人生を変えた一杯
からあげ
愛知県大府市のとあるラーメン屋と僕の物語
"Michael, row the boat ashore, Halleluja Michael, row the boat ashore, Halleluja"
『こげよマイケル Michael, Row the Boat Ashore』より
君は、自分の人生を変えるようなラーメンを食べたことがあるだろうか?僕は、ある。
もう10年くらい前だろうか、僕は某自動車部品メーカーに入社と同時に、愛知県大府市で生まれて初めての一人暮らしを始めた。
そんなある日、僕はアパートの近くに新しくラーメン屋がオープンしていることに気付いた。実は、僕はかなりのラーメン好きで、見ただけで美味しいラーメン屋さんが分かるという特殊な技能を持っている。そのラーメン屋は、オープンしたてにも関わらず、美味しいラーメン屋が放つ特有なオーラのようなものを微かに放っていたので、僕は迷わずお店に入った。店内には私より少し年上と思われる店長と自分と同じくらいの年齢の綺麗な女性店員の2人がいるだけで、他にお客は1人もいなかった。
「夫婦でお店をやっているのかな?」
と思いつつメニューを見ると、当時としては珍しいつけ麺がメインメニューだった。注文して、しばらく待って出てきたつけ麺、僕は一口食べて驚いた、コシのある太麺に魚介風味のダシが効いた濃厚なとんこつスープがよく絡んでる。絶品である。
「う、うまい!」
もうその一杯と綺麗な女性店員の笑顔で、僕はたちまちそのお店のとりこになってしまった。
話は変わるが、僕は仕事で自動車の部品を作っている。ただ、仕事の内容が期待したものと違ったことや忙しいことに不満がたまっていた上、能力不足からの失敗も多く、誰からも評価されない悶々とした日々を送っていた。帰りも22時やそれ以降の深夜になることも当たり前で、たまに早めに帰れた日の唯一の楽しみがラーメン屋の一杯だったのである。
そんなある日、僕は、ふといつも食べるラーメンの微妙な味の違いに気付いた。最初は、自分の気のせいくらいにしか思ってなかったのだが、よく観察すると具材も細かく変わっているし、味付けの変化にも確かな意図を感る。店長が、より美味しいラーメンを作るために明らかに試行錯誤しているのだ。
そしてふと気付いた。自分は仕事に対して何か工夫をしていたのだろうかと。自分の会社は、製品の品質を少しづつ高めていく行為をカイゼンと呼び非常に重視している。自動車部品を作ることも、ラーメン作りも、モノづくりという意味では一緒だ。このラーメンは日々カイゼンを繰り返してより高みを目指している。自分は果たして仕事を通して何かを高めていただろうか。
なにより、店長からはラーメンに対する愛を感じた。店員に対するときに厳しい姿勢から情熱を感じた。自分に、自分の仕事に対する愛や情熱はあっただろうか。自分には何も無かった。空っぽだった。そんな自分が恥ずかしかった。
その日から、私の仕事はほんの少しずつだが変わっていった。自動車部品の電子回路の設計は、数百を超える半導体部品を、厳しいコストやサイズの制約の中で最適な組み合わせを見つける仕事だ。無限にも思える組み合わせの中、自分にとって最高と思われる組み合わせを見つけ出し、その設計の必然性を合理性を持って説明し、試作をして問題点を見つけ出しカイゼンしてく。その道程は、地道で辛い作業だ。少しずつでも前に進むために必要なもの、それはやはり愛と情熱だ。
ところで、その大府市にあるラーメン屋には、カウンターの後ろにコートをかけるフックがあったのだが、ある時を境に無くなったのを知っているだろうか?実は、それにはちょっとした理由がある。
ある冬の寒い日、いつものように閉店間際にお店に行くと、珍しく店長と美しい女性店員さんだけだった。コートをフックにかけて、いつものようにラーメンを食べて帰ろうとしたとき。自分のコートから車の鍵が無くなっていることに気付いた。
正確には、コートが僕のものと違っていた。前に帰ったお客さんが似ているコートを取り違えたのだ。途方にくれた自分は、仕方なく友人に連絡を取り迎えに来てもらうことにした。もうお店を閉める時間だったが、店長は快くお店で待たせてくれた。
店長と女性店員と僕の3人。何を話したのか今では全く思い出せないのだが、初めてお店に入った時を思い出させるような不思議な、素敵な時間だった。やがて友人が迎えに来てくれて、店長にお礼を言うと
「また来てくださいね!」
といつものように笑顔で答えてくれた。それが、店長と直接話をした僕の最後の記憶だ。
その後、お店は美味しさから口コミに日がつき、常に行列の絶えない大人気店になった。破竹の勢いでチェーン店を増やしていき、2人だった店員も、1人増え、2人増え、気づいたら元のお店の店員は次々と各地のチェーン店の店長になっていった。あの綺麗な女性店員も、気づくと関連チェーンの店長になっていた。結局、店長と夫婦なのかどうかは聞けず終いだ。
私の方はというと、仕事では少しだけ出世して数人の部下をもつようになり、初めて人を育てることの難しさに直面している。店長に人を育てるコツを教えてもらえば良かったなと思いながら、試行錯誤の毎日だ。
プライベートでは、結婚し子供も生まれ、滅多にラーメン屋に行くことも無くなった。それでも、たまにお店の前を通るたびにあの冬の日に食べたラーメンのことを思い出す。店長とは、そのとき以来会っていないが、きっとどこかで、あのときと変わらない愛と情熱で、最高の一杯を作るために試行錯誤し続けていると僕は信じている。
最初の問いに戻る。人生を変えるようなラーメンは確かにある。でも、人の人生を変えるのは、ラーメンそのものではなくて、ラーメンを通して見える作り手の生き様なのではないか、僕はそう思う。
人生を変えた一杯 からあげ @karaage0703
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