放課後デストラクト(前編)
~Side 小鉄~
狩りはいい。
普段は禁煙禁煙と口うるさい銀子が、狩りの時だけは文句を言わない。
ふーっと吐き出した煙が闇に溶けていく。
深夜を回っても山下埠頭の一部では荷揚げが続いてる。使われているライトは危険な作業に見合った光量で、漏れた光でも直接見れば眩しく感じるほどだ。
吸い終わった煙草をポケット灰皿にねじ込み、新しい一本を取り出す。
『小鉄、それ何本目?』
気配を察した銀子の声が、インカムから聞こえてくる。
「六本目」
サイドカーのフレームに体重を預けたまま、小鉄は素っ気なく答える。
『ふーん』
全力で息を通したような鼻音が聞こえてくる。かなり怒っている証拠だ。
「連中が遅いのがいけないんだよ」
そう言って小鉄は八本目に火をつける。きっとバレているのだろうが、構いやしない。いま吸わないで、いつ吸うというのだ。
これ見よがしに煙草を吹かしていると、視界の端に靄がとどまり続けた。急速に広がっていくそれは煙草の煙ではない。
「ようやくお出ましか」
荷揚げ場から眺める海上に霧が立ち始めた。急速に広がる霧は埠頭の照明に反射し、純白のベールのように輝いている。
『この前みたいに焦って皆殺しにしないでよ』
「わーってるって。汚え人体パズルはもうゴメンだ」
イカレタ管楽器のようなブォオオオという霧笛が響く。音とともに霧の中心が押し広げられ、開いた《穴》から長い木の棒が姿を現す。
それは舳先だった。丸太からは幾本ものロープが伸びマストに繋がっている。三〇メートル以上あるメインマストを持った木造の帆船だ。桜木町駅の近くに係留された日本丸と同じぐらいの大きさだろう。
「随分とボロっちい。まるで幽霊船だな」
模型でしか見れないような中世頃の古びた帆船だ。帆は破れたり煤けたりして穴だらけだ。さらに後ろのマストは半ばから折れている。船体のあちこちに砲弾でも受けたような穴が空いていて、浮かんでいるのがやっとのような有様だ。
『向こう側に流れ着いたヤツなんじゃない。こっちの世界に縁がある乗り物の方が穴を抜けやすいんでしょ』
現れた帆船がゆっくりと荷揚げ場に近づいてくる。破れた帆に風を受けているはずもない。まるでスクリューでもついているかのようなスムーズな接岸だ。
倉庫に使われる上屋に張り付いていた十人ほどのチンピラどもが、帆船へと近づいていく。チンピラの一人がライトを振ると、帆船から埠頭へと木板が渡される。
『甲板にターゲットを確認したわ』
「よっしゃ、行くか」
小鉄はバイクを離れ、建物の影から連中の方を覗く。
『まだよ。ターゲットが船を降りるの待ちなさい』
上半身にズタ袋を被せられた人影が、ぞろぞろと板を渡りチンピラに引き渡されていく。
『最後尾。目印は銀色のアタッシュケース』
「あいよー」
埠頭に足を下ろしたターゲット《孕ませ屋》はチンピラとなにやら話をしている。内容は聞こえないけれど、どうせ報酬の支払いについてだろう。ズタ袋の人影は向こう側からの不法移民でヤツの商品だ
「な~、もう良いだろ?」
先程から小鉄は握った鞘の先で地面をトントンと叩き続けている。
『オッケー、降りたわ。支援はいつもどおりで』
銀子が言い終わらないうちに、小鉄は走り出していた。
建物の影から影へ駆け抜け一気に距離を詰める。溜まった鬱憤を晴らすかのように刀を抜き、刃を振るった。
銀光が埠頭の照明に煌めく。手応えは二つ。
一呼吸もなく、二人のチンピラの上半身と下半身がサヨナラする。剣先から飛んだ鮮血が地面に赤い線を引き、その根本ではホカホカと暖かそうな内臓がぶち撒けられた
