放課後デストラクト(後編)

~Side 銀子~


 二人を乗せたバイクは中華街へと向かっていた。

「あ~~、よく寝たぜ」

 サイドカーに収まった小鉄は握った鞘を頭上に掲げ、伸びをする。

「授業中ずっと寝て過ごすなんて、ほんとにもう」

 呆れる声に合わせて銀子はバイクのギアを落とし、パーキングに入っていく。昨晩は急ぎだったので直接裏中華街に突っ込んでしまったけれど、こちら側へ置いていく方が安心だ。

 バイクを降りた銀子と小鉄は少し歩いて、山下公園側にある朝陽門へ向かう。

 裏中華街の入り口は四つある。玄武門、朝陽門、朱雀門、延平門、玄武門がそれだ。三時間ごとのローテーションで解放される門が変わるので、馴れていないと遠回りすることになる。

 これぞ中華圏という見た目の朝陽門の下に電光掲示板で『裏中華街入り口』と表示されている。なかなかのサイバーパンク感だ。陽光の下で門を見ると、眼鏡のレンズを通したような空間のズレがはっきりと分かる。

「んじゃ、青鱗会とかいう連中のねぐらを探すか」

 小鉄に続き、銀子もそのズレを越えて門を潜る。表以上に混み合った裏中華街の町並みが広がっている。

 昨晩の大立ち回りなんて誰も気にしていない。あの程度ならこの場所の日常だ。

「ガラの悪いのをとっ捕まえて吐かせれば、そのうち見つかんだろ」

「そんな手間は必要ないから。もう案内人を雇ってあるの」

 メールで送られてきた地図を端末の画面に映し、銀子は歩きだす。大通りの雑踏をかき分けるように進み、路地裏へと入っていった。

 一人が通るのがやっとの建物の隙間を進んでいくと、錆の浮くポンプが設置された共同の水場に出る。

 ぽかんとできた空白地のようなそこに、かぶり面をつけた小柄な人物が立っていた。身長は一二〇センチぐらいだろうか、くすんだ色の人民服を着ている。表の中華街ならお土産の売り子をしていそうな格好だが、存在感が異常に薄い。瞬き一つで見失ってしまいそうな印象だ。

「案内人のパクさん?」

 銀子が尋ねるとパクはかぶり面を縦に振る。

「それじゃ、青鱗会のところまで案内してちょうだい」

 パクは前金を受け取ると、雑然とした街の奥に向かって歩きだす。

 銀子と小鉄は何も言わず、パクの後に続いていく。格好こそ怪しいがハンター協会の協力者リストに乗っているので、ある程度は信用できる。

 路地を進むと加速度的に混沌が増していく。

 地面を歩いていると思った次の瞬間には、十メートルはあろうかという空中回廊を歩いている。体感的には上っている筈なのに、視覚的には下っている階段。周囲を見渡すと上下逆さまに流れる滝や、自己貫入している建物など、幾何学好きなら垂涎の風景が広がっている。

 裏中華街を作った碧霞元君が、いい加減に空間の座標を指定したせいだと言われている。

 手順を知らず、当てずっぽうに進むとあっという間に迷子になってしまう。それでも歩き続けると四つの門の何処かに辿り着くことになる。部外者が目的地へ正確にたどり着きたいなら、絶対感覚を持つ案内人を頼るしかない。

