明日等のために

むらさき 69 さけぶ

第1話平城京、天平の時代は阿修羅の時代


| あきつしま大和の國に生まれける、たゞそれだけのゆゑの愛國


奈良に行って大佛と阿修羅を見て、鹿をからかって歸ってくるだけでは勿体ない。

奈良は日本で最も歴史の長い都市だ。しかも、奥深い裏面を持った歴史だ。「歴史」をフランス語では(フランス語でないとダメなので)Histoire と云ふ。その Histoire には「物語」の意味もある。

平城京といふトポス&パトスには、表となる歴史と裏の物語的な部分とが複雜微妙また奇妙に絡まりあって蛇態のごとくに蠢いてゐる。


現場百回に奈良市を平城京の歴史=物語の時空として歩きまはった私が一言で云ふなら、平城京は「血と汗と泪」がタップリと染みこんだ怨靈の都であった。

この事を私に象徴するのは、祟道天皇だ。祟道天皇こと早良親王は桓武天皇の同母弟だ。

式家種繼暗殺事件と一般に呼ばれてゐる事件、その本質は桓武天皇の皇大弟、早良親王の肅清であった。早良皇大弟は種繼暗殺事件の首謀者として捕らへられ、無實を主張して、配流の途中で憤死した。

そして、桓武天皇とその家族に怨靈となって祟った。桓武天皇はさう感じ、早々に早良親王に祟道天皇を追諡し、墓を遷し改めた。この祟道怨靈を演出してゐたのは、南都の社寺であった。

かうして、廢都となった平城京は祟道天皇の都となり、怨靈の都になったのである。


平城京の時代を一般には、天平の「きよきあけき」日本の青春時代のやうに思ひ浮かべるのだらうが、その實態は陰謀と密告と拷問と斷罪とが飽くことなく繰り返される闇黒の日々であった。

私は(興福寺の例の阿修羅像にその表象を借りて)『阿修羅の時代』と命名し、「血と汗と泪」の日本の青嵐の時代を書きとめていったのであった。

大きな事件を竝べただけでも、

0729年の長屋王067629の藤原四兄弟による肅清に始まり、

0740年の式家廣嗣??0740の九州での反亂

0757年の橘奈良麻呂072157の陰謀事件、

0764年の南家仲麻呂070664の反亂、

0770年頃の稱徳女帝と弓削道鏡070072の醜聞、

稱徳天皇崩御(これも暗殺の噂がある)の後に立てられた光仁天皇の井上皇后と他戸皇太子の肅清事件、これが0775年。そして、0785年の式家種繼073785暗殺=早良皇大弟の肅清事件を大團圓として、平城京時代の血腥い數十年間は終焉する。

私は「見るべきほどのことは見つ」の氣分となった。


| 血と汗と泪のしづく 平城京 かそけき氣配、影に添ひくる



| 天皇も歴史もおもはず、ひたすらに大和まほろば、ふるさととおもふ


或日或時、ふと「ナポリを見てから死ね」と呟いた私は「さうだ! 大和を見てから死なう」と、大和の國への「歴史の旅人」となり、日本史にしたがって、まづは飛鳥の近く、三輪のあたりに寓居して、『古事記』『日本書紀』に『萬葉集』『懷風藻』を携へて名所舊蹟を訪ね歩いた。

諸國一見の僧になったつもりで、複式夢幻能のごとく地靈のおぼろげ現れるのを念じつゝ待った。


さうかうするうちに、平城遷都の年から一千三百年となる年、西暦で云へば2010年が近づいてきた。

私は早手囘しに居を奈良市に移り、平城京の歴史を今度は『續日本紀』と『萬葉集』を手に、飛鳥での數年間で身に付けた、といふよりおのづと身に付いた方法で平城京の名所舊蹟を訪ね囘ったのであった。


藤原不比等065920とその夫人の橘三千代066533 によって主導された遷都、大和平野の南端の藤原京から北端の平城山の地に構へた新都は、異國人に見せても恥づかしくない規模の条里制と四神相應の首都であった。

この時、後々平城京時代の中心人物となる聖武天皇は九歳か十歳で、彼には不比等の血が半分入ってゐた。また、奇しくも同じ年に橘三千代が不比等のために生んだ女子は早くから天皇の妃になることが豫定されてゐた。平城京は云はばこの幼い二人のための都であった。

かうして天皇家は藤原氏に強く巻き付かれていった。


天皇家に巻き付いていくまさに藤蔓のやうな藤原氏、北家南家式家京家の四家に分裂して他の名氏を次々滅ぼし、さらには四家の間でも抗爭を始める藤原氏、彼等こそ阿修羅そのものであった。

阿修羅をはじめとする八部衆の乾漆像は、光明皇后が生母の橘三千代の一周忌に創建した興福寺の西金堂に納められたものだった。八部衆のモデルとなったのはまだあどけない少年たちは、おそらくは藤原氏の子弟たちだったであらう。また、兩性具有性を強く感じさせるあの阿修羅像のモデルは、當時十六歳くらゐの安倍内親王、父の聖武天皇の讓位によって孝謙天皇として即位(後に稱徳天皇として重祚)した阿倍内親王だとする説がある。私も同意だ。

この娘とその母とが平城京時代の後半を迷はせていった。


| うつりゆく時ばかりなり。むらぎもの心もいたく大和しぞおもふ


日本といふ國家が國をあげて祝祭すべき平城遷都一千三百年の記念行事に、國民は何の關心も持たなかった。

もうほんたうにこの現代の日本人には日本といふ自覺や意識は希薄になってゐるのだらうなと實感された。敗戰後、ミソクソに日本を自棄した國民だもの、それからすでに數十年が過ぎてしまったのだ、二代目三代目となったのだ。日系二世三世となったやうなものだらう。


遷都一千三百年記念行事は事もなげに過ぎたが、その代はりのやうに、これを機會に公募されたマスコット、セントくんと名付けられることになるユルキャラはその選考過程をめぐってネット上で話題沸騰となった。セントくんに反對の人々はマントくんなる對抗馬を立てたりして、とんだ泥仕合となっていった。

私はひそかに憤った。現代の日本人にたいして憤った。その憤りに發奮して、もう一つの日本を創生すべく『きよきまなじり*つよきまなざし』といふカミがかりのモノがたりの作者となっていったのであった。


| 平城京、遷都一千三百年、大和日本は亡國の危機


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