「誰だっ!」
威嚇の弾丸がアスファルトを削る。
小鉄は答えずにチンピラどもの中心へと飛び込んでいく。そうして突き出した剣先が、若い男の喉を突き刺す。声にならなかった音が、刃を通して伝わってきた。
「うっ、撃てぇええ!」
錯乱したチンピラどもが無闇矢鱈と銃の引き金を引くが、すでに小鉄の身体は闇夜を舞っていた。
「ドアホウだな」
銃の反動を制御できずに同士討ちを起こした二人を撫で斬りにする。
「どこのもんか知らんが、とにかく死ねやぁああああ!」
錯乱気味に叫んで銃をぶっ放すバカに向かって、小鉄は死体を突き飛ばして盾にする。
そのまま踏み込んで一閃。あっさりと胴が真っ二つ。すぐにその場を飛び退ると、銃弾がコートの裾を掠めた。
「撃て撃て殺せぇええ!」
怒声を上げ弾丸を放つチンピラの額に、ドコからともなく飛んできた白い紙がぺたりと張り付く。
「なんだ? この紙き、ぎゃぁああああああ!」
剥がそうとしたチンピラは全身を痙攣させると、白目をむき泡を吹いて倒れた。銀子の雷の霊符だ。さらに数枚がチンピラたちに張り付き、意識を刈っていた。
「孕ませ屋、てめえを狩るぜ」
血の滴る剣先を、アタッシュケースを手にしたアロハシャツの男に向ける。
「チッ、協会のハンターか」
孕ませ屋はアタッシュケースの留め具を外すと、中身をチンピラとズタ袋たちに向かってぶち撒ける。
撒き散らされた黒い小さな粒はズタ袋たちの身体に張り付くと、肉の根を這わし始めた。
「なにしやが……あっ、あっ、アァァボアァアバババアアヌゥァアアァ」
肉の根が脳や脊髄に達した連中が、意味不明な声を上げる。霊符に気絶されたチンピラたちも、不気味な痙攣とともに立ち上がった。
「オボォア、アバ、バババ、オボォオォ」
肉の根に操られた連中は四つん這いになり、両手両足を叩きつけるような奇妙な格好で襲い掛かってくる。身体の構造を完全に無視した動きと負荷に、肉が裂け骨が飛び出るが気にしない。
「キモいんだよっ!」
振るった刃が肉を断つ。既に変質が始まっているのか、筋肉から張りは失われ粘土でも斬っているような感触だ。斬り飛ばした破片も別の個体にくっつき、そのまま吸収されてしまう。
「ちっ、数が多い……」
押し寄せる肉人形どもの背後を、アタッシュケースを抱えた孕ませ屋が回り込んでいく。
「銀子、火だ! ヤツが逃げないように、オレや建物ごと全部焼き払えっ!」
『無茶言わないで! 大火事になったらどうするの!』
答える声とともに建物の上から飛来した霊符は、肉人形の群れに飛び込み爆炎を巻き上げる。
「フボォオオオオオオオ!」
炎に巻かれた数体が狂ったように暴れ、他の肉人形どもにも引火していく。
「結局、大炎上じゃねえか」
迫ってくる火だるまを斬り伏せながら小鉄は文句を飛ばす。
「おい、ヤツが逃げるぞ!」
隙を見た孕ませ屋は炎を壁にし一気に走り抜けると、黒いバンに乗り込んでしまう。
チンピラたちが乗ってきたのだろう黒いバンは、急かされたような排気音を響かせ駆動する。
「不用心な連中だ、鍵ぐらい抜いとけよ!」
アクセル全開で黒いバンは埠頭のゲートに向かっていく。小鉄の身体能力をもってしても、さすがに追いつくことはできない。
離れていくバンとは別の、もっと力強い排気音が小鉄の背後から迫っていた。
「乗って!」
銀子の駆る大型バイクが、そのサイドカーを小鉄に寄せてくる。小鉄はヘリに手をかけ跳ね上がると、シートにするりと身体を滑り込ませた。