 くねくねとジェットコースターのように三次元的に曲がる水路に沿って進んだ先、楼閣の前で案内人は足を止めた。

 楼閣は一階建てだが、奥の方に向かって何棟も続いている。朱塗りの壁に金色の屋根となかなか自己主張が強い。

 入り口には人間の体に鮒頭を乗っけた人外が二人立っている。懐が不自然に膨らんでいるので、拳銃か短刀を隠しているのだろう。

「案内ありがとう。また何かあったらお願いするから」

 パクは残りの半金を銀子から受け取ると路地へと消えていく。帰りは多少時間が掛かるけれど、案内の必要はない。

「さっさと片付けてゴマ団子でも買って帰るか」

 小鉄はブーツの底で石畳を鳴らし、楼閣の入り口に近づいてく。

 二人に気づいた警備の下っ端が、いぶかしげな表情で近づいてくる。

「なんだ嬢ちゃんたち、売り込みか? 悪いがいま立て込んでるんだ、他に」

「うっせぇ色ボケが!」

 売春婦と間違えた下っ端の腹に、小鉄の拳が問答無用で突き刺さる。

 下っ端は濁った声で呻くと、泡を吹いて昏倒してしまう。

「なっ?!」

 突然の出来事に驚きながらも、もう一人の下っ端は懐に手を入れる。

「はい、あなたはこっち」

 銃を取り出すよりも早く銀子の指先が走り、下っ端の額に霊符がぺたりと張り付く。

「不用意に剥がすと頭が吹っ飛ぶから気をつけて」

「てめえら、黄蛇幇の刺客か」

 下っ端はゆっくりと懐から手を引き抜きながら尋ねる。不細工な鮒頭でもふっ飛ばされるのは嫌なようだ。

「協会のハンターよ。密入国のことで少し話があるの。あなた達のボスに紹介してもらえない?」

「昨晩、無茶しやがったハンターか! わ、分かった。命だけは助けてくれ」

 埠頭での惨状が知れ渡ってるのか、酷く怯えた下っ端はビクッと痙攣するように頷く。

 案内された楼閣の中は湿度が高くひんやりと冷たかった。川の水が内部にまで引き込まれ、板張りの床下を流れている。

 薄暗い二十畳ほどの室内には椅子やソファーが置かれ、鮒頭の下っ端たちが座り、奥の扉の方をジッと見つめている。二人とは関係なく、ひどく空気がピリついていた。

 ソファーに近づいたところで、ようやく下っ端の一人がこちらに気づき立ち上がる。

「なんだてめえら! おい、こんな時にオンナ呼んだ馬鹿はどいつだ!」

 若頭だろうか、身なりの良いスーツのナマズ頭が周囲に向かって怒鳴り散らす。怒りの矛先を向けられた下っ端連中は、自分たちじゃないと激しく首を横に振る。

「だから、デリヘル嬢じゃねえっつんだよ!」

 小鉄は苛立ちに任せて、爆弾と化した下っ端の背中を蹴り飛ばす。バランスを崩した下っ端は額の霊符を押さえながら、仲間たちのところへ突っ込んでいく。

「爆発注意♪」

 銀子の軽い言葉に、ソファーに腰掛けていた鮒頭たちが一斉に身を引く。見捨てられた哀れな下っ端は、床板に顔から激突してしまう。

「昨日のことでボスに話があるつってんだよ」

「まだ中の人たちには、何も説明してないでしょ」

「あー、もう、めんどくせえ。全員舟盛りにしちまえば良いんだよ!」

 刀の柄に手をかけ威嚇する小鉄に、下っ端たちも怒りの声とともに拳銃や刀剣を手にする。

「昨日のハンターだな! てめえらのせいでこっちは取り込んでんだよ!」

 意外と察しの良いナマズ頭が、苛立たしげに大声を上げる。取引の失敗で叱責でもされたのか、酷く焦っているように見える。

「お嬢様の仇だ、そのガキ二人をぶっこ――」

『待て。そいつらを通せ』

 スピーカーからの重い声が、気炎を上げるナマズ頭の勢いを遮った。

「へっ、ちょっとは話が分かるやつがいるようだな」

 小鉄は開いた扉からズカズカと奥へ踏み込んでいく。銀子は倒れたままの下っ端に近づくと、額の霊符をさっと引き剥がす。

「ヒィイッ! あっ……」

 下っ端は小さく悲鳴をあげると、泡を吹いて失禁してしまった。

 二人はナマズ頭の後ろについて楼閣の奥へと進んでいく。それぞれの建物が橋で繋がっていて、川面には鯉や金魚が浮かびパクパクと餌をねだっている。

 橋を三つ渡り、通されたのは蓮の葉に囲まれた瀟洒な楼閣だった。

 そこで待っていたのはでっぷりと肥え太った金魚頭だった。背後には天蓋付きのベッドが置かれ、薄手のベール越しに別の人影がうかがえる。

「おい、なんだこの痘痕のバケモンみたいに不細工なデブ金魚は」

「ランチュウよ」

 小鉄の失礼な発言を銀子は形だけ訂正する。

「お前らだな、昨晩の取引を潰しやがったのは」

 ランチュウ頭は怒りのこもった声で唸る。

「やるってのか? 鯉こくにしちまうぞ」

 小鉄が刀に手をかけ、ナマズ頭も拳銃の引き金に指をかける。銀子もいつでも術が使えるように、霊符に力を込める。

 ひりつく空気の中、天蓋のベールの向こう側から喉を詰まらせたような苦しげなうめき声が聞こえてくる。

「ぶっ殺してやる……と、言いたいところだがこっちも厄介なトラブルを抱えてる」

 ランチュウ頭が目配せをすると、控えていた侍従がベールを開けた。

 ベッドの白いシーツの上には金魚頭の女が横たわっていた。ぬらぬらと粘液に塗れた薄衣を纏い、視点の定まらない目で喘ぐように呼吸をしている。

「ヤクのキメすぎでぶっ飛んでんのか?」

「孕ませ屋の野郎が持ち込んだ種が、うちの娘に憑きやがった」

 小鉄の軽口を無視して、ランチュウ頭が苦々しく言う。。

「そこいらの雑魚に孕まされたんじゃねえの」

「お前らみたいなくそビッチと違う! うちの娘は処女に決まっているだろ!」

 ランチュウ頭の怒号からは、娘を溺愛しているのだろう様子が伝わってくる。

 二人のやり取りをよそに、ベッドに近づいた銀子は女の腹に手を当てる。

「……ナカに何かいる」

 別の気配とともに、腹を内側から押し上げる感触があった。霊符を張り付けると、墨で書かれた文字の一部が赤く染まる。腹の中に入っているのが、女と別格の存在である証拠だ。

「状況から考えて黒山羊シュブ=ニグラスで間違いなさそうね」

「密入国が失敗したのは俺のミスだが、関係ない娘がこうなったのはお前らのミスだ。生きて向こう側に戻りたきゃ、娘の命を救ってみせろ」

 青鱗会のボスとしての威厳を見せつつも、愛娘のことを何よりも心配している。

「ったく、大人しく爺さんになりやがれよ……」

 小鉄は刀に手をかけながら、視線でこちらに判断を委ねてくる。

 銀子が断れば、小鉄は躊躇なく皆殺しにする。この程度の事態は二人にとって修羅場のうちにも入らない。

「やるだけやってみましょう」

 銀子は軽く言って、柄をを握る小鉄の腕に触れる。別に人道的見地などではない。次の昇格審査のために、協会からの評価を落としたくないだけだ。

「憑物落としか、めんどくせ~」

 刀から完全に手を離した小鉄が煙草に火をつける。他人に任せておいてこの言い草だ。

 銀子は小鉄の煙草をひと睨みしてから、電話を掛け始める。

「私ひとりじゃ治療まで手が回らないから、助っ人を呼ぶわ。費用はそっちもちで前払いよ」

 ランチュウに説明していると、五度目のコール音で相手に繋がる。

『はいはーい、魅音(みおん)だよー。銀子ちゃん何か用かな~?』

「いま紅藍と一緒?」

『うん、もちろん一緒だよ♪ 紅藍ちゃんのお店でバイト中~』

「なら良かった、悪いんだけど今から言う場所に紅藍を連れて来てくれない」

 軽く説明を終え電話を切った銀子は、続けて案内人にも連絡を入れた。


~Side 小鉄~


 電話をしてから二〇分後、銀子が呼びつけたクラスメイト二人が楼閣に到着した。

「こんにちは~」

 手を上げてゆるい挨拶をしているのが地丹魅音(ちたん みおん)。ふんわりミディアムボブに猫目、学園指定のセーラー服にワンサイズ上の白カーディガン、殺伐とした雰囲気なんてお構いなしの可愛いオーラを放っている。

「な、なんで、マフィア屋さんの家に……」

 その背後にピッタリとくっつき隠れているのが李紅藍(リ コウラン)。お団子ツインテールにつぶらな瞳、身長は小鉄より低いのも相まって中学生以下にしか見えない。道士服なのは占いのバイト中だったからだ。

 教室と変わらない態度の魅音に対して、紅藍の方は居並ぶ青鱗会の威圧感に怯えきっている。

「あの、わたし、アルバイトが」

「大丈夫、ちゃんと相場の料金は払うから」

 帰して欲しいと紅藍がおずおずと声を上げるが、銀子は最後まで言わせない。

「料金? えっ? なにを……」

 説明もせずに呼びつけたので、紅藍の頭上にはハテナマークがいくつも浮かんでいる。一緒に来た魅音は事情なんてまるで気にせず、床下を流れる川に指を突っ込み鯉と戯れていた。

