太陽になりたかった花

洞貝 渉

太陽になりたかった花

 花は思った。

 なぜわしは太陽ではないのかと。


 日の出から日の入りまで真正面から太陽と向かい合い続ける花は、いつしか思うようになっていた。

 太陽について最もよく知っているのはわしだと。いや、下手をしたら太陽よりもわしの方が太陽のことを知っているかもしれない。なにせ自分自身のことは、内側からはもちろんのこと外側からも見てみないとわからないものなのだから。太陽は決して太陽のことを外側から見ることが出来ない。だからきっと、輝きが強すぎて見ているものの目をチカチカさせてしまっていることに気がついていないのだ。


 わしならもっとうまくやるのに。

 花は太陽から目をそらし、きれいに晴れわたった青空を眺めながら考えた。

 わしならもう少しだけ光を弱め、太陽を見つめ続けなくてはならない花たちがもっと楽になるようにするのに。そうしたら花たちはこんなに無理をして花びらに色を集めなくてもすむようになり(なにせ目がチカチカしてしまうので、わし自身もそうだが、濃い色をつけなければ自分が何色であるのかわからないのだ)、もっと優しく色づくことができるようになる。

 しかし、そんなことをしたら空はこんなにきれいに青くならなくなってしまうのだろうか。いや、そんなこともないだろう。空はがんばって青に染まって晴れわたるに違いない。なにせ空は青がお気に入りなのだから。

 花は強く思った。

 わしこそが太陽に向いていると。


 しかし花は太陽ではない。太陽は遥か遠くの方でさんさんとしている。


 なぜわしは太陽ではないのか。

 花は思い切って通りすがりの若い蟻に尋ねてみる。だが、まったく相手にされなかった。若い蟻は今しがた見つけた蝉の死骸に興奮しきっていて、仲間を呼びに巣穴へ戻る途中だったのだ。もちろん若い蟻の事情などいっさい知らない花は、若い蟻に無視をされたのだと思い、機嫌を損ねて花びらの色を強めた。

 なぜあの蟻はわしの話に耳を傾けないのだ。

 花がそんな風に思考している間にも太陽はさんさんと輝き、花はそれを真正面から見ている。


 風がそよりと吹いた。そこで花は若い蟻にした質問を風にも繰り返す。

 風は困ったようにホロと涙をこぼしたが、それだけで何も言わない。風は己が風であるということに疑いを持たず、(かの人魚の姫がそうだったように)神様からの試練である三百年の年月をまっとうすることに集中しているのだ。そのため、なぜ花が太陽ではないのか、考えたこともなかった。

 何も答えてくれない風に対し、花は苛立ちをつのらせてますます花びらの色を濃くしてしまう。

「ああ、わしはどうして太陽ではないんだろうか。今すぐにでも太陽になって、太陽よりも太陽らしくふるまってみせたいものなのになぁ。このまま待っていれば太陽になれるのかもしれんが、例えそうであったとしても、太陽でないのならばいっそのこと花もやめてしまいたいなぁ」


