掌編集3 ストーリーストレージ

石屋 秀晴

考古学

 子供の頃、よく夢見ていた。スーパーのレジ袋とレシートと釣り銭を握りしめた帰り道に、ふと目に留まった知らない家の玄関を開ける。勇気を出して、「ただいま」と言ってみる。

「おかえり、お使いありがとうね、お風呂わいてるよ」

 見知らぬ主婦がそう言って出迎える。

「どうしたのよその格好、服破けてるじゃん、もしかして転んだ?」

 見知らぬ少女が顔を出す。

「ただいま。おまえ、歩くの速くなったなあ。もうちょっとで追いつけなかったよ」

 見知らぬ男が後ろから、僕の頭をなでる。

 そして、僕はそのままその家に上がって、テレビを見て笑って、たくさんおかわりをして褒められて、静かな部屋のいい匂いがする布団で眠って、そうやって、ずっと暮らしてく。


 でも結局、試してみたことはなかった。そんなことがあるわけはないということを確かめるなんてできなくて、いつも夕方にはカレーの匂いがする路地に立ち怖い予感と戦いながらせいぜい数分、帰る時間を遅くできただけだった。そうしてささやかな「いつか」と「もしかしたら」を僕は守り、それらに守られてもいた。


 先日、姉から添付有りのメッセージが届いた。

「あんたが生まれる前の年」との一文に添えられていた画像は若き日の父と母だった。薄汚れた壁紙の前で社交ダンスの真似事をして笑っている。

 すぐに文字だけのメッセージが続いた。「こんな頃もあったんだよ」

 返事は思い浮かばなかった。いつかまた開いて見てしまう気がして画像は消した。


 同じ長屋の同級生は、ペルーに行くのが夢だった。幻の遺跡を発掘して有名になって、そう言って目を輝かせていたあいつがもしも継父に殴り殺されなかったとしても学者になれていたかどうかは分からない。馬鹿だったから、たぶん無理だったろうと思うのだが、無性に僕は一時期、そいつのことがうらやましかった。


 日が落ちると、ビルに囲まれた長屋街はあっという間に影に沈んで、そんなとき少し上に目をやると、背の高いマンションの群れがまだいっぱいに残照を浴びていて、影の町から切り離されて空へ飛び立った黄金の都市のようにそれらは見えて、僕らをしばらく何も話せず、目を離すこともできなくさせた。


 夢が叶うことよりも、夢が叶うことを誰かの前で願えることをずっと願っていた。

 けど、ずっと遠くやずっと昔に、綺麗で豊かな国がもしも本当にあったのだとしたって、そんなもの僕らには結局、なんの意味もなかった。

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