富士山は何れのものか?

梅花藻

第1話

富士山と言えば古くは竹取物語にも登場する名峰でありまして、威信ある日本国の象徴であります。日本が誇る、というだけでありまして日本が持つ、と言うのは些か傲慢が過ぎるような印象を受けます。


しかし、こと静岡と山梨の住人に限りましてはそのような考えを持ちません。彼らは二国に跨る富士の所有権を断じて譲らず、自らの住む方角から見える富士を「表富士」と呼んで賞賛し、反対から見る富士を「裏富士」と呼びます。


まったく愚かしいことですが、その気持ちもよく分かります。静岡県の三保の松原に於いては駿河湾の青と富士の裾野に広がる青の対比が美しく、歌川広重も浮世絵に描いた絶景が広がっています。山梨県の河口湖に於いては「逆さ富士」と呼ばれる、湖面に映じた富士山が揺れ揺蕩う姿に得も言われぬ壮観を感じずには居られません。


私のご主人はこよなく富士を愛する方でした。江戸に仕えながら鎌倉に居を構えたのも富士を見たい気持ちと実際の便利の双方を取る為だったと仰っていました。ご主人は夏になりますと毎年富士を眺めにお出かけになります。今年が静岡であったなら来年は山梨、こんな風に順繰りに観覧においででした。どちらの富士も甲乙付けがたかったようで、終ぞその審判を下すことなく身罷られました。


さて、ご主人が御存命の頃、二人の用心棒がおりました。一人は静岡の出身で一人は山梨の出身です。便宜上それぞれを駿河、甲斐と呼ぶことにいたしましょう。彼らは地元でも腕っ節の強さでは比類するものなく、その評判を聞きつけたご主人が是非にと雇ったのでありました。どちらも心がけが良く、勤勉に働き、熱心に尽くしてくれたものです。


この二人が一度だけ酒宴の席で大喧嘩をしたことがありました。富士山の所有に関する喧嘩です。駿河は「かつて宝永の大噴火の際にはこちらへ噴出したのだから駿河の物である」と大音声をあげると甲斐も負けじと「宝永山の如きは富士の美観を損なうものであり、より美しく映ずる甲斐のものである」とがなり立てました。


主人は鷹揚な人でありましたからこの騒ぎにも全く頓着する様子はなく、にこにことあわや乱闘というところまで眺めておられたように記憶しています。暫くして、埒が明かなくなった両者は唐突に主人を振り向き見ました。そしてお館様はどちらのものだとお思いですか、と投げかけたのです。ご主人は長いこと黙考されました。


そして次のように仰いました。霊峰富士は我々人間の手に負える代物ではなく所有を決める事すら烏滸がましい。しかし駿河と甲斐の言い分も理解できなくはない。ここは両者自慢の腕っ節で決めるが良い。


更に曰く、富士山頂にて綱引きをせよ。と。


全く突飛な発想でありましたが、ご主人の言うことは絶対でありますので葉月朔日に富士山頂の火口で、その所有を賭けた両者の綱引き対決が行われることに相成りました。この対決は評判を呼び、両国の人間がこぞって注目する一大行事として両地域に伝播しました。


さて、文月の中頃になって両者は鎌倉の屋敷を発ちました。それぞれに従者十数名を引き連れてそれぞれが思う美しい富士の麓へ向かったのです。


突然ではありますが、浅間神社をご存じでしょうか。主に富士信仰に関する神社であり、名前としては日本全国に存在する神社です。そして富士山頂にも奥宮として存在する大変立派な神社であります。


駿河はまず富士山の静岡側の麓にある浅間神社にて必勝祈願を行いました。そして甲斐もまた、山梨側の麓にある浅間神社にて必勝祈願を行いました。二人の行動は富士山頂を対象点とした点対称のようでした。


従者たちの中には二人の豪傑についていくこと適わず途中で離脱したものもありましたが、概ね人数を保ったまま文月の晦日早朝、山頂へ辿り着きました。そして従者たちは用意した紐を編み込んで特製の縄を作ります。深夜まで縄は編み込まれ、その間駿河と甲斐は浅間神社奥宮にて精神統一をしておりました。


縄は完成と同時に、火口へ渡されました。なにせ火口の直径は七町、現在の単位で七百メートルほどでありますので対岸の人物など豆粒一粒ほどにしか映りません。両者は縄で以て繋がる以外に互いの存在を知る術を断たれました。黙って夜明けを待ちます。


取り決め通り、御来光と同時に二人は万力を以て縄を引き合い始めます。火口に釣り下がった縄はピンと跳ね上がり、丼に渡した一本の箸の如く引き絞られ、微動だにしません。地平から立ち上った朝の光が二人の頬を照らしました。


両者の実力は伯仲拮抗していました。余りにも縄が動かないため傍から見ると恰も力を入れていないかの様でした。しかし両者の鋼鉄の如き足はその剛力を示すように足元の岩場に食い込んでいます。そんな状態が三日三晩続きました。


結果は唐突でした。三日目の深夜、唐突に駿河が尻餅を突いたのです。しかしその手にはしっかりと縄が握られていてどうやら駿河の勝ちらしい、と了解せられました。駿河は勝鬨を上げ、勢いそのまま縄を引き摺りながら下山していきます。従者たちも慌ててその後を追いますが、飲まず食わずのまま綱引きをしていた駿河に追い縋ることが出来ず、最初の従者が浅間神社に辿り着いた時、駿河は自らが勝ち取った縄を奉納しているところだったと言います。


時を同じくしてその反対側にいた甲斐は訝しんでいました。彼もまた山頂にて縄を手にしたまま尻餅をついて勝利を確信し、浅間神社へその縄を注連縄しめなわとして奉納しようとしていました。しかしどうにも長さが足りないような気がします。調べてみると縄は二人の豪傑によって、哀れにも真ん中で千切れてしまっていたのだそうであります。


鎌倉の屋敷に戻ってきた二人の報告を聴いた主人は、“引き分け”とはまさにこのことである。といって呵々大笑なさいました。そうしてからやはり富士の如き代物は所有などされないのだなあと仰ったのでした。

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