 ちょうどその時、一人の人間と一匹の犬が通りがかった。

「なんて美しい色の花なんだ。ぜひともおらの家で飾りたいものだ。花よ、おらの家へ持って帰らせてくれ」

 人間が言うと、犬もわんわんと吠えた。

「いや、人間。わしは花をやめて太陽になりたいんだ」

「ならばおらの家で切り花になって、それから太陽になればいい」

 花はちょっと考えてみた。切り花とは一体どんなものなのだろうかと。

 しかし犬がうるさく吠えるので、花は考え事に集中できない。人間は考え続ける花の答えを待たずに、花を摘み取ってしまった。

「人間よ。わしは切り花になってからでも太陽になれるものなのか」

 摘み取られた花は人間に尋ねた。

 犬はあいも変わらず吠え続けている。

「もちろん。切り花になったって太陽ぐらいにならなれるさ」

 人間は摘み取った花をうっとりと眺め、心ここにあらずといったふうに答えた。

 花は摘み取られてしまったため、茎から栄養分を吸えず、だんだん苦しくなってくる。

 犬は尻尾を強く振って吠え続けていた。

「人間よ」

「なんだ」

 人間は鬱陶しそうに相槌を打った。

「わしはどうして太陽ではないのだ。そして、わしはどうすれば太陽になれるのだ」

「なんだそんなこと――」

 なんだそんなこと、簡単ではないか。太陽はずっと上にあるのだから、おらが上の方にぶん投げてやれば、花はずうっと上に飛んでいって太陽になるに決まっている。

 人間はしかし、面倒に思い最後までは言わなかった。かわりに、わんわんと吠え続ける犬をにらみつける。

「おいこら、さっきからうるさいぞ。静かにしろ」

 しかし、犬は静かにしない。

 怒った人間は、手に持っていた花を犬にくわえさせた。

「これでいい」

 黙った犬を見て人間は満足そうに呟く。

 犬にくわえられた花は茎の一部が押しつぶされてしまい、ますます苦しくなってしまう。

「じゃあ、おらの家へ行くとしよう」

 人間は足取り軽く歩き始めた。犬も尻尾を振りながらその後に続く。

 花は思った。

 切り花とは一体何なのだろうかと。それから、『わしはどうして太陽ではないのだ。そして、わしはどうすれば太陽になれるのだ』という質問に対し『なんだそんなこと――』と言っていたが、この人間はわしの疑問の答えを知っているのだろうか。

 人間はのしのし歩いてゆく。

 花は苦しかった。

 茎から栄養分を吸えない、それだけではなく、犬が口をむにむにと動かすたび茎の繊維がぐちゃぐちゃになるし、犬がトコトコ歩くたびに花びらがぐわりぐわりと大きく揺すられ、散っていってしまう。

「なぁ、人間よ」

 ついに花は耐えきれなくなり、人間に話し掛けた。

「なんだ」

 人間は足を止めずに言った。

 その瞬間、今までおとなしく歩いていた犬が激しく首を振り回した。人間の声を聞いて無性にうれしくなってしまったのだ。

 犬は花をぶんぶん振り回し、はしゃいで人間の周りを駆け回った。そのため、花の茎はあちこち折れてしまい、花びらは半分以上散ってしまって残ったものもぼろぼろになってしまう。

 人間は顔をしかめた。

「おお、こいつはしまったな。せっかくの花が台無しになっちまった」

 犬がおとなしくなるのを待ってから、花は息も切れ切れに訴える。

「悪いがもっと丁寧に扱ってはくれんかね。わしはもうへとへとだ」

「ああ、なんて辛気臭い」

 人間はがっかりしてしまった。きれいな花を見つけたと思ったのに、今目の前にある花は死にぞこないの、ただつまらないだけのものだ。

「ああ、なんて無駄なことをしてしまったんだろう。もう少しでゴミにしかならないものを持って帰るところだった」

 人間は犬に口を開けるよう指示する。犬がそれに従うと、花はポトリと地に落ちた。

 太陽は少しずつ傾いているが、それでもずっと上にある。

「人間よ。切り花とは一体何のことで、わしはどうすれば太陽になれるのだ」

 花は力いっぱい大きな声を出して尋ねたが、人間も犬もさっさと歩き去ってしまった。

 取り残されてしまった花は、地に横たわって考えた。

 なぜわしは太陽ではないのかと。

 花はとてつもなく疲れていた。太陽は上からあたたかな光を降りそそいでいるのだが、摘み取られてしまったため太陽を見つめることができない。

 土の中から顔を出して以来、花が太陽のことを見つめることができなかったのは日没後と曇りの日と雨の日くらいのものだった。雨や曇りの日であっても、花はずっと空を見上げていて、いつもだったらあの辺りに太陽がいるのになぁと思考をめぐらしていた。

 しかし、摘み取られてしまった花は今、太陽どころか空を見上げることすらできず、異常なほど近くにある土を眺めていた。


 なぜわしは太陽ではないのか。

 土の上を歩く通りすがりの年老いた蟻にこの疑問をぶつけてみるが相手にされなかった。年老いた蟻は耳が遠く、目が悪かったために花の言葉は届かず、そもそも花が近くにいるということに気がついていなかったのだ。花は機嫌を損ねるかわりに、孤独を味わってしまう。

 太陽はずぶずぶと沈み始めていた。

 風がふわりと吹いたので、花は、今度は年老いた蟻にした質問を風にも繰り返す。

 風は困ったようにホロと涙をこぼしたが、それだけで何も言わなかった。

 風の涙を見た花は、非常に悲しくなってしまう。

「ああ、なんでわしは太陽ではないのだろうか。太陽ではないだけではなく、わしはもはや花ですらなくなってしまっているんだろうなぁ。太陽でも花でもない今のわしは一体何なのだろう」