「今から出産なの。ちょっと無理するから、母体のフォローお願いね」

「え、そんなの無理無理! 出産に立ち会ったことなんてないよー!」

 あっさり言う銀子に対して、紅藍は首と両手を使って全力で拒否する。

「魅音を甦らせた実績があるんだから、出産ぐらい楽勝でしょ?」

 名前を呼ばれた魅音が勢い良く振り向く。その拍子に鯉に指を噛ませていた左腕が、肘関節からすぽっと外れてしまう。

「あ、返して~」

 魅音は川面にずぼっと右手を突っ込むと、鯉を掴んで左腕を回収する。

「紅藍ちゃ~ん、腕が外れちゃったー」

 水で濡れた腕を拾い上げ、魅音はトテトテ近づいてくる。

「もう、魅音はなんでこんな場所で気を抜けれるの……」

 呆れながら紅藍は渡された腕の断面に軟膏を塗る。肘に腕を押し当てると、軟膏が接着剤のように作用しピタリとくっついた。

「ごめーん、綺麗な鯉がいたから、つい~」

 傷口を紅藍に縫われながら、魅音が首を傾げる。弱気な態度とは裏腹に紅藍の指先は目にも留まらぬ速さで動き、あっという間に繋げてしまう。

「そんな感じでチャチャッと治療しちゃって」

 ほら大丈夫だと銀子が指先を回す。

「だから偶然なの! 偶々、冥吏に願いが届いただけなの! それに……、とにかく反魂は無理なの!」

 左右のツインテールをぶんぶん振って紅藍は強い口調で否定する。普段なら揺れる瞳が、今はまっすぐに銀子を見て悔しさを滲ませている。

「そうなの?」

 視線の力強さに身を引いた銀子が、魅音に尋ねる。

「ん~、魅音よくわかんな~い」

 左の人差し指を顎に当てて魅音は首を傾げる。

 魅音はいわゆるキョンシーやゾンビ、リビングデッドと呼ばれる存在だ。普段は生きている人間と変わらないけれど、驚いたり気を抜いたりすると身体のパーツが外れてしまうらしい。授業中に居眠りをして、よく首が取れているのを見かける。

 呑気なやり取りの間にも金魚女の苦しげなうめき声は続き、青鱗会の連中は苛立ちをつのらせている。

 小鉄は床に寝かされた金魚女の脇に屈み込む。

「ま、なんでもいいけどさ。こいつ、爆竹突っ込まれたカエルみたいに腹がぱんぱんだぜ」

 ウシガエルのように膨れ上がった腹を突くと、破裂寸前の水風船のような感触が戻ってきた。すぐ横に置かれた檻の中では、儀式に使うウサギが何をしてるんだとでも言いたげに赤い瞳を向けていた。

「紅藍、これは命を救う尊い仕事なの。っていうか、拒否ってもやらせるから、とっとと覚悟してね」

 じれったさに耐えかね銀子が有無を言わせない笑顔を見せる。こういうところは本当にわがままで強引な奴だ。

「うぅ……、また変なことに巻き込まれちゃって……」

「紅藍ちゃんガンバれ~」

 嘆く紅藍を魅音が無責任に励ます。

 二人の準備に少しばかり時間を使って、ようやく儀式の体裁が整った。

「それじゃ、始めるわよ」

 即席の祓串を手にした銀子の顔つきが変わる。龍宮神社の娘として修行を積んでいた時と同じ、真剣そのもの表情だ。

 陶磁器の壺を利用した祭壇に火が入れられ、祈祷が始まった。

「掛けまくも畏き龍宮神社の大前に、恐み恐みもうさく――」

「んのうあおじょっぉああがぁあぁあぼおぉぉお」

 金魚女は祝詞と唱和するようにうめき声を高めると、床板を引っ掻き激しく悶える。

「お、おい、本当に大丈夫なんだろうな」

 娘が地獄の亡者のように這いつくばり苦しむ姿に、さすがの青鱗会のボスでも動揺を隠せない。

「大丈夫だろ。銀子の実家の神社、安産のお守りも売ってたぜ」

 紫煙を燻らせながら小鉄は適当に答える。銀子が奏上しているのは、たしか安産の祝詞だ。七五三やら安産の祈祷も受けていたはずだ。

 ランチュウ頭は釈然としない様子だが、儀式は続いていく。

「大神の敷き坐す此の青鱗会楼閣に住めるチン・ユー、常も大神の高き尊き恩頼(みたまのふゆ)を常にも仰ぎ奉り辱(かたじけな)み奉れるが中に、先程身ごもり侍りたれば――」

 振られる祓串の動きに合わせて炎が盛る。鼻につく匂いと共に激しく煙が立ち込めていく。

「これじゃ、魅音も乾燥しちゃう……」

 紅藍が遠火でじっくり炙られる金魚女に薬湯を掛け流しながらぼやく。

「保湿大事ってよね~」

 燃え盛る壺に燃料の新聞紙や霊符を、適当にくべている魅音の呑気な声が響く。この修羅場をまるで意に介していない彼女に、青鱗会の下っ端たちは呆れを通り越し驚愕している。

「安産の守護神(まもりがみ)と仰ぎ奉る我が大神の厚き恩頼をかがふり奉りて、母に喪無(もな)く事無(ことな)く――」

「んぎょぼぉおおひぃおぼおぉあおあぁおぎょひぎょぉおおああぁあああ」

 祝詞の高まりに、金魚女の奇声は窓ガラスを細かく振動させるほど激しくなる。

「娘が苦しんでるぞ! 早く化け物を堕ろせ!」

 焦ったランチュウ頭が身を乗り出し、汚い唾を飛ばす。

「ま、そろそろか」

 自らの勘が告げるままに、小鉄は刀に手をかける。

「憑きし異神を安く穏しく産ましめ給へと、恐み恐みもうす」

 奏上し終わった銀子は祓串を置くと、親指の先を小刀で軽く斬る。浮かび上がった珠の血を床に擦り付け、金魚女の股ぐらから囮のウサギまで朱色の導線を引く。

 加護の祈祷なら血はご法度だが、憑物落としは違う。処女の穢れを餌に、汚れをおびき出すための血だった。

「おぼおぁおあああぉあぁおあああぎょぼあぉあおああぉおおおお!!!」

 金魚女の口から、声帯が飛び出してしまうかのような一際大きな絶叫が迸る。

 股ぐらから濁った水音が聞こえた。

「おっおっひぎぃっ……お…………」

 苦しみから解放された金魚女が白目を剥いて失神する。

「あ、なんか出てくるっぽい」

 魅音の声に全員の視線が、金魚女の股ぐらにかけられた布に集まる。白かった布は赤黒く汚れ、その内側がもぞもぞと動いている。

 濡れた靴下で歩くような湿った音と共に、その肉塊は姿を表した。

 四、五キロはあろうかという、膨れていた腹にふさわしい大きさだ。辛うじて五つの突出部を持つが人でも魚でもない。四肢は腕らしき一本しか無く、代わりに三つのひれが付いている。出来損ないというより、もはや後産でひり出される胎盤のようだ。