「だから、オレごとやれって言ったんだ」
「黒焦げになったら、装備の修繕費と治療費の方が高くつくわよ」
馬鹿じゃないのとでも言いたげに、銀子は小さくて形の良い眉を寄せ、紅を引いたような唇を歪ませる。
埠頭のゲートを抜けると街頭が二人を照らした。
幼馴染で相棒の銀子は月明かりの似合う女だ。腰まであるつややかな黒髪に、人形のように白い肌、大和撫子という言葉を体現している。
癖っ毛を無理やり短くしている自分とは大違いだ。銀子の長い睫毛の代わりに、自分は目の下のクマとそばかすばかりが目立っている。
「あいつ、《裏中華街》に向かってるのか?」
前を行くターゲットの黒いバンは山下公園の横の道を迷いなく進んでいる。
「逃げ込まれると厄介ね」
銀子がギアを上げ、スロットルを開ける。加速に小鉄の身体がシートに押し付けられる。
信号を無視して黒いバンと大型バイクがかっ飛ばす。
黒いバンがハンドルを切る。スピンも厭わない速度で強引に交差点を曲がっていく。
「荷重お願い」
「任せろ」
小鉄は短く応えサイドカーの車体を掴む。点灯した信号が迫っている。
「いま!」
「そりゃ!」
銀子が動く気配に合わせ、身を乗り出した小鉄は全体重をサイドカーの左側にかける。視界が九〇度回転するほど身体を投げ出し、強引な荷重移動で交差点を曲がっていく。
タイヤが悲鳴をあげる。ガリッとシャーシを削る音がする。
それでもなんとか曲がりきることができた。
黒いバンまでの距離は詰まっている。しかし、直線の先には中華街の朝陽門が見えていた。
バイクが再び最高速に達し黒いバンとの距離は縮まる。だが、あと一〇メートル間に合わない。
黒いバンが紫色の朝陽門へと飛び込み、霞のように姿を消してしまう。
「突っ込むわよ!」
バイクとサイドカーも後に続き門へと飛び込んでいく。
門の下をくぐり抜けた瞬間、周囲の景色が一変する。
静まり返った深夜の街から、喧騒で賑わう夜市の真っ只中へと放り出された。
突然現れた二台の車両にも周囲の人々は驚かない。
銀子もバイクのスロットルを緩めない。
ここ《裏中華街》では当たり前のことだ。
建て増しに建て増しを続け、迷宮のようになった中国風の建物群。
正体を隠さず跋扈する人外や異形。人界と異界の協定もここでは関係ない。
雑踏に突っ込んだ黒いバンが通行人を跳ね飛ばす。追走するバイクを意識したのか、さらに運転が荒くなっていた。
文句の怒鳴り声を上げながら鳥人が背中の翼で飛び上がる。そして、手にした籠から卵を取り出し、次々にバンに投げつけた。
「お、ナイピッチ」
小鉄が感嘆の声をあげる。卵は見事にバンのフロントガラスに命中し、その視界を塞いだ。
気を取られたバンはカーブを曲がりきれずに、営業中の巨大飯店に正面から突っ込んでいく。
鉄鍋の中で油を掛け流されていた陰摩羅鬼の肉が宙を舞う。
急停止するサイドカーから飛び降りた小鉄は、景気づけとばかりにこんがりと焼けた肉を空中で斬り分ける。テラス席に座った客が皿を突き出し、その肉片を受け止めた。
「ナイキャッチ」
店内に飛び込み小鉄は孕ませ屋の姿を探す。翻るアロハシャツの裾が二階へと消えていく。
「待ちやがれ!」
割れた皿をさらに踏み砕き、小鉄と銀子は階段を駆け上がる。
階段を上がりきった孕ませ屋は窓際を目指していた。屋根伝い裏通りへ逃げようというのだ。
「残念、そっちは行き止まり!」
銀子の放った五枚の霊符が次々に窓を塞ぐ。
「このっ、開きやがれ!」
