第7話
「やあ……約束の時間には、随分と早いようだが?」
鋭い夜風が肌を刺す、海沿いの倉庫街。
その一角で、ジャノメはひとりの男と対峙していた。
シャツや手袋に至るまで、全て周囲の闇に溶けていきそうな黒一色で統一したタキシードを纏うその男は、銀縁眼鏡の奥の目を細めて薄く笑みを浮かべている。
「……ご丁寧に、置き土産まで頂いちまったからな。早く礼が言いたくてね」
一方のジャノメも、口角を上げて答える。
けれどその瞳は笑顔とは程遠く、射抜くような眼差しは男から逸らされることはない。
「リンドウ……ダリアを殺ったのは、口封じのためか?」
腰に差した剣の柄に手をかけ、ジャノメは目の前の男ーーーリンドウに問いかけた。
ジャノメが臨戦態勢に入ったのを見越して、リンドウの傍らに立つ屈強な護衛が銃を抜く。
しかし、ジャノメが発する張り詰めた空気に圧倒され、その手元は小刻みに震えていた。
殺し屋はまず最初に殺気を消す訓練を行う。一流の腕であればあるほどその消し方は優秀であり、旧友と挨拶でも交わすように笑顔で歩み寄ってそのまま首を刎ねることなど造作もないジャノメもまた、例外ではない。
従って今放っているそれは、彼があえて隠すのを放棄していることを意味していた。
「ああ、彼女には申し訳ないことをした。君への依頼状を渡してくれるよう言ったのだが、どういうわけか君に仕事を回すなと私に食ってかかってきてね……。頼まれてもくれないようだし、あまりに大きな声を出すものだから……仕方なく、黙ってもらったんだ」
申し訳なさそうな、ただしどこか芝居がかった調子でリンドウは告げ、大袈裟に肩をすくめてみせる。
普通ならば嘘を疑うところだが、彼の場合は意図して表現を誇張することは珍しくない。
それを受け、恐らくは本当にダリアと遭遇した時点でダリアが殺されたわけではないとジャノメは推測した。
もしも、彼女がリンドウの指示通りにジャノメへの依頼状を受け取ってくれていたならば、あるいは。
『そろそろ、足を洗ってもいいと思う』
最期に聞いた、ダリアの声を思い出す。
ダリアも裏の人間の事情などを知らない人間ではない。
ただ、そんな彼女は情に溺れるあまり、超えてはいけない場所に自ら足を踏み入れてしまったのだ。そして、相応の罰が彼女に下された。
たったそれだけのことだ。裏の世界ではごくありふれた摂理のひとつ。
「……なるほど、な」
ジャノメは静かに息を吐き、そっと剣の柄から手を離した。同時に、周囲を支配していた殺気は消え去り、無機質な夜の空気があたりを包む。
そしてその安堵が、銃を握っていた護衛の男の口を緩ませた。
「まあ、殺る前に何発か楽しませてもらったが……正直、消すには惜しい上玉だったな」
彼は油断していた。瞬間、凍りつくような視線が注がれたことにも、隣に立つリンドウがそれを察して顔を背けたことにも気付かぬ程に。
「怯えてるくせに、アソコの具合は最高でよ……最後はお前の名前呼びながら泣いてよがってたぜ?なぁ蛇の目、お前いくら積んであの女飼い慣ら」
気を良くした男はなおも饒舌に語り続けていたが、突如その声はジャノメによって断ち切られた。そこには殺気など一切なく、夜の静寂の中、男の首は鮮やかな肉の断面を晒した。
刎ねられた頭部はぼとりと鈍い音を立てて下に転がり、そこでようやく斬られたと自覚したように、頭部を失った屈強な肉体はゆっくりと後方に倒れる。
地面に着くと同時に赤黒い血が首から噴き出し、ビクビクと何度か痙攣したそれは、ほどなくしてただの肉の塊になった。
眉一つ動かさずにその様を見下ろしながら、ジャノメは頬に一滴飛んだ返り血を手の甲で拭う。
その手に握られた銀の剣は、稲光にも等しい早さで獲物を仕留めた誇らしさを示すように輝き、その刃には一点の曇りもない。
「困ったな……君のおかげで私は丸腰だ。今日は部下の中でも一番腕の立つ護衛を連れてきていたのだが」
「知らねえよ。大事な部下なら躾くらいちゃんとしとけ」
肩についた返り血を黒いハンカチで拭きながら皮肉めいた文句をこぼすリンドウに、ジャノメは部屋から持ち出した黒い封筒を差し出す。
「……アンタが直々に動くってことは、この依頼……“上”が絡んでんだろ?」
答える代わりに、彼はタキシードの胸元から出したマッチに火を付け、差し出された封筒にかざした。
たちまち燃え始めた封筒は足元に落ち、ほんの僅かな黒い炭を残して焼失する。
そしてその欠片は、風に攫われて夜の闇へと流れていく。
「察しが良くて助かるよ。ただ、今回は少し特殊でね……君に頼みたいのは、殺しじゃないんだ」
ざわり、と二人の間をひときわ強い風が通り過ぎる。
編み込んだ髪を風に遊ばせながら、ジャノメは形の良い眉を寄せた。
蛇の目、という男。 雅 翼 @miyatasu
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