 その肉塊が歪な手をベタッと動かし、銀子の血を頼りに囮のウサギへと這い寄っている。

「銀子、へその緒を斬って!」

 金魚女の股からは血に塗れた管が、リードのように肉塊に向かって伸びている。

「あいよっ!」

 応えた小鉄は床を打ち鳴らし踏み込む。そして、振り下ろした剣先、その一寸でへその緒を断つ。切り口から濁った血がどろりと床に広がった。

「うわ、なんかきったねー」

 剣を振り抜けなかったので、刃に血がべっとりとついてしまった。愛刀が汚れたままなのは気に食わないと、小鉄は部屋の端から覗く川面に近づく。剣先を水で濯ぎ、水滴を払う。

「紅藍、母体の治療おねがい!」

「は、はい! 魅音、この人を台にのせて」

「わかったよー」

 緩い返事とは裏腹に魅音は細腕からは到底想像できな力強さで、金魚女を軽々と抱え上げる。寝台に移された金魚女は弛緩した手足を投げ出し、ぐったりとしている。

 薬湯をかける柄杓から針と糸に持ち替えた紅藍は、金魚女の股ぐらを押し広げ裂けた会陰の縫合を始める。魅音の身体の縫合に慣れているだけあって、その手元は正確で素早い。

「娘は助かったんだな!」

 ランチュウ頭が鰓をパタパタさせて大声を上げる。青鱗会のボスとしてではなく、父親として喜んでいるようだ。

「憑物落としは成功、後は顕現しきれなかった肉塊を火に焚べて、向こう側に返せば――」

「きゃっ! なんでこっち来るの! くっつかないでよーー!」

 説明を遮り紅藍が小さな悲鳴を上げる。囮のウサギに向かっていたはずの肉塊が、急に進路を変更し紅藍のふくらはぎに飛びついていたのだ。

「もしかして、生理中?」

 銀子の問いかけに紅藍が頷く。

「新鮮で匂いの強い方に引かれたのね」

「そんな! お股が臭いみたいに言わないでっ!」

 紅藍がもぞもぞと閉じる太ももを肉塊は強引にこじ開け、間に入り込もうとしている。

「いやーーーーー! 変態、やめてぇえええ!」

「もう一度産まれるつもりよ。早く引き剥がして」

 銀子の言葉に小鉄も刀を構える。

「どうする脚ごといっとくか?」

「だめだめだめぇえええ! ケーキのついでにドリンク頼むみたいに、わたしの脚を斬らないで! 助けて、みおーーーん」

 泣き叫ぶ紅藍に魅音がそっと近づく。

「あらあらー、紅藍ちゃんを孕まそうなんて考えてるの? この薄汚いクソ豚レバーちゃんが? そんなのわたし以外に許されるわけないからねー」

 可愛いのに底冷えするほど恐ろしい声で魅音は言う。そして、紅藍の太ももから股の間に潜り込もうとする肉塊を右手がガシッと鷲掴みにする。

「あ、身体は死体だから反応しないのね。最初から魅音に頼めば良かった」

 感心する銀子だったが、かなり今更な言葉だ。

「きったないのいーらない」

 魅音は肉塊を紅藍の股から引き剥がすと、握りつぶしたそれをぽいっと放り捨てる。

 無造作だが、ピッチングマシーンを余裕で超える速度で放たれる肉塊。その先には、青鱗会の下っ端たちがいた。

「うげっ、きたねえ汁が!」

 運悪く肉塊の爆撃を食らったのは白いスーツのナマズ頭だった。

「この肉、まだ生きて、なっ、剥がれな、や、やめぇ、のぼぉ、ごぉいぃおぃずぅうあばおぁ」

 肉塊はナマズ頭の口や耳から体内に侵入し、あっという間に脳髄を乗っ取ってしまう。ナマズ頭改め、ぶよぶよの肉頭と化した男はビキビキと痙攣しながら別の下っ端に襲いかかる。

「そいつごと撃ち殺せ!」

 ボスとしてのケジメか、ランチュウ頭が非情な命令を下す。

 放たれた数十の銃弾が肉頭に穴を開け、濁った血のような体液が、赤い毛のように噴き出す。

「そんらぁボスぅううぅう、ぼぼぉぉおおずぅうう!」

 肉頭はシバリングでもするように身体を震わせると、銃痕から針状の触手を放つ。全方位に突き出された肉針は、銃を握る下っ端を次々と貫いた。

「怯むな、撃て撃て撃てぇえええ!」

「ぼぉおぅぅうぅずぅうぅううううだずげぇれえぇええぇおぼぇおああ」

 肉頭はごぼごぼと濁った声を上げ、自分を見捨てたボスに飛びかかる。

「や、やめろ、肉が! 肉が! くっついてぇええ! にぐぅあぁあおぼあがぁおああぁあ!」

 でっぷりと肥え太ったランチュウが肉頭に取り込まれ、魚介餃子の餡のような有様になっていく。

「どうすんさのこれ?」

 のたうつ魚肉人を前に、汚れるのは嫌だと小鉄は刀を担ぐ。

「燃やすしかないんじゃない」

 銀子の答えに、小鉄は火が残っている壺を魚肉人に向かって蹴り倒す。

「ひぃぃいいいいぃいい!」

 魚肉人に火が移り、魚の生臭さと脂が燃える臭いが混じった吐き気を催す煙が立ち込める。

「あのー、治療終わったから、もう帰っていいかな?」

 紅藍がおずおずと声を上げる。これ以上はもう関わりたくないと揺れる目が主張している。

「母体は?」

 銀子の問いかけに紅藍は楼閣の隅を指差す。

「土佐男さん!」

 意識を取り戻した金魚女は、下っ端の鮒頭の一人と抱き合っていた。潤んだ瞳で見つめ合い、場違いな甘いムードを漂わせている。

「お義父さんの事は残念だけど、これで僕達の結婚に障害はなくなったね」

「さあ、行きましょう。しがらみのない二人だけの世界へ!」

 二匹は手に手を取り合って川面へ飛び込むと、水路の陰へと消えてしまう。後には小鉄達と炎の広がる楼閣だけが残された。

「なんだ、結局どっかの雑魚に孕まされるってオチじゃねえか」

 小鉄はバカバカしさに呆れて肩をすくめる。

「ねーねー、あっちも外に出てっちゃったけど、いいの~?」

 魅音が指差す先では楼閣を飛び出した魚肉人が、歪な三本の脚をがむしゃらに動かし桟橋を渡っていく。水に飛び込んで火を消すという知能も無いのか、背中の脂が燃え続けている。

