侵略計画

 太陽が真上を超えて、少し西へ傾いた頃。子犬のようにわんきゃん暴れまわっていた息子がようやくお昼寝を始めた。

 穏やかな息子の寝顔を見て、幸福な気持ちと共に得もいえぬ疲労感が体を支配する。お隣の子のようにもう少しだけ大人しい子なら良かったと、そんなバカげた考えが頭の片隅をよぎり、ふるふると頭を振ってかき消した。子供は元気すぎるくらいが丁度良いのだ。そう自分に言い聞かせて息子の赤いほっぺたを軽くなでた。

 お茶を入れて、テレビのスイッチを入れる。夫が仕事に出ていて、息子が寝ているこの時間が精神を休める唯一の時間だ。テレビでは、ちょうど教育について討論しているところだった。議題は最近流行りの優生学である。優秀な遺伝子を持つ両親の子供もまた優秀だと、如何にも頭の良さそうな老人が言っている。そうかしら、何をもって優秀と定義するのか。その物差しは人それぞれですわよ、と自信満々に言う彼女も才女として有名な人物だった。

 結局、学歴じゃないの、そう呟いて私はチャンネルを変えた。次に画面に映しだされたのはテレビショッピングだった。

「最近、人の能力には遺伝子が大きく関係しているということが騒がれていることをご存じでしょうか」

 スーツ姿の男性が微笑みながら説明している。清々しく好感の持てる顔だ。

「一時期は人種差別や人権の侵害を助長すると遠ざけられていた優生学ですが、最近復権し始めています。これは親の遺伝子が子供の知能指数に影響を与えると昨年大々的に発表されたことが原因でしょう。しかし、こうは思いませんか。遺伝子によってその人の能力が全て決まるはずがないと。確かにそう言ったものを遺伝的に受け継ぐかもしれません。それでも、教育、近隣の環境、学校の友達関係、遺伝的影響よりもむしろこれらの方が影響が大きいはずだと」

 まさしくその通り。私は強く頷いた。優生学なんかよりこちらの説の方がずっと信じられる。観覧席にいた主婦たちが揃って頷いている映像が流れる。

「奥さんたちのように正しい見識を持っている人が世の中の大半を占めていればいいのですが、そうでもないのです。人はえてしてメディアに傾倒しがちです。例えばお子さんが夜泣きしたとします。そこでもしお隣さんの方が社会的地位が高かったら、もしくは学歴が高かったらどうでしょうか。お隣さんはこう思うわけです。『仕方ないわよ、あそこは遺伝子が悪いから』」

 男性は自分で言って辛くなったのか、一瞬悲しそうな顔をした。ああ、この人は本気でうれいているのだなとそう思った。

「今回紹介する商品は、そのような偏見に負けないために、遺伝子なんて関係ないということを証明するためのものです」

 そこでアシスタントから男性に手渡されたのは一枚のシールだった。

「これは善行シールと言って、このようにお子さんの首元に貼りつけて使用します」

 男性は自分の首元をカメラに向けてシールを貼り付けた。

「このように首元にシールを貼った状態でお子さんが良い行いをした時、こちらのボタンを押してあげてください。そうしますと首元の電極が作用してお子さんに心地よい刺激が与えられます」

「首元から刺激を与えるなんて危ないんじゃないですか」

 観覧席の主婦が声を上げた。

「非人道的な危険なものだと思いますか。いえいえそんなことは御座いません。世界基準の臨床試験をパスしており、健康に全く害がないことは証明されています。それに」

 右手を大きく振って、画面の外を指差した。

「今回3歳から4歳の幼児期に1年間このシールを使用した20歳の青年達に来て頂きました」

 男性の指差した方向には5人の男の子と5人の女の子が座っていた。彼らがそれぞれ手に持ったボードには自身の学歴と両親の学歴が記載されていた。男性は一番端に座る青年に声を掛けた。青年は緊張しているためか、ぎこちない対応であったけれど終始丁寧な態度が好印象だった。10人それぞれにインタビューした結果、誰も彼もが最初の青年と同じで謙虚な態度であり、模範的なものだった。

 そうすると自ずと彼らの手に持ったボードに目がいく。10人が10人とも一流大学に在籍していることが分かる。しかし、両親の方を見ると青年たちには見劣りするものばかりだ。

「このように、善行シールは確かな成果を上げています。そして今回、10年の歳月を掛けてついに大量生産に成功しました。これでみなさまに安価で提供することができるようになりました。お値段なんと」

 そう言って画面に映しだされた値段は想像するほど高値ではなく、家族で一度外食する時にかかる程の値段だった。

 最後にテレビショッピングらしく、電話番号が放映されて番組が終了した。

 思わず手元にメモした番号を見て、息子の寝顔を想像して、それから受話器を手にとった。


 テレビショッピング放映から20年後。善行シールを使用した子供と使用していない子供では学問に留まらず、運動や対話能力、礼儀に至るまで多くの面で差が出ていた。どの分野であっても一流の成果を上げている子供がすべからく善行シールを使用したものとあって、善行シールこそ次世代の教育法と持て囃された。

 それからさらに10年後。出生率が目に見えて落ち始める。善行シールを使用した大人達は性行為によって快楽を得られなくなっていた。

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ショートショート集 高坂喬一郎 @soichiro

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