駆け寄った孕ませ屋が木戸をガンガン叩くが、びくともしない。
諦めた孕ませ屋は右手にあった扉に飛びつくがこれも、反対側から鍵がかかっていた。
「さあ、観念しな。踏み込み一つでお前のどたまが、永遠に胴体とサヨナラするぜ」
追い詰めた小鉄は抜刀の構えで、孕ませ屋を威圧する。変な動きをしたら、躊躇いなく斬り捨てる。
「……分かった。降参だ」
孕ませ屋が空の両手を頭上にあげようとした、その時だ。背後の扉が開いた。
逃げるべきかと一瞬迷いを見せる孕ませ屋。
それを見た小鉄の反応が僅かに遅れる。
背後で銀子が動く気配。
孕ませ屋が扉に手を伸ばす。
決断した小鉄が踏み込み、鞘から刀を抜く。
そして、孕ませ屋の頭をかち割る『中華包丁』。
「「あっ……」」
脳天がぱっくり割られ絶命する孕ませ屋を前に、小鉄と銀子の声が重なった。
扉の向こう側から身長三メートルはある牛頭がぬっと姿を現す。汚れた前掛けを身に着けている。この飯店の料理人のようだ。
「碧霞元君さまニ頂いた大事ナ店壊すヤツ、絶対ニ許さないネ!」
牛頭の料理人は鼻息荒く言って、血と脳漿で汚れた中華包丁を引き抜いた。
~Side 銀子~
報奨金の書類にサインをしながら銀子はため息をつく。
「お前らはなんでターゲットのランクにかかわらず毎回毎回、ぶっ殺しちまうんだ?」
「だから説明しただろ、殺ったのオレらじゃねえって!」
協会の担当官の言葉に小鉄が青筋を立てる。
「最初から穏便にすむように作戦を立てろって言ってるんだ。埠頭の管理会社からも協会に苦情が入ってるんだぞ」
「そういう面倒事を片付けんのが協会の仕事だろうがよ」
「協会は始末屋でも便利屋でもない。人界と異界の揺れる天秤の上でバランスを取るのが本業だ。手を伸ばすにも限度ってものがあるんだ」
中年の担当官は禿げ上がった頭に手をあてる。中間管理職には気苦労が多いのだろう。
「ふん、このぶっ壊れた世界でバランスもクソもあるかよ」
不貞腐れ顔で小鉄は火のついていない煙草を噛む。
仕事中は猛禽類を思わせるほど鋭かった目つきが、つまらなそうに天井に向けられる。
また少し痩せたのか目の下の影が濃くなった気がする。食事はきちんと食べさせていても、体質のせいか痩せ型のままでちっとも太らない。睡眠時間が足りていないのも原因だ。少し仕事のし過ぎだろう。
「それに今回は少しばかり話が複雑だ。あいつが持ち込んだ《種》が見つからない」
「はっ? 賞金首に犯罪の証拠もなにも関係ねえだろ。それに低級のカスなんてどうだって良いだろ。ほっとけよ」
孕ませ屋は、様々な方法で向こう側からの不法移民を売買していた。そのうちの一つが《種》だ。チンピラに寄生させたアレも《種》の一種だろう。
「それがちょっと違うの」
新しい資料に目を通し終わった銀子は、小鉄の頬を突く。
「《種》に異界の大物が混じってたみたい」
「大物だろうが賞金首じゃねえならオレらには関係ない」
椅子から立ち上がり小鉄は歩きだす。
「安心してちゃんと賞金がかかってる。異界側からの案件よ」
「あっちからの依頼だと、珍しいな」
小鉄は足を止めて振り返る。
数多存在する異界に対して結節点である人界は一つだ。流入する人外に対して人間側が対処を求める事は多いが、その逆はあまりない。
「依頼主は地獄の公爵グレモリー。おじさんとおばさんの仇を探すには、向こう側につなぎをつけられるチャンスじゃない」
「そいつは重畳。で、そのターゲットは?」
眠そうだった小鉄の目が輝き、ハンターの顔つきになる。