「はぁ~~、一応追うか」

 大きなため息をついてから、小鉄は走り出す。事が大きくなることは、もう避けられないだろう。

「紅藍、魅音、手伝ってくれてありがとうね。協会経由で振り込むから、口座番号メールしといて」

 二人に別れを告げた銀子も後ろからついてくる。

 魚肉人は無茶苦茶な姿勢で走り、時には壁に激突しながらもねじれた空間を走破していく。かなりのスピードだが、聞こえてくる物音や悲鳴のお陰で見失うことはない。

 一〇分も走らずにごった返すメインストリートが見えてきてしまう。空間にかけられた術の作用で、適当に走っていると戻されてしまうのだ。

 魚肉人から遅れること少し、小鉄と銀子も表通りへと飛び出す。

「ぼあぁおごあぁじょあそおぉおおおお」

 そこは既に阿鼻叫喚の大騒ぎとなっていた。通りに飛び込んだ魚肉人は、肉の触手を広げ手当たり次第に通行人を取り込んでいる。

 通行人たちもただ無抵抗ではなく、刀剣や槍、あるいは投石、煮え立つ油で魚肉人を攻撃している。

 しかし、魚肉人の大暴れに多数の犠牲が出ている。

 数分の遅れただけで、すでに魚肉人は体積が何十倍にも膨れ、二階建ての屋根に並ぶほどだ。魚の鱗や人間の腕だけでなく、羽毛や蹄などなど取り込んだ人外たちの性質が無数に現れている。

「汚え肉だるまだな」

 ありとあらゆる動物のひき肉を丸めたような異形と化している。

 そこかしこで警鐘が打ち鳴らされている。暫くすれば碧霞元君の邏卒がやってくるだろう。

「なあ、オレらもバックレて帰るか?」

「そうね。もう任せちゃって」

 二人の気の抜けた声を遮り銀子の端末が鳴る。画面を覗き込むと、相手はハンター協会の担当官だった。

『この大馬鹿どもがっ! いま、碧霞元君様から苦情が入ったぞ。どうせ、お前らだろ! しっかり始末をつけなければ、次の昇級どころか、ハンター資格を停止させるぞ!』

 回線を越えて唾でも飛んできそうな怒鳴り声に、画面が細かく震える。

「わーったよ」

 要件は伝わったと小鉄は、まだ担当官が吠えている通話を終了する。

「……しょうがねえ。銀子、オレが斬った端から燃やしてくれ!」

 短く呼吸を整えた小鉄は逃げる群衆の波に逆らって、巨大肉だるまへと駆けていく。無闇矢鱈と暴れていた肉触手が気づき、先端をこちらに向ける。そのうちの一本が逸ったかのように小鉄に襲い掛かった。

「まずは一本目!」

 小鉄は両手で握った刀を振り下ろす。肉と鱗と羽毛、そして骨片の混じった不快な手応え。斬り飛ばされた肉触手は勢いのまま、後方へと吹っ飛んでいく。

「こっちはオッケーよ」

 応えた銀子の霊符が舞い、肉触手に張り付く。本体から切り離された肉触手は、激しく燃え上がり黒い消し炭となって風に帰ていく。

「このまま塵芥にしてやんぜ」

 本能的に危険と判断した肉触手が波濤を成して小鉄に殺到する。

 肉断つ音と風切り音がズレていく。小鉄の振るう刃が速度を上げているのだ。刃の旋風に巻き込まれた肉触手は無残に切断され次々に背後へ送られる。そして、製造過程で弾かれた歪なソーセージのように銀子の霊符で次々に焼却処分されていく。

 小鉄と銀子は確実に肉だるまを押している。しかし、逆サイドは違かった。

「暴れてるノ、マタお前らネ! こんな肉、持ち込まれても食べられないヨ!」

 巨大飯店から飛び出した牛頭が巨大肉だるまに中華包丁を振るう。

 海老の殻も頭蓋骨も砕く包丁は肉触手を斬り裂くが、いかんせん相手はすでに10メートル近くある巨大肉だるまだ。

「な、ナンネ! 肉が迫っテ、に、ニクゥウウ!」

 牛頭は押しつぶされるようにして、肉だるまに飲み込まれてしまう。他にも至る所で群衆が肉だるまに吸収されていた。

 小鉄と銀子が削り取った以上の質量が確実に肉だるまを肥え太らせる。体長はあっという間に二〇メートルを越えていく。

「食いすぎだデブ。銀子、炎の嵐で一気にやっちまうか」

 肉触手をなで斬りにしながら小鉄がぼやく。

「ダメだから。こんな街中でやったら、それこそ大惨事よ」

「もう十分大惨事だろ。これ以上なんに気をつかう必要が――」

 言いながら小鉄は視界の端で動く小さな影に意識をとられる。

「マーマー、えっぐっ、助けてマーマー!」

 壺の後ろに隠れていた子鬼が大声で泣きだしてしまう。その空気の振動を感じたのか、肉触手が小鉄から子鬼の方へと狙いを変えようとしていた。

 舌打ちをした小鉄は、すでに走っていた。左手一本で握った刀で触手を切り飛ばしながら、右手を目一杯子鬼に向かって突き出す。

「捕まれガキ!」

 必死に伸びた小さな手を掴み、子供を抱える。僅かに速度が緩み重心が傾いたその隙に、肉の触手が刃の間合いを抜けてくる。脇腹に鈍い痛みが走った。

「お兄さん、ありが……お、お腹がっ!」

 子鬼の感謝の声が、途中から叫びに変わる。

「喚くなクソガキ、それにオレはお姉さんだ!」

 小鉄は子鬼を庇いながら刀を振るう。脇腹を一掴み持っていかれた傷からは、かなりの勢いで血液が流れ出していた。

「あ……」

 乾いた呟きが嫌にハッキリと耳に届き、銀子の怒気が爆発的に増大する。

「大丈夫だ、銀子! ちょっと腹に穴が空いただけだからな!」

 小鉄は焦った。肉触手の猛攻を片手で防ぎながら子供一匹を庇うよりも、ずっと焦っていた。

 血を撒き散らしながら言っても説得力は皆無だろう。それでも、どうにか銀子をなだめようと小鉄は必死に声を上げ続けた。

「いいか、落ち着け。絶対に」

「私の小鉄に……なにしてくれてんのよ、このド畜生ぉおおおおおお!」

 叫んだ銀子の身体がまばゆい光を放つ。

「ブチきれんなって……あーあ……」

 力の抜けた言葉を漏らす小鉄の目の前で銀子が変化していく。

 黒髪が燃えるような赤に染まり、頭から鹿を思わせる二本の角が伸びる。急速に身体が巨大化していき、その膨張に耐えかねひび割れた皮膚が、光沢のある銀色の鱗へと変じていく。