 太陽が完全に沈んでしまった。かわりに月がひょっこりと顔を出している。

 花の嘆きを聞いた通りすがりの人間が近づいてきた。

「どうかしたのか」

 人間は花の残骸に向かって尋ねる。

「考え事をしているのだ。なあ人間よ、わしはなぜ太陽ではないのだ?」

 花は何度も言ってきたことを再び繰り返した。 「お前はなんだ?」

 人間は花に問いかけた。

「わしは花だ。いや、花だったものだ。今はもうこんな姿になってしまって花には見えんかもしれんが、わしは確かに花だった」

 花は答えた。

 月の光が、やわらかくあたりを照らす。

 人間は花の近くに腰を落ち着けると、火をおこす仕度を始めた。

「そうか。ならばお前が太陽ではない理由は、お前が花だからだ」

 花は驚いた。確かに花は花だ。しかし花は花だが、花が太陽にならないのはなぜなのか。

「花は太陽ではない。花は、最初は種で最後は枯れて土にかえるだけだ」

「しかし、なぜ花は太陽にはなれないのだ?」

「それは、お前が生命をもち、地に根をはり、地から離れることをせず、地から放たれることもできないからだよ」

 花は混乱した。人間はさも当たり前なことを言うように当たり前なことを言ったから。そしてそれはあまりにも当然すぎて誰も花に教えてくれなかったことだった。

「たったそれだけの理由でわしは太陽ではないのか」

「そうだ、たったそれだけの理由だ」

 バチバチという音とともにあたりが明るくなった。火がゆらりとする。

 花は考えようとした。しかし何をどう考えたものか花にはわからなかった。

「なぁ、人間よ」

「なんだ」

 花は少し黙った。話しかけたはいいが、何を言えばいいのかわからないのだ。

 人間も何も言わない。

 火だけがバチバチと音を立てている。

「人間、こんなところで一体何をしているのだ」

「旅をしている。いや、今は火を見ているだけだ。近くにある村に立ち寄ってみたのだが、よそ者だという理由で追い出されてしまった」

「旅とは何だ」

「さぁ、わからん。わからんから旅をしている」

 満天の星空の下で花は人間に、花についてのことを話したいと思った。



 気がついたら土に抱かれていたこと。そのころはまだ花ではなく、茎や葉や根っこすらなかった。土に抱かれながら、夢をみたりはっと目覚めたりを繰り返していたのだ。人間にはわからないのだろうが土の中の暗闇は心地よく、そこでみる夢もまた心地よいものであった。

 ある日体がむずりとしたかと思うと、わしから根がのびている。すると前よりも目覚めている時間が長くなった。土の中の暗闇は心地よかったが、根がのびればのびるほど目覚めている時間が長くなり、わしは暗闇に飽きていった。

 もっと違う世界があるはずだ。今とは違う所へ行きたい。そう思い始めるころにまた体がむずむずして、気がつくと土から抜け出していた。

 土から抜け出したあともわしはぐんぐん成長した。どんどん土が下の方へゆき、わしはいつだって太陽を見つめていた。いつもいつも。太陽がのぼってしずむまでずっと見つめていた。気がつくとわしは花を咲かせるようになっていた。

 わしは夢中になって太陽を見つめ続けた。なにせ土の中とは正反対の光のかたまりがめずらしかったから。

 いつしか、わしこそが太陽に向いていると思うようになっていた。太陽でないのならばいっそのこと花もやめてしまいたいなぁなどと。土の中から出てくることができたし、花を咲かせることもできたのだから、太陽にだってなれるのだと思い込んでいたのだった。


 花は時間を追うごとにしおれていく。

 人間はゆらゆらとおどる火をぼんやりと眺めていた。

 花は人間に話しかけようかどうしようか悩んでいる。

 

 月のやわらかな光と、火の熱がこもった光が混じりあい、夜を演出している。

 いたずらな夜風が火にじゃれついた。大きく火がゆらめいて、しおれた花をまきこみ、花はバチバチと燃えた。

 花は燃えながら思った。土の中とは正反対だと。目の前が白くなったり赤くなったりして、苦痛だった。

 興に乗った夜風がさらに激しく火にじゃれつく。

 火は夜風に吹き消されてしまった。

 すっかり灰になりはてた花は思った。

 いずれわしは土の肥やしになって、土と同化するのだろうと。それから土になり、そのうち花も茎も根っこもない種を抱き込むことになるだろうと。



 そしてそれもまた、最後には土にかえるのだろう。


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