「黒山羊シュブ=ニグラス。状況によってCからS超えまで幅広いヤツよ。ま、顕現してなければ何にもできないわ」
「自分の意思でランクを下げてこっちに来れないってことか」
《エレベーター》を使うにしろ、昨晩のような不正な方法にしろ、大した条件もなく境界を超えらるのはBランクまでだと言われている。
「そっ、だから意識も何もない《種》だけ送り込んできた。女性に取り憑いて、こちら側で産まれるつもりだったみたい」
「ったく、化け物同士で仲良くファックしてろってんだ」
自動ドアを抜け、厳つい男のハンターと入れ違いに協会の建物を出る。
室内灯に馴れた目に朝日が染みる。
ここから見える大観覧車の時計を確認すると、朝の八時をまわろうとしている。後処理や事務手続き、それにシャワーを浴びて着替えたりと、結構な時間が経っていた。
「んっ、ん~~」
大きく伸びをして身体を反ると視界の隅に、天を突く《エレベーター》が映った。
ランドマークタワーと呼ばれていた頃の面影は、下層階に僅かにのみ残されている。上にいくに連れコンクリートの壁面は急速に樹木と化し、六本の太い枝へと別れ上空に広がっていた。
六本の枝はある高さを堺に、霞のように揺らぎ消えていく。この枝の先はそれぞれ別の世界へと繋がっている。地球上に異界との接続地点は数多あれど、六界接続を果たしている場所はここ横濱以外には存在しない。
その不安定さ(あるいは安定さ)により、異界からの不正な抜け穴の多さも世界一だ。自然とハンターの仕事も集まってくる。
だから、小鉄の両親の仇を追う二人もこの場所を拠点に選んだ。
「仮にだ、《種》がもう着床してたら、顕現はいつになる」
自販機で買ったホットココアを飲みながら小鉄が尋ねる。
「資料によれば、タイムリミットは24時間ね」
「たったの24時間であのクソ広くてクソ雑然とした裏中華街を這いずり回って探すのか? さすがに見つかるとは思えねえ」
「もちろん闇雲に探してもダメ。あいつが取引しようとしていた、チンピラの元締めを探しましょう」
「確かに、あいつらが回収してる可能性はあるな。マフィアや組関係か……って、ことは鬼柳に情報を聞くのか」
小鉄が心底嫌そうにココア缶を握りつぶす。
「そうよ、クラスメイトなんだから喧嘩しないでちょうだいね」
銀子は凹んだココア缶を小鉄から取り上げると、残っていた僅かな中身を飲み干しゴミ箱に捨てる。
「あいつらが吹っかけてこなけりゃな」
小鉄はまるでそれを望んでいるかのように笑みを浮かべる。
「それじゃ、行こっか」
目的地は歩いていける距離だ。
バイクは駐車場に停めたまま、二人は並んで学校へと歩きだした。
四魂学園(よつたまがくえん)。
横浜駅東口から徒歩5分、みなとみらい線高島町駅からなら徒歩0分という好立地。
《エレベーター》が出現した塩漬け土地を利用して建てられた。当初、人外との交流や教育を目的とした施設だったが、その後の法整備や各地の施設の充実に伴い重要性が薄れ、第三セクターに売却された。そして10年前に四魂学園として再出発することになった。
生徒数は800人ほど。その経緯から教育理念に異界との交流を掲げている。書類上は生徒のおよそ半数が人間以外だ。義務教育過程における人外生徒の割合は全国平均7%なので、非常に多いと言える。
また人間であっても、呪術や魔術などなんらかの資質を持っている者も少なくない。
性別不明を考慮しなければ、男女比は1:9と圧倒的に女子が多い。霊的な資質も入試の際に考慮されるため、この偏りが生まれているという。