「あ~、やっちまったな」

 体長五〇メートルはある龍と化した銀子は天を駆け、巨大肉だるまへと襲いかかる。

 巨大肉だるまには知性というものが無いのか、突如現れた龍にも怯まない。直径三~五メートルはあろうかという幾本もの肉触手を伸ばす。

 銀龍が荒れ狂う暴風と津波が合わさったような咆哮を上げる。大気が震え、襲いくる肉触手へと雷光が走った。雷光は受けた肉触手は、その膨大なエネルギーに耐えかね内側から爆ぜ、汚液と肉を撒き散らす。

「おいガキ、さっさと逃げろ」

 小鉄は呆けていた子鬼の背中を叩きこの場から追いやる。

「さてと、どうすっか。少し落ち着くまで待つか?」

 傷口に応急処置の霊符を張りながら大怪獣決戦を見上げ、小鉄は目を細める。

 巨大肉だるまと銀龍に押しつぶされる建物。そこに暴れまわる肉触手と、狙いも適当に放たれる雷光が加わり、裏中華街は絨毯爆撃でもされたかのように破壊されていく。

『うるさーーーーーーーい!』

 少し舌っ足らずな幼い声が、空から降り注ぐ。この裏中華街に住む者ならこの声の主を知らないはずがない。

 泰山に奉られし女神にしてこの裏中華街の頂点、天仙聖母碧霞玄君だ。

『父君のもとから帰ったばかりでワレは眠いのじゃ! 喧嘩なら外でやるがよい!』

 碧霞玄君の言葉が終わるや、銀龍と肉だるまを中心に空間がぐにゃりと歪む。水面に垂らした絵の具が渦を巻くマーブリングのような光景だ。二体の大怪獣はその歪みに吸い込まれてしまう。

 ほんの十秒もかからず、裏中華街に平穏が取り戻される。しかし、瓦礫の山と焼け焦げて異臭を放つ肉片は残されたままだった。

 外でやれと碧霞玄君に言われて消えたのだから、言葉通り怪獣大決戦は表側で続いているのだろう。

「始末書が……あー、くそ。止めないとな……」

 門に向かって歩き出そうとした足が少しもつれる。思ったよりも血を失い、視界が揺れていた。

 一度首を振って、顔あげると目の前に四魂学園の制服を着た二人組が立っていた。嫌な奴らの登場に小鉄は大きく舌打ちをする。

「見知らぬ子供を助けてその有様か? 護衛として情けないな」

 乾璃緒(いぬい あきお)が鼻を鳴らす。自分ならそんなミスを犯さないと馬鹿にしているのがハッキリと分かる。

「手助けが必要なら『貸し』にしてあげるけど、どうする?」

 鬼柳真珠(きりゅう しんじゅ)が胡散臭い笑みを浮かべ手を差し出す。

 偶然二人が居合わせたなんて都合のいいことがあるはずがない。どんな思惑かは知らないが、後をつけて事の成り行きを見張っていたのだ。小鉄にまた一つ貸しを作れると判断して、姿を表したのだろう。

「いらねえよ。銀子はオレが止める」

 差し出された真珠の手を、小鉄は無造作に払いのける。

「そう、ならさっさと片付けて欲しいものね。璃緒、コレを近くまで届けなさい」

 真珠は無礼を怒るでもなく、璃緒に目配せする。

「承知しました」

 頭を下げた璃緒の姿が掻き消える。次の瞬間には身構える小鉄の身体が、ひょいと抱え上げられていた。

「てめぇ離しやがれ!」

 小脇に抱えられた小鉄がジタバタと暴れるが、靭やかな筋肉をまとった腕はびくともしない。

「土埃を食いたくなければ、少し黙っていろ」

 璃緒の言葉が終わらないうちに、カタパルトで弾き出されたかのような加速度が小鉄を襲う。あまりの速さに気圧が変化し、耳がキーンと痛くなってしまうほどだ。

 文句を喚こうにも、叩きつける風圧で口を開けることもままならない。崩れた煉瓦塀やぺしゃんこに潰れたバラック小屋の並ぶ風景が高速で背後へとかっ飛んでいく。

 さすが人狼、脚の速さだけは認めないわけにはいかない。局所的な獣化だけでもこの速度だ。全力のトップスピードで襲われたら、一点に集中した小鉄でも刀で捉えられるか微妙なところだ。

 ものの数秒で境界である朝陽門を抜け、表側の中華街へと戻ってくる。

 宵の喧騒とは別の破砕音と稲光が轟いていた。方向からして山下公園のあたりで大怪獣バトルが続いているようだ。碧霞玄君も多少は気を使って、できるだけ被害の少なそうな場所に追い出したらしい。

「あれはなんだ?」

 何かに気づいた璃緒の視線を辿ると、空に一筋の光点が流れる。流星や飛行機ではない。光の中に薄っすらとだが人影が見える。

「おいおい、まだ何か来るのかよ」

 うんざり気味に首を振る小鉄の頭の中に、聞き覚えのない女の声が飛び込んでくる。

『夜景を楽しむ人々の平穏脅かすなんて許さない! 父と子と精霊のセーラー服美少女戦士エンジェル・ダブル! 御心に代わっておしおきよ!』

 やたらとハイテンションな名乗りに続き、その光は大怪獣バトルの真っ只中に飛び込んでいく。

『その恥ずかしいのやめろって言ってんだろ!』

 文句をあげる別の声も聞こえてくる。名乗りを上げた声が可愛らしいのに対して、こちらも女性だろうが若干ハスキーだ。

 一体何者なのか分からないが、頭がイカれた連中だということだけはハッキリしている。

『エンジェルブレード!』

 光点から伸びた光の刃が肉触手の一本を切断する。

『だから、必殺技を叫ぶな!』

 ツッコミの声と共に振るわれた光の刃が、今度は雷光を弾き返した。

 この行動が銀龍と巨大肉だるまの闘争本能に油を注ぎ、さらに燃え上がらせる。イカれてはいるが実力は確かな闖入者に対して、肉触手や雷光が殺到する。もちろん連携などしていない。触れ合った両者が激しく爆ぜ、汚い肉汁の雨を降らせている。

