自然の中、薫る風

レライエ

大池自然公園

 私の地元の味といえば、やはりカレーである。


 勿論私はインド生まれではない――神奈川県は横浜市、旭区で生まれ育った。

 みなとみらいや鎌倉とは異なり、所謂住宅地である。他県の方が想像するような華やかな場所ではないということだけはここに断言しよう。


 さて、カレーである。


 旭区の名産名物というわけでは無い――これまた鎌倉には、有名な珊瑚礁という店があるがそこの話はしない。


 所謂、自然の中で食べるカレー、ということだ。


 旭区にはこども自然公園、通称大池公園がある。桜の山やグラウンド、アスレチックもあるそこは、名前の通り巨大な池を中心とした自然公園だ。

 近くに小学校が在ることもあり――他にこうした施設が無いこともあり――多くの児童たちが学校主催のキャンプに訪れる。


 夏の終わり、秋の始まり。九月の月初であった。


 スタンプラリーなどを行った最後、こどもたちのお楽しみはやはり自分たちで作る夕飯だろう。

 各自献立を決め、材料の買い出しから始まるこの時間は、私としては何より楽しみな時間であった。次に楽しみだったのは夜の肝試しだ。


 私たちは、カレーを作ることにした。より正確には、私が同班メンバーを言い負かして説得した。

 手軽で失敗の無いカレーは、普段料理などしないこどもの群れが作ったとしても、恐らくそれなりに食べられるものになる。雄大な香辛料スパイスの海は、ちっぽけな人間の愚行くらい容易く飲み込んでくれるだろう。


 ここでも私の説得力が光った。


 具を多く入れることにより、野菜に火が通らず不味くなる。それが初心者の犯しがちな失敗であることを主張アピールして、苦手なニンジンとじゃが芋を排除したのである。


 代わりに購入したのは、トマト缶だ。


 水を一杯分トマト缶に変えることにより、味に深みとか、何かしらこう、えっと………


 旨くなるのだ。


 多分。



 買い出しを終えた私たちを出迎えたのは、級友たちの冷笑であった。

 仕方あるまい、何しろ私たち四年生の夕飯は、である。私たちが刻んだ玉ねぎを全力で炒めている間、他所の鉄板では肉が、野菜が踊っているのだ。パリッと飛ぶウインナーを操りながら、我が級友たちは私たちの選択を嘲笑った。


 愚かなことだ。若さは時に、聡明と愚行とを履き違える。


 すっかり飴色に染まった玉ねぎを、寸胴鍋に放り込む。そこに唯一の具である牛豚合挽きの挽き肉を入れ、炒める。

 軽く色が変わる程度に炒めたら、水を投入する。先ずトマト缶を全て入れてから、それを計量カップ代わりにして水を入れると、トマト缶を余すことなく使いきる事ができる。


 煮たったら、ルーを入れる。


 この辺りで、級友フールたちの視線が変わってくる。

 カレー最大の武器である香りが広まり始めるのだ。

 全て受け入れる香辛料の雄大さは、同時に、全てを呑み込む貪欲さでもある。偉大なるカレーの尖兵は先駆けとなり、級友たちの鼻を蹂躙していった。


 勿論白米も忘れない。


 平凡なバーベキューを営む彼らの主食は、精々が焼そば。ソースか塩かで一喜一憂している程度。

 施設に飯盒はんごうを借りた我々に抜かりはない。

 深みのあるプラスチックの皿に盛り付けられた、純白の原野を見た級友たちの顔たるや、カチカチ山の狸を彷彿とさせる間抜けさである。


 香辛料の茶色い波が白さを侵した瞬間、我々を嘲笑った級友たちは敗残兵と化す。完成したカレーライスの降臨に、居並ぶ凡夫たちは平伏して、ひと口ひと口と慈悲を乞うた。


 無論渡さない。


 木々の隙間からこぼれる、夜空の星。

 寒さを孕み始めた九月の風に乗り、カレーライスの存在感は無限に広がっていく。

 この自然こそ、カレーの旨さを至高へと引き立たせるのである。


 キャンプにはカレー。

 級友たちよ、心に刻み、来年の今ごろは共に食おう。

 私は勝者故の寛大さをもって微笑みながら、スプーンを口に運ぶ。






 ご飯に、芯が残っている、だと………?


 飯盒、最大の味方に裏切られた我々は、カレーと焼そばの交換に潔く応じたのだった。

 カレー焼そば、旨いな………。





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