世界的に見ても特殊な場所だけれど、通う生徒たちにとってはそれが普通なのだ。
少しばかり変な人達の集まる、普通の学校でしかない。
校内は朝の喧騒に包まれている。部活の朝練から教室へ急ぐ生徒や、ノートを借りようと必死に懇願する生徒。いつもの光景だ。
「チッ、いやがったか」
教室に足を踏み入れた小鉄が二人の女子生徒が登校しているのに気づき、毒づく。
「頼み事をするんだから、穏便によ」
銀子は念を押すように小鉄の脇腹を肘でつつく。
言葉の意味が分からないとでも言いたげに、小鉄は挑戦的な目つきで教室後方の席に近づいていく。
「よー鬼柳、ヤクザのくせに随分と早起きだな」
いきなり喧嘩腰で話しかける馬鹿にに、銀子は呆れて首を振る。
「チンピラハンターがお嬢様に何の用だ?」
答えたのは割り込んだ乾 璃緒(いぬい あきお)だった。
鋭い目つきに引き締まった肉体、男子の制服を着ているけれど立派な女子生徒だ。普段はサラシを巻いて胸を潰しているけれど、身体測定のときにこのクラス二番目の巨乳だと発覚し話題となった。その時以来、自称Bカップ(実際はAカップ未満)の小鉄とは大きな確執がある。
身長も一八〇センチ近くあり、一五七センチしかない小鉄だと見上げる形になってしまう。
睨み合う二人の横から銀子は顔を出し、もう一人の女子生徒に尋ねる。
「真珠さん、向こう側からの不法移民について何か知らない?」
「知ってるけれど、それが何か?」
鬼柳真珠が読んでいた文庫本から顔上げ、含みのある笑みを浮かべた。
顎のラインで切り揃えられたおかっぱに、アンダーフレームの黒メガネ。一見、文学少女のような雰囲気だが、レンズ越し程度では剣呑な眼光は隠せない。
彼女は鬼柳組組長の孫娘だ。構成員は五〇人にも満たない小さな組だが歴史が古く、警察や裏社会の人間から一目置かれている。特に組長の真蔵は人望が厚く、このあたりの顔役の一人だ。
「知ってるなら話が早い。全部教えな」
小鉄の言葉遣いに璃緒はムッとするが、主人である真珠は飛び回る蚊ほども気にしていない。
「どうして? 私に何かメリットがある?」
「メリットだ? そんなもん知るか。力づくでも吐かせんぞ」
小鉄が凄んだところで、反応するのは璃緒だけだった。
「お嬢様に指一本でも触れてみろ。ヤニ臭い顔面を引き裂いて、二度とまともに煙草を吸えないようにしてやる」
「殺る気か? 発情期で盛ってんじゃねえぞ犬っころ。大人しくバター犬でもやってろ」
「貴様……、腕の一本でもへし折らないと会話も出来ないようだな」
璃緒の指先が怒りに震え、全身から殺気を放つ。
ただの人間なら逃げ出すか、動けなくなるようなプレッシャーだが小鉄は笑っている。いつでも来なと指先をクイッと曲げて挑発する始末だ。
荒事の気配を察した他のクラスメイトたちが、席から離れていく。
そんな雰囲気にまるで気付かない、朗らかな声が聞こえくる。
「あ、銀子さん、おっはよー!」
教室に入ってきた美羽が、鞄に手を突っ込みながら近づいてくる。
「借りてたこれ返すね」
差し出したのは一枚の霊符だ。それは彼女に頼まれて、銀子が結界の式神を込めたものだった。
「効き目あった?」
「うーん、たぶんダメっぽい。言われたとおりにカウンターの裏に張ったけど、先輩は何も感じてないみたいだったよ。せっかく作ってもらったのに、ごめんなさい!」
まるで自分が失敗してしまったかのように、美羽は深々と頭を下げる。
「気にしないで。あのヒトならしょうがないもの」