「ったく、どこのイカれた変態ヒーロー野郎か知らねえが、余計なことしやがって。おい、わんころ。オレをマリンタワーの上まで連れて行け」

 返事もなく璃緒はアスファルトを蹴る。脇に抱えられた小鉄は、顔をうつ突風に目を細め耐える。

 壁を蹴りビルからビルへと渡たり、さらにタワーの側面を垂直に駆け上がる。縱橫に激しく回転する視界に若干酔ってしまう。

 マリンタワーの直上に到着した璃緒は、ゴミ袋でも扱うように小鉄を放り出す。

「もうちょっと優しく扱えよな」

 ぼやいた小鉄は違和感のある脇を掻く。吹きさらしのタワーの上は風が強かった。

 大怪獣とイカれヒーローの三つ巴のバトルの所為で山下公園の樹木はなぎ倒され、係留された水上警察の舟が沈み、台風のように荒れる海から海水が一帯に撒き散らされていた。

「貴様一人でどうにかできるのか?」

 璃緒の懐疑的な視線を、小鉄は一笑に付す。

「ハッ、オレが誰を宿してると思ってんだ?」

 首に巻かれた戒めの数珠を引きちぎる。

 締め付けられていた頭と身体の経絡が解放され、全身に力が満ちていく。特に背中が熱くなり、皮膚を裂くようにして内側から力の証が伸びていく。

「さあ、暴れんぞ! 八天狗がひとり、愛宕山太郎坊!」

 夜の闇よりも濃い濡羽が、待ってましたとばかりに空に広がる。

「こっから先は犬っころの出る幕じゃねえ。さっさと飼い主のとこへ帰りやがれ」

 小鉄がシッシッと手を振ると、璃緒は面倒ごとから解放されたとでも言うようにあっけなく姿を消す。

「いっちょ、やってやるぜ!」

 マリンタワーの頂上から身を投げた小鉄は、翼で夜風を受け空を駆ける。

 羽ばたく必要はない。位置エネルギーを速度に変えての高速滑空、一直線に三者が入り乱れるバトルフィールドへと突っ込んでいく。

 襲い掛かってくる肉触手を刀で斬り払い、あるいはバレルロールの要領で躱す。

『エンジェル拡散ビーム!』

 イカれヒーローの放つ光線の雨を掠めるように抜け、銀子は銀龍を目指す。

「銀子ーーー!」

 呼びかけながら小鉄は銀龍の胴体に飛び降りる。狗法の水上歩行の要領でうねる鱗を踏みしめ、雷光がもっとも激しい頭部へと駆け上がっていく。

 そんな小鉄に気づいたのは巨大肉だるまだった。散々斬り刻まれた恨みを今こそ晴らすとばかりに、直径一〇メートルはあろうかという肉触手を叩きつけようとしてくる。

「邪魔なんだ、旋風斬りィイイ!」

 踏ん張った小鉄は迫る肉触手に向かって刀を振り下ろす。霊力を纏った刃は猛烈な風の斬撃を生じさせ肉触手を一刀両断、さらにその背後に浮かび上がっていた巨大な魚頭を斬り落とす。

「いい加減、目を覚ましやがれ銀子っ!」

 最大の一撃を放つべく刀を鞘に納めた小鉄は、一気に頭頂部まで駆け上がる。その視線の先は、紫電を纏う二本の凛々しい角に向けられていた。

 最後の一歩、間合いに踏み込むと同時に小鉄の右手が奔る。

「抜刀角落としぃィイイイイ」

 神速の一閃が二本の角をほぼ同時に斬り落とす。

 瞬間、霊力の収縮が起き銀龍の身体が光に包まれる。

 角斬りをした小鉄はその逆流に飲み込まれ、大きく力を吸い取られてしまう。

 猛烈な眠気のような倦怠感に、気を失いそうになりながらも、どうにか元に戻った銀子の裸体を抱きとめる。

『あ、通りすがりの善き人! そっちを片付けてくれてありがとう!』

『残りの化け物はアタイたちに任せな!』

 空から二つの声が降ってくるが、銀子を救った小鉄にとっては、もうかなりどうでもいい感じになっていた。

「勝手にしやがれ。オレは……ちょっと疲れ過ぎた……」

 ふらふらと滑空し、どうにかバイクを停めたビルの駐車場に小鉄は降り立つ。維持することが出来なくなった羽は降下中もハラハラと抜け落ち、そのまま風に吹かれて消えていた。

『エンジェルダイナミック!!!』

 背後で太陽のような閃光が迸り、冗談のような爆音が轟く。

 巨大な気配が消えていくのを感じる。どうやら勝負がついたようだ。

 人間体に戻った小鉄は、銀子を背負いどうにかバイクのところまで辿り着く。そして、サイドカーの奥から替えの制服を引き出そうとしたところで、突っ伏してしまう。

 完全にエネルギー切れだった。

「ん、ん~~……小鉄?」

 もぞもぞと銀子が目を覚ます。

「悪い、寝る……」

 いつの間にか瞑っていた瞼から、そのまま小鉄の意識は暗闇に落ちていった。


~Side 銀子~


「はぁ、はぁ……うッ……ぁ……あっ……」

 ベッドに横たわる小鉄は熱に浮かされ、湿った吐息を吐く。今しがた目を開けたけれど、意識は朦朧としている。

 身悶えるたびに指先がシーツをひっかき、皺が増えていく。その皺がまるで小鉄の苦しみを表しているようで、銀子の胸が痛む。

 駐車場で倒れた小鉄をどうにかサイドカーに乗せ、そのまま近くの安ホテルに入っていった。もちろん傷ついた小鉄を癒やすためだ。

 血濡れた制服を脱がすと、腹の傷は酷いものだった。辛うじて臓器は無傷のようだが、激しく動き回ったせいで出血が酷い。普段の小鉄なら安静にしていればすぐに治るのだが、力を使い果たしている今は違う。

