全てのカフェイン中毒者に捧ぐ
とかふな
ラテ・トールサイズ・エクストラショット
それはもう、散々だった。
ギャンッギャンに怒られた。
天界の雷神が乗り移ったように、俺の指導教授はブチ切れていた。
寸刻前、俺のペーパーが桜吹雪のように部屋を舞った。卒業論文が、秒速5センチメートルではらりはらりと床に散った。教授は目を血走らせ、唾を口から噴射し、奇声をあげた。オランウータンみたいに机を何度も叩いていた。見ているうち、フルコンボだドン、という音声が脳内再生されたが、今は決して笑ってはいけない。
無理もない。目下の話題は、俺の修士論文第一稿なのだが、それは言わば「教授の著書丸パクリ揚げ〜超長大な参考文献リストを和えて〜」であった。主成分はコピー&ペーストで、隠し味は俺のサボリ癖だ。
はぁ。
怒られるのはわかっていた。
ただ、どうしても今日第一稿を出せ、というから出したのだ。
そうしたら、これだ。
これだから大人は嫌だ。
俺は振り子のように頭を下げ続けた。
**
さて。
早速手直しをせねばならない。手直しというより、ほぼゼロスタートなのだが。なんとかイカレる…いや、怒れる神を抑えないと、修士号は取れないし、会社の内定も無効になってしまう。
俺は、あの飲み物を摂取することした。飲めば、気分を切り替え、無限に集中できる、魔法の飲み物を。
ノートPCを片手に、大学正門沿いの通りを歩く。
スタバ、スタバ…
ス…
あれ?
あるはずのところに、それが無かった。
その代わり「緑茶坊-GREEN TEA BUCKS-」と筆文字で大書されている。ロゴらしき看板が軒先に出ていて、緑円に「茶」の字の意匠が映える。
はて?
中は老若男女ー土地柄もあって若が多めだがーで賑わっている。リンゴ印のラップトップを広げるビジネスマンや、英会話講座をしている外国人。また奥の方では、意識高めの大学生が勉強会を開催中だ。
新しい事業展開だろうか? それとも、どこかと業務提携?
疑問符を抱えつつ、入り口すぐ近くのカウンターに行く。若い店員がハツラツと応対してくれる。
俺は、いつもの注文を繰り返した。ラテのトールサイズにエクストラショットだ。
「ラテ…ですか?」店員が尋ねてきた。
いかにも。
「ラテって、コーヒーですよね?」
質問の意味がわからない。ここそういうお店でしょ?
新人バイトだったのかも知れないな、とフォローを考え始めたときだった。
「お客様!!! 当店はそのようなお店ではありませんっ!!」
え? 何…? こわい…
バイトの店員が大きな声を出したのだ。
見ると、カウンターの奥でベテラン風の店員がヒソヒソ話している。
漏れ聞こえるに、店長を呼んできてください、とか、警察を呼びましょう、だとか。
ん?
俺まずいこと言った?
え、何?
何が起こってるの?
気づけば、店内中の注目が集まりつつある。
戸惑う俺の視界に、店内のテレビがハッと映りこんできた。
「夕方のニュースをお伝えいたします。昨日与党及び一部の野党の賛成多数により成立したコーヒー禁止法ですが、本日施行され、今後、コーヒーの所持及び摂取は3年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられることとなります。施行日となる本日は、朝から全国各地で大規模な摘発が行われ、現時点で逮捕者は128人ということです。警察は、コーヒーの密売が暴力団の資金源にもなっていると見て、流通ルートの解明を急いでいます…」
コ…
コーヒーが違法…?
気づけば、店中の客の視線が俺に集まっている。
店の奥から、般若の面相をした男が歩いてきた。
喫茶店にはまるで似つかわしくない、筋骨隆々の男だ。眉にギッチリと皺が刻まれている。
事態を察した俺は、注文をキャンセルし、急ぎ店から飛び出した。
**
とりあえず人に紛れたほうがいいだろうと思ったので、大学の構内に向かった。
日が傾きかけた構内では、授業終わりの学生たちが雑然と交差していた。
ふと見れば、メガネをかけ、ハチマキを巻いた男女が喚きながらビラを配っていた。
一つ手に取る。
「ダメ! ゼッタイ!
カフェインには中毒性があります。絶対にコーヒーを飲まないように!
飲まない! 買わない! 近づかない!
コーヒー撲滅委員会」
一体これは…?
ハチマキのうちの一人が話しかけてきた。
「コーヒー販売は、我が国を文化的に侵略しようとする西洋の陰謀です。飲むことは絶対に許されません!」
はいはい、わかりました、と言って退散する。一体何が彼らをそこまで駆り立てるのかわかりかねたが、関わらないほうがよさそうなことは容易にわかった。
「おい、騒ぎになってるぞ!」
周りの学生が口々に噂し、走っていく。
人の流れに沿ってついていくと、大学の工学部実験棟前に人だかりができていた。
中心部では火が燃え盛っており、その周りでは人々が殴られている。
焚き火から香るアロマ。燃やされているのはコーヒー豆のようだった。
「もっとやれ!」「コーヒー中毒者を許すな!」取り囲む人々が口々に叫んだ。
殴られ、倒れ伏している人に何かが振りかけられた。
緑茶の葉だ。茶葉を振りかければ中毒が治るのか?
あまりの過激化振りに、俺は怖くなっていた。
俺が自宅に保管しているコーヒー豆はどうなるんだろう?
せき立てられるように家に帰った。
鍵がかかっていない。
ドアを開けた瞬間、数人の男の姿が目に飛び込んできた。
一人の男が振り返って言う。
「
これは…、何かね?」
ダッフルコートを着た刑事の男は、鈍く笑った。
こうして、俺は逮捕された。
手錠をかけられ、留置場に放り込まれた後、連れて行かれたのは裁判所ではなく、港だった。
港から船に乗り2日ほど洋上を放浪し、着いた先は緑茶畑だった。
照りつける太陽。過酷な労働。
俺は緑茶を作り続けた。
来る日も、来る日も、育てては摘み、摘んでは育てた。
十年ほど経っただろうか。
俺は耐えきれなくなって、茶葉出荷用のトラックに紛れて畑から脱出した。
停車した隙に外に逃げた。
街を見て、呆然とした。
交差点に立ち並ぶ、多数のコーヒーショップを見て…
全てのカフェイン中毒者に捧ぐ とかふな @tokafuna
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