銀子は小さく首を振る。予想通りの結果だけれど、まるで気づかれないなんて少しだけ悔しかった。
「今度はもっと強力な術を込める方法を考えてみるから」
「はぅ~、銀子さん優しい! あ、話してるとこ邪魔しちゃった? ごめんなさい」
「大丈夫。いいタイミングだったから」
険悪なムードは美羽のゆるふわオーラで霧散していた。小鉄は喧嘩を邪魔されて不満そうに唇を歪めている。
仕切り直しとばかりに、銀子と真珠が視線を交わす。
「私達だって鬼柳組がやったとは思っていない。追い込んだターゲットが裏中華街に逃げ込んだから、そっち系が絡んでるんでしょ。話を通してるとも思えないし、組長のメンツもあるし放置ってわけにもいかないんじゃない?」
「……青鱗会。少し前に黄蛇幇(ファンショァバン)と袂を分かった連中が、そういうシノギに手を出してるって噂」
真珠は眼鏡に指を当て、少し考えてから答える。確証のない情報を口にするタイプではない。その真珠が『噂』とつける以上は、自分たちからは聞かなかったことにしろという意味だ。
「あぁ? どうして素直に話す気になったんだ? 一瞬ためらったのはなんでだ?」
引っかかりを感じたのか小鉄が疑り深く真珠の眼を覗き込む。
「お嬢様のご厚意にツバを吐くつもりか?」
割って入った璃緒の指先がギチギチと曲がり、小鉄の顔面に向けられる。
「やめなさい、小鉄。教えてもらったんだから、それで良いでしょ。ヤクザ社会の事情にまで付き合うのは私達の仕事じゃない」
「チッ……わかったよ。いくぞ、銀子」
「まだダメよ」
銀子は冷たい口調で言って、さっさと教室の外に向かおうとする小鉄の腕を掴む。
「まだなにかあるってのか?」
「これから授業でしょ。この前のテストの点も悪かったんだから、今日は出席しなさい。じゃないと単位落とすわよ」
出席日数自体は銀子と小鉄にそれほど差はないけれど、テストの点数には天と地ほども隔たりがある。
「単位じゃ自分のケツも拭けないぜ」
「もう中学生じゃないんだから、学業と両立できるようにする!」
銀子が厳しく言っても、小鉄はへそを曲げてそっぽを向くだけだった。
そんな小鉄の幼稚な態度を見て、真珠が小馬鹿にしたように笑う。
「いいじゃない。留年してあなたが後輩……愉快ね」
真珠の言葉に小鉄が頬をピクリとひくつかせると、さらに璃緒が追い打ちをかける。
「粗大ごみが片付けば教室も清々する」
「……はめやがったな、銀子」
二人に言い返せない小鉄がこちらをジトッと睨んでくる。
「こうでもしないと小鉄は仕事を優先しちゃうでしょ」
「他の奴らに先越されたらどうすんだよ!」
「留年、素行不良、ハンターライセンス剥奪」
抗議する小鉄に、銀子は端的に分かりやすい言葉だけを並べた。
「うっ、それは……くそ、わかったよ。授業に出れば良いんだろ! 出れば!」
小鉄は自分の席にどかっと腰を降ろすと、大げさ仕草で机に突っ伏しふて寝を始めた。
「策士ね」
真珠はたいした興味もなさそうに言う。
「お互い様でしょ」
頷く銀子も形だけだった。
いつもどおりの授業に、いつもどおりの校内トラブル。
そして放課後がやってくる。
――――――――――――――――
pixiv(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7523314)にて後編を先行公開しています。こちらでは12月3日に更新予定です。
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