 このままでは二、三日は苦しみ続けることになってしまう。

 自分のために怪我をした小鉄を、数日とはいえ苦しませるなんて銀子には耐えられなかった。

「大丈夫、私が治してあげるから……」

 銀子は形だけ着ていた制服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿を大きな鏡に晒す。

 生命力や霊力、魔力、気、そういったものも元を正せば同じエネルギーだ。減ってしまったのならそれを補充すれば、回復は早くなる。

 銀子はその術をもっている。

「小鉄……」

 大切な幼馴染の名を呼ぶと、脇腹の傷に気をつけてゆっくりと覆いかぶさる。

「うっ、くぅ……ハァ……ハァ……」

 熱い息が銀子の黒髪を揺らし、じっとりと汗の浮かんだ小鉄の肌が張り付つく。乾いていない小鉄の血が、二人の肌の間でぬるりと広がる。

 銀子のまだ傷の残る指先が、小鉄の可愛らしいおへそから、さらに下へと伸びていく。

「身体の力を抜いて……」

 少し意識があるのか硬く閉ざされていた小鉄の太腿から僅かに力が抜ける。股の間に潜り込んだ銀子の指先が、ぴっちりと閉じている蕾に優しく触れる。

「ひぃっ! あっ! いっ……ぁ……あっ!」

 普段は凛々しい銀子が風に翻弄される花のように身体を震わせる。霊力が抜けてしまった影響で、感覚器官が敏感になっている。

 それをよく知っている銀子は、指の腹だけを使って優しく丹念に蕾を解きほぐしていく。

「う……はぁ、い……いぁ……んん、はぁ、あっ……あっあっ、ふぁぁ、そ、それ……んぁあぁ……ぁ、ぎん……こ……あぁ……」

 息をつまらせるようだった小鉄の呼吸が、徐々に甘いものへと変わっていく。

 蜜に満ちた柔い蕾が指先に吸い付き、銀子の身体から霊力を吸い取っていく。その熱に導かれるように、銀子はほんの少しだけ奥へと指先を進める。

「あっ、ひぁぁあ! あ、あぁ……ぎんこぉ……おれぇ……あっあぁ……んぅ、そこぉ、あぁっ……」

 朦朧としたままの小鉄は、悪夢の中で助けを求めるように銀子の名を呼ぶ。焦点の定まらない虚ろな瞳から、小さな雫が溢れていた。

「あなただけが私の宝物だから……」

 銀子は流れた涙を掬うようにそばかすにキスをする。本人はそばかすを結構気にしているようだけれど、可愛げがあって銀子は好きだった。

 身体の芯まで解した銀子はさらに肌と肌を密着させる。互いの敏感な部分が粘液越しに触れ合い、クチュクチュと粘着く音を立てる。

 小鉄のなかに霊力が流れ込み、その代わりに熱が銀子へと移ってくる。平熱の低い銀子の息が荒くなり、吹き出した汗で長い髪が二人の肌に張り付く。

「あぁあ、ぎんこ……ぎんこ、あっ……ぎ、ぎんこぉお……はぁ、ひぁあ、あ、やぁぁ……ぎ、ん……あぁ、こぉ……ぎんこぉ……」

 エネルギーの奔流に翻弄された小鉄はつらそうに銀子の名を喘ぎ続ける。

 小鉄の丹田には十分なエネルギーが溜まった。しかし、このままでは駄目だ。溜まっているだけでは脂肪と同じ。体内を巡らせなければ活力にはならない。

「さあ、一度楽になって……」

 頬を撫でた銀子はゆっくりと唇を重ねる。無意識に突き出された小鉄の舌を吸いながら、下腹部を何度も何度も押し当てる。柔らかな蕾と蕾が押しつぶれ、二人の粘液が白い泡を立てる。

「や、あっ! ぎんこ! ぎんこぉっ! はいって……あぁっ、き、きてるぅぅ! ぎんこの、ぎんこがぁ! ひ、あ、あぁっ、なかにぃ、おれの、ぎんこの、あっ、やぁあっ! はいってぇ、はぁ、やぁぁ、ぎんこぉ、ぎんこ、ぎんこぉおおおおぉっ……」

 最後まで達した小鉄が痩せっぽちの身体でぎゅっと抱きついてくる。

 銀子はその身体を包み込むように小鉄の背中を撫で、もう一度口づけを交わす。

 術が成功した確かな手応えがあった。エネルギーの循環が起こり、二人分が平均化されたのだ。陰である女同士の交わりでも、こうやって手順を踏みさえすればスムーズなエネルギーの循環を作ることができる。

「ん…………はぁ……あ、銀子……」

 小鉄が強くまばたきをすると、その目に力の光が戻っていた。

「心配させないでよね。バカ」

 今度は私の番だと銀子は小鉄をぎゅっと抱きしめる。

「ブチ切れて龍化したお前がそれを言うか……ま、いいか」

 柔らかな唇が銀子の首筋に押し当てられ、チュッと可愛い音を立てる。

「しっかし、ひでえセンスの部屋だな」

 糸引く唇を離した小鉄が、寝っ転がったまま首を回して言う。

 回転ベッドに、毒々しい赤の照明、ミラー張りの壁、おまけにガラス張りのお風呂までついている。

「それは、その……焦ってたから」

 銀子は仕方がないじゃないという言葉を飲み込んだ。

「ま、嫌いじゃないぜ」

 身を起こした小鉄はそのままベッドを降りてしまう。

「もう大丈夫なの?」

 シーツを掴んだ銀子は口をとがらせる。脇腹を見るともう傷が治り始めている。でも心配だ。

 それに、もう少し触れ合っていたい。でも、恥ずかしくて言えない。

「シャワーだよ」

 備え付けのタオルを掴んだ小鉄が振り返る。

「せっかく休みなんだから、今日は泊まってくだろ? ずっと血だらけのままってのは、その、お前が嫌だろ?」

 まるで銀子の頭の中を見透かしたような事を言って、小鉄は恥ずかしそうに鼻の頭をかく。

「うん! あ、そうだ、私も一緒に入るから。久しぶりに洗ってあげる」

 銀子はベッドからぴょんと飛び降りると、勢いのまま小鉄の腕に抱きついた。

「ガキじゃねえんだから……」

 嫌そうなことを口にしても、小鉄は腕を振りほどこうとはしない。

「昔みたいにね♪」

 銀子はスケスケガラスのバスルームへと、小鉄を引っ張り込んでいった。

 そう、明日は休日だ。

 まだまだ夜は長い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヨコハマ シーガールズ 高橋右手 @takahashi_left

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