント、ごめん!」
フィーナは両手を腰に当て、わざとらしく怒った振りをしてみせる。
「じゃあ、今度、買い物に付き合って」
フィーナの背後から見える少しだけ膨らんだ頬。ニュートは、その数学的な曲線美を十分に堪能してから返事をした。
「いつが良い?」
「明日とか……」
「ああ、良いよ。バイトは、どうせ夕方からだし」
「やったー!」
フィーナが最高の笑顔を見せ、ニュートの腕に抱きついた。……が、その直後、彼女は我に返ってニュートの腕から離れる。しかし今度は、ニュートが彼女の手を取った。駐輪場の屋根と支柱が大きな影を作る中、繋がれた2人の手だけを夕灯のスポットライトが照らす。
お互い言葉に出来ない。でも、胸の奥から暖かい何かが込み上げてくるのは分かる。フィーナは爆発しそうな鼓動を何とか乗り越えるようにして、やっと声を出した。
「さっき、フィーナって……呼んでくれたよね」
「……うん」
「私も、ニュートって呼んで良い?」
「……うん」
ニュートが、彼女の申し出を断る言葉を持っているはずがない。
――駐輪場で小さなロマンスが展開している頃、灯の光が当たらないMPU格納庫の裏手で別のドラマが起きていた。
若干15歳とは思えない均整のとれたボディライン。魅力的な髪のウェーブ。健康美を体現する浅黒い肌。そして、情熱を湛えた厚めの唇。攻撃的な美しさを身に纏った女子生徒――エルザは、両腕に込めた渾身の力で格納庫の外壁を叩き、心が響くまま獣のように吠え……そして、涙を流していた。
「こんなに頑張ってるのに……、絶対に私の方が上なのに……、なぜ私じゃないのよ!」
父親みたいになりたくない。
ニュートなんかに負けたくない。
クラスの連中は、私の言葉を理解してくれない。
私の操縦技術が1番のはずなのに、先生は少しも分かってくれない。
心の奥底に限界まで溜まった煮えたぎる溶岩。それは、女性とは思えない叫びを上げさせる。負の感情を解消する術を知らない彼女は、ひたすら壁を叩き続ける。
拳の痛みが酷くなろうが、喉が痛くなろうが構いはしない。……そうでもしなければ、何一つ自分の思った通りに行かない現状に押し潰されそうだった。
エルザは、もう一度だけ野獣のような声で吠えた。
夏休みを前に生徒達の高揚感で溢れる学び舎。その片隅で、心が満たされない1人の少女が感情むき出しで咆哮していた事は……誰も知らない。
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