前略:桃の国から

抹茶かりんと

前略:桃の国から

 うちは桃農家だから、プロポーズするなら桃の木の下――

 いつの頃からか、漠然とそんな風に思っていた。だってそれは、我が家の礎というか……うちは桃を売って生活している訳だから、新しく我が家の一員となる人は、桃に惚れてくれる人でなければ、と思う訳で……


 四月の初旬――

 満開を迎える桃畑は、甲府盆地一面をピンク色に染め上げる。

 そのピンクに添えられる菜の花の黄色との絶妙なコントラストは、息を飲むほどに美しいのだ。その迫力の景色を目にすれば、『桃源郷』という観光客向けのキャッチコピーが、決して大げさではないのだと納得してもらえることだろう。そんな美しい夢見心地の景色の中でプロポーズされれば、女性は絶対、即答でオッケー、となるハズだと確信している。




「けど、それって結構、ハードル高くね?」

 幼馴染で飲み仲間のユッキー(アラサー女子:独身)が、一升瓶のワインから琥珀色の液体を色気のない湯呑茶碗にたぷたぷと注ぐ。

「だよな~桃李とうりの少女漫画趣味は横に置くとしても……」

 同じく幼馴染の宮っち(既婚:子供二人)が、そこで言葉を切って、鳥もつを口に入れ、続けて湯呑のワインをぐいっと飲み、「く~これがたまらん」と歓喜の溜息を漏らす。

「桃の花の時期なんてさぁ、一年にほんの十日ぽっちしかないじゃん。その十日で土日ったら、ピンポイントで一日二日っしょ?」

 ユッキーが鳥もつ皿のまあるいキンカンを捕まえようと格闘しながら言う。

「……なんだよな~」

 今更ながら、その事実に打ちのめされる。子供の頃から知っていたのに、思い切り失念していた、その事実。

「しかも、開花の時期って、受粉作業でめちゃ忙しいんでしょ?桃農家。あれも咲いてる間に終わらせなきゃなんない短期決戦だよね~」

「そうなんだよな~」

 咲いた花を、確実に商品価値のある果実にするには、人工的に受粉させてやる必要がある。あの桃色の絨毯を形成するピンクの花、そのめしべひとつひとつに、チーク筆の親玉のような毛ばたきで、ぱふぱふしなから花粉を振り掛けるのだ。




 二年前の春、東京にいる彼女に、この『桃の下プロポーズ作戦』を発動しようという段になって、迂闊にも初めてその困難に気づいた。

「四月のさぁ、二週目の土日あたり、遊びに来ない?桃の花も見ごろだし」

「あ~、そこの週ね~ちょうど友達の結婚式入ってるんだよね~その次の週なら大丈夫だけど?」


……次の週にはもう、花、散っちゃってるから。


「今年は来れる?来月の十日辺りの土日?」

「あ~今年さぁ、新人研修の世話係?仰せつかっちゃって、土日は伊豆の研修所いくのよね~次の週なら、空いてるよ?」


……次の週にはもう、花、散っちゃって……




「で?今年もやるの?」

 ユッキーが少し気の毒そうに聞いて来る。

「今年こそは……何とかなるといいな……と、思ってますです、ハイ」

「つ~か。そんなに桃、桃、言わなくても、山梨には、新日本三大夜景があんじゃん、フルーツ公園の。女子的に言ったらさぁ、そっちでも十分ロマンチックよ?富士屋ホテルでディナーして、おいしいワイン飲んでさぁ、ほろ酔い気分でGO!成功間違いなし」

「そっちなら、三百六十五日、オールシーズンおっけ~だしな」

 宮っちが湯呑に口を付けながら、うんうんと頷く。

「……まぁ、それもありっちゃ、ありなんだけどっ。定番すぎるというか、お手軽すぎるというか」

「あれね、桃李はMなのね。ふふん、よかろう。夢見人よ、茨の道を行きたまえ」

「Мじゃねーし」

「Мっ、桃のМって訳だなっ」

「つーか、お前ら酔ってるだろっ」

「何を今更」

「ねぇ」

 一升瓶に頬ずりしながら、ユッキーが、んふふと笑うのを見ながら、湯呑の中身を飲み干した。そこから先の記憶は、ない。




「……それでさぁ、今年は、来れる?四月の……」

「ああ、今年は法事が……」


……くぅ、三年連続玉砕かっ。やっぱ、夜景でGOか。


「あ、でも、平日で良ければ行くけど?」

「え……?平日?って、仕事は……?」

「ふふん。勤め人には、有給休暇というものがあってだね」

「有給……」

「この間さぁ、テレビ見てたら、桃君ちの方が映っててさ。ほら、桃の絨毯?去年の映像だったけど、あれ、すんごく綺麗じゃない?生で見てみたいな~と思って。桃君が、一度花の時期においでよって言ってたのは、これかぁって」

「お、おぅ。それそれ、うん。すっごく綺麗だから……」


――だから、おいでよ。



 青く澄み渡る空。

 視線を下げれば、一面に広がる満開の桃の花のピンク。

 足元には揺れる菜の花の黄色。

 二十号沿いの高速バスのバス停で、俺は君を待つ。

 

 そろそろ笹子トンネルを抜けた頃だろうか。そう思いながらスマホの時計を確認すると、タイミングよくラインのメッセージが入った。


――すごいよ~桃君、超感動だよ~(涙)

 車窓から見える桃の絨毯の写真が添付されていた。


「あぁ、そっか」

 思わず、苦笑いになる。ファーストインパクトの破壊力。つまり、そこが感動のピークになる訳で。目隠しして、桃の木の下で「ぱっ」とでもしなければ、感動値的には……ということなのだと、今更気付く。


 まぁ、万事計画通りという訳ではなかったけれど。

 結局、ホテルでワイン飲んで、ほろ酔いだったけど。


 大安、吉日、天気は快晴。

 この日、桃花の下で見た、彼女の笑顔は一生の宝物だ。


――ついうっかり、宮っちにそんな話をしてしまったら、お前、やっぱり少女漫画趣味なんだなと笑われたけど。

 











 

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